政治の最近のブログ記事

各地域の犯罪発生情報や防犯情報等を、警視庁がメールで教えてくれる「メールけいしちょう」というサービスがある。
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/.../mail_info.html

子供への声かけや公然わいせつ、詐欺や侵入窃盗から、強盗、殺人、不審者情報等、毎日起こっている様々な事案についての個別具体的な案内が届く。自分は2008年から登録しているが、最近多いのは「アポ電入電中」とか。

で先月末、15年利用してきて初めて「出入国管理及び難民認定法違反被疑者逃走事件の発生について(重要)」というメールが届いて、正直違和感を覚えた。衆議院での入管法改悪の議論が話題になっていた時期であり、タイムリー過ぎたからだ。

15年も利用していると、初めて見る事案というのはもう殆ど無いというレア度に加え、過去5400件以上受け取っているうち件名に「(重要)」が付いた事件は20件程度しか無いという意味でも超レア。それまで、緊縛強盗、殺人未遂容疑者の逃走、無差別傷害事件の犯人逃走中、不審者情報(包丁を所持した男が徘徊)等、被害拡大防止のため注意を促す必要がある事案で「(重要)」が使われているのだなと思っていたこともあり、全然そういう被害者が出る事案ではない入管法違反被疑者逃走に「(重要)」が使われたという点も異質だった。

「逃走中の者:アジア系外国人、身長175センチメートルくらい、黒色シャツ、中肉、黒髪長め、20歳くらいの男」「防犯のため、戸締りをしましょう。」という本文の記述もそうだ。過去、戸締りを促す内容が含まれていた具体的事案は、強盗や傷害事件くらいだ。そういう事案と全く傾向が異なるのであって、不必要に不安を煽る必要は無い。
なんというか、そこまで(忖度?)して、入管法改悪に賛成する世論作りに必死なのかと、姑息だなと思ってしまった。が、あんまバズってないので、ご愁傷様というところ(苦笑)

難民と避難民

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「難民と言わないこと」にこだわる日本の異様さ
(ニューズウィーク日本語版 2022年03月22日(火)10時45分)
https://www.newsweekjapan.jp/mochizuki/2022/03/post-14.php

この記事に書かれていることはもっともだと思うのだけれど、同じ記事が転載されたYahooニュースのコメント欄を見ると、アホな論理で記事に否定的な意見が多く、例によって暗澹たる思いがする。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f0fd3c6b891281bda5ebd8f8d6cb01d8e1621914

そこで、このまま日本政府が、「ウクライナ人は難民ではなくて避難民だ」と言い続けると、近い将来大変困る事態に直面するというお話を。

■その前に、まず難民の定義について
・出入国在留管理庁(法務省)
https://www.moj.go.jp/isa/applications/guide/nanmin.html
「難民条約第1条又は議定書第1条の規定により定義される難民を意味し,それは,人種,宗教,国籍,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないか又はそれを望まない者」

・UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)
https://www.unhcr.org/jp/what_is_refugee
「1951年の「難民の地位に関する条約」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」人々と定義されています。
今日、「難民」とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために、国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっています。」

上記から分かるように、難民に関するUNHCRと日本政府との見解の差は、「武力紛争や人権侵害などを逃れるために、国境を越えて他国に庇護を求めた人々」を含めるか否かだ。

つまり、日本政府の見解では、侵略を受けた国の人々がいくら逃げてきても"難民"とは呼べないので、苦肉の策として"避難民"と呼んでいる。←イマココ

■侵略した側の国民は?
ウクライナ人を難民と呼ばずに避難民と呼ぶことを支持している人々は、それが日本政府の今までのスタンスと合致したもので、ここで難民と呼んでしまったら、整合性が取れないではないかと言う。

では、その整合性を保つ場合、ロシア人を難民と呼ぶことには、抵抗を感じないのだろうか。

何故なら、侵略した側の国民が、自国政府の侵略行為に異を唱え(政治的意見)、迫害を受け、日本に逃げて来たら、日本政府の狭い難民の定義でも、"難民"に合致するからだ。
ロシア国内で、プーチンや侵略を批判したロシア人が迫害されているということは、周知の事実だ。
もしここで日本政府が、侵略国の国民は難民と認めないような見解に至ったら、それこそ、整合性が取れなくなる。

ロシア人は難民と認め地位を保障するけれど、ウクライナ人は難民と認めず、難民より不安定な地位の避難民として扱う。それでOKと思っている人でなければ、現在の日本政府のスタンスを支持できないはずだ。

それってぶっちゃけ、倫理観がぶっ壊れてるのでは。

■整合性のある解釈とは:逆・裏・対偶
高校の数学を思い出してみよう。
命題「AならばB」に対し、対偶「BでないならAでない」は真である。
しかし、逆「BならばA」、裏「AでないならBでない」は、必ずしも真ではない(逆は必ずしも真ならず)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E5%81%B6_(%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6)

これに
A「人種,宗教,国籍,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないか又はそれを望まない者」
B「難民」
として、当てはめてみよう。

命題『「人種,宗教,国籍,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないか又はそれを望まない者」なら「難民」』に対し、
『「人種,宗教,国籍,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないか又はそれを望まない者」でないなら「難民」でない』という日本政府の見解は、「AでないならBでない」と言ってるわけで、裏が真であるという主張だ。

原則としての命題に、特段の事情を例外として含めることで、ウクライナ人を難民と認めることに論理的整合性を担保する方法はあっただろう。ところが、原則をつらぬいて例外を認めない結果、裏が真であるという論理の飛躍で、ウクライナ人を"避難民"にしてしまった。
(避難民として認めること自体が例外だという主張は、論点のすり替えなので論外。)

「武力紛争や人権侵害などを逃れるために、国境を越えて他国に庇護を求めた人々」をAに含めない結果、被侵略国の国民を侵略国の国民より劣後した扱いをせざるを得ないのなら、それは命題からして間違っているということだろう。

あ、背理法の方が良かったか...

■政府見解を修正しないということは
・侵略国の国民は難民に成り得る
・被侵略国の国民は難民に成り得ない

どんな侵略戦争においても、上記のような関係は常に生じ得るのであって、こんな矛盾が容易に生じ得る見解は、とても擁護できる代物ではない。自国政府の侵略行為を非難して迫害を受け他国へ逃れる人々も、侵略を受け国境を越え他国に庇護を求めた人々も、等しく難民としての地位を認めなければ、制度として整合性が取れないのは明らかだ。

このままでは、プーチンを批判してロシアに帰国したら迫害を受けるかもしれない在日ロシア人が難民申請した途端、直ぐに矛盾が露顕する。UNHCRが「武力紛争や人権侵害などを逃れるために、国境を越えて他国に庇護を求めた人々」を難民に含めるのは、とても当たり前のことだったと、今更ながらに思う。

日本人、ウクライナ人、ロシア人のいずれの立場で考えても、ロシア人だけが難民として認められる事態が生じた場合、それを当然とは思えないだろう。難民として認められたロシア人だって、きっとウクライナ人に申し訳ないと思うだろう。
わざわざ、無用な争いの種をまく必要は無い。

■もう一つ
ウクライナは、ロシアの侵略にとてもよく抵抗しているけれど、仮に最終的にロシアが勝利し、ウクライナにロシアの傀儡政権が樹立されたり、ロシアに編入されてしまった場合、避難民として受け入れていたウクライナ人は、決して、一時的な存在ではなくなる。しかし、その時になって避難民が難民申請したとしても、この国が難民と認定するかどうかは、過去の政策との整合性を考えると...分からないとしか言えない。帰国を促しかねない。

3/18の官房長官記者会見では、
https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/202203/18_a.html
9:40くらいからの、在留資格についての記者の質問への回答
「在留資格をどのようなものにするかについても、避難された方の状況に応じて、法務省において適切に対応するものと承知しております。」ということで、ゼロ回答。まあ予測困難。

今できないことが、直近の未来にできると思うに足りる根拠は、見当たらないなぁという感じ。
内閣官房のウクライナ避難民対策連絡調整会議は、議事録見当たらないし。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ukraine_hinanmin_taisaku/index.html

グラスノスチ!

中身のあるブログ更新何年ぶりだよという感じだが、過去にここで注目していた事案のその後についての話。


「日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー 経産官僚の暴走と歪められる公文書管理」を読み終えた。本書は、かつて産業革新機構からの出資による官製映画会社と言われた株式会社All Nippon Entertainment Works(以下「ANEW」とする。)にまつわる不審な公金の行方や、実績とされた映画化案件に実体が存在しなかったこと等を暴きつつ、クールジャパン政策の数々の問題点を具体的な事例を元に指摘する。この問題を長年追及してきた著者には、本当に敬意を表したい。
しかし、それだけに留まらず、著者も属する映画産業の発展に本当に必要な支援とは何か、海外の成功事例を豊富に紹介しつつ論じている。映画や広く映像産業に関わる人は、この本を読むべきかもしれない。自分のように、既に部外者となって久しい人間には、もったいない内容だった。
純粋に、アメリカ等海外と映画製作する際の流儀というか、コスト管理や契約締結に必要な実務的な知識、不合理な契約を押し付けられないためのメルクマールのオンパレードという側面も、ある意味貴重だった。というのも、著者が訴える経産省やANEWの問題点を読者が理解する前提として、ハリウッド等アメリカの映画製作実務の知識が必須な為、その解説に多くのページが割かれているからだ。目から鱗と感じる関係者もいるかもしれない。普通なら、それだけでもお金払う価値がある。

ANEWについては、設立当初から自分も興味を持ってこのブログで取り上げていたけれど、いつになってもガイキングは完成せず、あの会社どうなってんの?と思ってきた。しかし、著者のように情報公開請求したり、関係者の発言や発表を時系列で追ってその矛盾を発見したりすることは無かった。ジャーナリストでもない著者が、このような不正義を長年追及してきたのは、ご自身が映画産業関係者であり、国の無策に苦々しい思いをさせられてきたからだろう。しかも、無策なだけじゃなく、クールジャパンと称して税金を私物化している連中がいる。許せないという気持ちに違いない。自分は以前CG制作会社で働き、映画制作を受注する現場側として興味を持ったのが最初なので、著者にはとても共感しながら読ませてもらった。

ただし、ANEWのような官製映画会社が作られた経緯について、本書で触れられていないことがある。著者はご存じ無いのかもしれない。本書巻末のANEW年表は、経産省が産業革新機構に対しANEW設立を打診した2010年前半から始まっているのだが、実はこの前がある。

■ANEW設立の前段階
2010年初頭、民主党政権下の経産省は、民間から誰もが自由に国策等を提案できるアイデアボックスというサイトを運営していた。ここで多くの支持を得た「ハリウッドVFXの仕事を日本で受注するための支援」という映画制作現場からの意見があり、自分はこれが、ANEWを正当化する民意として経産省に利用されたと、現在では理解している。

経済産業省アイディアボックス
「ハリウッドVFXの仕事を日本で受注するための支援」
https://web.archive.org/web/20100523203033/http://201002.after-ideabox.net/ja/idea/00131/

この直後の2010年4月、「経済産業省は5日、産業構造審議会(経産相の諮問機関)の産業競争力部会に「文化産業大国戦略」案を提示した。」として、「映画などのコンテンツを海外で販売するのに不可欠な資金を提供する官民出資の「コンテンツ海外展開ファンド」を創設する。」と毎日新聞が記事にしていた。

アイデアボックスに意見を投じたご本人は、コンテンツ海外展開ファンドの創設を前進と評価されていたが、
http://shikatanaku.blogspot.com/2010/04/blog-post.html

自分は意見が歪められたと感じていた。
「クール・ジャパンのマヌケ」
http://maruko.to/2010/04/post-83.html

それでも、2011年にANEWの設立がニュースとなった頃は、
「国策会社とクール・ジャパン」
http://maruko.to/2011/11/post-123.html
「ハリウッドのノウハウを学ぼうという姿勢」に変わったと感じ、「単なる資金提供目的のファンドとは全然違う。人材育成を明確に目的にしただけでも、大きな進歩。」と考えていた。

しかし、そもそも2009年の麻生政権下で、産業革新機構から資金調達して「コンテンツ海外展開ファンド」を創設するという話は、既にニュースになっていた。
「国産比率と法令遵守を条件に」
http://maruko.to/2009/05/post-31.html
2009年5月4日の時事通信の記事では、「国内の制作会社や作家からコンテンツの海外ライセンス(使用許諾)を取得するとともに、海外の制作会社に出資し、国際展開を後押しする。」と説明されており、正に、後のANEWそのものと言える。産業革新機構とコンテンツ海外展開ファンドを駆使した税金私物化の不正の概要は、自民党政権時代に出来上がっていたのだ。

■政権交代の影響
2009年当時の自分は、制作現場が潤わない新たな利権を生むだけの麻生政権の愚策に批判的だったのだが、政権交代と2010年のアイデアボックスを経て、多少はマシになったのではないかと、期待してしまっていた。民主党政権とは、はてブにオープンガバメント推進ブログを経産省が作っていた、そういう時代だった。
https://ideaboxfu.hatenadiary.org/entry/20100527/1274919221

けれど、野田政権の最後にANEWがガイキングについて発表したのを最後に、クールジャパンはブラックボックス化してしまう。
「民主党政権の残したクール・ジャパン」
http://maruko.to/2012/12/post-135.html
オープンガバメントな手法を駆使し、親しみすら感じていた経産省が、自民党への政権復帰と共に、遠い存在に戻ったという気がした。

著者は、様々な情報公開請求、不誠実な経産省の対応で苦労されるわけだが、これは単に経産省が悪いというより、それを許すようになった現政権に最大の問題があるのではないかと思う。公文書管理や情報公開への姿勢に問題があるというのは、経産省というよりも、現政権の顕著な特徴なのだから。現政権の不正のオンパレードの中に、本件は埋もれてしまったという気がする。

まあ、ガイキングにしてもいかなる契約も存在していなかったというのだから、民主党政権下で自分が「多少はマシになった」と当時思ったのも、ただの虚構だったのかもしれないが。

■当時における官製映画会社の必要性
第4章「官製映画会社構想のそもそもの過ち」には、「国による「ANEW設立の打診」には、産業政策上の「事実」に当てはまらない致命的な思い違いが、大きく分けて2つ存在します。1つは個人レベルで解決できる課題に焦点を当てていたこと、もう1つは「ビロー・ザ・ライン」へ支援が向いていなかったことです。」とある。自分は、後者には賛成で、アイデアボックスの議論の後に骨抜きにされたのが、正にこの部分だと感じている。しかし、前者については異論がある。
著者はここで、「リング」が契約に失敗し、ハリウッドリメイクから配当を得られなかった事例について、プロデューサーら個人の問題と捉えている。そして、「映画化権の交渉における契約法務に長けた弁護士やエージェントなどを利用するという、簡単な手段で解決できます。」と。リメイクを通じてハリウッドのノウハウを蓄積し還元するような官製映画会社は、前提とした必要性がそもそも無かったと。
しかし、映画化権のハリウッドとの交渉に長けた弁護士にアクセスすることは、この国で本当にそんな簡単なことだろうか。著者は、ANEWが支援したのが東映アニメーションや日本テレビという資金力のある大企業であったことから、そのような会社が国の支援がないとリスクをとることが難しいわけがないと論じている。しかし、その様な大企業のみを支援するのが、ANEW設立の前提だったわけでもないだろう。

第1章「株式会社ANEWと消えた22億円」では、「官製会社の民業圧迫行為」と題し、漫画「銃夢」がハリウッド映画化された「アリータ:バトル・エンジェル」の契約法務の事例を引き合いにしている。「銃夢」のように、日本の法律事務所が代理人としてハリウッドと交渉した事例があるではないかと。ANEWのような官製映画会社が無くとも民間で対応できるのに、対価を求めずに同様のサービスをANEWが提供することは、民業圧迫だったと。しかし、原作者のインタビュー記事を読むと、「アリータ:バトル・エンジェル」こそが契約法務に不備があったと疑われても仕方のない問題ケースだと思えてくる。

「銃夢」の作者・木城ゆきと氏にインタビュー、「アリータ:バトル・エンジェル」映画化の経緯から「銃夢」の奇想天外なストーリーの秘訣まで聞いてきました - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20190221-alita-battle-angel-yukito-kishiro-interview/
「当時集英社でも前例がまったくありませんでしたから。きちんとマネジメントをしてくれる代理人契約を電通さんと結んで、ちゃんとした体制でこっちも向かわないといけないという風になりました。」と原作者の木城氏が語っており、そもそも弁護士に直接アクセスしていないことが分かる。加えて、最も問題があると考えるべきなのは、次の部分だ。
「タフな交渉だったので2年ぐらいは色々ともめたんですが、最終的に2000年の暮れごろに僕が契約書にサインして、契約が成立しました。」
「2016年になってプロデューサーのジョン・ランドーが来日して、「『アリータ』を作ることになりました。監督はロバート・ロドリゲスが担当します」と。」
つまり、契約から16年もの間、「銃夢」の映画化は動かなかった。元々、他にも映画化を交渉していた競合プロデューサーが存在したような人気コンテンツで、2年も交渉して締結した契約が、そこから更に16年も塩漬けにされることが許されるような内容だったことになる。
本書では、「海外映画化権の契約では、製作を実現できないプロデューサーの元に映画化権が半永久的にとどまることで知的財産が活用できなくなるのを防ぐために、条項を取り決めることもできます。」として、「権利の復帰条項」(Reversion)が解説されている。にもかかわらず「アリータ」を引き合いに出されると、こういった条項が欠けていた事例に思え、むしろ民間にハリウッドとの契約法務のノウハウが無かったことの証拠に思えてくる。電通経由で、どこの法律事務所が関係したのかは知らないし、実際にどのような契約が締結されたのかは確認しようがないが、確認しようがない失敗のノウハウは、共有されることもない。

そんな状況で、国策として海外へコンテンツを売り込もうというなら、(その国策自体の是非は別にしても、)国がサポートするというのは、そんなにおかしなことだとは思わない。ただし、結果として何の役にも立たないANEWが作られ、投入された税金が雲散霧消したことは、まったく酷い話だと著者に同意する。

自分の経験で言うと、映像制作の現場に法的知識のある人間が必要という観点から、かつて弁護士を目指しロースクールに通った。エンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワークの理事などの弁護士から、直接学んだ。しかし、実務家(弁護士)が映像制作現場の状況を理解しているとは思えなかった。それから10年経ち、今なら状況が変わっているのだろうが。

■驚いた話
ANEWの件は長年興味のあった問題であり、著者のSNS等の情報発信をフォローしていた身なので、ほとんどの内容は想定内ではあった。しかし、第4章の「労働搾取を推奨する日本の代表」はぶったまげた。2012年の東京国際映画祭に併設されていたTIFFCOM(テレビ、映画の見本市)にて開催された「日本のインセンティブの未来を考える」というセミナーでのこと。「ジャパン・フィルムコミッションの副理事で、その後2019年10月まで理事長を務めた」人物が、海外の映画製作者に向け、「日本のロケ誘致のインセンティブとなる特典要素」として次のような発言をしていたという。
 ・外国と違い、日本で撮影を行う場合、日本のクルーは週末、深夜、長時間労働に対応が可能
 ・日本のクルーは残業代がかからない
 ・エキストラを無償で用意することができるところもある
著者は、このセミナー以前から、複数の映画産業関係者より、ジャパン・フィルムコミッションがロサンゼルス等海外でのプロモーション事業においても無償残業の提供を吹聴していると聞いていたそうで、それを自分の耳で確認することになり、怒りを覚えたという。この人物は現在、内閣府知的財産戦略本部が組織した映画産業振興のためのタスクフォースや、「ロケ撮影の環境改善に関する官民連絡会議」のメンバーだそうだ。
ぶっちゃければ、確かにそういうこともあるかもしれないが、少なくともそれは悪しき慣行であり、ロケ誘致のインセンティブとして宣伝材料になるような要素ではない。海外の映画製作者が、違法な労働力の提供を魅力に感じると思っている点でアホだし、それを公の場で公言してしまう感覚も理解できない。本書で紹介されている、世界各国がどのようなインセンティブ政策でロケ地やプロダクションの誘致に成功しているかの事例と比較し、驚きを通り越して悲しくなった。

皮肉なことに、「ロケ撮影の環境改善に関する官民連絡会議」が公開している2018年4月の中間取りまとめの報告書には、真逆の記述がある。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/location_renrakukaigi/pdf/h3004_houkoku.pdf
ロケ撮影を巡る現状認識等について、関係団体・企業の委員から、次のような指摘が出たというのだ。
「制作部のスタッフの多くはフリーだが、昨今人材そのものが減少。制作現場としてもコンプライアンス遵守や、働き方改革を意識していかないといけないが、一方で、その皺寄せがフリーのスタッフに行かないよう業界全体として考えていく必要がある。米国やフランスのようなユニオンのような仕組も含め、映像産業全体として、魅力的・理想的な体制を目指すべき。」
「ロケ現場におけるコンプライアンスの確立と強化が重要。日本の製作現場においてコンプライアンスが確立されれば、すなわちそれが海外作品誘致のアピールにもつながる。」

このコンプライアンスの重要性に関する今更の指摘は、同年3月の第3回会議において出たものだ。同会議には、2012年に労働搾取をインセンティブとして海外にアピールしていた件のジャパン・フィルムコミッション理事長も出席している。自らの過去の問題発言の重大性を自覚してくれたと期待するしかない。

■プロダクションインセンティブとか
著者は2017年、知的財産戦略本部へ「日本におけるプロダクションインセンティブ制度設置についての提言」を提出している。
https://hiromasudanet.wordpress.com/2017/02/19/production_incentive_for_japan/
この内容は、本書とも重なるのだが、この後に設置された「ロケ撮影の環境改善に関する官民連絡会議」では、プロダクションインセンティブについての検討がされた。そして昨年、実証調査事業としての「外国映像作品ロケ誘致プロジェクト」を映像産業振興機構(VIPO)が運営事務局となり、支援対象の募集がされた。
https://www.vipo.or.jp/project/locationuchi/
採択案件2作品については、今年1月に公表された。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/location/20200110.html
この重大性について、期待する声も業界にはあるようだ。
https://cinefil.tokyo/_ct/17357929
しかし、これについても本書は、具体的根拠を示して厳しい指摘をしている。

ただ、自分が気になった点は別で、VIPOの示していた当該事業の事業期間は「受給資格通知日から2020年1月31日」とされ、事業終了報告書の提出期限も1月31日とされていたのに、「G.I.ジョー: 漆黒のスネークアイズ」の日本での撮影が終わったのは、2月に入ってからのようなのだ。
https://theriver.jp/snake-eyes-wrapped/
大丈夫か?

尚、今年の募集については、新型コロナの影響で受付開始時期が未定だが、事業期間は2021年2月1日までとされており、もう無理だろうと思わざるを得ない。
https://www.vipo.or.jp/project/location-project/

■蛇足
本書の扱うクールジャパン絡みの問題は範囲が広い上に、映画に関しては特に専門的であり、読み物として面白いわけではない。しかし、最近も新型コロナを大義名分として、何故かクールジャパンに巨額の予算が計上される事案も発生しており、これらの動向を継続的に検証するメディアの必要性が増しているように思う。本書のような問題意識は、もっと共有されるべきだと思う。しかし、こういう本がバカ売れするはずもなく、なんとも難しいですね。

NHK『武力行使の新3要件「他に手段なし」盛り込み了承 自公』
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150416/k10010050871000.html
「他に手段なし」と、「他に適当な手段がない」は、法律要件として意味が大きく違ってくるけど、NHK以外も、見出しから「適当な」を抜いて、さも厳格な要件のように報道してるところが多くて驚く。実際は「適当な」が入るのだから、いざとなれば、「他に手段はあったけど、適当じゃないから武力行使OK」と言えるわけだ。すると、どんな手段なら「適当」なのかが、本当は大問題なわけだ。

これじゃあ、邪魔な要件を骨抜きする、いつもの霞ヶ関文学だ。

朝日『集団的自衛権行使、法に「他に手段ない」明記 政府方針』
http://www.asahi.com/articles/ASH4J76NGH4JUTFK007.html
読売『「他に手段ない」集団的自衛権行使で法案明記へ』
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150416-OYT1T50156.html
時事通信『後方支援対象は米「中核」=重要影響事態法に明記-武力行使「他に手段ない」・政府』
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015041600808&g=pol
日経『集団的自衛権行使、「他に手段なし」明記 政府が公明に配慮』
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS16H3H_W5A410C1PP8000/
共同通信『政府、「他に手段ない」明記 集団的自衛権の行使要件』
http://www.47news.jp/CN/201504/CN2015041601001142.html

みんな、嘘にならないように本文じゃ「適当な」を入れてるけど、多くの読者は見出しで第一印象を刷り込まれる。特にネットじゃ、見出しだけ見て判断する人も多い。政府が慎重論に配慮したかの印象操作にはもってこいだね。

メディア各社は、もう少し勉強して、法律要件として重要なキーワードの取捨選択に慎重になろうよ。どうしてこうなったのか知らんけど、こんなにそろって外してるとキモイ。

■蛇足1
いざとなったら官房長官あたりが、「武力行使は唯一の解決策であり、粛々と実行します」とか言うわけだ。その時になって、「他に手段があるじゃないか」と言ったって、「それは適当ではない」と言われて終わり。その時、どんだけ国会承認が機能するのやら...

■蛇足2
ブログの更新が全然できてないけど、2月はシンガポール、ゲンティンハイランド、クアラルンプール、マカオ、香港、仁川と旅行で忙しかった。(香港とクアラルンプール以外はカジノがあり、新しいところや変化したところをじっくり見てきた。)
3月は、先祖の墓参りついでに、熊本、天草、雲仙、島原、長崎、福岡と、初めて九州を回ってきた。この二つの旅では、スクートエアアジアジェットスターピーチと、LCCを活用した。
え?別に、自分探しの旅をしているわけではない。何もすすんでないけど(自爆)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140218/k10015326171000.html
「菅官房長官は「安倍総理大臣の指示の下、古屋防災担当大臣がしっかり対応しており、内閣全体として取り組んでいる」と述べ、安倍総理大臣の指示の下、政府全体で対応していると強調しました。」
え...政府が頑張って対応してこの結果だと言ってるの?
反省すべき点ないの?
これじゃあ、危機管理能力がないと、自ら認めているようなもんじゃん。

「先週金曜日の14日の午後12時半に関係省庁による災害警戒会議、16日と17日に関係省庁による災害対策会議を開くとともに、古屋防災担当大臣が山梨県側とテレビ会議を行ったこと、さらに自衛隊が15日には活動を始めた」
こうやって、形式的な会議の存在で自己正当化できてると思ってるのかな?
実質的には動いてなかったから、みんなの党からまで批判されてんじゃん。

http://t.co/qbfpbjfqyJ
「雪の被害は14日夜半から大きなものになっていました。みんなの党の山梨県選出の議員から現地の詳細情報が入り始め、孤立無援地域の救出を党は菅官房長官にも電話で直接お願いしました。しかし、政府は、関係各所の連絡会議を招集したのは、15日の午後1時、それまでは、災害対策の事務局は、2から3人の当直職員しかいなかったようです。」
月曜になっても、「午後5時の時点でも連絡がつかない孤立無援地域がどれくらいあるか詳細には分からないとの回答でした。災害から24時間以上立ってもこのような状態、政府には真面目にやって欲しいと申し入れました。未だに政府には災害対策本部は設置されていません。」

官房長官は、15日に自衛隊が活動始めたと言ってるけど、規模が小さすぎたわけじゃん。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1801F_Y4A210C1EB1000/
18日になってやっと、1000人規模に増やしたわけでしょう?
18日になってやっと、災害対策本部を設置したわけでしょう?
http://www.asahi.com/articles/ASG2L3SM2G2LULFA00G.html
「課長級による災害対策会議を閣僚がトップの同本部に格上げした。」
18日になってやっと、官僚任せだったのが失敗だったと気付いたんじゃないの?

死者が出てるのだから、もっと早期に本格的に活動開始する判断ができたんじゃないかっつー反省くらい、謙虚にしようよ。そりゃネットにゃ、今回の政府対応を支持する書き込みを何故かよく目にするけど、そんなの「裸の王様」と同じだから。

長野県に遅れて、17日に山梨県が災害対策本部設置したのは、擁護する意見なんて皆無なのに、18日に災害対策本部設置した政府は擁護されるとか、意味不明だから。

■蛇足
ところで、当選直後に災害対策としての大雪のこと質問されて、「こういうのは大した事は無い。一日で終わる話ですから」と答えた新都知事は、少しは反省してるだろうか?
東京は、地方から物を届けてもらうことで食いつなぐ脆い都市だというのは、311の時にみんな思い知らされた。今回東京都は、どういう対応をとれたのだろう?と、防災ページにある発災時の緊急ニュースのページを見てみると...酷すぎ。
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/datasheet/index_em.html

一連の大雪に関連した東京都の情報は、奥多摩町と桧原村に自衛隊派遣要請したというPDF1枚だけ。このサイトは、311の時も、夜まで災害情報が掲載されなかった。その辺の問題は、都政モニターやってた時にアンケートに答える形で東京都に指摘したし、その後猪瀬さんも、震災時に東京都がネットの情報発信を上手くできなかったことを認めていたわけだ。(だからといって、twitterでの情報発信ばかり強化したのはアホかと思ったけど。)
都知事が新しくなって、また災害を甘く見るように戻るなんてね...

http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/03/tochiji-taikijidou_n_4720496.html
これ見て、「保育園ふやし隊@杉並」の各候補への待機児童対策についての公開質問の答えを見た。

宇都宮さんも舛添さんも、一見するともっともなことを言っているように見えるけれど、はたしてそうだろうか?

例えば、「認可保育所の増設について、東京都としてどのように支援しようとお考えですか。」と聞かれて、宇都宮さんは認可保育所の増設で定員を増やすとしか答えてなくて、それを東京都としてどう支援するか答えてない。
区立の保育園は存在しても、都立の保育園なんて聞いたことがないわけで、認可保育所を増やすとか都知事選で言われても、そもそも保育所を作るのは東京都の仕事ではない。どうして都知事候補がそんな約束をできるのか、イマイチよく分からない。これが区長選なら、もっともな公約なんだけど。
「保育園ふやし隊@杉並」の側は、実際に作るのは東京都じゃないことを理解してるから、どう「支援」するかと聞いているのに、宇都宮さんは質問の意図を理解できてないわけだ。

舛添さんは、質問の意図は理解していて、「運営事業者が初期投資を押える形で認可保育所を設置できるようにする」とは答えているけれど、他の討論番組なんかでの発言を聞いていると、基本的に施設の要件の緩和(規制緩和)が当たり前と考えているようだ。

まあ、いずれにしても、認可保育所を増設するとか、そのために要件を緩和するとか、保育士の待遇改善で人員を確保するとか、そんなの誰だって最初に考えるレベルの話でしかない。

もっと、既に子供一人当たりにすれば高額な税金を投入しているのに、どうして今まで問題が解決しなかったのか、そこに触れてもいいじゃないか。例えば、年収800万円を超えてる正規の年配保育士の隣で、非正規の若い保育士なんかが年収200万円以下とかで働いてたりするかもしれないわけでしょ?

こんなブログがあった。
http://d.hatena.ne.jp/azuma_ryo/20100826/1282795083
「自分の4倍も給料を貰っている人が隣で働き、経験の差はともかく、仕事内容もについても同じ保育だとしたら、モチベーション下がりますよね。オマケに指導等が丁寧にあるわけではなく、感覚で覚えろという姿勢であれば尚更です。そのためすぐに辞めてしまい、保育士に嫌気がさし、別の業界に行ってしまうのです。ちょっと脱線してしまいましたが、これが保育士が不足している理由のひとつです。
補助金の額が少ないのではありません。年配職員の既得権利にしがみつく姿勢こそが若い人を苦しませているのです。これが理由のすべてではないですが、大半を占めていると私は思います。」

自分も昨年10月に、NHKが保育士の平均賃金についての誤報を流した時に書いたけれど、
http://maruko.to/2013/10/post-146.html
2000年以前の行政職俸給表で高給をもらってる年配保育士の既得権益に、切り込む候補者はいないのかな?

まあ、宇都宮さんなんか、支持政党の性格からして切り込めないのは当たり前なんだけど、だとしても他にやり方はある。

もちろん、極論的に紹介されてるこんな案はダメだろう。
http://wk.tk/7MF
「コストだけを考えると、0~5歳の子どもひとりにつき、月20万円現金で渡してしまったたほうが良いかもしれません。
20万円もらえるなら、家にいて自分の子どもの面倒をみたいという親はたくさんいるでしょう。逆に保育園が空いてくるのではないでしょうか。一気に待機児童も解消です。」

自分で面倒を見る親に現金を渡すというだけでは、自己実現としての仕事を失いたくない親には解決策にならない。しかも、直接現金がもらえるなら、もらえない地域からの転入が大変な数になるだろう。あくまで、働きたいor収入を失うわけにいかない親に対する支援であるべきだ。

なら、現在の育児休業給付金に対して、
http://allabout.co.jp/gm/gc/10843/
保育にかかる行政コスト分を上乗せする形で、期間も1歳半までなんて制限もなくし、もっとフレキシブルに利用しやすい制度は考えられないだろうか。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/shokuba_kosodate/ryouritsu01/
事業主への給付金との中間的な制度設計にして、解雇しない事業主へのインセンティブ的な性格を強化しても良い。

この場合に間違ってはいけないのは、安倍政権が当初叩かれた、3歳まで母親が育てろという3歳児神話のアレ(親学)のためじゃない。
例えば、本当は自分で面倒を見たいけれど、親が収入を失うわけにいかないために保育園に預けたいor預けているいという場合、預けなくとも収入が確保されるなら、そっちの方が理想という人も一定程度いるわけだ。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0331/398321.htm?g=05
パートなどで働く週3日だけ一時保育を利用し、残りは自分で面倒を見るなら、保育を利用しない残りの日の分に給付金が出るとか。今はフルで預けて働いている人でも、給付金が出るなら週の半分は自分で面倒を見たいとか。需要ないの?
選択肢を増やすことで、保育園や保育士が増えずとも、需要側を減少させる役には立つかもしれない。


ところで細川さんは、「保育園ふやし隊@杉並」の公開質問に対し、
「立候補表明に際して発表した政策方針において、『「待機児童ゼロ」を任期の間に早急に実現します。全国の先進事例に学んだ行動計画をつくります。』と表明しております。ご質問の諸点は、就任後に、皆様のご意見も参考にしながら、検討し、判断してまいりたいと存じます。」
と回答している。

(他の争点の、青少年健全育成条例について、「エンターテイメント表現の自由の会」から公開質問された時も、細川さんは就任後に検討すると答えている。勉強不足な点を隠さず、安易に答えない、ある意味正直なところがある(^^;)

それでも、ニコ生の討論番組では、施設の要件緩和(規制緩和)を主張する舛添さんと対照的に、要件緩和は慎重であるべきだと強調していた。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw935913
「待機児童の問題でですね、何年間でゼロにするというような、いろいろな、それぞれに公約を出しているわけですけれども。でも、最低基準は一畳の畳にひとり、ということになっていますね。そこにただスペースの問題でですね、スペースを広げるだけで、3人4人も一畳のたたみに子どもが入るということになれば、これは本当にちょっと大きな問題だと思うんですね。だからやっぱり質の問題を考えないと、ただゼロになっただけでは、私はやっぱり問題は解決しないと。そう思います。」

最近も、認可外で死亡事故の発生率が高いというニュースがあったばかりだけど、細川さんも、子供の環境を軽視すべきではないという問題認識は持っているわけだ。

「保育所事故で19人死亡 自治体任せ、検証ゼロ」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014020202000096.html

舛添さんは、
「切羽詰まっているんですよ。共稼ぎしたい、仕事と家庭を両立したい、そうしたときに、100%しか保育士が揃ってなければ入れちゃいけませんよっていう立場と。そりゃですね、10人必要なのに、1人しかいない。それはもう論外ですよ。だけど、8人まで揃っているんですから、それでどうですか、っていったときに、私は、切羽詰まっているお母さんの立場になれば、「それでも入れて下さい」ということがあるんではないでしょうか、ということを申し上げているんで。」
ということで、働きたい母親のためなら子供の環境は多少悪くなってもいいじゃないか、という発想なわけだ。

この二人の違いは、とても分かりやすい。


つまるところ、この争点でこの面子から選ぶなら、あまり解決策にならない主張ばかりする候補と、子供の環境への認識の甘そうな候補と、問題意識は共有しつつも当選後に熟考すると言っている候補と、どれを選ぶ?ということになるみたいだ。

ちょっと究極の選択っぽいけど、これから考える人の方が、のりしろがありそうに見えてしまうのは皮肉なものだ。細川さんに実務的な副知事がついたら、面白い化け方をしそうだとも思うのだけど、こればっかりは分からんですね。

「羽田新滑走路、五輪前の建設困難 かわりに都心飛行検討」(朝日新聞デジタル:2014年1月31日19時11分)
http://www.asahi.com/articles/ASG104Q3MG10ULFA012.html
「2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、羽田空港に5本目の滑走路建設を検討していた国土交通省が、五輪前の建設を断念する見通しになった。国交省の有識者会議が31日、埋め立てなどが間に合わないとの見方を示した。都心上空の飛行を認めたり、効率的な管制方式を採り入れたりして、別の形での発着能力増強をめざす。」

驚くことに、いまだに国交省は、オリンピックで東京一極集中を強化しようと考えていたわけだ。で、工事が間に合わないからと次に検討しているのがこれ。

「滑走路を新設しなくても、現在認められていない都心上空の航路を使えば効率的に離着陸できるようになり、発着枠は増えるとされる。」

こんなこと、都民が望んでいるかね?

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のサイトには、こんな資料も上がっている。
http://tokyo2020.jp/jp/plan/applicant/dl/TOKYO2020_05_jp.pdf

「5.2 空港」によると、大会で利用する主要国際空港は、成田と羽田しか考えられていない。主要でないその他の空港としては、東京以外で開催される2箇所のサッカーの会場に関して、新千歳空港と仙台空港の名前があるのみ。

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あのね、まずは茨城空港を最大限活用すべきなんじゃないの?
茨城空港と東京のアクセスは、バスなら、成田空港の場合と数十分の差で運行できる。

オリンピックのみで、東京以外に外国人を行かせるつもりがないなんて人はいないはずで、訪日客の視点で考えて当たり前に富士山観光も考慮すれば、富士山静岡空港だってもっと活用できる。

民主党政権のはじめ、JALを潰すことが話題になった頃、地方空港が無駄に多いという短絡的な世論が形成されたけれど、オリンピックに関係なく、そもそも観光立国として外国人観光客を今の3倍に増やす計画なわけで、羽田と成田じゃ足りないことなんて最初から分かっている話だ。無駄と言われた地方空港が賑わうような状況にならなければ、計画なんて達成できない。

少し不便でも空港の施設使用料が安い地方空港に、LCCがもっと何倍も就航し、地方が活性化されなければ、観光立国になれないどころか、オリンピック需要の東京一極集中は(建設業界の一部を除いて)誰の幸せにもならない。都民の多くだって、そんなことは望んでいないのでは?

霞ヶ関的な、旧態依然とした一極集中思考の人々が集まって議論し決めているなら、このオリンピックは最悪だ。

"オリンピックの果実を味わうのは東京だけ"という結果にならないためにも、今のうちから、東京一極集中を前提としない訪日客の輸送ルートの増強こそ、検討されるべきだ。そのためには、周辺他県の首長も、東京オリンピックについてもっと積極的に関与し発言して欲しい。

そして、次の都知事には、周辺他県と連携してオリンピックを成功させる思考を持った人になって欲しいし、そのためには国交省を説得できる(国交省に説得されない)人でなければ困る。東京が稼げばOKとか言ってる候補者もいるけれど、そういうのはマジ勘弁て感じで。

猪瀬都知事の辞職によって、「また都知事選かよ!」という気分ですが、辞職は当然なので、仕方ないです。でも、都知事候補に名前のあがっている顔ぶれをみるに、都民の置いてけぼり感が増すばかりな今日この頃。何で都知事選て、いつも不美人投票なわけ?

マック赤坂氏が引退宣言した今となっては、クリープを入れないコーヒーのような都知事選をどう楽しんだら良いのかと、途方に暮れる一都民であります。

で、候補者が出揃えば、きっと「猪瀬氏の政策は間違ってなかった」とか言いだす後継候補が出てくるんだろうなと想像するので、少しでも有益な都知事選にするために、「猪瀬氏の政策も再検討が必要じゃない?」ということを、年の瀬に一石投じておきます。

■地下鉄問題
猪瀬氏は、副知事時代から長年この問題にかかわっており、2007年にはこんなことを書いていました。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/071030_14th/index3.html
「営団地下鉄の民営化に関しては、いまでも「しまった」と思っている。営団地下鉄は、大して借金もない。多額の借金を抱える都営地下鉄を抱き合わせで民営化するべきだったのだ。僕は道路公団民営化に追われていたので、営団地下鉄には逃げ切られてしまった。」

つまり、東京都が都営地下鉄の負債を東京メトロに押し付けたいというのが、この話の重要なキッカケなんですね。

都営地下鉄の累積赤字はスゴくて、2010年の「東京の地下鉄の一元化等に関する協議会」では、「資産などを合計した企業価値から負債を差し引いた「株式価値」について、」「都営地下鉄は1800億から7300億円のマイナス」と言われてました。

猪瀬氏は、統合前に東京メトロが完全民営化されるのは阻止すると言っていたので、その順番で行くと、完全民営化の売却益を狙っている国の利益を東京都交通局の負債が減少させ、つまりは国民全体の負担に付け替えようという魂胆だったわけです。猪瀬氏は、東京メトロの株式価値を毀損しないとか言ってましたが、価値を決めるのは都知事じゃないですからね。
「株をいかに高く売るかだけがテーマでなく、利用者の目線で考えて、利用者のためにどうするかということで一元化を進めるべきである。株式価値だけを全面に押し出すのはおかしい」とも言ってたわけですが、都民の利益だけでなく国民の利益を考えている国が、株をいかに高く売るか考えるのは当たり前です。
それを猪瀬氏は、既得権益を守ろうと拒否するのが悪いとか、都営地下鉄の負の遺産も東京メトロが背負えとか攻撃していたわけで、都民以外は怒っても良いです。

都民の利益のために、全国の皆さん、都営地下鉄の債務を分担してください!
なんて、都民な自分には、口が裂けても言えません(^^;


更に昨年は、こんなことを。
http://www.inosenaoki.com/blog/2012/06/post-772b.html
>【記者】 都としては、まだまだサービス統合を一元化に向けてやっていくということですか。
>【副知事】 ちがう。僕は経営統合をやりたいが...以下略

うーん、分かりやすい。借金を押し付けるのが前提ですからね。

>【記者】 サービスの一元化のためにも、どうしても経営の一元化が必要だという理由を、もう少し詳しく教えてください。
>【副知事】 料金体系がひとつにならないでしょう。乗り継ぎ料金はサービスの一元化では実現しません。乗換えするときに、いま言ったように160円と170円で330円で70円引きの260円になる。100円くらい実質高い。

とか言ってますが、それより前の一昨年2月の「東京の地下鉄の一元化等に関する協議会」で、東京メトロが通算運賃制度の導入を提案してました。
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/topics/h22/topi033-4.pdf
「東京メトロと都営地下鉄を乗り継ぐお客様に対して、現行の乗継割引制度に替えて、乗車距離を通算した通算運賃制度を導入するものです。その場合、通算運賃は都営地下鉄の運賃水準とします。」(配布資料2)

ということで、経営一元化せずとも、乗り換えても160円+170円じゃなくて、170円にする案を、東京メトロが提案していたわけです。サービス一元化のために経営一元化が必要という理由は、とっくに失われていたと思うのですが、当時から相変わらずの都知事でした。

これが実現されなかった理由は、協議会直後の東日本大震災による運賃収入の減少です。収入回復したら再検討という話だったはずなのです。
http://dia.seesaa.net/article/234219625.html
「今年夏までに結論を出すとしていた、両者をまたいだ乗り換えによる運賃負担の軽減策については、震災を理由に先送りとされた。東京メトロは前回の協議会で、現在70円となっている乗り継ぎ割引を100円とする提案と、距離制運賃をメトロと都営で通算にする(都営に合わせる)提案をしていたが、これについては、東京メトロも東京都交通局ともに東日本大震災で運賃収入が「大きく減少した」として、収入再開の兆しを待っての検討となった。」


■震災の影響
大体、震災の影響といえば、東京電力の株式の配当が得られなくなった今、東京都交通局は本当に都営地下鉄を手放しちゃっても良いのでしょうか。

都営地下鉄は、東京都交通局という地方公営企業が運営している事業の一つに過ぎなくて、ここは他に、都営バスや都電荒川線や新交通システムの日暮里・舎人ライナーや、上野動物園のモノレールとかやってます。東京都交通局の稼ぎ頭は都営地下鉄で、震災前の2番手の稼ぎ頭が、東電株の配当で黒字な都営バスでした。

しかし、震災で無配当となり...
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105250203.html
「東京電力福島第一原子力発電所の事故による影響で、東京都交通局のバス事業が今年度、赤字に転落する可能性が出ている。都は東電の大株主として毎年26億円近い配当を受けていたが、巨額の賠償を控えて2011年3月期の配当はゼロに。今後も無配が続けば、バス運賃の値上げに追い込まれかねない。」

昨年度の東京都交通局の経営の状況はこう。
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/information/keiei/settlement.html
「収支面では、都営地下鉄が約122億6,700万円、モノレールが約2,300万円の経常黒字となり、都営バスが約4億600万円、都電荒川線が約1億9,700万円、日暮里・舎人ライナーが約17億5,400万円の経常赤字となりました。電気事業は、約12万3,000MWhを発電。約1億4,300万円の経常黒字でした。」

日暮里・舎人ライナーは開業間もないので、初期投資を回収するのに何十年とかかるのは仕方ないのですが、震災による都営バスの赤字は想定外だったはずです。ここから、黒字体質の都営地下鉄を失うことが、都民にとって本当に望ましいのですかね?

震災によって状況変わったのだから、経営統合を考え直しても、それが非難されるとは思いません。都営地下鉄の負債が大きいとは言っても、大江戸線の建設費用だって、いずれ完済できます。維持することが損失拡大につながる類の事業ではありません。


まあそもそも、我が家は東京メトロが主で、都営地下鉄なんて時々大江戸線使う程度で、そんな都民からすると、経営統合なしにサービス一元化される方が大変嬉しいのですが(苦笑)

なにしろ猪瀬氏は、「都営地下鉄は運賃の上昇率が高い。初乗りの金額は東京メトロが160円、都営地下鉄が170円で10円しか違わない。しかし、10キロ圏の料金は、東京メトロは190円だが、都営地下鉄では260円となる。収益率の低い都営地下鉄は、ドル箱路線を多く抱える東京メトロに比べて、料金設定を高めにせざるを得ないのだ。これも、利用者にとっては理不尽な負担だ。」とおっしゃってたわけで、最終的に経営統合された場合、その負担を平均化したら、逆に東京メトロの既存路線の運賃は値上がりするわけです。常識的に考えれば。

ましてや、とばっちりを食う副都心線や有楽町線を利用する埼玉県民や、東西線を利用する千葉県民に、値上げを押し付けるのは申し訳なく...


5000万円の問題以前から、都知事は自分の考えを改めることが難しい性格の人なんだなとは思ってましたが、後付の理由で本音を覆い隠し、更に合理性が失われても推し進めてしまっていたのなら、それを次の都知事が引き継ぐ必要はありません。


■都営バス24時間運行問題
いくら猪瀬氏でも、上記の不合理性には気付いていたと思うので、都営地下鉄抜きでも東京都交通局をなるべく赤字にしない方法を試行錯誤していたはずです。ただ、赤字対策とは言えず、本音とは別の理由で収益向上を図ろうとしていたはずです。それが、ニューヨークで突然発表したとかいう、都営バス24時間運行だろうと思っています。

http://mainichi.jp/select/news/20131221k0000e040178000c2.html
「都バスの24時間運行は2020年東京五輪の開催を見据え、猪瀬直樹知事が4月に訪問先のニューヨークで表明した。ただ、運転手の労務管理や人件費増といった課題もあり、都は試験運行の評価を踏まえて、路線を拡大するかどうか検討する。」

他にも、都営バス社内での無料Wi-Fiサービスなんてのも始めました。
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20131220_628525.html

表向きはオリンピックを理由に、とにかく黒字化のためにサービス向上とか色々やってみようということでしょう。これは、とりあえず都民には嬉しいです。まあ、Wi-Fi使えるからと、バスに乗ったりしませんが。

ただし、現実はこうです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131220/k10014002121000.html
「バスの運転に必要な大型2種免許を持つ人が減り、数年後には大都市でも路線バスの運行が立ち行かなくなる可能性があるとして、国土交通省が、運転手の確保について話し合う検討会を初めて開きました。」
「国土交通省は、このまま減り続ければ数年後には大都市でも便数を減らしたり路線を廃止したりする会社が出てくる可能性があるとしています。」

24時間運行とか言ってる場合じゃありません。次の都知事が猪瀬氏の置き土産を継続するなら、合理的に実現可な手段を示さなければなりません。仮に24時間化で都営バスが黒字化可能となったり、都民の利便性が向上しても、運転手不足は全国的な問題です。無理に実現すれば、他所様に迷惑をかけることになるかもしれません。

24時間運行のために東京に運転手の人材が集中して、地方の路線バスが壊滅した日には、また都民は自己中だと言われても仕方ありません。でも、今のままだと、その懸念が拭えません。


■蛇足:個人的な希望
ということで、次の都知事は、都政をゼロベースで再検討できる人になって欲しいところです。個人的には、オリンピックのカヌー競技場建設のために葛西臨海公園の自然を潰すという方針も、再検討して欲しいですし(^^;

しかし、再検討するには、再検討できる能力が必要です。必然的に、ある程度の行政経験者が望ましいです。人物像的には、まだ候補として全く名前が出てないですが、最近ふと橋本大二郎さんとか妄想してます。

まあ難しいのでしょうけど。
https://twitter.com/daichanzeyo/status/414697317459972097

どうなることやら...

職務発明の行方

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http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg8701.html
5分くらいからの、特許権の職務発明についての話は重要。研究者な知り合いがいたら、教えてあげよう。

経済界からの要望で政府は、
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0700A_X00C13A6EB1000/
職務発明の権利を現在の発明者帰属から、法人(使用者)帰属に法改正する検討を始めるというのが前からニュースになっていた。成長戦略として、企業の経営上のリスクを軽減すると閣議決定も。
http://www.keidanren.or.jp/policy/2013/046.html
知的財産戦略本部が6月7日に発表した知的財産政策ビジョンは以下。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/vision2013.pdf

その後の、いわゆる産業界側な面々の一方的な世論作りは、かなりドン引き。
『「職務発明は法人帰属にすべき」特許法第35条改正に向けた取り組み(上)
http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/etc/20130807.html
「職務発明がその企業(法人)に帰属するのは、本質を考えれば当然のことなのです」
「『対価』ありきは、疑問! 発明者への褒賞はリスクをとっている企業が自身の裁量で決定すべきものです」

『特許法第35条の改正は産業競争力強化に必要な「制度のイノベーション」特許法第35条改正に向けた取り組み(下)
http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/etc/20130809.html
「職務発明を法人帰属にしなければ本質的な問題は解決しません」
「職務発明がその企業(法人)に帰属するのは、本質を考えれば当然のことなのです」
 ↑
 重要なので2度言ってみたの?(苦笑)

要は、「相当の対価」も払わずに、特許を受ける権利や特許権(以下「特許を受ける権利等」とする。)を発明者個人から会社側が奪うのが、彼ら的には「本質を考えれば当然」というお話。

詳しいツッコミはあとでするが、まあこれだけ見ても、「日本て研究者に冷たい国なんだな」と分かってしまう残念さ。(もちろん、まともな会社さんも多いことは、言うまでもないが。)

で、まあ知財界隈では賛否両論のインパクトのある話題なのだけど、一般ウケは低調という感じだった。
http://webronza.asahi.com/science/2013061800002.html
みんな、自分は発明なんかしないと思ってるので、どうでもいいのだろう。むしろ、個人から権利を奪ってみんなで富を分配する方が、自分の利益と思っているとかだろうか。日本人は社会主義的な仕組みが好きなのかね。

この間、特許庁は
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC0300S_T00C13A7EE8000/
「企業の知的財産担当者や学者など約15人が参加し、特許を受ける権利の帰属や社員への対価について議論」してもらっていたそうだ。

設置された職務発明に関するワーキンググループは、8月から3回開催され、その経過を受けての中間報告が冒頭の動画でされているわけだ。そこで、動画中のパワポ画像からポイント3つを書き出してみる。
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●ポイントその1
研究者のインセンティブ確保のためには、処遇、研究の自由度、予算など、研究開発環境を向上させることが決定的に重要!
●ポイントその2
・産業界と企業研究者のご意見:
 発明の源泉は「チームの強み」
・大学の研究者のご意見:
 発明の源泉はスーパー研究者などの「属人的な能力」
●ポイントその3
職務発明制度の見直しについて国民の理解を深めるためには、客観的なデータを示すなど丁寧な説明が必要
---

その1については、職務発明制度見直しの前提として「産業界が、発明者のインセンティブ向上のためどのような対策を講じるのかを具体的に示すことが必須」というのだが、企業側は、相当対価請求権の有無に関係なく、発明者のインセンティブを高めることは大事なんで、色々やりますよと言ってるそうだ。そんなの当たり前すぎて、声を大にして言うほどのことではないのだけど、わざわざ言わなければならないくらい、今まで蔑ろにしてきたのかもしれない。

その2いついては、立場の違いが明らかだ。これを念頭に、柔軟な制度設計の検討が必要というのだけど...

発明者個人の能力こそが発明に必要不可欠という、大学の研究者の意見は分かりやすい。が、産業界の意見というのはどうだろう。確かに、発明者をサポートするチームは重要だ。しかし、それは属人的な能力を否定する根拠になっていない。要は、プロデュースしたのは企業側だと言いたいのかもしれないが、それを強調し過ぎてスーパー研究者はいなくてもOKと言っているようなレベルまで研究者をボロクソに言っていては、両者の溝が埋まるとは思えない。

でもってその3は、なんと約1.4万人の研究者に対し何がインセンティブか、約2千社の企業に対し職務発明制度の運用実態はどうなのか、特許庁にアンケート調査するように指示したそうな。
今のところ企業側は、対価請求権があることで対価についての予測可能性が低くなり、そんな不確実な制度では海外の研究拠点で研究者が集まらないだの、みんな海外に行ってしまうだのと主張。それに対して研究者側は、職務発明が法人帰属になったら、優秀な研究者はみんな海外に逃げてしまうと主張。互いの言い分が真逆で平行線なので、網羅的客観的な調査を行って、実際のところを判断しようというわけだ。

そりゃ凄い。本当に客観的な調査ができるなら、是非やって欲しい。いつの間にかロビー活動で議員立法されちゃうとかじゃなくて、当事者の意見を生かした客観的論理的な判断ができるなら、これは素晴らしいことだ。(そういうことができるなら、昨年の著作権法の改悪なんかも再調査して、元に戻してもらいたいのだけど...)

問題提起した産業界からすれば、自分たちの言い分だけ聞かれるはずが、まさか客観的に調査されるなんて、寝耳に水だろう。今後は、この調査の行方を冷静に見守り、報道がどこかの影響力で変な記事で世論を誘導したりしないか注視したい。

ということで以下は、ポイントその2について考えるために、冒頭で後回しにするとした日経BP知財の2つの記事から、企業側の論理について理解してみたい。(以後、日経BP知財の2つの記事からの引用は、それぞれ(上)(下)で示します。)

■研究者の扱い
(上)「イノベーションは個人ではなく、組織が実行するものです。企業はイノベーションを起こすためヒトやモノに投資します。そこから生まれてくる職務発明は従業者個人に帰属するのではなく、企業に帰属するのが本来の筋であると考えています。」
(上)「企業はヒトとモノに対して投資します。事業活動で企業に帰属しないものは何かと考えると、特許の権利以外ありません。事業活動の中から生まれてくるもの、例えば製品やサービスなどのアイディアはすべて企業に帰属します。研究所に投資して、研究テーマに投資して、研究者に投資して、そこから生まれてきた特許の権利だけがなぜか企業に帰属しません。企業は従業者(発明者)から権利を買い取らなければなりません。こうした構造そのものがとても不思議です。」

どうも視点が一方的過ぎると感じる。研究者の関わり方、企業の開発環境や規模、プロジェクトの置かれた状況など、発明と言ってもその成立過程は様々なパターンがあるはずだが、そういう違いを考慮していない感じだ。

(上)「そもそも発明者には他の社員と同じようにきちんと給与が支払われているのです。なぜ、発明者に、他の社員の仕事の結果とは異なる特別な手当てをしなければいけないのかについて合理的な説明がつきません。」
(上)「イノベーションの観点からすると研究者以外の従業員も重要です。なぜ研究者だけが法律で守られるのか、そこが不自然に思われます。」

少なくとも彼らの認識している企業では、研究者というものを何も特別視していなくて、事務職や営業職と同じなんだと言いたいらしい。

(上)「日本企業の研究者は雇用が守られ、リスクはほとんどありません。それにもかかわらず、特許に基づく製品利益の何%かの対価請求権を持っています。それはビジネスの常識から考えるとおかしなことです。」
(上)「リスクをとっているのは企業です。発明者はリスクをとっていません。終身雇用的制度の中で研究者は研究しています。」

余程お気楽な仕事と思われているのだろうか。
終身雇用でリスクがないとか、研究開発部門のある日本の企業って、潰れず、リストラもしない良い会社ばかりなんですか?
へー知らなかった(棒読み)

ベンチャーや中小の研究者は、ガン無視って感じですかね。
まあとにかく、彼らが研究者のことを本当に下に見ているということが分かります。
それがビジネスの常識なら、まずは常識を改めるところから始めてはいかがでしょうか。

(上)「企業にはいろいろな部署があり、特許技術を事業化して成功を収める上ではそこで働く人たちにも大きな貢献があります。」
(上)「企業活動は研究、企画、製造、営業など役割分担の中でチームを組んで進められます。そうした中で特許法第35条は企業活動の大きな混乱要因となります。従業員に対する不公平感を生じさせます。」

不平等だから研究者を優遇しないとおっしゃる。

(下)「例えば、生産ラインで車を作っている労働者が完成した車の所有権を主張できるでしょうか。完成した車は労働者のものではありません。労働者は労働を提供し、給与を得ています。労働の中で生産された車は当然企業の所有になります。労働の中で生まれたものが、車なのか職務発明なのかの違いだけです。」

うわぁ...こうゆう比較が適当だと思ってるわけですね。

(下)「職務発明の対価は、企業の中で公表されていません。なぜなら、従業員が非常に不平等を感じるからです。企業の中である事業が成功すると、それに最も貢献した人が誰であるかは関係者であれば分かります。ところが、特許法第35条はそんなことは忖度しません。」

35条5項は相当の対価の額について、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。」と規定しているので、発明者以外の貢献は使用者等の貢献に含めて算出すれば良いかと。関係者なら貢献具合が分かるというなら、簡単でしょう。

(下)「発明者以外の従業員からすれば、なぜ発明者だけが特別の対価を得られるのかという気持ちになり、不平等感を持つのです。多くの企業で少しずつこうした不平等感を持つグループが生まれているのではないかと思います。」

なんか、仲間の成功を妬む人だらけな、嫌な雰囲気の会社が多いということですね。
で、妬む人を基準に、平等に利益を分配すべきって感じですか。
そういう企業さんは、まさか、非正規雇用を低賃金で使ったりはしてないですよね。
同一労働同一賃金なんて、当たり前になってますか?
まさか、都合の良い時だけ、平等とか持ち出してこないで下さいよ。

(下)「収支に増減がある中で、企業は安定的な雇用を維持するために努力し続けています。それが企業の存在意義でもあります。特許法第35条でこうしたことが捻じ曲げられるのが問題です。」

失敗もあるのに、成功した場合に対価を吐き出したら、企業は成り立たないと言いたいのですね。でも、35条は、全て吐き出せとは言ってないですよね。そんなことしたら会社が潰れちゃうことくらい、一般企業に勤務経験のない裁判官だって、理解できると思いますよ。それに、そういう心配をしているなら、そういうことを特に考慮すべき事項として、35条5項に文言として入れてもらえば良いのではないですかね。相当の対価の算定に反映されるように。「捻じ曲げられる」とか、単なる被害妄想だと思いますよ。

(下)「「対価」ではなく、成果が上がれば「報奨」という形で評価していくことが適切であると考えます。」

ははぁーん。飼い犬が芸をしたらご褒美をあげる感じですかね。
飼い犬が飼い主に何か要求する権利を持ってるのが、しゃくなんですね。
でも、成果にみあった報奨を払っていないから、裁判になってるって可能性はないのですか?

(下)「今の法律で多くの企業が悩んでいるということは、法律そのものを変える必要があるのではないかと考えました。」

企業の都合で法律は変わるべきだと...

(下)「欧米のように成熟した社会で企業の営みの本質が理解されているような国では、おかしなことは起こらないでしょう。契約社会である米国であれば契約で処理されます。仮に訴訟が起こっても、コモンローに基づき妥当な判断が下されるでしょう。ところが、日本は成文法の国です。予定調和的に処理されていたものが否定され、文言通りに解釈されると企業にとっては大きな問題となってしまいます。」

日本は未成熟社会で、成文法はクソだと言っているのですね。
でも、日本だって、判例の蓄積によって判断が妥当になっていくことはありますよ。
判例が反映されて法改正されたりもするのですから。今の35条だって(ry

(下)「海外の特許制度との比較は難しい面があります。特許法の条文だけで比較するのではなく、労働環境や従業員の報酬制度などを含めて比較することが必要となります。」

これは同意しますね。
労働法とか含めた視点が必要かもしれません。
終身雇用ばかりの会社とは限らないので、研究職の雇用の流動化も踏まえて、契約社会に馴染まない日本人がどうやったら保護されるか、考えるべきでしょう。

(下)「日本の企業の場合は、研究者を総合職として雇用し、研究職以外に配属する可能性があります。研究者は経営企画部門や営業部門に配属されることもあります。」

研究職に就きたいのに、配属先が営業とか、本当に悲しいですね。
まあ、会社都合だから、仕方ないですよね。でも、その会社都合を理由に、研究職の待遇も下げたいとか、面白い論理構造ですね。

(下)「同じ仲間である研究者を我々はリスペクトしています。もちろん、お金を欲しいですかと聞かれれば、それは欲しいと答えるに決まっています。ではお金のためだけに働くかといえば、実はそうでもありません。」

あはは。リスペクトすればOKって、違法にアニメをネットにアップする中学生と同じですね。それに、リスペクトで満足できる人が、本当にリスペクトされてると実感してるなら、そもそも裁判なんて起こさないでしょうね。
大体、上で今まで言ってることをどう解釈しても、リスペクトのリの字も感じられませんけどね。


ということで、我が国の産業界における研究者の扱いが、大体分かったでしょうか。
(重ねて言うけど、こんな酷い会社ばかりじゃない。)

■ついでにイチロー
企業側の論理では、
(下)「野球ではイチローみたいなスーパースターがいます。しかし、イチローもチームの一員としてチームプレーの中でスーパースターとなっています。1人でプレーが成立しているわけではないのです。」と言われている。

対して、iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が、青色LED訴訟で多額の対価を得て話題になった中村修二氏に触れつつ、研究者の金儲けについて語っている場面ではこうだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/NBD/20121009/237845/
---
山中:中村先生は勇気を持って、当然の権利を主張したと考えています。その彼が、今は米国で教壇に立っている。日本人としては寂しいことです。すごい技術を開発した研究者に、日本の若い人たちが学び、後に続くことができたら、どれだけ素晴らしいことか。
 ただ、多額の報酬を得ることへのアレルギーは、少しずつ緩和されているかもしれません。イチローなどの野球選手は、何十億円稼いでも叩かれなくなりました。サッカー選手も同じです。
---

産業界は、スーパースターのイチローの成功はチームのお陰と言いたいのは分かったけど、彼が「相当の対価」を十分に得ていることを無視している。おまけに、海外に移籍していることも。
発明者の権利を企業が奪う論理に使われてしまったイチローからすれば、自分の努力を否定されたようなものではないだろうか。

イチローが結果を残しているのは、どう考えてもイチロー個人の「属人的な能力」が優れているからでしょ。


■忘れてはならない雇用状況の変化
終身雇用・年功序列賃金を前提とした古い時代には、会社に長く居続けることにインセンティブがあったのだから、上手く回っていたのだろう。会社と争う研究者は稀で当然。ところが世の中は、研究職の雇用も流動化している。

http://okwave.jp/qa/q3615269.html
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/1113/212676.htm

もちろん、研究職と研究補助職をごっちゃにしてはならないが、チームの強みが発明の源泉というなら、チームみんながもっと優遇されて然るべきだろう。

スーパー研究者な山中教授のiPS細胞研究所の職員の9割が非正規雇用だったりして、そういう研究者自身が、最もその状況を危惧していたりする。
http://blogos.com/article/48270/


こんなのもある。

「平成24年度科学技術の振興に関する年次報告」(平成25年版科学技術白書)
第4章 基礎研究及び人材育成の強化、
 第2節 科学技術を担う人材の育成
  2 独創的で優れた研究者の養成
  (2)研究者のキャリアパスの整備
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201301/detail/1338261.htm
「優れた研究者を養成するためには、若手研究者のポストの確保とともに、そのキャリアパスの整備等を進めていく必要がある。その際、研究者が多様な研究環境で経験を積み、人的ネットワークや研究者としての視野を広げるためにも、研究者の流動性向上を図ることが重要である。一方、流動性向上の取組が、若手研究者の意欲を失わせている面もあると指摘されており、研究者にとって、安定的でありながら、一定の流動性を確保されるようなキャリアパスの整備を進める。」

遡れば「平成14年度 科学技術の振興に関する年次報告」もこうだ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbb200301/hpbb200301_2_014.html


こんな時代に、職務発明は法人帰属で当たり前とか、対価請求権を認めないとなったら、研究職の使い捨てを促進するだけだ。まして、これから我らが政府は、非正規のまま10年雇用できるように法改正を検討しているのでしょう?

もちろん、流動的な雇用に見あう対価をセットで提示して試行錯誤している企業も、とっくにいる。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD060GX_W2A100C1TJ2000/

チームによって発明がもたらされると思っている方々は、非正規雇用の安価な研究開発チームを効率よく回転させようとか、まさか考えてないですよね?

個々の会社毎に内部事情は異なるだろうから、特許庁のアンケートでは是非、そういう労働環境の良い会社と悪い会社を比較できるような調査もして欲しいところだけど、まあ難しいだろうか。


つまるところ、研究職における雇用の流動化に対し、それを補うべく相当の対価の議論もリンクさせなければ、いつになってもバランスはとれないのではないか。研究者という仕事を、発明しても権利は対価なしに会社に取られ、いつ雇用契約が終わってしまうか分からないような、夢のない仕事にしてはいけない。

最近、なんでもかんでも非正規雇用の問題に辿り着いてしまう。


■そもそも
「相当の対価」が注目されだしたのは、平成15年4月22日の最高裁判決(オリンパス事件)がきっかけだ。その判決後に経済界は、対価についての予測可能性が低くなったと、実は今回と同じ文句を言っていた。

勘違いしてはいけないのだけど、現行法でも職務発明は、使用者側が通常実施権を無償でゲットできる(特許法35条1項)。これを法定通常実施権という。つまり、対価なしでも、企業側はその発明を利用できる。でも、それ以上に権利を独占したいから、対価が問題になる。

普通の使用者は独占するために、社内で定める職務発明規定やら勤務規則によって、特許を受ける権利等を発明者から予約承継している。原始的には、特許を受ける権利等は発明者たる従業者に帰属するのだけど、予め社内ルールを定めておいて、発明したら権利を会社が承継するよと、(一方的に)決めてるわけだ。

オリンパス事件でも、特許法35条2項の反対解釈として、「使用者等は、職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させる意思を従業者等が有しているか否かにかかわりなく、使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定め(以下「勤務規則等」という。)において、特許を受ける権利等が使用者等に承継される旨の条項を設けておくことができる」と言われており、社員の意思なんて関係なく一方的でOKなのは、裁判所のお墨付きなわけだ。

(なので実は、特許を受ける権利等の法人帰属問題は、あんまり重要じゃない。発明した従業者が嫌でも、使用者側は特許を受ける権利等を承継できる。結局、問題は対価だけだったりする。だけど、そもそも対価なんて払いたくないから、原始的に権利を法人帰属にしたいと企業側が文句を言っているというのは、上の方で散々引用したところだ。)

ただし上記最判は、職務規則等で特許を受ける権利等の「承継について対価を支払う旨及び対価の額、支払時期等を定めることも妨げられることがない」としつつ、そこで規定された額が「相当の対価」の額に満たないなら、著作権法35条3項の規定に基づいて、「その不足する額に相当する対価の支払を求めることができる」と言った。

当時の特許法35条4項によれば、相当の対価の額は、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない。」とされていた。これらを考慮して計算した額より、職務規則等で一方的に定めた額が少なければ、使用者側は差額を払わなければならなくなったわけだ。しかも、裁判沙汰になれば額を決めるのは裁判所であり、相当の対価を算定する裁量は、使用者にない。

経済界は、これらの状況について、対価の予測可能性が低くなったと言い出したわけだ。

追い討ちをかけたのが平成16年1月30日の東京地裁判決、青色LED事件だ。200億円支払えという結果に、企業の法務・知財部門は、腰が抜けたという感じだろうか。
(とは言っても、結局は控訴審段階で和解が成立した。その際、使用者の貢献度を95%として、相当の対価についての和解金は6億857万円を基本として算定されるべきとの和解勧告がされ、これを含む8億4000万円が支払われた。つまり、企業側の主張は概ね認められた。以後、使用者の貢献度を95%と踏襲する判例が多いのではないか。)

そこで、使用者の予測可能性を高め、同時に発明者たる従業者の研究開発意欲を喚起するためにできたのが、平成16年改正職務発明制度(平成17年4月1日施行)、つまり現行の特許法35条だったりする。
詳しくは、以下のリンク先の下の方に、改正後の35条4項、5項の説明があるのでどうぞ。
http://www.jpo.go.jp/seido/shokumu/shokumu.htm

で、舌の根も乾かぬうちにというか、まだ今でも改正前の旧35条の裁判だらけで、やっと下級審で現行の35条の事件が出てきたかくらいなのに、そもそも対価なんて払いたくないという産業界が、また同じ文句を言い出した...というのが、今回の安倍政権への働きかけだったりする。

ブラック(ry


■海外との比較
知的財産政策ビジョンや、動画のパワポにも出てくるが、海外ではどうなっているのか紹介されてたので、それを参考に書き出してみる。

●使用者(法人)帰属、対価請求権なしの国:スイス  ←我が国の産業界が望んでいるもの
 従業者による発明の権利は、雇用契約によって使用者に与えられる。
 従業者に対する追加的な補償の規定はない。
●使用者(法人)帰属、対価請求権ありの国:イギリス、フランス
 職務発明の権利は使用者に帰属するが、対価請求権によってバランスを図る。
●発明者帰属、対価は契約に委ねる国:アメリカ
 職務発明規定は存在せず、特許を受ける権利は常に発明者に帰属。
 その従業者から使用者への特許を受ける権利の承継は、契約などに委ねる。
 給与の中に対価が含まれる雇用契約が一般的。
●発明者帰属、対価請求権ありの国:日本、韓国、ドイツ
 職務発明に係る権利を従業者に原始的に帰属させる。
 ドイツは、従業者に対する補償金の算出基準の詳細なガイドラインが存在。


つまり、産業界の意見が通ると、我が国はスイス状態になる。

ヒヤッホーイ!なんか楽しそう。
クララが立った的な、新たな一歩を踏み出したいのですね!!!
 ・
 ・
 ・
って、なぜスイス...orz

対価請求権があることによって、対価の予見可能性が低いことが問題だと言うなら、ドイツのように算出基準のガイドラインを作って欲しいというなら納得できる。ところが何故か、発明者から特許を受ける権利等を奪うことで、対価請求権そのものをなくしてしまおうって、論理飛躍し過ぎでしょ。


来年の臨時国会か、再来年の通常国会あたりで、法改正の話が出てくるらしい。
研究者の皆さんは、特許庁からアンケート依頼がきたら、ここに書いたような状況をよ~く踏まえて、慎重に、熟慮して、回答して欲しい。


■蛇足
ところで気になったのが、著作権法の職務著作との違いだ。

--
15条1項:職務上作成する著作物の著作者
法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
--

職務著作は、「使用者の発意」「使用者の業務に従事する者」「職務上作成されたもの」「使用者の名義」「契約、勤務規則その他に別段の定め」という要件で、自然人でない法人を著作者とすることを認めている。これは、著作者人格権まで法人が得るので、実際に創作したはずの個人には何も権利が発生しない。

対して特許法35条1項の職務発明の定義はこうだ。
「従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明」

つまり要件は、「従業者等の発明」で、「使用者等の業務範囲に属し」かつ「従業者等の現在又は過去の職務に属する」ことしかない。職務著作と比べて要件が甘く、範囲が広い。「使用者の発意」(の解釈はかなりルーズだが)を要する職務著作が、過去の職務に属するものを含み辛いのと異なる。

判例でも、かなり簡単に職務発明と認めた後で、貢献度の違いを「相当の対価」で計ることになっている。青色LED事件の東京地裁中間判決でも、職務発明ではないとして原告が主張した理由としての、別の研究をしろとの社長の業務命令に反して発明したという事情は、相当の対価算定に際して会社の貢献度の認定をするのに考慮すべき事情とされた。

ところが産業界は、この対価を廃止したいというのであり、上でいくつも引用した通り、会社の貢献度が絶対的に高いという大前提に立っている。すると、簡単に職務発明と認めた後には、最早その貢献度の差を争う手段がなくなってしまう。個別具体的な事案毎に貢献度を考慮すべきなのに、それは会社の裁量に任せろというなら、せめてその前段階で、そもそも職務発明かどうかの基準を、より厳格に規定すべきだろう。

もちろん企業側は、何でも全部職務発明にしたがるだろうが、社長の業務命令に反して発明した場合、そんな社員を会社がまともに優遇するとは限らない。少なくとも、終身雇用でリスクがないのだから全部会社の権利だとか、会社のリソースを少しでも使えば職務発明で会社の権利になってしまうというのは、そこまで社員を支配させて良いのだろうかと思ってしまう。勤務時間外に、個人的に過去の職務に属する発明をしたとして、当然に会社の権利になってしまうと言われて納得できる研究者だらけなのだろうか?


ということで、もしも職務発明は法人帰属というなら、その前に発明がどういう状況下でなされたものかの違いによって、職務発明かどうかを柔軟に判断できるようにすべきだと思う。


ついでに、映画の著作物に関する著作権法16条、29条1項も、雇用形態や貢献度の違いの処理の参考にもなるかもしれない。

--
16条:映画の著作物の著作者
映画の著作物の著作者は、その映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者を除き、制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。ただし、前条の規定の適用がある場合は、この限りでない。
--
29条1項:映画の著作物の著作権の帰属
映画の著作物(第十五条第一項、次項又は第三項の規定の適用を受けるものを除く。)の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。
--

まあ何にしても、研究開発のスタイルは、産業界が自己正当化のために主張するようなステレオタイプなものばかりではないはずだ。職務発明の見直しは、薙刀を振るうような大変革というより、きめ細かいメニューの提供による柔軟化を目指した方が良い気がする。

『保育士不足の原因は「給料が低いから」? 待機児童問題の解決策はあるのか』
http://www.huffingtonpost.jp/2013/10/20/nursery-staff_n_4133460.html
『保育士希望せず 理由の半数は「賃金」』
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131021/t10015421291000.html
「保育士の平均賃金は214万2000円」というのは、かなりミスリードを誘ってやしないか。これは、どこの保育士の平均だろうか。私立限定?
---------->追記:10/22
NHKに指摘したところ、事実関係が誤っており、上記リンク先の原稿を訂正した旨の連絡がありました。訂正ポイントは
・保育士の平均賃金を「214万2000円」から「21万4000円余り」へ。
・全職種の平均を下回っている額を「100万円余り」から「10万円余り」へ。
・補助金の支給開始年度を「昨年度」から「今年度」へ。

しかし、まだ間違っていると思います。
NHKは、「平均賃金」の意味をまだ誤解しているのでしょう。
<----------
---------->追記:10/23
NHKが訂正した関連で、それを引用していたハフィントンポストにも誤りを指摘していましたが、そちらも記事を更新したと連絡がありました。なお、それによると、NHKはテレビで放送しているニュースでも訂正しお詫びしているようだとのことで、私は見ていませんが、迅速な訂正の姿勢は良いことだと思います。その際、NHK NEWS WEBの訂正記事にはない、「月額で」という説明も加えているようです。
「平均賃金の月額」と言っているなら、それもあまり一般的な言葉遣いではないように思えます。これでは年収を算出することもできません。賃金が保育士を希望しない理由の半数だというニュースなので、ここが一番重要な情報のはずで、もう少し視聴者に分かりやすい数字を用いた方が良かったでしょう。

なお、このブログの以降の部分は、ニュースが訂正される前に書いたものですが、論旨はニュースの着眼点そのものへのツッコミですから、変更の必要はないと考え、そのままとします。
<----------


というのも、一昨年同じ問題が報道された時、厚生労働省の賃金構造基本統計調査では、公立保育所勤務者を含めた保育士全体の平均年収は2010年度で約325万円とニュースになっていたからだ。たった数年で、平均が100万円以上低下したなら、それ自体が驚きのニュースだ。安倍政権になって、算出方法が変わったのだろうか。

これを見る限り
http://nensyu-labo.com/sikaku_hoikusi.htm
昨年だって、315万円だったわけだが...

保育士の賃金を改善する補助金制度というのは、同じ一昨年のニュースで2013年度から導入を目指すとされていたものが実施されているのだろうが、当時のニュースでは、特に私立の問題であることもきちっと強調されていた。今回そういう情報が削げ落ちているように見えるのが不思議だ。確かに、公立でも非正規雇用は増えているそうだが、今年は急に公立私立全ての平均で100万円以上低下してしまったというなら、物凄い話だ。もしかして、NHKは何か間違えてたりしないのか?

と、よくよく見れば、「平均賃金は214万2000円」というのは、表現としておかしい。平均賃金というのは労働法上の概念で、暦日1日あたりの賃金であって、平均年収とは全然違う。
詳しくはウィキペディアをどうぞ。 → 平均賃金

平均賃金が214万円もあったら、平均年収は大変なことになる。
数字も、本当は314万円なところを、214万円と誰かが書き間違えてニュースにしたということはないのか?

平均年収314万2000円というなら、昨年の平均からしても納得のできる金額だ。


また、ハフィントンポストは論点がおかしい。保育士の賃金は、平均したら安いという話になるだろうが、ここには公立と私立、正規と非正規、地方と都市部、更に世代間格差という、どこの業界にもある不公平問題がある。それをまとめて平均してしまっては、問題点が見えなくなってしまう。

待機児童問題は主に都市部の問題だが、2003年に大規模調査をした学習院大学経済学部教授の鈴木亘氏が、東京23区の公立保育所の常勤保育士の平均年収が800万円を超えていて、園長は1200万円近いという記事をForesightに書いて話題になったのが4年前。
http://www.fsight.jp/5210
反響が大きく、日経ビジネスオンラインにも詳しい記事を書かれた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091127/210740/

ここには、2000年から安く改められた福祉職俸給表に従って給与をもらっている若手の保育士と、それ以前の行政職俸給表で高給をもらっていた中高年の保育士の格差問題もあった。

23区の公立保育所の0歳児一人当たりにかかる保育費用が月額50万円前後かかっている(ほとんど税金)というのも話題になったが、そんなに税金が投入されてるのを知れば、子供を預けて働くのがバカに思えるお母さんが出てきて当然。

保育所に関する問題は単純ではなく、私立の非正規雇用の保育士が過酷な状況にあることは以前から指摘されている問題だが、それを待機児童問題全体に広げて根本原因のように論じるのは、無理がある。

非正規雇用の問題は非正規雇用の問題として、徹底的に論じる価値がある。しかし、待機児童問題は、解決に対してどういう勢力が既得権益を守ろうと抵抗しているかなど、もっと広い視点が必要なはずだ。

否、そこまで期待できないにしても、このタイミングで保育士の賃金問題を話題にするなら、今までの5年から10年へと、正規にせずに非正規雇用を続けられる期間を延長するように法改正するという安倍政権の方針が決まった直後なのだから、それが非正規低賃金で苦しんでいる保育士の現場に与える影響についてくらい、絡めて論じる記事があっても良いのではないか。全国一律に雇用の流動化を促進する政府方針が、逆に雇用が固定化しないことが問題視されている現場に与える影響についてとか。

情報の偏り

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http://matome.naver.jp/odai/2138031252292837401
凄い時代だ。
このニュースが世界を駆け巡ったお陰で、うちの国の首相のビッグマウス演説が世界(日本除き)にスルーされたのは幸い。
が、安倍首相もロウハニ大統領と20分も会談したわけで、せめて日本のメディアはその内容をしっかりと報道すべきなのに、その薄っぺらさに驚かされる。日本とイランの首脳会談5年ぶりなのに、基本、核開発問題とシリア対策について、日本側から注文をつけたというスタンスの報道ばかり。んなバカな。

仕方ないのでイランのメディアを見てみる。
「イラン大統領が安倍総理と会談」
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/40420
ロウハニ大統領から、個別具体的な分野での協力拡大の申し出があったことが分かる。イランへの日本からの投資を促されたり、環境問題、麻薬対策なんかで協力を促されたなんて話は、日本のメディアは1ミリも伝えていない。
それに対して安倍首相は、『「日本は国際関係の枠内で、イランとのあらゆる方面での関係拡大を歓迎している」と強調』したそうな...ちょっと酷すぎる。

ロウハニ大統領が『両国の歴史的な関係を指摘し、「日本企業がイランに投資する為の適切な下地は整っている」』と言ったのに対して、安倍首相が「国際関係の枠内で」と消極的に答えたということは、つまりは先方の申し出を断ったということだ。個別具体的な申し出に対して「あらゆる方面で」というのも、歯切れが悪い。

「国際関係の枠内で、イランとのあらゆる方面での関係拡大を歓迎」
というのは、後半だけなら積極的発言に聞こえるかもしれないが、前半の前提条件が消極的過ぎる。加えて、ロウハニ大統領側の具体的な申し出に対する発言だとすると、全体が消極的だ。先方は、経済制裁に苦労しているからこそ、日本が関与しやすい環境問題なんかの口実を提案したのに。

せっかく親日な産油国から伝統的な二国間の信頼を取り戻そうと言われたのに、いやいや今はまだ国際関係の枠内で勘弁してくださいというのが本音だとしても、なにもその場で即答で断らなくともいいじゃないか。一体、どこの国に配慮しているのだろうか?

以前、アメリカからの圧力をしたたかに受け流してイランとの関係を温存した野田政権の努力を、
http://maruko.to/2012/01/post-126.html
今こそ生かすべき時なのに。これのどこが積極的平和主義なのか。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130927/t10014874551000.html
『安倍総理大臣は、日本時間の27日未明に、国連総会で行った一般討論演説について、「わが国の21世紀の看板とも呼ぶべき『積極的平和主義』への決意を示し、シリア問題への新たな貢献やイランの核問題の平和的解決に向けた独自の働きかけなど世界の平和と安定、そして繁栄に、よりいっそう積極的な役割を担っていく決意を発信できた」と述べ、成果を強調しました。』
『安倍総理大臣は、イランの核開発問題に関連し、イランのロウハニ大統領との会談で「率直な印象として、国際社会と協調しようとしているという前向きな姿勢を感じた」と述べたうえで、「今後、イランが具体的な行動で国際社会の懸念を払拭(ふっしょく)し、信頼を回復していくことを強く期待している。核問題の平和的解決に向けて、日本としてもイランとの伝統的な友好関係を生かして、可能なかぎりの貢献を行っていく考えだ」と述べ、平和的な解決に向けて日本としても積極的に取り組む考えを強調しました。』

日本のメディアを前にすると、「国際関係の枠内で」という前提条件をつけた話はしたくないのだろうか。その結果、日本で伝わる安倍首相のマッチョな主張と、イランのメディアが伝える首脳会談でのやり取りは、それぞれの国のバイアスを差し引いても印象が合わない。相手の要望に耳を傾けず、自分が言いたいことを言って国内の内輪ウケが良ければOKというのは困る。

というか、イランのメディアの記事通りのやり取りが実際にあったなら、この点はもっと注目されるべきであり、少なくともロウハニ大統領という世界が大注目してる相手との首脳会談だったのだから、日本のメディアはもっと時間を割いて取り上げて議論すべきだと思うのだ。そういうことスルーしちゃって一方当事者の主張ばかり報道してると、大本営発表とか言われちゃうのだよ。

■本題に入る前に、前提状況から
ここ数ヶ月、児童ポルノ禁止法に関し、実在児童が被害者の場合を規制対象とする現在から、被害者のいないアニメやマンガなどの創作物も規制対象に含むべきという与党の動きがあり、
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130521/plc13052123040018-n1.htm
変な改定案が国会に出されたことで、
http://taroyamada.jp/?p=3145
選挙戦の前までは話題となることが多かった。

きっかけは、みんなの党の山田太郎参議院議員が、4月に与党の改定案を公開し、問題提起したあたりからだろう。
http://taroyamada.jp/?p=2014

山田氏は、反対の立場から国会でも質問に立ち、メディアが次第に取り上げるようになった。
http://www.cyzo.com/2013/05/post_13274.html
http://news.livedoor.com/article/detail/7667547/
http://www.cyzo.com/2013/05/post_13360_2.html

ヤフオクは自主規制のようなことをアナウンス。
http://topic.auctions.yahoo.co.jp/notice/rule/adult_rules/

6月に入ってからは、参院選後に自民党が過半数となって同法の改悪を強引にしてしまうだろうということで、選挙を通じた反対の意思表示を山田氏は訴えていた。
http://yukan-news.ameba.jp/20130613-426/
http://www.j-cast.com/2013/06/23177612.html?p=1
http://taroyamada.jp/?p=3508

■本題
選挙戦が始まると、山田氏は今回の改選組ではないが、同党の候補者の応援に忙しく奔走し、新聞などもこの話題は静かな感じだったのだが、そんな11日、ちょっと驚くようなタイトルのニュースが話題となった。

「CGの児童ポルノを初摘発」(時事ドットコム2013/07/11-12:48)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201307%2F2013071100306&g=soc
--
18歳未満の少女の写真を参考に描いたCG(コンピューターグラフィックス)のポルノ画像を販売したなどとして、警視庁少年育成課と南千住署は11日までに、児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で、岐阜市正木のデザイン業、高橋証容疑者(52)を逮捕した。同課によると、CGを使った児童ポルノの摘発は全国で初めて。
--

つまり、現行法でもCGが児童ポルノに含まれると捜査機関が判断したらしいということで、この問題点を理解している人々の間で、一気に注目された。そして、これに早速、山田氏が動いた。
http://taroyamada.jp/?p=2231

選挙戦で忙しいだろうに、迅速に警察庁から事件の詳細のヒアリングを受け、公開してくれた。正直、いい仕事をしてくれるなと、関心してしまった。

■問題点
そこで、山田氏によるヒアリングと論点を参考に、CG制作会社の元社員として感じた問題点を書いてみる。

まず、本件が「CG」として報道されたことに、ある種の意図を感じた。昨年12月の事案が、何故選挙戦さなかの今のタイミングで逮捕なのかというのもあるが、そもそも本件はCGですらないのではないかと。

何故なら本件は、写真のレタッチか、せいぜいアイコラに分類されるもののように読めるからだ。CGの世界では、Photoshopなどのレタッチソフトによる写真の修整は、コンピュータを使っていても、それだけでCGとは呼ばない。今どき、写真館で証明写真を撮っても背景はグリーンバックで、撮影後に好きな背景を選択して合成してもらえるのであり、コンピュータで合成やレタッチをしたらCGなんだとなると、証明写真もCGになってしまう。しかし、そうは言わないわけだ。

また、そもそも本件は、著作権法違反が先にあると思ったのだが、元の写真と修正した画像との関係が、「原著作物と翻案された二次的著作物」の関係なのか、「原著作物とその複製物」の関係なのかが、とても重要に思える。多少手が加えられていても、本質的な部分が原著作物のままで、創作性が乏しいなら、その画像は限りなく「原著作物の複製物」に近かったのではないか。
もちろん、児童ポルノ禁止法の解釈に著作権法の概念を持ち込んでも仕方ない。しかし、コンピュータを使って修正していても、三号ポルノ写真と解釈する上で問題視された部分に、著作物と言えるような新たな創作性がないなら、単純に三号ポルノ写真の複製物を不特定多数に提供した事件に過ぎなかったのではないかと思うのだ。

すると、コンピュータを使ったかどうか、CGかどうかは、実は全く問題ではないのに、そこを強調してメディアに報道させ、世論のミスリードを誘っている誰かがいるのではないか。誰かが、選挙後の法案提出の下準備として、「CG」での事件の前例を作りたかったのではないかと、疑いたくなってしまう。

次に、今回は約30年前の児童の写真が元とのことだが、もしも江戸時代の児童の写真があって、それが元にされていたらどうなっていただろうかと思った。「実在する児童」という時、それが「かつて実在した児童」まで無限に過去を含むのか。過去も含むなら、児童を題材にした写実主義の、著作権が切れてるような古いエロ絵画等があったとして、それを模写しても該当してしまうのか。

つまるところ、創作性の有無と時間的要素の判断なしに、「CGでも違法」という報道を一人歩きさせてはいけないと感じる。それを許すことが、「実在」と「非実在」との境界を極めて曖昧としてしまうのであり、法改悪を狙う人々にとっては好都合となるだろう。間違っても、「創作物でも該当する場合があったじゃないか」と言わせる事案にしてはいけない。構成要件の解釈において、この点は明確に報道して欲しいところだ。また、法改悪に反対の人は、ついに創作物が違法とされてしまった等と、本件を悪しき創作物の例として宣伝する手助けをすべきではないだろう。

■蛇足
うちのブログで山田氏を取り上げるのは、実は初めてではない。2010年の前回の参院選で、山田氏が創作物表現規制に反対の立場を表明して立候補した時が最初だ。
http://maruko.to/2010/06/post-86.html
しかし落選してしまい、残念なのでもう一度取り上げてしまった。
http://maruko.to/2010/07/post-89.html

落選した山田氏が、何故今参議院議員として活動しているかというと、昨年末になって繰り上げ当選したからだ。みんなの党から3人の議員が維新の会に移るというゴタゴタがあり、ニュースになったが、その結果、2010年に比例で落ちた内の上位3人が繰り上がり、そのうちの1人だったのだ。

この偶然がなければ、児童ポルノ禁止法の問題点は、今ほど話題になっていなかっただろう。当然、今回の事件について警察庁からヒアリングする議員がいたか疑わしく、その情報も公開されていなかっただろう。山田氏が繰り上がって、本当に良かったと思う。
公約を簡単に反故にするどっかの与党の議員は、落選当時の主張を貫き問題を追及する山田氏の姿勢を、少しは見習えと言いたい。

今度の参院選で、どうせ与党が過半数を取ってしまうのだろうが、みんなの党が議席をどう増やすか、山田氏が仲間をどれだけ増やせるか、注目したい。

http://gigazine.net/news/20130710-little-witch-academia-2/
この成功は素晴らしい。
で、政府のクール・ジャパン推進とは、どんな関係があるのだろうか。

というのは、こういうのがクラウドファンディングで成功するなら、政府のクール・ジャパン推進機構による金銭的支援なんて要らないというツイートを見かけたからだ。

まあ、確かにそういう側面があるのだけど、じゃあ国の支援なんて全く要らないかというと短絡的過ぎで、そもそもこの作品が、文化庁の支援で作られたという経緯がもっと理解されるべきだろうと感じた。
http://animemirai.jp/about.php

アニメミライのプロジェクトが始動した2010年の前、どんな状況だったか、覚えているだろうか。
前年の2009年、麻生内閣は、「アニメの殿堂」とか「漫画の殿堂」、「国営漫画喫茶」と揶揄された117億円の箱モノをお台場に作ろうとして、大きな批判を受けた。このブログでも批判した。
http://maruko.to/2009/04/post-25.html
-->
まだ、117億で、5・6本でも継続して作品に投資してくれた方がマシだ。
コンペは、代理店抜きなら10本作っても十分おつりくるぜ?
受注条件は、制作会社を国内に限定し、海外への下請けや外注は、極力制限しても良い。あと、制作過程でコンプライアンスを遵守させることは、必須条件だ。経産省とも連携すれば、
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20390487,00.htm?tag=nl
これのガイドラインを生かした成功例にさせても良い。
<--

その後、国立メディア芸術総合センターという仮称を得たのだけど、当時はmixiのコミュなんぞでも色々議論されていた。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43952487&comm_id=111198&page=all

そして7月、設立準備備委員会に日本アニメーター・演出家協会(JAniCA)が出席し、人材育成の必要性を訴えた。
http://www.janica.jp/press/mediacenter.html
国立メディア芸術総合センターを作るなら人材育成に使わせろと。

経産省も「アニメ産業コア人材育成事業」が動いていて、日本動画協会が随意契約してJAniCAが再委託していた。
http://www.meti.go.jp/information/data/c90728aj.html

で、9月に麻生内閣が終わり、民主党政権が始まった。

当時の「コンクリートからヒトへ」という大きな流れは、まだ誰もが覚えているだろう。
国立メディア芸術総合センターの話は消えたが、JAniCAによる人材育成の必要性の訴えが通じ、2010年、文化庁委託事業として「若手アニメーター育成プロジェクト」(後のアニメミライ)が始まった。

当初は、作品制作団体選定に関連してJAniCA内部でちょっとしたイザコザがあったり、心配な時期もあったが、今から考えれば大成功だったと言えるのだろう。
http://www.janica.jp/press/janicatimes_001.pdf
http://www.janica.jp/press/janicatimes_002.pdf

そうして、アニメミライ2013で制作されたのが、リトルウィッチアカデミアだったわけだ。
http://www.animemirai.jp/c2.php

「俺たちクールとか言ってる場合じゃねーよ。絶滅危惧種なんだよ!」と言ったかどうかは知らないが、アニメミライとは、「コンクリートからヒトへ」の民主党政権が、とても上手く機能した例だったのかもしれない。政権が自民党に戻って、経産省のクール・ジャパンがまたヘンテコな方向に進んでいても、
http://www.huffingtonpost.jp/social/Hiroshi_Koga/story_n_3438220_260977327.html
文化庁のアニメミライは健在(縦割りのお陰?(苦笑))であり、
http://www.animeanime.biz/all/136295/
http://www.kickstarter.com/projects/1311401276/little-witch-academia-2
こんな成功につながっているのだ。

こういう支援こそ、クールだと思う。

と、ここまで書いてから検索したら、
http://ure.pia.co.jp/articles/-/12761
丁度いい記事もあった(^^;

■感銘を受けたシンポジウム
先日、シンポジウム「日本はTPPをどう交渉すべきか ~「死後70年」「非親告罪化」は文化を豊かに、経済を強靭にするのか?」の中継を見て、非常に感銘を受けた。
http://thinktppip.jp/?p=128
http://togetter.com/li/526246

もちろん、TPPにおける著作権問題は認識していたし、非常にマズイとも感じていたけれど、TPPそのものに反対する立場ではなく(選挙の時は反対してた議員だらけの自民党が賛成するのは、民主主義的な「手続の正義」に反してクソったれだと思っているので反対だが)、今までなかなか意見表明できなかった。しかし、このシンポジウムの説得力は、著作権問題については自分も何か言わなければという気にさせてくれた。

中でも、特に感銘を受けたのが、青空文庫呼びかけ人の富田氏が紹介された、芥川龍之介の「後世」からの引用だ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/33202_12224.html
--
 時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆(うづだか)い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの図書館に、たつた一冊残つた儘、無残な紙魚(しみ)の餌となつて、文字さへ読めないやうに破れ果てゝゐるかも知れない。しかし――
 私はしかしと思ふ。
 しかし誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に、多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。
 私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が、如何に私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。
 けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。
--

果たしてこの芥川が、TPPで著作権保護期間が死後70年に延長され、しかも著作権侵害が非親告罪化されるかもしれないという未来を知ったら、どう思うだろうか。

著作権が切れてパブリックドメインとなり、青空文庫の方々の努力で無償公開されている結果として、未来の読者に作品がダウンロードされているという現在に対し、「俺の作品なんだから勝手に読むな。金払え。」と言うだろうか。(もちろん、芥川の場合は死後70年も既に経過しているので、今回のTPPの影響はないが。)

そんなに過剰に著作権が強化されてしまったら、自分や作品が忘れ去られてしまうだろうとは思っても、そこまでして自分の作品を死後も守りたいと思って創作活動をするクリエイターがいるとは、どうにも想像しがたい。

■オーファン・ワークス
ほとんどの著作物は、死後50年も待たずに商業的価値を喪失していることがシンポジウムでも明らかにされていたが、商業的価値がなくなってもパブリックドメインにならないとなると、たとえそれを後世に伝えたいと思った第三者が現れても、容易に手が出せない。更に、誰に許諾を得れば良いのかすら分からない、オーファン・ワークスになっている場合も大半なので、権利者の意思に関係なく非親告罪として逮捕されてしまうかもしれないというなら、社会的文化的に価値がある作品を見つけたとしても、それを世間に紹介することが著しく困難なわけだ。

著作者死後70年の保護期間を終えるまで、商業的価値を喪失した著作物が語り継がれる可能性がほとんどないとなると、人類の文化的遺産を喪失させるのが著作権法ということになる。「文化の発展に寄与することを目的とする」著作権法1条にも反する。自分としては、我が国の著作権法が保護する、死後50年でも長すぎるくらいだと思っている。

もともと、著作権保護期間の延長は、ミッキーマウス保護法と揶揄されるくらい悪名が高い(アンサイクロペディアのコレは最高にブラックw)のだが、既に70年に延長している国々でも悪影響が問題視され、実は短縮すべきという議論も始まっている。我が国は、映画の著作物は公表後70年(著作権法54条)に延長しているが、他の著作物の保護期間を延長しようとする動きは、長い議論を経て辛うじて封じられてきた。それが、国内のそうした議論を無視して、TPPだからと簡単に著作権法を改変して良いものではない。

■大御所がパブリックドメインになる時
シンポジウムでは、漫画界では松本零士氏など大御所中心に延長論者が多く、なかなか抵抗できないと赤松氏が弁明していたが、過去の作品を守りたい側の論理と、古典の活用を含めた自由な文化の発展を望む側の論理は、大概において衝突する。(既得権益保護 v.s. 規制緩和による新規参入促進というと分かりやすいか。)松本氏は、手塚作品の著作権が切れてもいいのか等と言うそうだが、手塚の「罪と罰」も「ファウスト」も、ドストエフスキーやゲーテの著作権が残っていたら、果たして描かれていただろうか。パブリックドメインだったから、漫画にできたのではないのか。

個人的には、手塚作品がパブリックドメインになる時、日本では「手塚祭り」になるだろうと想像している。パロディ、続編、リメイクと、手塚作品の二次的著作物による大きな手塚ブームがやってくるのではないかと。
もちろん、田中圭一氏などの手塚作品のパロディは今でも人気だし、それを許容する著作権者の度量も素晴らしいと思っているが、ある種の配慮が必要なくなった時、どんな自由な創作文化が花開くことか...
http://twitpic.com/cowdza
いや、こういうのばかりじゃなくてw

■我が国特有の二次的著作物の文化
シンポジウムでも指摘されていたが、非親告罪になると、コミケがいつでも起訴・処罰可能となるので、表現の幅は大きく狭まるだろう。萎縮効果だ。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1304/17/news060.html
しかし、他国には我が国のコミケのような規模の、二次的著作物が扱われる市場も文化も存在しない。TPP交渉において、我が国特有の文化的事情というものを、単なる経済問題ではないのだと主張してもらわなければならない。俳句の季語だって、最初に考えた人が権利を主張していたら、他人が使えず、季語として定着しなかっただろうとも指摘されていたが、クールジャパンを支える創作活動は、二次的著作物に寛容な文化がその裾野を支えている。

正式な許諾はないけれどグレーゾーンを著作者が黙認するという、著作者による著作物のコントロールを国が奪い、勝手に逮捕するというのは、本当に著作者が望むことなのか。二次的著作物を黙認する「黙認マーク」を提唱した赤松氏は、8月からの漫画の新連載で早速「黙認マーク」を使いたいそうで、クリエイティブコモンズなり文化庁なりのお墨付きが欲しいと発言していた。今まで「あ・うんの呼吸」で機能していた文化の土壌を守るのに、非親告罪化が問題になるのは日本くらいというのは、TPP交渉において非常に厳しいところだ。

■70年という期間を想像してみる
今から70年前といえば、まだ第二次世界大戦も終わっていない。もちろん、現行法でパブリックドメインになっている作品は、保護期間が70年に延長されたからと権利は復活しない。しかし、著作者死後70年の保護期間に延長すべきという考え方は、例えば戦前のような昔に亡くなった人の著作物ですら、まだパブリックドメインにするなと言っているわけだ。仮に、戦前戦後のような過去の混乱期に、日本人が何を考え、どう表現していたか、商業的価値は低そうだが、我が国の社会・文化・風俗を知るうえでは重要なオーファン・ワークスがあったとして、それを活用しようとすると逮捕されるかもしれない...そんな社会にしようというのが、著作者死後70年への保護期間延長と、非親告罪化だ。もっと言うなら、今から70年後の未来の日本人にとって、東日本大震災や原発問題についての現在の日本人の活発な議論は、教訓として重要な遺産だろう。著作権を強めたり絶対視すると、彼らに我々の経験を承継することが困難になる。

もちろん既に「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ」は、複数の震災関連アーカイブを横断検索できる。
http://kn.ndl.go.jp/
ここで、「そこ、つっこみ処ですから」と検索すれば、ハーバードのエドウィン・O・ライシャワー日本研究所が構築している「2011年東日本大震災デジタルアーカイブ」に複製された、
http://jdarchive.org/ja/home
うちのブログからのエントリーがいくつか出てくる。
自分としては、アーカイブの一部として複製されたことに何の異議もないし、そもそもクリエイティブコモンズライセンスとして許諾の表示をしているので問題ない。

しかし、フェアユースが認められない我が国(日本版フェアユースが骨抜きにされたことはご存知の通り)では、こういったアーカイブ構築にも必ず著作権処理が壁となってきた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1112/28/news053_2.html
フェアユースが認められるアメリカから、70年への延長と非親告罪化を求められて、フェアユースを否定したまま我が国がこれを受け入れるという最悪の事態だけは、絶対に避けなければならない。TPP交渉に当たり、我が国の著作権分野交渉担当者がどこまで著作権問題に精通しているか、非常に心配だ。

■相続問題
そもそも、法人著作になるような映画ならともかく、個人が著作者な大半の著作物について、相続の問題を無視して死後の著作権は議論できない。

著作権の相続問題は、100年も昔から裁判のネタだ。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00843849&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

著作者が死ぬということは、それを相続する者が著作権を得るだけでなく、当然に相続税が発生する。では、保護期間を延長するのは当然という人は、不労所得の恩恵を受ける遺族等が相続税もその分多く払うべきだと、当然に考えているのだろうか?

国税庁の財産評価基本通達、第7章「無体財産権」第4節「著作権、出版権及び著作隣接権」には、以下のように規定している。
http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kihon/sisan/hyoka/07/01.htm#a-148

---
(著作権の評価)
148 著作権の価額は、著作者の別に一括して次の算式によって計算した金額によって評価する。ただし、個々の著作物に係る著作権について評価する場合には、その著作権ごとに次の算式によって計算した金額によって評価する。(昭47直資3-16・平11課評2-12外改正)
 年平均印税収入の額×0.5×評価倍率
 上の算式中の「年平均印税収入の額」等は、次による。
(1) 年平均印税収入の額
 課税時期の属する年の前年以前3年間の印税収入の額の年平均額とする。ただし、個々の著作物に係る著作権について評価する場合には、その著作物に係る課税時期の属する年の前年以前3年間の印税収入の額の年平均額とする。
(2) 評価倍率
 課税時期後における各年の印税収入の額が「年平均印税収入の額」であるものとして、著作物に関し精通している者の意見等を基として推算したその印税収入期間に応ずる基準年利率による複利年金現価率とする。
---

つまり、どんな人気の時に死ぬかと、謎の評価倍率によって、著作権の相続税は定まる。
が、正直、この計算はよく分からない(苦笑)

人気絶頂で死ぬと、相続税が大変なことになるのだろう。
逆に、死ぬまで世間に評価されないと楽だ。
死後65年くらいでリバイバルブームが来ると、保護期間70年の世界では、著作者の生前の苦労を何も知らない孫やひ孫の世代辺りの相続人が、大儲けできるかもしれない。

もちろん、著作権保護期間延長が、相続税の計算に直接影響を与えるものではないだろうが、延長することに価値があるという主張が認められるなら、相続税にも反映されなければおかしい。
「著作物に関し精通している者の意見」を基に推算される、未発生の将来の印税収入期間を前提に相続税が算定されるなら、いっそのこと「印税収入期間」=「著作権保護期間」とすべきだ。ここをダブルスタンダードにする必要はない。

つまり、死後70年保護されるべきというなら、謎の「著作物に関し精通している者の意見」に関係なく、印税収入期間も70年として、相続税を算定すべきだろう。もちろん、相続人の立場からすれば、バカ言うなと思うだろう。未発生で確実に得られるかどうかも分からない不労所得を前提に、相続税なんぞ払えるかと。しかし、相続税で計算していない期間まで、死後のブームで相続人が大きな不労所得を得られることがあるというのは、第三者からすれば不公平な税制ということになる。

逆に言えば、我が国が保護期間を70年にしてこなかったのは、「著作物に関し精通している者」の公の議論の結果であり、相続税は「著作物に関し精通している者の意見」を基に算定するというなら、著作権保護期間を延長しないという公の議論の結果も尊重されるべきだ。

こういう話をすると今度は、著作権保護期間は、金の問題ではないのだとかいう声が聞こえてきそうだ。著作者人格権として重要なんだとか。

なら、いずれにしても、経済連携協定たるTPPで、経済問題として交渉すべきトピックではない。少なくとも、TPP交渉における他の経済分野を守るためのバーターとして、著作権分野を明け渡すような愚行だけはしてはいけない。

■意見表示
以上のように、この問題については色々と言いたいところだけど、TPP政府対策本部は、現時点でTPPはパブリックコメントの対象ではないと断言し、7月17日17時締め切りで、団体等からの意見提出を受け付けている。
http://www.cas.go.jp/jp/tpp/tppinfo.html#setsumeikai
6月26日の日本農業新聞には、「意見は業界団体以外の個人などからも受け付ける。ただ、個人などの意見については寄せられる意見の数や内容によって、どう扱うか調整する予定。」とも掲載されたそうなので、個人の意見がどう扱われるかは分からないが、全く無視されるわけではないらしい。もう交渉は間に合わないからと、我が国の文化の土壌を政府がアメリカに明け渡すのを傍観せずに、問題意識を持った人は、個人でも、団体でも、積極的に意見をTPP政府対策本部へ提出すべきだろう。

ちなみに自分は、内閣府の国政モニターなので、この問題を6月分の提案とした。例によって400字に収めなければならないので、色々と省略せざるを得なかったが、できる抵抗はしておきたい。
http://monitor.gov-online.go.jp/report/kokusei201306/detail.php?id=37005
--
TPPで著作権保護期間延長と非親告罪化を要求されますが、これらは長年の国内議論の結果、社会的文化的に多大な弊害があるので法制化が回避されてきた問題です。大半の著作物は、著作者死後50年を待たずに商業価値を喪失するため、70年では、文化的価値はあるのにパブリックドメインでないがために社会から存在すら忘れ去られます。オーファン・ワークス増加も問題で、既に70年の国々でも短縮議論が始まっております。また非親告罪化は、クールジャパンを根底から支える二次創作を主体としたコミケを崩壊させますが、これは日本特有の文化的背景であるため、TPP交渉過程で我が国が特に主張し抵抗する必要があります。多くの創作活動は、他人の作品を真似るところから始まるので、著作者の意図と関係なく罰せられては日本のコンテンツ文化が衰退します。間違っても、何かをTPP例外とするために、著作権分野をバーターで明け渡さないでください。
--

■ちょっと前の話から
昨年度、東京都の「都政モニター」というのを拝命していたのだが、去年3月に、以下のアンケートがあった。

 Q1.今の子供たちが持つ耐性※について、日頃どのように感じていますか。あなたのご意見を自由にお書き下さい。
 ※耐性:様々な課題を克服するなど、環境変化に適応できる逞しい力
 Q2.子供たちに耐性を身に付けさせるために、家庭、学校、地域がそれぞれどのような役割を果たしたらよいとお考えですか。あなたのお考えを自由にお書き下さい。
 Q3.体罰を与えてもよいからきちんと教育をしてほしいという保護者の要望や、生徒や親に信頼されている教師による教育的な体罰は肯定されるべきといった意見もあります。体罰など強制力を働かせる教育方法についてはどのような考えを持っていますか。また、子供の教育を行う上で、言葉で言ってもわからない場合に、あなたが効果的と考えるのはどのような方法ですか。あなたのお考えを自由にお書き下さい。

その後東京都は、「「子供の耐性をいかに培うか」~教育再生に向けて東京から考える~平成24年度第1回「~東京ビッグトーク~石原知事と議論する会」」を開催した。
http://www.metro.tokyo.jp/POLICY/TOMIN/GIRON/eim68100.htm

つまり上記アンケートは、今の子供に耐性がないという前提で、耐性がないのは体罰ができないからで、言葉で言ってもわからない子供に体罰で耐性をつける教育を石原都政はやりたいけど、意見ある?という背景で、この会のために行われたものだったのだと、後から理解した。

上記東京都のサイトを見た時、戸塚氏の「教育というのはむしろ男がやるべきことであって、女が口を出してはいかん。」とか、「女は体罰が嫌い。男はやりますよね。絶対にやらんという、それは男じゃない。」とか、よくもこんな会に税金使ったものだと、本当に残念に思ったものだ。まあ、石原氏自身は、戸塚氏の支援者なので、疑問に感じないのだろうけど。

しかも、参加してる都民の意見も酷かった。
「小学校3年生以上は小野田自然塾、それから中学生は戸塚ヨットスクール的なことを体験させる。本来は家庭がやるべきですが、今の親御さんは無理だと思いますので、学校で一度きりではなくて、学年ごとに毎学期組み入れて、連動性を持ってやるということです。戸塚先生のところはきちんとしたマニュアルも、それから指導員もおられると思いますので、子供の事情を考慮しながらやれば、まさに大船に乗った感じで大丈夫ではないかと、成長させてくれるのではないかと思います。」

親が、自分の子供の教育をしないことを前提に、行政に子供の教育を丸投げして安心しようって、なんだコイツ?という感じ。

まあ、当日の会場では、もっと過激な話もあったようだが。
http://togetter.com/li/306712

■そして最近
大阪での残念な事件を受けての、体罰への批判的な世論の動きに、どうやら危機感を覚えたらしき団体がいる。
その名も、「体罰の会」だ。
http://taibatsu.com/

体罰を教育だと主張するこの会は、最近少し話題だ。
http://matome.naver.jp/odai/2135780081451014501
http://getnews.jp/archives/284055

掲示板の内容が変態すぎるという意味でも、話題だ。
http://toriaezumitekitayo.blog88.fc2.com/blog-entry-406.html


それが、なんでも「子供は体罰を受ける権利がある!」そうで、来月緊急集会とやらを主催するそうだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/67743913.html

共催の「戸塚ヨットスクールを支援する会」というのは、
http://totsuka-yacht.com/nyukai.htm
日本維新の会の共同代表の石原前都知事が会長を務めている。

うわぁ...って感じ。
きっと、お腹イッパイを通り越して、吐き気をもよおしそうな議論で盛り上がりそう。
「~東京ビッグトーク~石原知事と議論する会」の時は、まだ体罰に批判的な意見もあったけれど、今回は...


日本維新の会は、大きな問題で代表同士の意見が180度食い違うのは、今に始まったことではないけれど...いっそのこと、橋下・石原の両共同代表を緊急集会とやらに呼んでもらって、二人で議論してはどう?

まあ、普通はそういうの、党内でやるんだけどね。

期日前の投票所で、裁判官の国民審査のための公報を立ち読みしてたら、やってきた夫婦らしきカップルが東京8区の公報見て、「こんなの出てるんだ」と山本太郎を指差した。で、その他の候補に目を移し「え、これしか出てないの?そんなはずないよね?」と。でも、しばらく公報を眺め、選択肢が自民、民主、共産以外は山本太郎しかないことをやっと認識。

「自民も民主もやだ。共産は論外。じゃあ...これしかないじゃん。」
「いいんじゃない?それで。」と、二人で山本太郎に決めていた。

実は、東京8区な杉並には、いわゆる第三極系の党の候補者がいない。何故なら、石原パパが、息子の選挙区に対立候補を立てさせなかったからみたいだ。

というのも今回、前杉並区長山田宏も維新の会から立候補しており、本当は杉並で戦うのが一番楽なはずなのに、本人の希望に反し、突如東京19区から出ることになったからだ。

山田宏は、昔の日本新党ー>新進党の元衆議院議員で、以前石原伸晃に東京8区で負けた後、杉並区長として成功した人物だ。(自分も、区長選では支持していた。)
その後、日本創新党作ったりして大失敗するのだけど、太陽の党より先に、日本創新党を解党して日本維新の会に参加していた。だから、まさか自分が、後から合流した党のせいで杉並から立候補できないなんて、思ってもみなかったんじゃないかな。

日本維新の会と太陽の党が合流した翌日の山田氏のブログに、それが見てとれる。
http://www.yamadahiroshi.com/blog/303/

所属政党や協力政党の候補者との調整で選挙区を鞍替えさせられたならまだしも、8区にそういう候補者は存在しない。つまり、本来は所属政党の攻撃対象のはずの、既存政党の候補者が有利になるために鞍替えさせられたとしか考えられない。いやー、同情する。

まあ、そんなこんなで、杉並は石原パパの息子への親心で、既存政党に不満がある人の受け皿となる候補者がゼロとなり、息子は安泰なはずだった。ところがそこに、山本太郎が突如として現れたというわけだ。逆に言えば、山本太郎が出なければ、石原パパのお陰で、既存政党に不満のある杉並区民の投票先が一切失われていたのかもしれないというのは、東京8区の有権者として知っているべきだろう。まあ、山田氏が8区から出ていたら、投票していたかは別にしても。

ということで、これは、もしかしてもしかするかもしれないとちょっと思った。
まあ、本当に微かな確率だけど。

>追記
山田氏は、19区で落ちながら比例復活を遂げた。維新の普通の候補者より、名簿順位を高くしてもらっていたようで...大人って、大人って...(苦笑)

色々とネタはあったのに8月更新ゼロということで、サボりすぎと反省しつつ、じゃあ何を書くかと思案していたところ、難民支援協会が、クラウドファンディングで50万円の寄付(形式的にはチケット購入)を募っていたので、ちょっと取り上げてみる。
https://readyfor.jp/projects/194

9月10日現在、スポンサー募集終了まで18日を残し、達成金額は367,000円。
28日午後11時までに50万円に達した場合のみ決済されるとのことで、達しないとプロジェクトは不成立で、資金を1円も得られないそうな。

つまり、All or Nothing...あと18日で大丈夫?


難民支援協会と言うと、このブログでも何度か触れている。古いものは、文中のリンク先が切れていたりするが、この手の問題について詳しく知らない人は、以下をどうぞ。ここで言う難民とは、日本にいる難民の話だ。

「難民支援と思考停止」
http://maruko.to/2009/03/post-10.html
「陸前高田へ」
http://maruko.to/2011/06/post-114.html
「陸前高田へ:続き」
http://maruko.to/2011/06/post-115.html
「陸前高田へ2」
http://maruko.to/2011/09/post-120.html


自分が今までこの団体を支持してきたのは、「難民支援と思考停止」の最後に書いた以下の理由だ。
「最も解かなければならない誤解は、難民を保護すべき理由は、難民がカワイソウだから、ではないということだ。日本は難民条約を批准し、国内法を整備した以上、そのルールに従って難民を受け入れるのが、法を尊重する先進国として当たり前なだけだ。作ったルールの運用基準を曖昧にして、出身国によって差別的な扱いをしたり、非人道的な扱いをして良いとは、どこにも書かれてないってことだ。」

そして今回は、既存の国内法の不透明で不公平な不備の部分を正すための、法整備を働き掛けるための資金集めということなので、寄付したい気持ちは山々。でも、これとは別件で毎月少額寄付してるのと、今月はもう出費が増やせない諸事情で、どうにも悩ましい。なんせ今、無職だからw
なので、このブログを読んで、少しでも寄付してくれる人が増えないものかと...超他力本願(自爆)


ただ、今回の説明を読むに、難民がカワイソウだから法改正を訴えているように見える部分もあり、個人的にはちょっと違和感も。
難民が頭をかかえている写真とか、子供が描いた絵とか、そういうのを見せてしまうと、日本人だって辛い生活をしている人はいくらでもいるのだからと、話を相対化して受け取る人が出てしまうのではないかと心配になる。
自分は、被災地で共にボランティア活動した難民に対して、カワイソウとは思ったことがない。被災地では、彼らは頼れるボランティアメンバーであり、決して弱者ではなかった。難民としての本来の権利が認められれば、普通の外人なのだ。日本のおかしな対応のせいで、日本で不当に厳しい生活を長期間強いられているだけ(これを、本国での迫害から逃れた後の、日本政府による「二重の迫害」と言う人もいる)なので、こちらとしては申し訳ないという気持ちになってしまうのが本当のところだ。

それに今回、寄付金の額によって、見返りに差があるのだけど、その中身もちょっとアレ?という感じ。
大金を寄付する人には、より大きい見返りがあるわけだけど、基本的にそういうの必要なのかな?という疑問はさておき(自分などは、むしろ見返りは要らないから、寄付した金を活動本来の目的に100%有効に使ってもらいたいなどと考えてしまうが)、例えば5万円支出した人に、後から難民の話を聞く会に招待するというのは、順番が逆に思えて仕方ない。
難民問題を理解するより前に、人は5万も10万も寄付しない。そして、支出を決める時点では、既に日本の難民問題を理解し、難民支援協会の活動に共感しているはずだから、そんな人に後からスタディーツアーに招待すると言っても、それが寄付の動機になるとは思えない。
こういう資金集めは、普通は先にパーティーとかで広く人を集めて、そこで解決すべき課題を提示し理解してもらってから、寄付を募るのが順序な気がする。そういうので、派手に大金を集めている世界規模の団体は色々とあるだろう。

しかし難民支援協会は、今までそういう派手な演出はやってこなかったのではないかな。
地道に、コツコツと実績を残し、企業やUNHCR、政府機関とも連携して、マジメにやってきた。(だからこそ、支援し甲斐もある。)
そういう違いから、クラウドファンディングという手法自体は、ある意味非常に難民支援協会に合っているとも思う。50万円という目標額も、非常に控えめではないか。後は、この仕組みの使い方の工夫なのだろう。
とりあえず、寄付に見返りが必要なら、難民が作って販売してるようなアクセサリーがもらえるとか、そういう単純なもので良いのではないかなと、個人的には思ってしまう。

東日本大震災の前後から活動の幅が広がり、本来の活動がぼやけて見えた時期もあったけれど、新難民法を作るという日本の難民問題の根幹に着手しようとする姿は、難民支援協会が本旨を忘れずに次のステップに進もうとしているように見える。

そのステップとして、今回のクラウドファンディングを捉えるなら、不慣れながら色々な手法を試しているのかもしれない。
クラウドファンディングを使ってみること自体が、チャレンジなのだろう。
色々と試行錯誤しつつも、目的を達成できることを、陰ながら祈ってます。

この話に理があると思い、お金に余裕がある人ば、以下から少額でも支援してみるのはいかがですか?
->「難民が日本で安心して暮らせる社会を目指して 新難民法の実現へ」

2030年のエネルギーの3択(古川大臣が取りまとめたやつ)について、
http://www.sentakushi.go.jp/
今日から、さいたま市を皮切りに国民からの意見聴取会が始まる。
http://kokumingiron.jp/

2030年に、原発をゼロにするか、15%にするか、20~25%にするかの3択。8月12日のパブリックコメント締め切りまでの約1ヶ月が、国民が未来を選択するための意見表明期間という感じだ。

もっとも、パブコメだけなら、今までだって様々な場面で国民の声は無視されてきたわけで、期待できないかもしれない。しかし、今回はちょっと違う。当初、7月末で締め切りだったのが、8月の討論型世論調査の終わった後に延長された。

討論型世論調査って何?という人は、以下を参考に。
http://keiodp.sfc.keio.ac.jp/?page_id=22


討論型世論調査が実施されるというだけでも面白いけれど、パブコメもその後に延長するというのは、政府が国民の声をマジメに聞こうとしている様子が一応うかがえる。自民党時代に、バレて大事件になった、やらせタウンミーティングとは大違いだ。討論型世論調査を考案したスタンフォード大学の教授が、監修委員会委員長として参加し、中立性も担保する。

http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120705/20120705.pdf
マジだ。

思うに、毎週金曜の首相官邸前のフラッシュモブ型抗議運動が、ちゃんと価値があった証拠ではないか。あの抗議運動がなかったら、ここまでマジメに国民の意見を聞こうとはしなかったかもしれない。というか、これは凄いことだ。討論型世論調査とかパブコメが本当に機能したら、日本の民主主義1.0始まった(2.0じゃないよ。今まではβ版だったからw)って感じ。

もっとも、事業仕分けよろしく、いつの間にか骨抜きにされるかもしれないし、討論型世論調査の結果をどの程度政策に反映させるかも、政府は明言を避けている。呑気に喜んでばかりもいられない。しかし、前進は前進だ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012070202000118.html
東京新聞は、いい記事書くね。

それを産経が記事にすると、こうなっちゃうけど。
「原発で討論型世論調査 国民に丸投げ、政策ゆがめる懸念」
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/120707/mca1207070501003-n1.htm
いつも思うのだけど、産経の考える理想国家像って、中国なんじゃないか?(苦笑)


で、今夜21時からのNHKスペシャルに、古川大臣が出演し、エネルギー問題について語るそうな。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0714_2/

その前に、「エネルギー・環境に関する選択肢」のPDFに目を通しておきたい。
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120629/20120629_1.pdf

2030年の日本の姿が決まるかもしれない、重要な約1ヶ月が始まる。
さぁ、みんなで考えよう!

■蛇足
ところで、昨日初めて、首相官邸前のフラッシュモブに参加してみた。
理由はフォーサイトのフォーラムにコメントとして書いた。
http://www.fsight.jp/forum/11544
コメント13です。

一昨年更新が止まった、在コートジボワール大使のブログがあり、読者だったので一本ブログに書いたことがあった。
http://maruko.to/2010/12/post-101.html

その後、大使公邸が襲撃されて、フランス軍に救出されてニュースになった大使だ。
http://www.youtube.com/watch?v=Lwwj3tvTuhY

久々にチェックしたら、4月にエピローグがエントリーされていたのだけど、日本人なら必読って感じの素晴らしい内容だった。
エピローグ(1)
http://blog.goo.ne.jp/zoge1/e/4bdcea8fa16bc0adc4c779a9567d1125
エピローグ(2)
http://blog.goo.ne.jp/zoge1/e/ce1a0e100abf5ab46a8df5ea88ad4ac1
エピローグ(3)
http://blog.goo.ne.jp/zoge1/e/749d800279b229556471b8adcad48c9b
エピローグ(4)
http://blog.goo.ne.jp/zoge1/e/2fdb907814f9b03d72f4ff29e92563e6
エピローグ(5終)
http://blog.goo.ne.jp/zoge1/e/e8a85e915d3c424ed27f04e8731401fc

軍事的バックボーンなしに、中立を保つことで民主的選挙を支え、厳しい状況下で逃げずに踏みとどまった日本の大使が、フランス、アメリカと並んで、コートジボワールで勲章を授与されていたなんて、全然知らなかった。

大使がフランス軍によって救出された時、他国に守ってもらうなんて恥ずかしいとか、自国で守れるように日本国憲法を改正すべきとか、酷い短絡的な意見をネットでは散見したが、事実はそんな低レベルなものではなかったということだ。それどころか、その踏みとどまった姿を、コートジボワールの人々が高く評価してくれていたわけだ。非軍事的、中立的貢献が、日本の国益となることを、大使は身をもって示してくれたように思える。日本の国際貢献のあるべき姿を考えさせられる。

こういうブログは、是非もっとやって欲しいのだけど...

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1206/05/news069.html
この後もMIAUは、違法ダウンロード刑事罰化に反対するロビイングを、諦めずに続けている。
http://miau.jp/1339159103.phtml
消費税や原発問題に隠れてしまっているけれど、これもとっても重要な問題。著作権侵害コンテンツのダウンロードが違法になって、まだ2年ちょいで、世間にそれが浸透すらしてないのに、もう「2年以下の懲役または200万円以下の罰金」という刑事罰を加えようという法改正が迫っている。現状だと、国民の多くが犯罪者として処罰対象にされてしまう。特に、この行為が違法行為だと認識すらしていない中高生が罪を負うことになることも、MIAUは問題視しているようだ。

そもそも、この手の著作権侵害は、アップロード者を処罰するのが本筋で、現在の法律で十分に対処できる。例えば、違法にアップロードされたコンテンツをダウンロードした100人を逮捕するより、アップロードした1人を逮捕することは、遥かに容易で実効性が高い。しかし、この法改正をロビイングしている音楽業界などの権利者団体は、何故かダウンロードした側をしきりに処罰したがっている。刑事罰化を訴える議員の発言などからすると、国民への啓蒙のためとか言っているようだが、だとすると大問題だ。これから啓蒙しなければならないような、国民に規範意識のない行為に刑事罰を設けるという意味であり、法律を小学校の道徳の時間の教科書か何かと勘違いしている。道徳的にそうあるべきなら、それに反する多くの国民に刑事罰を課しても良いとなると、刑事罰とは、一般的でない特定の価値観を持つ者が、その価値観を世間に広めるために使える道具ということになる。それが、専門の学者の意見や、憲法の掲げる理想に則ったものならまだしも、2010年の法改正の時点でそれは認められなかったのだから、質が悪い。当時、それまで違法でなかった行為を違法とするにあたり、文化庁の審議会の分科会等でも多くの議論が重ねられた。そして、著作権法の専門家を交えた議論で、元々著作権法は私的目的の複製は処罰対象ではないので、私的目的のダウンロードを違法としても、罰則は付けないことにされた。この議論の結果、自らの意見が通らなかった特定の利益団体が、専門家のコンセンサスを得るのを諦め、専門家でない議員にロビイングして法改正を果たそうというのが、今回の動きだ。

http://togetter.com/li/317556
しかも、政府提出の閣法に、自公が修正案を提出する形で、ろくに議論せずにこっそり刑事罰を盛り込んでしまおうというのだから、姑息過ぎる。まともに議論したら、反対意見に論破されると自覚しているのかもしれない。

「2年以下の懲役または200万円以下の罰金」とは、モラル向上のために路上喫煙禁止条例でたばこのポイ捨てに過料を課すのとは訳が違う。何より、厳しい刑事罰を設ければ国民のモラルが向上できるという発想自体、犯罪社会学の分野では当然でもない。

大体、憲法で保障された「通信の秘密」を侵害せずにダウンロード者をどうやって捕捉するのかよく分からないが、仮にサーバのログなどからIPアドレスでダウンロード者を総当たりでしょっ引けるとか考えているなら、恐ろしいことだ。何故なら、違法コンテンツと知りながらダウンロードしたかどうかの故意は、とりあえず嫌疑をかけて自白させるか、とりあえずPCを差し押さえるなどしてHDDを分析し、故意があったと言えるくらいの情況証拠を集めるしかない。
社会人であれば、嫌疑を晴らすまでに職を失うだろう。中高生なら、酷いイジメにあうだろう。もちろん政治家は、議員活動を停止する...かどうかは知らないが(苦笑)

家族の共有PCだったりしたら、一家丸ごと共謀共同正犯で逮捕されたりして(^^;;

とにかく、これが原発問題や消費税問題に隠れ、またはその引き換えに通ってしまいそうなことが、本当に最悪だと思っている。著作権法とは、その国の文化の発展の仕組みを支える法律であり、何かとバーターで改悪して構わないようなものではない。
衆議院で通ってしまうと、改悪賛成の野党が多数派な参議院ではどうにもならない。
今、そういう危機的な段階にある。

>追記:6/16
「DVDリッピング違法化+私的違法ダウンロード刑罰化法案、衆議院で可決」
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20120615_540420.html

残念な結果だ。

http://hakubun.jp/2012/06/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E6%B3%95%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%B3%AA%E7%96%91%E3%81%99%E3%82%8B/

冗談みたいだが、こんな浅い理解で、専門家が散々議論してきた事実を無視して、特定の利益団体の意見で、我が国の文化発展を支える法律が改悪されるのだ。こんな罰則ができたところで、音楽CDの売り上げが回復しないことなど、一般的な常識があれば想像できるはずなのだが。

おまけに、この自民党議員によれば

>明らかに故意犯だけが対象であり、その立証は、捜査当局が個々のパソコンを押収して無理矢理行うものではない。

とのことだが、明らかな故意犯なのか、捜査機関がどうやって判別するのか、是非とも教えて欲しいものだ。我が国の捜査機関は、パソコンを押収せずに、誰かの頭の中を透視でもして故意を立証する方法でも開発したのだろうか?

基礎的な知識や、簡単な想像力のない大人が、この国の創造力をどんどん奪っていく様を目の当たりにするのは、本当に悲しいことだ。

レコードやCDという、音楽の著作物の劣化コピーを売る商売が、金銭的魅力を失いつつある現在、音楽ビジネスは複製できないライブという本来の姿に回帰しているように思える。そもそも、劣化コピーが高額で売れるのが当然だと思ってきたのが、根本的な間違いだったのではないかとも、自分などは最近考えてしまうのだが...

写真素材のピクスタ

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