法律の最近のブログ記事

最近、非実在青少年関連のエントリーが増え、某所では犯罪関連のブログに分類されるようになり、著作権法系に分類されていたのが遠い昔のように思える今日この頃。

「常にマイナー目線から、世間様につっこみを入れる」ないし「世界の端っこで、『王様の耳はロバの耳』と叫ぶ」的な、そんな初心を忘れずに、客観的・中立的な、常にフラットでありたい今日この頃。

しかしながら、またしても非実在系なのであります(苦笑)


先日、NHK教育の「視点論点」という短い番組に、アグネス・チャン氏が登場(2010/06/07:22:50~23:00)し、冒頭で一応、今回は二次元(マンガ等の創作物)規制の話ではない、という趣旨の断りを入れて、児童ポルノ規制強化の話をされていた。で、その内容が余りにも酷く、客観的におかしいので、生まれて初めて、NHKとBPO(放送倫理・番組向上機構)に意見を送ってしまった(自爆)
(その内容は、一番最後を参照のこと)


一見、児童買春・児童ポルノ禁止法違反が激増していると読めてしまう、あのグラフを持ち出して、規制強化の必要性を訴えるアグネス氏の主張は、酷い演出で、グラフに隠された事実を知らなければ信じてしまう人もいるだろうに...と眉をしかめながら見てました。

が、あのグラフがアグネス氏の言うような事実を示すものではないことは、既にこのブログでは指摘済み
http://maruko.to/2010/03/post-82.html
なので、今回はもう一つ別の話を。

アグネス氏が述べていた、国民の9割以上が児童ポルノの単純所持禁止に賛成したという、世論調査のトンデモ実態について。


この世論調査は、やはり規制強化推進の急先鋒である後藤啓二弁護士も多用する、創作物表現規制派の伝家の宝刀の一つ。

http://www.law-goto.com/0302/016/
「2007年の世論調査では大多数の国民が児童ポルノの単純所持の禁止(90.9%)及びCG・漫画も規制の対象にすること(86.5%)に賛成しています。」


つまり、単純所持禁止も、創作物への表現規制も、民意なのだから、立法府は規制立法を早く成立させろ、という圧力に使われている。議員は、こういう数字に弱い(^^;

しかし、この世論調査が実は、調査対象たった3000人のうち、有効回収数が更にたった1767人の、調査員による個別面接聴取というとんでもない調査方法で行われた結果であることは、あまり知られていないのではないか?

当時は、やらせタウンミーティングで世論操作をしていたのが前年にバレたばかりの、安倍首相の時代だ。内閣府が、どんな手を使ってこの回答に誘導したか、ちゃんと知っておかなければならない。

http://www8.cao.go.jp/survey/tokubetu/h19/h19-yugai.pdf

内閣府の世論調査は、住民基本台帳の情報を元に、委託された民間の調査会社が自宅にやってきて、直接面接して質問する。素晴らしすぎて、泣けてくる。(個人情報が民間にダダ漏れ?)

そんな、自分の情報を一方的に握っている民間の質問者に、わいせつだの児童ポルノだの面と向かって聞かれたら、仮に表現の自由を尊重したいと思っていたって、反対なんて言える人がどれだけいるだろうか?

PDFの6枚目(表記はページ5)からが調査資料だが、「資料5を提示して、対象者によく読んでもらってから質問する」という資料5は、内容が恣意的すぎるて泣ける。

・罰則が弱い
・各都道府県により規制がばらばら
・業界団体に属していない業者は規制の対象外
・有害情報に携帯電話等でアクセスして被害にあうケースも増えています

と、いきなり客観性の欠ける表現(「弱い」、「増えてる」)で、一方的な情報を回答者に植えつけている。

罰則が具体的にどうなのか、規制がバラバラで何か問題なのか、業界団体に属していない業者がどれほど存在するのか、被害にあうケースが増えているってのは何件くらい、何%くらい実際に増えているのか、全て隠して、一方的な印象を与えるメッセージになっている。

この情報を前提に答えろと言われたら、読解力のある日本人なら、誰だって「国として規制強化すべき」って結論が出るわなwww

Q2 〔回答票17〕、Q3 〔回答票18〕、Q4 〔回答票19〕の3連コンボも秀逸。


そして、後藤氏やアグネス氏が連呼する、単純所持禁止90.9%賛成の根拠となる、Q6 〔回答票21〕がやってくる。もちろんその前に、資料6で恣意的に誘導してからの回答だが(苦笑)

(ア)規制すべきである(69.6)+(イ)どちらかといえば規制すべきである(21.3)=規制賛成90.9%

資料6では、規制反対意見の理由は、「個人が持つだけであれば他に害を及ぼさないため現行のままで問題はない」しか示されていないのだ。もっと他に、「過去に適法に販売されたアイドルの写真集を所持していることが犯罪とされる危険性」など、色々と重要な反対理由は存在するだろうに、見事にスルーだ。


そしてラスボスのQ7がやってくる。CGや漫画も規制対象に86.5%賛成と後藤氏らが言う根拠だ。

(ア)対象とすべきである(58.9)+(イ)どちらかといえば対象とすべきである(27.6)=規制賛成86.5%

それ以前に提示された資料や質問が、全てこの最後の質問で創作物表現規制に賛成させるための、完璧な誘導だったのですね!わかります!!www

これにて、Q6とQ7を組み合わせると、自分用に門外不出のエロマンガを描くだけで、タイホというのが民意ということになる。

なんというか、ロリコンに同情するとか、そういうレベルじゃないですね(^^;

自分も小中学生の頃、アニメやマンガの好きなヒロインキャラを、ついエロく描いてしまったことがありますが、間違いなくタイホですね!もちろん、恥ずかしくて誰にも見せてませんが!!(なんだこのカミングアウトは!!!(自爆))

9割もの国民の皆さんは、さぞかし健全にお育ちになられたのですね!(苦笑)


...んなわけあるかゴラァ!!


ちなみにこの頃、内閣府の別の世論調査を受けたことがあるという人の話を某所で見たのですが、調査員に、特定の答えを選ぶように誘導されたそうだ。

また、見ず知らずの調査員に自宅に来られるという状況から、早く帰って欲しいという気持ちが強くなり、適当に答えたくなったそうだ。そりゃそうだろう。

ま、直接じゃないし、真偽は確認してませんが、上記PDFを見る限り、否定は難しそうですな。


でも、9割って数字は大きいよね...で、何人だっけ?

回答したのが1767人だから...え?たった約1600人の民意??

あれれれ?
後藤氏は、日経ビジネスオンラインで民主党を批判するのに、民主主義における民意の盲点として以下を指摘してますよね?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100511/214348/
「先の衆議院選挙の投票率は69.28%です(小選挙区、以下同)。そして、民主党の得票率は47.4%です。かけ算をすると、約33%。国民の3割ちょっとが民主党を支持しただけとも言えるのです。 」
「圧勝したはずの政権党を支持しなかった国民も多いのです。また、投票をした人もすべてを委ねたわけではないですよね。ですから、すべてを多数決で解決しようとすると、政権党を支持しない国民はもちろん、その他の人も含めて、多くの権利や利益を不当に害する恐れがあります。」

その論理を、是否この世論調査にも類推適用してみたらいかがで?

え?選挙と調査は違う?
それはそれ、これはこれですか。ダブルスタンダードって、美味しいですよね。

ま、規制推進派の人って、大体そういう感じですよねー


とりあえず僕は、こんな恣意的誘導の圧迫面接みたいな調査で、規制強化に反対した約1割の人々に、敬意を表します。


まあ、仮に2007年の世論調査に価値があるというなら、それよりも最近の調査はもっと価値があるはず。前のエントリーでも追記で紹介したけど、色々なアンケートがあるのですから、他も参考にしてくださいよ。>規制推進派な方々

「日本PTA全国協議会の調べによると、小中学生の親たちはマンガが子供に与える悪影響について大して心配していないし、条例などによる規制も望んでいない」
http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201005230134.htm
http://www.nippon-pta.or.jp/material/pdf/17_mediahoukoku.pdf
「漫画児童ポルノ規制」 条例へ否定的意見が9割
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/100520/sty1005202250004-n1.htm
こんな感じですから。


ところで、民主党批判が目立ったのか、後藤氏はみんなの党から立候補することになってしまった。
http://www.your-party.jp/members/kounin/gotoukeiji.html

ショックだ...

自分は、みんなの党の結党当時からの支持者だったりする。
http://maruko.to/2009/08/post-63.html
一般党員だし、党に個人献金もしている。

みんなの党は、党としてのアジェンダだけが重要で、それ以外の各議員の個人的政策の不一致は問わないことも理解している。

だから、後藤氏の個人的な政策は、党の政策ではないということも理解している。創作物表現規制に反対している候補者の存在も、知っている。

しかしだ...それを理解した上でも、後藤氏の政策実現に少しでも加担することは、自らの良心の呵責に耐えられない。恣意的な調査結果で民主政の根本を歪めるような行為は、許容範囲の外だ。

これは表現の自由(憲法21条1項)だけでなく、先に示したカミングアウトのような、誰にも見せる予定もなく、自ら絵を描いて所持するだけという場合、限りなく思想・良心の自由が保障する絶対的な内心の自由(憲法19条)の問題だからだ。描画するという行為があっても、門外不出の場合まで、表現の自由の問題にすることは間違いだ。

思想・良心の自由は、あらゆる精神的自由の根幹として絶対的に侵害されないことを、特に我が国の戦前の反省から、憲法に規定したものだ。諸外国では、信教の自由はあっても、思想・良心の自由を独立して保障している憲法は珍しいそうだ。だからこそ、容易に創作物の単純所持すら処罰するようなことが有り得るのだろう。何故なら、信教の自由にカテゴライズされなければ、表現の自由で判断するしかなく、表現の自由は公共の福祉による制約が可能だからだ。

しかし我が国では、内心の領域にとどまる限り、国家との関係では絶対的に自由とする憲法が、歴史的な反省に基づいて存在するのだ。諸外国とは、思想弾圧の歴史的背景が全く異なる。思想弾圧の歴史への反省がない諸外国の憲法との違いを考慮せず、G8の国々では多数が規制しているのだから我が国も規制すべし、などという論理は、到底受け入れられない。党の経済政策等には賛成するが、それは上記権利を絶対的に保障する大前提があっての話だ。

まあそもそも後藤氏は、みんなの党のアジェンダに一致しているとも思えないのだが...

一応先週、党に対して、以下の意見を送った。
-->
参院選比例代表に後藤啓二氏を擁立するとの報道を見て、非常に落胆しております。
非実在青少年問題など、創作物表現規制反対運動が盛り上がっている今、何故このような、表現の自由を軽視する悪評高い人物を擁立するのか、理解に苦しみます。
そもそも、氏のこれまでの活動からすれば、みんなの党のアジェンダに、反する人物です。
現在、Googleで「後藤 みんなの党」と検索すれば分かりますが、みんなの党を支持していた人々が、落胆、批判の声を上げております。そして、みんなの党を非難する大きな材料とされております。
仮に、みんなの党としてのアジェンダには、表現規制が含まれないとしても、党を支持して後藤氏が当選してしまえば、氏の掲げる政策の実現に加担してしまうことになるので、私は一般党員ですが、最早党を支持できません。
後藤氏の個人的政策に、党としても賛同しているのであれば、尚更です。
擁立の撤回、もしくは、児童ポルノ対策を根拠にした過度のパターナリズムによる安易な表現規制に反対する立場を明確にするなどして、党のアジェンダに含まれない後藤氏の個人的な政策の実現に党は加担しない、と宣言できないものでしょうか。
私は、氏が元警察官僚だから批判しているのではありません。小野氏のような人物なら構わないのですが、後藤氏は許容できません。
http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201005230134.html
後藤氏の掲げる規制強化は、子を抱える親たちの大半が望まないものです。
このまま党がアクションを起こさないのであれば、私は一般党員であることに嫌悪感を感じますので、除名していただきたいと思います。除名の手続きがあれば、教えてください。
<--

丸一週間経過したが、ノーリアクションだ。
みんなの党規約第4条1項によれば、離党手続は組織規則に定められているそうだ。
http://www.your-party.jp/about/rule.html
しかし、その組織規則が見つからない。

これから、離党手続について質問しようと思う。本当に悲しいよ(涙)


蛇足:「視点論点」についてNHKへ送った意見
 昨今大変大きな議論の対立がある問題にも関わらず、規制推進派のアグネス氏のみが、一方的に伝聞口調で誤った情報と情緒的な意見をしゃべり続けるという放送内容に驚いた。日本放送協会国内番組基準の第5項1号に、明らかに違反していた。
 また、用いられた児童ポルノ事件増加のグラフは、客観的な論拠から、事件増加を単純に示すものではないと言 われているものだ。犯罪社会学的に、アグネス氏の説明は非常に不適切で、誤解を招くものであった。
 「視点論点」は、もっと多角的な視点を提供し、視聴者に判断材料を与える番組だと思っていた。意見が対立している公共の問題について、アグネス氏のような一方的なプロパガンダ放送が許されるなら、規制強化反対の立場の論者にも登場させ、できるだけ多くの角度から論点を明らかにし、公平に取り扱うべきである。


追記:6/16
後藤氏は、最新のブログでも、問題の内閣府の世論調査の数字を使っています。
http://www.law-goto.com/blog/archives/13
「内閣府の世論調査によると90%の国民は単純所持を禁止する考えに賛成しています。」
しかし、CG・漫画の規制の話に触れなくなった。理由は、選挙対策しか思いつかない。

恐らく、みんな党も、単純所持規制と創作物規制をセットで主張する後藤氏の危なさ、不人気さを理解したのでしょう。しかし、単純所持規制のみにしたからと、それが党のアジェンダである「生活重視」につながるというのは、流石に無理なコジツケだ。いくら他に、党のアジェンダと一致する主張が、後藤氏に一切ないとはいえ、苦しすぎる。
http://www.law-goto.com/
「生活重視」って、今までそういう意味じゃなかったじゃないか。

しかも、ブログのタイトルの「児童ポルノを楽しむことは自由だという民主党政権に国を任せて大丈夫か」というのは、酷過ぎる。いくら民主党だって、そんなことは言ってないだろうに、こんな三流の煽り方、恥ずかしくないのだろうか。常識的な判断力があれば、元々余程の反民主な人でなければ、こんなタイトルのブログを書く人に、共感できまい。つまり、何も支持拡大につながらないブログだ。

みんなの党は、自らのアジェンダのみを主張していれば良いのであって、その他大勢と一緒になって反民主ばかり唱えてたら、自ら存在意義を失う。初心にかえって欲しいものだ。

そんな中、みんなの党の山田太郎候補が、規制強化反対の姿勢を明確にしている。
http://www.yamadataro.jp/blog/534
7日にブログが更新されていたことを今知ったのだけど、自分も、後藤氏の擁立が決まった5日に、山田氏に直接、twitterで意見を伝えていた。そういった意見に答えていただけたのだと思う。やはり、党としての姿勢は、固まっていないということだ。すると、後藤氏が落選して、山田氏が当選すると、個人的には嬉しいw

ということで、党の支持とは関係なく、比例区は山田氏の個人名での投票をするか、考え中。

山田氏は、かかった選挙費用をHPで毎日更新して公開してるのが面白い(^^;
http://www.yamadataro.jp/

あと、やっと、非実在青少年の都条例改正案が否決された!
http://togetter.com/li/29598
これ、Twitterがなかったらと思うとゾッとする。Twitterが民主主義を実現させたと言っても良いのではないだろうか?

しかしこれは、終わりではなく、まだ始まりなんだろう。


さて、新司法試験への1回目のチャレンジが終わった。とりあえず、来年へ向けて、もう一度ガンバロウと思う(苦笑)

ということで、試験後最初のエントリーは、非実在青少年絡みだ。決して、試験の逆恨みとかで、大御所批判するのではないことを断って、本題に入ろう。


僕は全く好きになれないけれど、司法試験の世界じゃ、刑法の前田と言えば超有名。大御所。多くの学生が、氏の基本書で勉強しているのは事実。

でも最近、前田というと、非実在青少年の都条例を無理やり推進する、とんでもない刑法学者として、受験生以外に悪名が轟いてる。吃驚するくらい、前田氏自身の乱暴な発言が、一般の人々から叩かれてる。

昨日は、都議会総務委員会で、非実在青少年の例の条例の件で、賛成派と反対派の意見聴取みたいのがあって、前田氏も呼ばれてた。
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010051801001071.html

で、委員会を傍聴した方が、発言を伝えてくれているので見てみると、かなりヒドイ
http://togetter.com/li/22016

ついでに、前田氏同様の規制賛成派の赤枝発言も、結構スゴイ。上で抜けてる発言について以下参照。
http://twitter.com/himagine_no9/status/14230469964
http://twitter.com/sugahiyo/status/14231736740


ちょっと前田発言を拾って、つっ込み入れてみよう。

-->
>日本語なんで不明確なものはあるんです

条例改正案の規定が不明確だと、自覚してるんですね?

>非実在青少年という言葉は不当なものだと思わない

不明確だけど不当じゃない、と?

>科学的な根拠はなくても規制は出来る

規制の根拠は無い、ということでヨロシイか?

>健全育成のために誤った男女観とか、幼稚園児が犯されるものは排除するべき

「誤った男女観」て...あなたの主観で言うところの不健全な価値観を排除したいんですね(苦笑)

>早く中身を変えずに成立させて、マンガ家たちも納得できるガイドラインをつくるべき

「中身を変えずに」って(^^;
修正する気は全然ないのですねwww

>法律はどんなに厳格につくっても悪用出来る。今回の改正案が不明確で悪用されるものとは思わない

厳格につくっても悪用されるのに、不明確だけど不当じゃないから悪用されないって?
スゴイですね。そちらのロースクールじゃ、そんな答案書いても点数もらえるのですか?
合憲限定解釈でもするので?
そちらのローの、憲法の教授のご意見を、是非うかがいたいですね。

>裁量の余地のない法律なんか作れない。だから私ら飯が食える

裁量の余地のない法律が「作れない」のと、「作らない」のとでは、全然意味が違う。
あなたを食わせるために、不明確で裁量の余地のある法律をあなた自身が作るって、どんなマッチポンプですか?

流石、新派的と言われるだけあって、罪刑法定主義を重視しないんですね。

>東京都も最初は規制の強化をしたりしないよ

「最初は」て...徐々に規制強化するつもりなんですね、わかります。
<--


とまあ、つっ込みどころ満載なんだな。

ところで、前田氏といえば、一応結果無価値だ。

結果無価値だけど、社会防衛的発想という意味では新派的とか言われる。
結果無価値を前提に、国民の規範意識で処罰に値する程度の法益侵害、というモノサシで、違法性を考える。実質的犯罪論というやつだ。

すると今回、「科学的な根拠はなくても」、氏の言うところの「健全育成のために誤った男女観」は、国民の規範意識に従って違法性が認められる、と言いたいのかもしれない。


えーとね、現代の国民の規範意識はですね、あなたの理解しているものと、全然違いますよ。あなあのその価値観、非常識で、めちゃくちゃ少数派ですよ。

>パブコメなど踏まえて条例案は絞った

とか言ってるけど、規制賛成派はたった1%らしいから、もう一度、国民の声に耳をかたむけてくれませんか?
http://www.mangaronsoh.com/archives/2642543.html

それとも、昔からライフワークだから、耳なんて貸せませんか?
http://www2.gol.com/users/mct/GTmaeda/sankou.htm#sankou4

申し訳ないけれど、これじゃ全てが、マッチポンプにしか見えないですよ。


あと、もう面倒だから、行為無価値に鞍替えされてはいかがで?


蛇足:非実在青少年関係で、こんな本が出るらしいので、読んでみたい。

追記:5/25
前田氏の発言が、もっと詳細にまとめられたので、リンク。
http://d.hatena.ne.jp/cuervo/20100525/p1
酷すぎ(苦笑)
この人、同じことを、同業の法学者に対しても堂々と言えるのだろうか?
相手が素人とだと思って、馬鹿にしすぎじゃないか。
都は、少なくとも憲法学者を呼ぶべきだし、刑法学者にしても、前田氏と異なる意見の学者の方がむしろ多いと思うから、他の学者も呼ぶべきだ。

ついでに、社団法人日本PTA全国協議会から、面白い調査結果が公表された。
http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201005230134.htm
http://www.nippon-pta.or.jp/material/pdf/17_mediahoukoku.pdf
親たちは、条例等による自治体の規制や有害図書の範囲の拡大は、望んでいないそうな。

これが、現実の「国民の規範意識」ですね。

「立法事実」でも「立法せざるを得ない社会的事実」でも構わないけど、どっちも、欠片もないみたいです。非実在立法事実でしょうか?(苦笑)

なお、上記調査結果は、携帯などのフィルタリングについても、色々と面白い結果が書かれてるので、時間がある人は是非ご覧あれ。

例えば、子供の携帯等のフィルタリングは、そういった制度が充実すること自体は望んでる親が多いけれど、約4割の親は、フィルタリングを導入せず、又は導入後に解約している。そのうち、サービスを知らない親は2割にも届かず、半数以上が、「子供を信頼しているので」意識的にフィルタリングを導入していない。

都は、フィルタリングの導入率が低いからと、その強化を狙っているわけだけど、親が子を信頼することって、そんなに悪いことなの?

追記:5/27
山口弁護士が、「東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案に反対する請願署名」を始めたとのこと。
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2010/05/post-6e5c.html
今まで、こういう署名とかやったことなかったけど、今回は初めて、署名するよ。


最近、小沢問題関連で、検察批判の声が増えてる。

これに関して、数日前にTweetしたけれど、無反応だったので、ちょっとまともに書き起こしてみる(苦笑)

確かに捜査機関の捜査手法には、問題が多い。従来から弁護士会などが問題視している点は、今後も改善を強く働きかけるべきだろう。しかし、全てを「検察権力の暴走」などと単純化して非難する人々は、重要なことを忘れてる。

令状主義の我が国では、逮捕状も勾留状も、発布するのは裁判所である。

例えば、石川議員の逮捕や勾留を非難してる人は、その必要があると認めた裁判所については、どう思ってるのだろう?

本当に、理由らしい理由が無いのに勾留されてるなら、悪いのは、勾留請求などをした検察よりも、それを認めた裁判所だろう。検察がいくら暴走しようと、裁判所がまともなら、根拠なく国民を逮捕・勾留なんてできない仕組みになってるのが、刑事司法のタテマエ。元々、権力は暴走するのが当たり前だから、それを防止する仕組みが制度に埋め込まれているのだ。

弁護人は、逮捕・勾留中の依頼者の釈放のため、勾留理由開示請求や勾留取消のための準抗告を申し立てることができる。しかし、それが認められるかどうかだって裁判所次第だ。


ところが、この国の刑事司法の問題点は、検察と裁判所が仲良しってところにある。
刑事訴訟は99%以上の有罪率。だからこそ、裁判員制度への期待も大きいわけだ。


だから、捜査手法を非難したい人は、検察の暴走を非難するより、暴走させないためにある裁判所の機能不全こそ非難すべきだろう。(ま、今回の件で実際に機能不全なのかは、知らない(^^;)


更に、捜査情報リークの問題に関しては、刑事事件だけの問題じゃない。記者クラブ問題など、マスコミが元々抱える、情報操作一般の問題だ。政治や政策の問題なんかでも、官僚等が意図的に情報リークして、マスコミを操って世論を操作するのは、日常茶飯事ではないか。記者は、提供された情報と異なる記事を書けば、以後締め出され、その会社全体が干されたりする可能性もあるわけだ。

そういう、日本の報道全般の問題を、今回たまたま検察だけ狙い撃ちするのは、「木を見て森を見ず」ではないか?

要はマスコミは、情報戦の一方の道具に成り下がらない手法を確立すべきだ。刑事事件に限らず、政治や政策の話題でも、「関係者」のリーク情報を垂れ流さずに済むように、自己批判すべきだ。


個人的には、多少行き過ぎた世論の力で、今までの刑事司法の問題点の一部(取調べの可視化とか)でも解消できちゃったら、それはそれで望ましいとも思ってる。きっと、刑事訴訟専門の弁護士などは、シメシメと思ってるかもしれないw

しかし、過度の検察不信が裁判員裁判に与える影響なども、気になる。
捜査機関の権威が必要以上に失墜することは、それはそれで望ましくないだろう。

間違っても、今後一切検察が政治家を起訴できなくなるような事態は、非常に困る。検察の高い鼻をへし折るくらいは構わないが、彼らが再起不能になるまで殴り続けてはいけない。権力と権力の均衡は、絶妙なバランス感覚が求められるだろう。


日本の国際緊急援助隊(通称JDR)25名は、ハイチ地震から5日以上たって、やっと現地入りした。阪神淡路から15年の1月17日、TVで特番が流されていた時点では、まだハイチに到着していなかったので、TVを見ると複雑な思いがした。
「緊急」って意味、なんだっけ...

残念過ぎる対応の遅さに、疑問を持つのが当たり前だ。
四川の時は、あんなに対応が速かったじゃないか。

それが、外務省のカリブ室の担当一人の資質が原因なら、残念を通り越して、情けなさ過ぎる。
http://blog.asaikuniomi.com/?day=20100115
上記ブログには驚いた。


しかし、昨日の外務大臣の会見現場からのある記者のTweetによるとこうだ。
http://twitter.com/kamematsu/status/7938044491
つまり、元々PKO部隊が行ってる治安の悪い国だから、武器を持っていけない現行法で丸腰でいきなり救援に行かせられなかったから、ということだ。これは問題だ。

すると、他国の救助隊等は皆、武器を携帯していたのか?

アイスランド外務省の広報官は「我々は日本と同じ地震国で経験がある。財政が厳しくても、助けを求める声に応じるのは当たり前だ。」と言ってるそうだが、今回地震から24時間足らずで現地入りした彼らの救助隊は、武器を携帯していたのだろうか。是非聞いてみたいものだ。

しかもJDRは、ハイチに直行せず、JALのチャーター機でマイアミまで行って、アメリカで訓練中だったとかいう自衛隊機に乗り換えてハイチ入りしている。"偶然"自衛隊機を使えて良かったね。TV的には、良い宣伝になった?

でも、マイアミで時間無駄にしないで、直行便チャーターしなさいな。
出発までに時間かかったのに、まだマイアミで、ハイチでの治安状況、安全確保対策等を確認していたなんて説明、誰が信じますかいな。
あ、例の外務省のカリブ室の一人が、ここでも手際が悪かったのですか?(苦笑)

アイスランドの救助隊を運んだのは、アイスランド航空のチャーター機で、帰りには80人の外国人をパナマに脱出させている。他国は民間機ですよ?

あ、まさか、我が国のナショナル・フラッグ・キャリアは、債務超過でハイチまで飛べませんでしたか?
アイスランドなんて、国全体が債務超過なのに(苦笑)

そりゃJALといえば、かつてイランなどからの在外邦人救出ですら、危険だからとフライトを拒んだ会社として有名だけど...まさか今回も断りましたか?


我が国の外務大臣の発言が問題だと感じるのは、現行法を諸悪の根源にしている点だ。
法律があるから、人命救助できなかったとなれば、法律を改正しろという世論が形成される。では、「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」で可能なこととは何だろう。同法3条2項によれば、自衛隊が派遣できるのだが...

JDRには本来、救助チーム、医療チーム、専門家チーム、自衛隊部隊の4構成があり、その役割の違いは、以下のJICAのサイトに説明がある。
http://www.jica.go.jp/jdr/about.html

ところが今回派遣されたのは、現時点でまだ医療チームのみだ。
その医療チームは今、現地でスリランカ軍に護衛してもらっている
http://www.jica.go.jp/information/jdrt/2009/100119.html
スリランカ軍も、護衛なんて頼まれなけりゃ、救援活動手伝えるだろうに...なんだか申し訳ない気持ちになる。

他国の軍隊に護衛を依頼するほど危険なら、そもそも自衛隊部隊も一緒に送りなさいな。たとえ武器が携帯できなくとも、自衛隊部隊がこの場面で無用という第一判断は、どうやって導き出されたのさ。法律を非難する前に、法律で最大限可能な活動を最初からしなさいな。何日も何日も検討時間を費やしたのだろ?


そして、自衛隊部隊派遣の話がやっと出たのは、18日になってのことだ。
「【毎日jp】ハイチ大地震:自衛隊派遣準備を指示 防衛相」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100119k0000m010066000c.html
この対応の遅さは、最早人災。法律のせいにしなさんな。


さて、整理してみよう。

1、異常なまでのJDR派遣の遅れ
2、パフォーマンス的な自衛隊機の使用
3、それに続く自衛隊派遣の決定
4、法律で可能な最大限の選択をせず、武器を携帯できない法律のせいで対応に時間がかかったかの発言をする外務大臣


この状況で逆算的に、迅速な対応を可能とするにはどうしたら良いかと考えれば、「自衛隊に武器を持たせて海外派遣できるようにすべきだ」、ということになる。

なんのことはない。これは、自衛隊法改正の議論だ。まさかこの場面で使われるとはな...

かつては、邦人救出に手間取って政府が批判される場面で、「だから自衛隊法改正を」という世論が形成され、2006年の改正で緊急時の在外邦人輸送が本来の任務になったばかり。対応が遅れた事実+法律が悪い、となると、法改正は楽なのだ。

まさかと思いたいけれど、外国人の人命を政治に使いなさんなよ...


しかし、外務大臣の説明が信用できないのは、訳がある。
http://twitter.com/uesugitakashi/status/7937782751
http://twitter.com/uesugitakashi/status/7937836417
自衛隊派遣を選択した後なのに、外務大臣自身は、駐日ハイチ大使と支援について確認してないってのは...

外務大臣は、自衛隊派遣の前に、駐日ハイチ大使と直に会うことくらい、すべきなのではないか?その必要もないの?

追記:
「【毎日jp】ハイチ大地震:治安の悪さ、自由な救出活動阻む」
http://mainichi.jp/select/today/news/20100121k0000m030039000c.html?inb=fa
他国の救助隊も、PKO部隊の警護を受けていることが分かった。つまり、自衛の手段など、他国の救助隊も準備していなかったということだ。それでも、迅速に現地入りしたのだ。我が国が無駄に時間を浪費している間に、後から治安が悪化したというのが、実際のところだろう。

言うまでもないけれど、現地で頑張ってるJDRの医療チームの方々や、これから派遣される自衛隊部隊の方々も、個人的には何も非難する気は無い。問題は政治。

少数意見

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喪中なんで、新年の挨拶はナシってことで、新年一本目をどう書くべきか迷ったけれど、たまには法科大学院の学生らしいネタの紹介を(自爆)

以前、朝日のGLOBEが良いと書いた。
http://maruko.to/2009/12/globe.html

実は、上記のJALの前の特集が、「日米最高裁 少数意見が社会を変える」だった。
http://globe.asahi.com/feature/091102/

これも、凄く良い特集だったので、取り上げてみる。


ここで言われている「少数意見」とは、最高裁の判決文に、一見オマケのように追記されてる補足意見や反対意見のこと。判決文に反映された多数の裁判官の意見ではなく、採用されなかった少数派の意見。

実は、これの重要性は、法科大学院に入った当初、ほとんど理解していなかった。憲法の授業で先生に重要と言われても、全然ピンとこなかった。「なんで?採用された多数派の判決文だけ読めばいいじゃん。それでも膨大で、読むの大変なんだから...」という感じ。

多分、世間一般の感覚としても、判決に採用されない少数派裁判官の意見の重要性なんて、気にする人はいないだろう。

もっと言うと、民主主義一般における少数派の救済の仕組みなんぞ、考えたこともなないかも。


上記特集の中の誰かのインタビューにも出てくるけれど、民主主義と立憲主義は、時々矛盾する。民主主義だけに任せると、いつの間にか少数者は抹殺される。だから、基本的人権を尊重する立憲主義が必要になる。それが、我が国の採用する立憲民主主義。

ところが、立憲民主主義の要である最高裁だって、裁判官の多数決だ。そこでも採用されないのが、この特集の「少数意見」。これが、社会を変えることがある。つまり、立憲民主主義の要の中の要、というところだ。

何十年前の「少数意見」が、現在の「多数意見」に変わる瞬間が、立憲民主主義が機能した瞬間とも言える。「少数意見」とは、未来のあるべき姿を予見していたりするわけだ。


そういう視点で、この年始に、上記記事を熟読することをオススメする。

なんでかって?

先月、最高裁の裁判官は3人交代した。2人が定年、1人が亡くなったからだ。
あと半年で、更に3人が定年を迎える。
たった15人の最高裁で、短期間に6人もメンバーが交代するわけだ。

今年は、かつての「少数意見」が「多数意見」に変わる瞬間を、目にするかもしれない...

父のこと

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しばらく更新に時間がかかってしまったが、10日に父が他界し、ドタバタしている。

なので、全然つっこみネタではないが、父のことを書いてみようと思う。


父は弁護士だったが、自分が弁護士を目指しているのは、父とは関係ない。法科大学院を受験した時も、父には秘密だったし、そもそも父の仕事振りを見て、あんな仕事は嫌だと思っていたくらいだ。

しかし、社会人経験をつむうちに、法の必要性を実感し、父とは全く異なる弁護士を目指し、勉強を始めたのだ。父から法律の勉強を教えてもらうようなこともなく、死の数日前にも、弁護士に向かないと言われた(^^;

ところが、長期間病室に寝泊りし、看病していると、必然的に父の仕事を目にする機会に恵まれた。何しろ父は、個室の病室で、先月末まで仕事を続けていたのだ。携帯電話があれば、大概の仕事は可能であり、顧問先の方々は、父が入院中であることを最後まで知らないままだった。

痛み止めのモルヒネの多用のせいか、意識が朦朧としている時間が増えても、相手から書類が届くと急にシャキッとして、短時間で顧問先への的確な指示をまとめ、ワープロ打ちの指示をしていた。とても教室事例では出てこないような、登記絡みの複雑な問題でありながら、ほとんど金にならない内容で、「こんなのを受任する弁護士は他にいない」と言っていた。逆に、だからこそ、解決の目途を立てようと、自らの死後も顧問先が相手方に騙されないように、将来の争いの火種を摘もうとしていた。寝言でもその仕事の指示が聞こえた時は、「こりゃ敵わないな」と思った。


考えてみれば、父は以前、永田町で1人で事務所を切り盛りしていた。子供の頃は、全く理解していなかったが、隣の部屋は新自由クラブで、隣のビルは自民党本部という立地で、弁護士1人の事務所を維持していたというのは、恐らく並大抵ではない。(仮に自分が運良く新司法試験に受かっても、そんなところに事務所を開く自信はない(苦笑))

しかし、十数年前に大病を患い、完治したけれど、事務所を維持することに不安を覚えた父は、新規案件を受任せず、十年かけて永田町での仕事を片付け、数年前に実家近所に事務所を移した。弁護士というのは、引退することが大変な職業なのだ。

そして更に昨年、そこも閉め、実家に事務所を移した途端、胃癌が見つかり、引越しの一週間後に胃の全摘手術を受けた。その後順調だったが、癌の転移が確認されたのは、この夏の話だ。余生を楽しむのは、これからだっただろうに。


そんな父は、実は検事希望だったそうだ。ところが、検察修習中に担当させられた殺人事件で、子を殺した母に心底同情し、起訴猶予としてしまう。何度もダメだしを食らいながら、殺人事件を起訴猶予とする起案を繰り返し、ついにそれが認められ、実際に起訴猶予とすることと引き換えに、「お前は検事志望を諦めろ」と言われ、弁護士となったというのだ。

事案の概要を聞いたら、自分も涙が出てしまったが、だからといって、それを起訴猶予にするような説得力のある論述は、今の自分にはとても不可能だ。なんと、何十年前の年下の父にも、自分は敵わないのだ。これは衝撃的だ。


極めつけは葬式だ。弁護士は嘘つきだらけだと、同業者が嫌いな父の意思を汲んで、葬式に弁護士が大挙することを避けるため、弁護士会に死を伝えたのも数日後だった。内々でこじんまりと済ませるはずだった。しかし、それでも多数の方に参列していただいた。どこで聞きつけたのか、かつての依頼者の方々にも駆けつけていただき、有り難いお言葉をいただいた。ある刑事事件を起こした元少年で、父に助けられたという今は立派な大人が、会場のロビーで号泣していた。第三者からの父の評価を知ることで、改めて、今更ながら、父の仕事を理解した。


父よ、ちょっと偉大すぎだろ。
もう少し、不出来な息子に超えられそうな部分を残してくれよ。

え?三振ギリギリでの合格を目指しても、父より早いって?
わかった。ちょっとストップしてたけど、勉強再開するよ(自爆)

Winny事件についてのブログが、久々に更新されていた。
そしたら、NHK記者による、とんでもない弁護妨害の手紙が公開されていた。

http://danblog.cocolog-nifty.com/attorneyatlaw/2009/10/post-785f.html

手紙の内容の酷さに驚いた。

NHKは、こういう露骨な手法でインタビューに応じさせようとする記者が在籍していることを、組織として把握しているのだろうか?

この記者は、こんな脅し方で、いつもインタビューを得ているのだろうか?

ちょっと、余りに驚いたので、ここで取り上げてしまったが、Winny事件とは別にしても、この種の問題はもっと話題にされるべきだ。

高裁、無罪になって本当によかった。
http://danblog.cocolog-nifty.com/index/2009/10/winny-0ca7.html

全く面識もなく、こんなところから言うのもなんですが、おめでとうございます!


>10/9 追記

そういえば、Winnyといえば、最近こういう状況になってる。

「Lessigが案じた未来がここにあった」
http://maruko.to/2009/09/post-67.html

こういう監視が許されるのかどうかという問題は別にして、Winny利用者は、他者にプライバシーを侵害され、CCIFや捜査機関から監視されている可能性が高いということは、自覚した方が良い。

フォーサイト10月号に、司法改革関連の記事が2つあった。
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/20th/2009/09/0910cont.html

1つは、会計士と弁護士業界に共通した問題として、資格試験の合格者を増やしたけれど、今になって業界側が減らせと言い出している話。
「不況で方針転換する会計士・弁護士業界の迷走」
もう一つは、再編の始まった法科大学院の、集客合戦の話。
「大再編が迫る法科大学院の「集客合戦」」

前者は、業界の既得権益保護に批判的な内容で、後者は、法科大学院構想に反対の法曹の言い分を紹介しており、偏った印象を受ける。こういう、対照的な記事の載せ方は、フォーサイトのバランス感覚だろうか?

来年の新司法試験受験予定者として、当然、後者につっこみたい(苦笑)

第1回の新司法試験の合格率が48%で、第4回の今年が27%で、ここまで下がったのが、弁護士の就職難や質の低下を受けてのこと、という指摘に対して。


受験生以外知らないだろうが、旧司法試験と新司法試験では、試験問題のレベルが、新司法試験の方がはるかに高い。例えば、今年の旧司法試験の論文試験は、全科目の合計で、問題が6ページしかない。1問の問題文が、10行程度しかないものもある。しかも、読めば一目で、論点が分かるような問題だ。ところが新司法試験は、1科目で10ページ以上なんて、ザラだ。旧司法試験では求められなかった、事例分析能力が問われており、論点を見つけられるかどうかから、試される。

当たり前だが、例えば弁護士は、依頼者が相談してくる雑然とした事実関係の中から、依頼者のかかえる法的問題点を探し出し、解決に導く。旧司法試験は、いきなり法的問題点が問になっているのに対し、新司法試験は、雑然とした事実関係が示され、依頼を受けた弁護士の立場で、具体的な攻撃防御方法を問われたりする。なので、新司法試験の問題文の大半は、前提となる事実関係だ。そこから、法的問題を抽出できなければ、ゲームオーバー。

逆に言えば、難関と言われた旧司法試験は、複雑な事実関係から法的問題を抽出できなくとも、合格できた。そんな能力は、問われなかったからだ。他の違いは、口述試験があったことだろうが、それにしても超難関だったのは、単に合格者数が極端に絞られていたからだと言える。そもそも、受験科目数からして少ない。昔の弁護士は、勉強する必要の無かった法律分野が、新司法試験には増えているのだ。

そして、弁護士の質の低下が叫ばれ始めたのは、新司法試験の合格者が現場に出るより、前からだ。法科大学院構想に反対していた法曹たちが、既に質の低下を訴えていたのだから。

思うに、旧司法試験で合格した法曹のうち、新司法試験で合格できる割り合いは、かなり低いだろう。また、最近の多くの法改正に対し、年配の弁護士などは、すでに追いついていない。改正された法律を知らない弁護士など、少なくない。新司法試験の受験生には必須の法律科目だって、全く学んだこともないなどという弁護士はザラ。そんなものは、依頼者が現れた時点で、勉強すれば良いと言う。もしくは、その分野の仕事が来たら、断る。

質が下がっているというなら、具体的にどの試験で合格した人物が、どういう質を下げているのか、はっきりさせるべきだろう。もちろん、新司法試験の合格者にも、資質に欠ける者がいるかもしれない。合格者数が増えれば、相対的に資質の欠ける人物の数が増えるのも当然だ。しかし、リーガルサービス全体の質の向上という観点から、プラスかマイナスか、第三者が客観的に測定し、論じるべきだろう。質が低下したと、既得権益層から言われても、鵜呑みにすべきでない。

そうした問題意識を前提に、合格率の低下について説明する。


新司法試験第1回とは、その年の法科大学院の卒業生しか受験者がいない。しかし、第2回は、第1回の不合格者と、その年の法科大学院の卒業生が受験する。第3回は、第1回、第2回の不合格者と、その年の法科大学院卒業生が受験する。つまり、毎年卒業生が出る以上、3回不合格で受験資格を失う者が、新規の卒業生数を上回らない以上、受験者数そのものが増加する。しかし、合格者数は、法務省のさじ加減で劇的には増えないのだから、毎年合格率が下がるのは、当たり前の話だ。そんなことは、法科大学院関係者なら、誰だって知っている。確率が下がることは、誰もが予測済み。合格率が7割だとか言われていた頃に、それを信じて法科大学院に入学した学生は、既に三振を終えているか、来年の受験で最後という人が大半だろう。

つまり、少なくとも今年の卒業生あたりは、合格率が3割程度であること自体は、入学前から予測している。全国の法科大学院の学生数と、新司法試験の合格者数の目標値は分かっているのだから、何年も前から簡単に予測可能だ。

だから、学生の側からすれば、合格率の低下自体は、大した問題じゃない。しかし、今年の最大の問題は、合格者数が減らされた、という事実だ。パーセントなんてどうでも良いのだ。

司法試験というのは、新でも旧でも、いわゆる合格基準点というのが無い。何点以上なら合格、という試験ではない。単純に言えば、合格者を何人にするか決めて、得点の上から順に、合格にするようなものだ。だから、合格者数が減ることと、受験者の質の低下は、基本的に関連性がない。質を問題にするなら、何点以上が合格か決めれば良いだけの話だが、そういう合理的な主張が無視されるのは、世の常である。

この点は、今年の合格報道は、どこのメディアも皆、大きな誤解を前提に書かれているような気がする。例えば朝日。
http://www.asahi.com/national/update/0910/TKY200909100334.html
-->
下落傾向が続いている合格率は、前年の33.0%をさらに下回る過去最低の27.6%で、歯止めがかからなかった。
<--

誰か歯止めを考えてたのか?(苦笑)

-->
同省が今年の目安とした2500~2900人も大きく割り込んだ。
<--

割り込ませたのは、誰だ(失笑)


今年と去年じゃ、受験者数は1000人以上増えている。昨年の合格率以上にするには、昨年2065人だった合格者数を、2438人以上にしないと、合格率は上がらない。合格率の低下に、誰かさんが歯止めをかけたかったなら、目安通りに2500人以上合格させれば良かっただけだ。初めから、既得権益層の言い分を入れて、合格者を減らす指示を誰かがしたから、歯止めがかからなかっただけだ。間違っても、今年の受験者の質が低下したことを示す証拠は無い。

一部誤解を生んでいるのは、今年の合格者の最低点が、昨年の最低点より155点低くなった点だ。これを見て、質が低下したと誤解している人がいる。しかし実は、昨年と今年とでは、採点基準が変更され、総合評価の満点自体が下がった。昨年までは、350点満点の短答試験の結果が、そのまま総合評価に加算されていた。これが今年から、半分になった。つまり、短答試験が仮に満点でも、総合評価では175点にしか換算されなくなったのであり、最低点が下がるのは自然な結果だ。
-->
なお、何故採点基準が変更になったかと言うと、短答試験の点数評価が大きすぎて、短答の順位を論文試験でひっくり返すことが、ほとんど困難な試験となってしまっていたからだ。よって、論文試験の重みを増すための措置だ。
<--


つまり、合格者数が減ったのも、合格率の低下に歯止めがかからなかったのも、受験生に帰責性はないし、法科大学院の質に問題がある証拠にもならない。単に、誰かの意向が働いただけの結果なのではないか?

メディアは是非、この受験者に対する裏切り行為を、大々的に取り上げて欲しい。かつ、それがどういうメカニズムで決まったか、はっきりさせるべきだ。そういうことに触れず、フォーサイトの記事も、現職高裁判事の「法曹資格者の大幅増員が質の低下を招く」などという警告を引用し、法科大学院の存在そのものを批判して終わっている。非常に、取材不足な記事だ。

驚くべきことに、フォーサイトのバランス感覚か?と書いた、既得権益批判な前者の記事ですら、試験が易しくなったと勘違いしているように読める。「試験を難しくすべきだ」、「試験が易しくなった結果、質が大幅に低下した」という弁護士の主張を、ぞのまま紹介しているのだ。単に、既存の弁護士が、「競争激化による所得減少を恐れている」のが本当のところだという記事の構成にはなっている。しかしそもそも、試験が易しくなったという指摘自体が、不適切である点には触れていない。

法務省のサイトに、旧司法試験と新司法試験の問題文が掲載されている。

旧司法試験の論文問題
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/h21ronbun.pdf
新司法試験の各科目の論文問題(下の4つ)
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h21-22jisshi.html

新司法試験の問題が、素人でも一目で分かるくらいに、旧司法試験より難しくなっている現実は、見れば分かる。新司法試験は、旧司法試験と比べても、過去に無いほど十分に難しく、これ以上試験を難しくするには、単に合格者数を減らす以外にない。

7割合格なんて夢物語は、とっくに誰も抱いてないけれど、2010年に3000人合格させるために、徐々に毎年合格者数を増やしていくというのは、今年の受験生は信じていたはずだ。まさか、合格者数が減らされるなんて、騙し打ちそのものでしかない。誰か、合格者数決定の過程について、情報公開請求すべきだ。きっとそれも、公法の受験勉強になるから、是非(苦笑)


先月、「ファイル共有ソフトを悪用した著作権侵害対策協議会」なる団体が、活動を開始した。頭文字から、CCIFと呼ぶ。
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20090817_309042.html

Winnyのネットワークを監視し、ダウンロードされているファイルを調べ、それがアップロードされると著作権侵害となる可能性のある人物に対し、ISP経由で警告を始めているそうだ。現在まだ、著作権法は違法なアップロードのみ禁じ、私的使用目的でのダウンロードは違法でないので、違法なアップロードに加担させられる可能性を根拠に、ISP経由の警告にとどめているようだ。

しかし、来年1月1日から施行される改正著作権法では、違法なインターネット配信による音楽・映像を違法と知りながらダウンロードすることが、私的使用目的であっても権利侵害となる。いわゆる、ダウンロード違法化である。よって、来年からは警告などという迂遠な方法をとらずに、ダイレクトに訴えることが可能となる。CCIFのオブザーバには、警察庁がいる。改正著作権法をフル活用するための、準備万端といったところだろうか?

著作権法に追加される30条1項3号には、違法なダウンロード行為そのものに罰則規定がない。しかし、行為が違法となった以上、不法行為に基づく損害賠償請求や、不当利得返還請求が可能となるのであって、権利者団体には大きな価値がある。

ところで、FAQの記述が引っかかる。
http://www.ccif-j.jp/activity.html
-->
Q.私が何のファイルを持っているのかを調べることは、盗聴ではないのか。

A.調査では、Winnyのネットワーク上に流通している「キーファイル」(ファイルの要約情報)を収集し、ユーザーが保持するファイルの名称やIPアドレス、接続時刻などを検索・保存できる技術が利用されています。調査に使用されているツールは、Winnyネットワーク上を、通常に流通している情報を取得するだけで、ユーザー間の個別の通信を傍受するような機能はなく、通信の秘密を侵害しません。
<--

はて?
通信の秘密は、いつから、ユーザー間の個別の通信の傍受に限定されるようになったのだ?

通信の秘密の法的性格に関する通説は、表現の自由の保護とともに、私生活の自由ないしプライバシー保護をもその趣旨とする。だから、保障の範囲は通信の内容だけでなく、通信の存在自体に関する事柄も含む。誰が通信しているか、などもそうだ。

例えば、内容が公になっていても、送信者の身元を明かすことまで想定されていないのなら、そこに保護法益が存在するはずだ。言うまでも無く、憲法制定当時、今のネットワーク社会を想定していたはずもなく、条文を文言のみから現代に当てはめて良いわけがない。

「通信」に関する解釈は、「特定人から特定人にあてた意思の表示」=会話を含むという立場から、「遠隔地に存在する特定の発信者と特定または不特定受信者が、特定のチャネルを利用してなすコミュニケーション行為をいう」という立場まで、学説は様々存在する。以下のP6など。
http://www.jaipa.or.jp/info/2005/iw2005.pdf

そして、通信の秘密における侵害行為態様とは、送信者の意思に反した利用が含まれる。

ネットワーク上の、物理的な位置づけから、論理的にはCCIFが受信者だと言いたいのだろう。しかし法的には、送信者の想定していない受信者は、当事者ではないと言うべきで、その解釈は理系的な技術認識とは、別次元の議論だろう。送信者からすれば、CCIFのような団体に受信されるとは、知らないのだ。

ネットワーク上に流通していれば、誰がどんな通信をしているか把握するために、受信者を装って通信を取得することが構わないというなら、本末転倒である。それこそが、通信の秘密が想定している法益(表現の自由や、プライバシー)を侵すのだから、脱法的ではないか。

こんな解釈で構わないのなら、アマチュア無線など誰でも聞ける無線通信には、「通信の秘密」は存在しないことになってしまう。

「通信の秘密」とは、「秘密の通信」ではない。

憲法は、第三者が、受信者を装って、不特定多数の送信者の通信を一挙に解析できる時代が来ることなど、想定していなかっただけだ。そういう場合は、法の趣旨に立ち返って、時代に合わせて解釈するのが、憲法である。現代における通信の秘密の侵害に該当すると、法律構成は可能なはずだ。

そんな危惧をしていたら、こんなブログを見つけた。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20090830.html
このブログ主に、粘着的な気持ち悪さを感じる人は、少なくないはずだ。
これで、産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員だそうだ。

単純な話、この人と何かやり取りしたら、何の犯罪もしていなくても、コッソリと調べ上げられて、プライバシーを侵害される可能性があるってことだ。幸い自分は、P2Pに興味は無いし、ブログ主にIPアドレスを知られる関係(例えばメールをやり取りするとか)でもない。しかしそれでも、抽象的な恐怖を感じる。

普通、誰かの自宅のIPアドレスを知ったとしても、それ以上に行動を調べたりしない。Winnypだからできたとしても、相手が他人に知られたくないであろう私生活に関わる部分まで、まともな倫理観があれば調べたりしない。

現実世界で考えれば当然だが、誰かのリアルな住所を知っているからと、その家からの出入りに関する情報に、興味など持たない。そんなことを調べるのは、それを仕事にしている興信所や捜査機関などを除けば、ストーカーくらいなものだ。

仮に、当初は統計的な目的で、公道を走る車をカメラを多数設置してカウントしていたとして、そこに車のナンバーが写っていたとする。ある日、意見の合わない相手の車のナンバーを知ったからと、それを統計目的で所持していたデータに照らして、相手の私生活の行動パターンをグラフにして弱点を暴き、ネットで公開なんぞするか?

現実の世界では、そういう作業はとても手間と費用がかかるし、完全な情報収集は困難なので、個人じゃ限界がある。ところがインターネットでは、一定の技術を持つ者であれば、通常では考えられないような膨大なデータを収集し、フィルタリングし、特定個人の行動を監視できてしまったという現実が、ブログで示されたわけだ。CCIFのような団体ではなく、一個人でも、同じことが可能なのだ。

恐らく、ここで非難されている「ダウンロード違法化反対家」なる人物は、このブログを見て自分であることに気付いて、今頃恐怖に陥っているだろう。また、そこまで計算して、このブログが書かれているかもしれない。

もっと言えば、無関係の人物であっても、ダウンロード違法化に反対の意見表明をすると、ここで書かれているように児童ポルノをダウンロードしたいからだろうと思われる可能性が生じてしまった。

たった1人の行動をストーカー的に調査した結果のみから、著作権法に関する正当な議論が矮小化されてしまった。言論の自由に対する脅威だし、当該人物に至っては、脅迫されたようなものではないか?

もし、1人ではなく、実はもっと大量にサンプルがあって、ダウンロード違法化に反対する人々の大半が同様であるという証拠を持っているのだとしたら、こういうブログの書き方もアリかもしれない。しかしその時は、同時に、そのように大量のプライバシーを侵害する行為者の倫理観が、ずば抜けてオカシイことを公言するのと同じになるだろう。

というか、最初から、ダウンロード違法化に反対の、ある程度発言力のある特定人物を個人攻撃する目的がなければ、Winnyノード観測システムの接続ログとIPを突き合わせたりしないだろ。

さも偶然、ダウンロード違法化反対家が児童ポルノをダウンロードしていたことを発見したかの書きっぷりで、公共性のある情報を発信しているかの装いだが、当人の行動自体が常軌を逸している。


そもそもブログ主は、「Winnyネットワーク観測システム」なるもので、何故監視しているのか。当初は、純粋にWinnyがネットワークにもたらす弊害に対する、技術的興味だったようではある。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20060716.html

しかし、3年も情報を蓄積し続けた結果、「データから利用者ひとりひとりがどんな行動をしているか、直感的に読み取れるよう視覚化」してしまう。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20090816.html

注釈で、「通信の秘密」について言及している部分はこうだ。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20090816.html#f01
-->
こうした調査は(プライバシーに関わるものにはなり得ても)通信の秘密に抵触するものではないと認識している。ISPなどの通信インフラ上で調査しているわけではなく、通信の当事者である私のコンピュータで行っているものであり、(ユーザ単位のアクセス制限があるわけではない)ファイル共有ソフトは不特定多数に向けた公開サービスであって、Webのクローラが(無断リンク禁止の隠しページも含めて)全てのページを拾っていくのと同列だからである。
<--

自らは通信の一方当事者であり、当該通信も秘密でない、と言いたいのだろう。
自らの正当化理由も、この日付も、そして攻撃対象までが、CCIFと足並みがそろいすぎているのは、偶然の一致なのか?


ついでに、比較に出している事例から推測してみる。ブログ主は、無断リンク禁止の隠しページは、クローラに拾われても良いと考えているようだ。鍵がかかっていない家は、出入り自由とでも言いたいのだろうか?
鍵のかけ方に詳しそうな、このブログ主には、常識なのかもしれない。しかし、隠したいけれど隠れてないというケースは、単にコンピュータやネットワークに関する知識の存否によって生じ得る。知識の無い人間の秘密は、法的保護に値しないのだろうか。アメリカでこんな事件があったのを思い出した(苦笑)
http://wiredvision.jp/news/200806/2008061621.html

こういった例の示し方から、技術的に保護された通信のみが、通信の秘密の対象だと思っているのではないかと、勘ぐってしまう。


まあ、とにもかくにも問題は、自らと対立する言論を攻撃する道具に、使っている点だろう。CCIFの言い分が正しいと、特定個人の行動を調べ上げるような、この様な監視行為も、誰もが許されることになる。IPアドレスは、「偶然知った」と言えば、許されるようだ(苦笑)

できることと、やってはいけないことという線引きは、既に失われている。

問題は、著作権保護の要請の範囲を、遥かに超えていると言えよう。


ところで、もしも同じ行為を、捜査機関が行うとしたらどうだろう?
つまり、何の嫌疑も無い状態から、個人のIPアドレスを手掛かりに、その人物の通信に関わるプライバシーをどこまで侵害できるかだ。

CCIFや、上記ブログ主が言うように、これが通信の秘密の侵害に該当しないとなると、捜査機関が同じ手段を用いることも障害がなくなり、何も嫌疑のない国民であっても、Winnyなど利用していれば日常的に監視が可能となってしまう。令状無しにだ。そんな未来が、来年1月1日から始まるのか?
あ、もうとっくに監視されてるのかな(^^;;;


かつてレッシグが「CODE」で案じた、規制を必要とするインターネットの未来そのものに出会った、と感じた。あの本の後半には、確かこんな趣旨のことが書かれていた。
-->
インターネットは、放っておけば、どんどん規制しやすくなる。それは、過去の仕組みの不完全さがもたらした欠陥の穴を塞ぐのだが、その不完全さとは、実は憲法が保証する欠陥、自由でもある。
だから、ネットの匿名性に価値があるなら、不完全な認証を組み込むべきだし、情報のフィルタリングも不完全となるように、政府の規制によって実現しなければならない。

技術が進めば、不完全なシステムは、どんどん完全に近づく。
不完全(=自由)の価値を守るのが、憲法や法律であって、政府の役目だ。
政府の規制を弱めたからと、自由が実現されるというのは妄想だ。
自由を守るには、適切な政府の規制が要る。

不完全なシステムこそ、多様な価値観を生む。不快な現実が、規制によって全く目にすることがない世界では、何が不快か知ることもないし、現実から目を背けるだけだ。人は、好きなものだけを見ていては、成長しないのだ。

民主主義の根本は、知る権利と、表現の自由だ。フィルタリングは、これを奪う。
<--

政府ではなく、コードを書く個人によって、インターネットの自由が失われるなんて、昔はなかなか想像できなかったんだけどなぁ...

改訂版のVERSION 2.0は、まだ読んでないが、今こそ買うべきかもしれない。

-->追記
偶然、先日の衆議院選挙で落選してしまった元議員のブログの、2006年時点の興味深い記述を見つけた。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/fcacf197b9bd5659faaf21124aa6ef9e
この人の心配した通りの社会になってますね。結局、著作物の権利者団体という、ごく一部の人々の経済的利益を保護するために、多くの国民のプライバシーが危険にさらされることが正当化されるという、不思議な国ですね。この時点ではまだ、「容疑が浮上した段階でプロバイダーに「サーバーの保全要請」をかける」とか書かれてますが、最早そんな必要もなく、日常的に監視できるようになってしまうなんて、この人も驚きでしょう。残念な人が落選したものです。
<--

-->追記2
間違ってた綴りを修正(苦笑)
ちなみに私は、上にも書いてますが、P2Pとか全然興味無いので、もちろんWinnyとか使ったことありません。なので、Winnyで実際に権利侵害してる人を、擁護する気は全く無いです。プロフにも書いてますが、10年以上、著作物の制作現場で働いていた側です。DVDを年に100枚買ったりするくらい、著作物に金を払うことが大好きです(自爆)
しかし、それとこれは、全然別の話。
<--

http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/439171d6f1f2f59d6668ea2ee634499d

この話は、これはこれで重大で、一応広めるべき問題として紹介。

しかし、その問題と別に、上記のブログのコメント欄を見て思ったことを少々。

平和ボケ」を肯定する意見を、非難する意見が出ていることが、なんとも情けない。

自分でも、何かを書く時に「平和ボケ」をバカにするキーワードに使うことはある。しかし実は、「平和ボケ」の存在そのものは、とても素晴らしいことだと思っている。平和ボケの視点で、平和でない他国の紛争を解釈してはいけないだけだ。

ところが、平和ボケが素晴らしいということは、平和の中で暮らしていると、なかなか理解できない。平和ボケし、娯楽文化ばかり発展させる日本を、戦争ばかりしている国の人々が羨ましがっていることなど、正に平和ボケしていると想像できない。

http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfa.livedoor.biz/archives/51504437.html

戦争体験世代が減少し、平和ボケした世代のみになると、実はその状態こそが最も尊い価値があるということに鈍感となり、普通に戦争できる国になるべきだ等と、振り子が戻される。

例えば、「平和のために軍隊が必要」というのは、単純に言えば論理破綻している。しかし、これが正当化されるのは、「外敵」という要因がプラスされるからだ。「外敵」があって、初めて一定程度正当化される、限定解釈付きの理論だ。

なので、本来は程度の問題なのだけど、限定解釈付きの理論であることに気付かないと、限定の程度を超えて修復不可能に論理破綻しても気付かない。

もちろん、「外敵」が存在しない世界なんて有り得ないのだから、原則として論理破綻は無いという主張も可能だ。つまり、一国平和主義は不可能。世界が平和でないのだから、軍隊無しに平和は成立しない。これは、現状認識としては正しい。

これらを前提とすれば、「平和のために軍隊が必要」となる。


そこで、その前提を取っ払うために、自国の平和のために世界平和が必要、なんて言うと、頭がお花畑だと非難される。これがそのまま、憲法9条批判につながる。

ところが憲法は、前文と98条2項で、国際協調主義の精神を掲げている。これを否定するのは、いかに改憲派でも難しい。そこで改憲派は、国際協調主義を肯定しつつ、平和は訪れない前提で、9条を否定することになる。

9条が前提とする平和は夢物語で、現実の平和のためには、邪魔だと。
国際協調主義のため、現実の世界平和のため、軍隊を海外に出せるようにすべきだと。

ところが現実には、国際協調主義自体が夢物語であり、理想に過ぎない。国際協調主義とは、パワーポリティクスを現実主義と言う時の理想主義のことだし、覇権主義の対義語であり、先日まで与党であった自民党が、ひたすら追従してきた、ブッシュ政権時代のアメリカの外交政策の正反対でもある。

つまり、9条という夢物語を否定しつつ、国際協調主義という大夢物語を前提とする点に、改憲派の大きな矛盾がある。これが特に、アメリカを中心とした国際協調主義だったりすると、胡散臭さが倍増する。というか、それは国際協調主義ではない(苦笑)

本来の意味での国際協調主義という夢物語を肯定するなら、9条を肯定したところで、実は大差ない。憲法は元々、国際協調主義という夢物語を前提にするから、9条が存在できるのだ。

憲法は、実現していない理想が沢山詰まった、夢絵巻として存在価値があるので、よく読むととても楽しいのだ。憲法が現実的である必要は、そもそも無い。書いておかないと達成できないことを、忘れないようにメモ書きしているような条文が、努力目標として存在したりする。

過去に実現していない夢だから、今後も有り得ないというのは、人類は進歩しないという前提の理論なので、悲しい。夢が無い理論に、積極的に加担するのは、生きる価値を見失いそうなので、お断りしたい。憲法は、理想であるから、理想は高い方が良いのだ。容易に実現可能な理想なんて、真っ平御免である。

夢物語を長年憲法に掲げられるなんて、素晴らしい平和ボケだ。この平和ボケの素晴らしさを理解できずに非難する、平和ボケした人々の考えは、戦争ばかりの地域の人々からしたら不思議に思われるかもしれない。スゲー、羨ましいよとw

でも、それを「友愛」とか言われると、途端に、理想を掲げること自体が胡散臭くなるからヤメレ...と思う今日この頃。


18日から選挙公示となり、選挙のために、しばらく表現の自由が制限される。

http://www.h-yamaguchi.net/2009/08/post-22b4.html

ということで、17日は駆け込みで、ブログを更新しておいたw
http://maruko.to/2009/08/post-63.html

これを今やったら、公職選挙法146条違反を疑われる可能性が高い。
-->
146条1項:
何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。

<--

んなアホなって感じだけど。

そこで、こんなチャレンジをしている人もいる。是非、広めよう。
http://d.hatena.ne.jp/shinsukeb07/20090810/1249898080
その関連で、公職選挙法そのものの問題が、日経ビジネスオンラインに取り上げられた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090818/202705/

こっちの人は、146条を知らないのか、わざと知らない振りをしているのか不明。
http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/57b7eba2088dd77552fd97a2f20681f8
今日も、バリバリで、見ていて心配になるような更新を続けている。


更に、18日になってもブログを更新している議員が、ちょっと話題になっている。
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/archive/20090818

法解釈の限界を、一歩一歩確かめるような感じかな。
もしも、選挙運動のための内容と認められると、公選法142条違反の可能性も否定できないのだけど、確信犯なのか、絶対の自信があるのか、どちらだろう?

そういや、選挙期間中にブログ更新したことを理由に、今年1月に刑事告発されたどこぞの市長の件は、その後、捜査機関はどう処理したのだろう?


ところで、18日になって直ぐのあたりで、ついつい不注意に、twitterでこんなつぶやきをしてしまった。
http://twitter.com/ranpou/status/3364510993

政治団体名を出していないけれど、政治団体のサイトへのリンクを示して、そこに政治献金したことを内容とする文書を、頒布又は掲示している状況だ。
URLから、あからさまに政治団体名の英語表記が読み取れてしまう。

これが、公選法違反と看做されるレベルなのか、正直、分からない。
しかし、分からないが故に、表現の自由に対する萎縮効果は、抜群だと実感した。
同時に、選挙前こそ一般人が選挙に興味を持って、ネットで議論すべきであって、それが違法かもしれないということ自体、民主主義としておかしい。

公選法146条1項は、表現の自由を制限する法令の違憲審査基準のうち、明確性の原則違反の、「過度の広汎性ゆえに無効」と言えないだろうか?

追記
1月に告発された市長が、またやってくれましたw
http://mainichi.jp/select/today/news/20090820k0000m040079000c.html

市長のブログ「さるさる日記 - 阿久根時事報」
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20090819

なかなか、まともな方です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090325/190003/

クリエイティブ・コモンズが、文化庁の審議会への報告向けに、フェアユースに関するアンケートを行っています。ご意見のある方は、是非回答を。

http://creativecommons.jp/news/2009/07/19/fairuse_enquete.php

何故こういう質問になっているかは、文化庁の著作権分科会法制問題小委員会の前回の議論が関係していると思われます。著作権法には、民法の信義則のような一般条項が無く、フェアユースを一般条項として規定すべきという中山氏の意見と、その真意を曲げて理解し、民法の信義則があるならフェアユースは要らないという松田氏の意見が対立しているようです。

まだ、議事録が公式には公開されてないのですが、
http://twitter.com/tsuda
これを先月24日の午後1時くらいまで遡れば、大体理解できます。
ちなみにこれが、本物の「tsudaる」ですw


自分の回答は、包括的にフェアユースを導入することが、現在既に行われているコンテンツ制作の現場の違法行為を合法化するために必要、という感じで。フェアユースに反対する著作権者は、自ら著作物を創作していないから理解していないのだろうが、制作現場では、既に他者の著作権を侵害しながらアニメ等が制作されていることからすれば、反対すればするほど自らの首を絞めることを理解すべきだと。二次的利用という意味ではなく、アニメやCG等の映画の著作物の制作「過程」は、著作権侵害無しに成立しないのであって、それらを唯一合法化できるのが、フェアユースだと。


総務省の、放送コンテンツの製作取引適正化に関するガイドライン第2版が策定された。

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02ryutsu04_000015.html
本文
http://www.soumu.go.jp/main_content/000030633.pdf

関係する方々は、自社の立場が、どういう権利・義務を有するのか、知らなければ確認した方が良いので、ご参考に。

アニメの製作(このガイドラインでは、製作と制作をあえて統一し、製作と表記している)に関する部分もあったりします。

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0905/31/news004.html
http://event.rakuten.co.jp/medicine/net_signature/

これの悪影響の一つが、早くも明らかに...

http://www.its-kenpo.or.jp/news/2009/news17.html

まあ、僕はもう、会社人でないので、健康保険組合からの薬はもらえないけど、今まではいつも便利だったよ。社員の皆さん、今年薬がもらえないのは、世論を無視した厚生労働省のせいです。

悪いのは、改正薬事法ではないですよ。
改正薬事法第36条の6は、第2類医薬品に関して
「適正な使用のために必要な情報を提供させなければならない」
とあるだけ。

これを勝手に厚生労働省が解釈すると、対面販売が必要になって、ネット販売が禁止される。で、健康保険組合が、会員に薬を配ることも、できなくなる...

こうして、社会に浸透していた有益なサービスを潰して、ウハウハになってる奴ってさ、本当にクソだよ。

http://journal.mycom.co.jp/news/2009/05/25/067/index.html
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/05/11/061/index.html
この問題、ずっと楽天が代表して奮闘していたので、訴えるのも楽天かと思ってた。

そしたら、ケンコーコムとウェルネットか。
よく考えたら、原告適格として適切な判断ですな。
http://www.kenko.com/company/pr/archives/2009/05/post_62.html
元々は彼らの戦いだからね。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20094800,00.htm
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20090520-00000000-nkbp-bus_all.html
楽天自体は嫌いだけど、この問題提起は正しいと思って、かなり以前に署名はしていた。
http://event.rakuten.co.jp/medicine/net_signature/
http://japan.cnet.com/sp/drag/story/0,3800097284,20392676,00.htm

今回、今までの第1類医薬品に加え、第2類医薬品のネット販売を禁止する、時代錯誤もはなはだしい医薬品販売規制は、厚生労働省令だ。改正薬事法は、ネット販売を規制するとは書かれてない。

改正薬事法第36条の6は、最後に記しておくけれど、第2類医薬品に関しての2項の解釈が問題。
「適正な使用のために必要な情報を提供させなければならない」
とあるだけなのだ。

これを勝手に厚生労働省が解釈すると、ネット販売が禁止される(失笑)

法律で、「厚生労働省令で定める」と書いてあるところは、彼らの裁量ってことになるけれど、裁量権の逸脱・濫用ってやつだ。

立法府は、もっと怒って良いよ。
立法しても、文言解釈でいくらでも役所が利権のために自由に省令で捻じ曲げられるなんて、国会は馬鹿にされてるという証拠。

厚生労働省って、気持ち悪いほど、おかしい。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/special/2009/04/07/23049.html
ここまで本当に、心底腐ってると、ある意味スゴイ。
http://hfm78837.at.webry.info/200710/article_5.html
役人の天下り先確保のために、国民全体の利益が省令で大々的に奪われるなんて、この国は面白いにも程がある(苦笑)

そういうことは、もっと隠れて、コソコソやれよw

そんなことを平気でやっちゃうからこそ、厚生労働省は解体すべし、なんて話が出てくるわけだけど、解体されそうだからこそ、今のうちに非業の限りを尽くそうってことで、再就職先を確保するのに躍起なのかと思うと、かなり泣ける...orz

ちなみに、当然MiAUも動いてた。
http://miau.jp/1242288000.phtml

で、法律をお勉強の皆さんからすれば、直ぐに思いつくのが、かつての薬局距離制限の違憲判決だ。

これは、現代版、薬事法薬局距離制限規定違憲事件なのだ。しかも劣化版。

訴訟の結果が出るまで、何年かかるか分からないけれど、覚えなければならない判例が、また一つ増えること間違いなしだ(涙)

仮に、法律の解釈としての厚生労働省(というか大臣)の裁量が逸脱していない場合は、法律が憲法違反だろう。憲法22条1項の職業選択の自由を侵害する、消極目的規制に対する違憲審査は、規制の必要性・合理性の審査と、「よりゆるやかな規制手段で同じ目的が達成できるかどうか」だ。

どう考えても、
「適正な使用のために必要な情報を提供させなければならない」
ために、ネット販売を禁止するより他に、よりゆるやかな規制手段があるだろ(大失笑)

別に、薬局の無い離島や、薬局に頻繁に行けない身障者の便益を例に出して、省令を非難するまでもない。どうやったら、この規制を合憲にできるかいな!

まだ、積極目的規制なら合憲の可能性あるけど、消極目的規制だからな。
最高裁が、仮に目的二分論を採っていないとしても、今回は明確に消極目的規制だ。

厚生労働省の役人が、この昭和50年の最高裁判例を知らないはずがなく、裁判になれば負ける可能性が高いことくらい、知っているのではないか?

それでも、判決まで時間がかかるから、私利私欲はつくせるってことか?

くだらねー

あ、色々意見でてる。
http://japan.cnet.com/panel/story/0,3800077799,20392987,00.htm

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第三十六条の六
①薬局開設者又は店舗販売業者は、その薬局又は店舗において第一類医薬品を販売し、又は授与する場合には、厚生労働省令で定めるところにより、医薬品の販売又は授与に従事する薬剤師をして、厚生労働省令で定める事項を記載した書面を用いて、その適正な使用のために必要な情報を提供させなければならない。
②薬局開設者又は店舗販売業者は、その薬局又は店舗において第二類医薬品を販売し、又は授与する場合には、厚生労働省令で定めるところにより、医薬品の販売又は授与に従事する薬剤師又は登録販売者をして、その適正な使用のために必要な情報を提供させるよう努めなければならない。
③薬局開設者又は店舗販売業者は、その薬局若しくは店舗において一般用医薬品を購入し、若しくは譲り受けようとする者又はその薬局若しくは店舗において一般用医薬品を購入し、若しくは譲り受けた者若しくはこれらの者によつて購入され、若しくは譲り受けられた一般用医薬品を使用する者から相談があつた場合には、厚生労働省令で定めるところにより、医薬品の販売又は授与に従事する薬剤師又は登録販売者をして、その適正な使用のために必要な情報を提供させなければならない。
④第一項の規定は、医薬品を購入し、又は譲り受ける者から説明を要しない旨の意思の表明があつた場合には、適用しない。
⑤配置販売業者については、前各項の規定を準用する。この場合において、第一項及び第二項中「薬局又は店舗」とあるのは「業務に係る都道府県の区域」と、「販売し、又は授与する場合」とあるのは「配置する場合」と、第一項から第三項までの規定中「医薬品の販売又は授与」とあるのは「医薬品の配置販売」と、同項中「その薬局若しくは店舗において一般用医薬品を購入し、若しくは譲り受けようとする者又はその薬局若しくは店舗において一般用医薬品を購入し、若しくは譲り受けた者若しくはこれらの者によつて購入され、若しくは譲り受けられた一般用医薬品を使用する者」とあるのは「配置販売によつて一般用医薬品を購入し、若しくは譲り受けようとする者又は配置した一般用医薬品を使用する者」と読み替えるものとする。

本年の新司法試験終了ということで、果敢に挑戦された方々、お疲れ様でした!
(自分は来年ですが)

とりあえず、各予備校の解説ページを...
http://www.tatsumi.co.jp/shin/tokusetu/090513_shin_sokuhou/

http://www.itojuku.co.jp/shinshihou/shiken/2009shiken_sokuho/index01.html

http://www.itojuku.co.jp/shinshihou/shiken/2009shiken_sokuho/index01-2.html

http://www.itojuku.co.jp/shinshihou/shiken/2009shiken_sokuho/index02.html

http://www.w-seminar.co.jp/shinshihou/info/kouhyou2009.html

なんというか、素直に、来年ヤバイなと、感じております。


日曜に母の日ギリギリ実家に帰り、火曜出社のため月曜は実家に居たら、『赤かぶ検事奮戦記ー京都転勤編ー 悪夢の女相続人』をTVで見てしまった。刑事事実認定論の違法収集証拠な課題をやりながら...

そしたら、赤かぶ検事って、令状主義を没却しまくりで、違法捜査だらけなんで驚いた。

1 公判開始後、捜査しちゃまずいだろ...
2 何が私的な捜査だよ。あんた、自分が国家権力って認識は?
3 全然疎明資料ないのに、捜索差押許可状はどうやって捏造したんだよ...
4 何偶然に、法人のクレジットカード(の履歴?)を差押えてんの?そんなの差押対象に入ってるとは思えない。令状主義を潜脱する違法な強制捜査やんけ!
5 大した証拠もないのに、さも決定的な証拠があるかのように振舞って、黙秘権も告知せずに自白させちゃ、その自白使えないよ...
6 悪徳弁護士に対しては、違法な切り違い尋問っぽかったなw

おまけに実は、司法試験に合格していない特任検事だということを知った。

出てくる弁護士全てが悪徳で、違法捜査する検事が正義のようなドラマで、ある意味泣けた...orz

しかして、赤かぶ検事役のこの方は...
http://www.baijaku.com/
多才で驚いた!

悪いのは台本。


http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6525/

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最先端の科学捜査とされ、最高裁も証拠能力を認めたDNAの鑑定結果が覆った。19年前、栃木県で女児が殺害された足利事件。再審開始を大きく引き寄せたのも科学技術の進展だった。「無罪の決定的証拠だ」。東京高裁から8日、再鑑定結果を通知された弁護団は顔を紅潮。無実を訴え続けた菅家利和受刑者(62)も裁判のやり直しに希望をつなげた。
--

この事件は、多分どの刑訴法の基本書のDNA鑑定のページを開いても、弁護人がDNA鑑定の信頼性欠如を理由に証拠能力を争って、最高裁が証拠能力を認めた(平成12年7月17日...まだ10年も経ってない!)初めてのケースとして紹介されている。それが否定された意味は大きい。

しかし、問題はそこじゃない。
冤罪というのは、違う原因で生まれる。

DNA鑑定を証拠として認めた最高裁決定は、刑事訴訟法の判例百選にも載ってるが、そこの解説文を引用する。
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最後に、本決定について、論評しておく。検査の科学性が未解明である警察犬の臭気検査・ポリグラフ検査等でさえ、証拠能力及び信用性を認めてきた最高裁の治安維持及び捜査の便宜を重視する一連の判断からすれば、上告を棄却した本決定は当然の結論であるということになろう。(鯰越鎰広:新潟大学教授)
--

スゴイ皮肉だ。
裁判所ってのは、科学的かどうかすら怪しい嘘発見器(ポリグラフ)だって、犬だって、信用しちゃうわけで、そんな捜査機関ベッタリの裁判所が、科警研の鑑定を否定するわけなかろーというわけ。

今回DNA鑑定が否定されたのは、別に驚くべきことじゃなくて、当時のDNA鑑定は怪しいというのは、超有名なわけ。

そもそもこの事件は、今回否定されたDNA鑑定以外、主要な証拠は自白しかない。
目撃者もいない。
しかも自白は、遺体の鑑定結果と、殺害方法が違う。
そして当時、菅家氏は、他にも2件の少女殺人事件を自白したのに、その2件は自白が信用できないからと、地検は不起訴。

つまり、3件自白したうち、1件だけ本当だとされたわけだ。
どんな取調べだったんだ?
取調べして自白調書作文した捜査員は、どんな気持ち?

3件中2件が信用性がないなら、もう1件だって信用できないと思うのが社会常識だし、少なくとも2件も虚偽の自白するような状況なら、酷い取調べだったことくら想像できるだろ。でも、想像できない裁判官が多い。

DNA鑑定したのも、事件から1年以上後。
1年数ヶ月以上、常温でビニール袋に入れて保管されてた被害者の下着に付着してた精液(ガビガビ?)と、菅家氏が集積所に捨てたゴミから警察が勝手に採集した精液の付着したティッシュを、鑑定したわけ。(ちなみに、警察が令状なしにゴミを漁ることは、最高裁が合法と認めてる。)

みんな、ナニした後は、ティッシュは便所に流そう...じゃなくて!

そんなのが証拠とか言われても、本当に自分のかすら、信じられないわな。

でも当時、再鑑定のための残存資料は保管されてなかったとされて、DNA鑑定をやり直すことすらできなかった。(だから逆に、今ですら可能な、科警研の結果との比較を、当時は何故認めなかったのか?と、裁判所に聞きたいけど。)

そんなの、一般人なら疑問持つでしょ。

同じ頃のDNA鑑定で、死刑判決になった飯塚事件は、最後まで無罪を訴えていながら、昨年10月に執行された。

一般人なら、「え?こんなあやふやなのに、死刑にして良いの?」と思うようなのが、結構ある。

21日からの裁判員制度、色々問題も噴出するだろうけど、修正しつつ成功させる意義があるわけだ。

WIRED VISION主催のトークセッション
『グーグルの権利覇権と情報流通革命』
骨董通り法律事務所の福井先生ということで、面白そう。

骨董通り法律事務所には、法科大学院のエクスターンシップで大変お世話になったばかり。丁度その時、事務所のメルマガでGoogleの問題を取り上げた直後で、ひっきりなしに問い合わせの電話が殺到していたのが印象的だった。

http://www.kottolaw.com/column_090210.html

http://www.kottolaw.com/column_090323_2.html

コンテンツに偏りがちのエンタメロイヤーとは異なり、クリエイターの創作活動に対する理解の深い先生です。

http://lawandpractice.jp/contents/special/lpro/kotto/legal_p10_1.html

もし、参加を迷ってる人が、参加費で悩んでるなら、きっと損しないので行った方が良い。

その1
その2
その3

前回から間が空いてしまったが、前回の民事訴訟法的なポイントについて松本氏の側から見てから、最後にパチンコ裁判の和解を取り上げる。

前回、著作者裁判とPSソフト裁判がほぼ同時期に係属し、互いに統一的に解決されるべき争点を含んでいたことから、主観的追加的併合や、弁論の併合の可能性があったと指摘した。しかし、松本氏を著作者と思っていた可能性すらある東北新社としても、著作権を西崎氏から譲り受けた際の経緯の不適切さから、松本氏のみが著作者であったら困る状況にあっただろうとも指摘した。だから、互いに西崎氏と敵対しながら、共同訴訟関係になれなかったのだろうと。

どちらの裁判の訴訟物も、判決の効力が他に影響するようなものではないので、必要的共同訴訟(民訴40条)とならないのは当然だが、どの当事者の主張した著作者も異なったので、通常共同訴訟にすらできなかったわけだ。

各当事者の主張した、宇宙戦艦ヤマトの著作者:
・西崎氏:自分
・松本氏:自分
・東北新社:ウエストケープ及びオフィスアカデミー

しかし、そうであるなら、松本氏が著作者裁判を提起したこと自体に疑問が生じる。先に係属していたPSソフト裁判で、両当事者が、自らの主張と異なる者を著作者だと争っていたのであり、どちらが勝つにしても松本氏には受け入れられない裁判だったはずだ。自らの事実上の利益に反する。この場合、松本氏は、PSソフト裁判に独立当事者参加(民訴47条)すべきだったのではないか。

-->
独立当事者参加:民訴法47条1項
訴訟の結果によって権利が害されることを主張する第三者又は訴訟の目的の全部若しくは一部が自己の権利であることを主張する第三者は、その訴訟の当事者の双方又は一方を相手方として、当事者としてその訴訟に参加することができる。
<--

互いに矛盾した理由を元に判決が出るかもしれない2つのタッグマッチ(PSソフト裁判、著作者裁判)を平行して行うのではなく、バトルロイヤル(独立当事者参加)で三者が一気に決着を着けるべきだったはずだ。松本氏の弁護士が、PSソフト裁判の存在を知らなかったはずはない。何しろ、松本氏の訴訟復代理人弁護士は、PSソフト裁判被告のバンダイビジュアルの訴訟代理人弁護士でもあったのだから。

おや?

独立当事者参加となった場合、バンダイビジュアルと松本氏は対立関係に立つ。何のことは無い。この弁護士では、そもそも独立当事者参加など、不可能だったわけだ。敵対する当事者同士の弁護など、同時にできないことは言うまでもない。

両立し得ない事実の主張をしているクライアントを同時に抱えて2つの訴訟を受任していたという事実だけでは、どのように関わるようになったのか経緯が不明なので、安易に批判はできない。単に、気持ち悪いとは思う。

しかし、影響が無い建て前とはいえ、同じ裁判長裁判官で同時期に係属している訴訟で、矛盾する主張をすることが、少なくともクライアントの為に最適とは思えない。弁護士倫理的には、ギリギリセーフなのだろうか...

あまり深入りしてはいけないような気がしてきたので、これ以上触れない。
とにかく著作者裁判は、独立して提起された点からして、民事訴訟法的に不適切だったのではないか、という指摘に留めておく。


さて、最後のパチンコ裁判に移ろう。

東北新社は、平成16年6月、パチンコ機「CRフィーバー大ヤマト」およびパチスロ機「大ヤマトS」等の製品が、東北新社が保有するアニメーション映画「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を侵害しているとして、パチンコ機を製造販売した株式会社三共のほか、株式会社ビスティ(パチスロ機製造販売)、インターナショナル・カード・システム株式会社(PS2用パチンコシミュレーションゲーム製造販売)、および株式会社アニメーションソフト(「大ヤマト」の許諾元(旧:株式会社ベンチャーソフト))を相手方として、東京地裁に損害賠償請求等を提起(平成16年(ワ)第13725号)。
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1274

これに対し、アニメーションソフトの補助参加人として、松本氏と、氏が代表取締役の零時社が参加。つまりこの裁判は、「東北新社v.s.松本氏」というのが、本当の構図だ。三共、ビスティ、インターナショナル・カード・システムら3社担当の弁護士が2名、アニメーションソフトの弁護士が4名なのに、補助参加人の松本氏らの弁護士は12名もいる。

また、この訴訟が係属後、三共らは「CRフィーバー大ヤマト2」等も製造販売したため、翌年、それらの著作権侵害(及び不正競争防止法に基づく請求)を理由に同様の訴訟が東北新社から提起され、三共、ビスティ、フィールズが被告になったが、これは先の訴訟と同日に同じ裁判官らによってほぼ同じ判決がなされているので、特に触れない。
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1275

訴訟提起段階での、東北新社の奇妙な点は、松本氏原作の「大ヤマト」そのものには、何も請求していない点だろうか。松本氏からの許諾で、被告アニメーションソフトが製作した、OVA「大ヤマト零号」のDVD販売に関しても、何も請求していない。つまり、「大ヤマト」そのものが「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を侵害したかどうかは、争われていない。そこから、更に許諾を受けて製造販売された、「大ヤマト」の遊技機等が、著作権侵害と言われたのだ。どうやら東北新社は、「大ヤマト」そのものは「宇宙戦艦ヤマト」とは無関係の著作物という認識を持っているか、翻案された著作物だとは認識していても存在を認めているか、単に松本氏とは争いたくなかったか、ということだろう。当事者と争点を増やしたくなかっただけかもしれないが、松本氏との直接対決を避けようという姿勢だけは、いつも一貫しているのかもしれない。

しかし、「大ヤマト」原作者として松本氏は、これを静観はできなかったのか、結局は弁護士12名を従えて補助参加した。一見、尤もな気もするが、よく考えると補助参加する利益が松本氏にあったのか、大いに謎だ。

-->
民訴法42条:補助参加
訴訟の結果について利害関係を有する第三者は、当事者の一方を補助するため、その訴訟に参加することができる。

<--

松本氏は、被告アニメーションソフトの補助参加人となったのだが、訴外の第三者として傍観していてアニメーションソフトが敗訴したところで、松本氏に対して法律上はおろか、事実上の影響すら考え辛い。判決の効力は、訴外の松本氏に及ばないし、パチンコ裁判の争点に関連する事実のうち、原作者として許諾を与えた側に、事実上利害関係が生じる点が無いのだ。

民事訴訟法的には、補助参加した場合の参加者への判決の効力は、一つの論点である。現在の判例・通説は、「参加的効力説」というのをとっている。この説では、敗訴した場合の判決中の理由にも、補助参加人は拘束される。しかし、勝訴したからといって利益となることなど、ほとんどない。後日、勝訴した理由と矛盾する理由で、被参加人(この場合はアニメーションソフト)から何か不利益な請求をされるリスクを回避できる、という程度である。「あの一緒に戦った裁判で、そんな事実は否定されたじゃないか!」という感じだ。

しかし、ライセンス許諾者側の松本氏は、勝訴した場合にアニメーションソフトから何か請求されるような関係に無いのだ。何か請求される可能性がある場合とは、アニメーションソフトが敗訴した場合しか想定できない。松本氏が許諾した著作物に瑕疵があった(他人の著作権を侵害していた)等の理由で、損害賠償を求められるケースだろうか。この場合、参加的効力説からは、補助参加人は敗訴の責任を被参加人と共同して負担させられるので、損害賠償から免れなくなるという不利益しか生じない。参加せずに傍観していれば、アニメーションソフトが敗訴したところで、その裁判は松本氏に一切関係無いので、後に損害賠償請求訴訟を提起されても、前訴の敗訴理由などに拘束されずに一から争える。一体、松本氏が補助参加した理由は、何だったのだろう。どんな利害関係が成立するのか。

補助参加とは、当事者から異議が出なければ、裁判所は利益の有無などの要件を満たしているか、わざわざ判断しない。自ら不利益を負いに来る者を、当事者らが受け入れるなら、反対する理由はない。

実は、松本氏は、被参加人のアニメーションソフトが唯一責任を追及された、共同不法行為成立の可否について、何も言わなかった。本当は、補助する意思など無いとしか思えない。この視点から、被告らと補助参加人が、どの争点にどう応じたかの違いを見ると面白い。三共、ビスティ、インターナショナル・カード・システムの3被告は、全ての争点に応じている。しかし、アニメーションソフトと補助参加人は、利害関係が異なることが明確なのだ。

東北新社が著作権を有するかどうかという根本的な争点に、アニメーションソフトは争った形跡がない。沈黙は、自白とみなされる(民訴159条1項)。しかし、翻案権は有しないと争っている。対して松本氏は、映画製作者はオフィスアカデミー又はウエスト・ケープだったとして、西崎氏は製作者ではないので著作権を有せず、その西崎氏から著作権譲渡を受けたとする東北新社の著作権を否定。しかし、翻案権に関しては、「不知」と陳述した。不知の陳述は、一応否認との推定を受ける(民訴159条2項)が、争ったという効果は弱い。この争点について、アニメーションソフトが使った証拠は、正に松本氏が東北新社と交わした合意書であったのだ。その合意書の当事者の松本氏が、補助参加しながら不知の陳述しかしなかったというのは、補助しないどころか、険悪な関係すら想像してしまう。

逆に見ると、アニメーションソフトは、映画製作者がオフィス・アカデミー又はウエスト・ケープとは主張せず、翻案権は西崎氏に留保されていると主張したので、西崎氏は著作権者であった必要がある。つまり、映画製作者は西崎氏であって欲しいのだ。しかし松本氏は、そもそも西崎氏が映画製作者とされることが我慢できないので、西崎氏に翻案権が留保されること自体を認めたくないのだ。何しろ、西崎氏との和解で、どうせ手足を縛られているのだから。

アニメーションソフトは、松本氏と東北新社で交わした平成11年1月25日の合意書を生かせれば、OVA「大ヤマト」が「宇宙戦艦ヤマト」っぽくても、製作を正当化できる。三共らの遊技機を保護する以上に、自らの作品もいつ訴えられるか分からない立場であり、西崎氏から東北新社への著作権譲渡時に、翻案権が留保されたと主張することは、価値があるのだ。

東北新社への譲渡契約について、合意書3条によれば
-->
ヤマト作品に登場するキャラクター(人物,メカニック等の名称,デザインを含む)を使用し新たな映像作品(ただし,キャラクター使用以外の行為でヤマト作品の著作権を侵害しないものに限る)を制作する権利は西崎に留保されていること。
<--
と確認しており、同4条2項では、
-->
乙(東北新社)は,甲(松本氏)がヤマト作品に関連する新作の企画を希望する場合,これに全面的に協力する。ただし,甲は,乙に対し事前に企画内容の詳細を通知し,説明する。
<--
と規定されている。つまり、許諾を得る関係には無いというものだ。

同じ合意書は、別の争点でも活用される。それは、東北新社が、三共らの製品について、宇宙戦艦ヤマトの著作権を行使できる立場にあるかという争点だ。この争点は、上記の翻案権の存否に関する争点と背中合わせだが、ここでは松本氏も同じ合意書を用いて主張している。三共らの製品は、守ろうという姿勢のようだ。しかし、アニメーションソフトの主張との差が明快だ。アニメーションソフトは、同じく合意書の3条と4条を使ったが、松本氏は3条を使わず、4条のみを使ったのだ。西崎氏に翻案権が留保されていると解釈できる規定は、何が何でも使いたくないのだろう(苦笑)

映画製作者が西崎氏でないとなると、東北新社は譲渡契約を無権利者と締結したこととなり、せっかくの合意書の前提すら危うい。実をとるアニメーションソフトと、名誉のみにこだわる松本氏のスタンスの違いは、明確と言えよう。結局のところ、補助参加などではなかったのだ。補助参加人の訴訟行為は、被参加人の訴訟行為と抵触してはならない(民訴45条2項)のだ。

-->
45条2項:補助参加人の訴訟行為
補助参加人の訴訟行為は、被参加人の訴訟行為と抵触するときは、その効力を有しない。

<--

結果、正に西崎氏が映画製作者とは認められず、東北新社への著作権譲渡が認められないとする判決が下される。三共らの完全勝訴と言えよう。しかし、アニメーションソフトや松本氏にとって、この勝ち方がプラスになったのか怪しい。負けた東北新社は、当然控訴した。

なお、東北新社が負けたのは、主張がお粗末だったからで、訴訟の経緯を見れば妥当な判決だ。合意書4条2項に対する東北新社の反論は、酷いとしか言いようがない。

「丙4合意書は,丙4合意が成立するに至る経緯からすれば,原告と補助参加人P1との友好協力関係全般についての精神的,営業政策的観点から作成されたものであり,丙4合意書4条2項も,法律的な意味はない。」だそうだ。

精神的、営業政策的観点から、松本氏をだまくらかしたということだ。そんなことが、よく自ら主張できるものだ。こういった、信義に反するようなことを言うから、勝てないのではないか。

また、遡ればPSソフト裁判の際、著作者人格権侵害を主張する西崎氏に対して、東北新社は西崎氏が著作者ではないと争った。その際、ウエストケープ及びオフィスアカデミーが著作者だと主張したのだ。法人が著作者となる場合とは、職務著作(著作権法15条)の場合しかないことは、「その2」で書いた。ところがパチンコ裁判では、西崎氏が映画製作者だったとするために、ウエストケープ及びオフィスアカデミーは実体のないダミー会社だったと主張したのだ。著作権譲渡契約書に、両社が製作者として表示されていた事実について、何の根拠も示さずに「ダミー会社だから、実態は西崎氏個人が製作者だ」と主張したのだ。ダミー会社だったのなら、正に西崎氏は著作者だったということではないか。まあ、相手が異なれば既判力は及ばないので、訴訟戦略上は、裁判毎に矛盾した主張をするのも自由だ。しかし、過去に自らが利用した証拠で負けるというのは、因果応報というものだ。

控訴の結果は、「その1」で書いた通り、訴訟上の和解(和解3)だ。またしても和解だ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081215/trl0812152023017-n1.htm

http://www.tfc.co.jp/news/detail.php?reg_id=203

-->

 本和解は、被控訴人らのうち一部の者が東北新社に対して和解金2億5000万円を支払うことを内容とするものです。なお、本和解成立の前提となる当事者間の合意により、本和解金の趣旨等を含むこれ以外の事情について説明することはできませんので、ご理解頂きますようお願い申し上げます。
 東北新社は、日本のアニメーション史に残る不朽の名作「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を正当に保有する会社として、今後も同作品の権利ビジネスを積極的に展開していく意向です。

<--

この発表から想像できることは以下だ。
・被控訴人らのうち一部の者
→アニメーションソフトは、既に一審判決前に解散してしまった会社なので、どう考えても和解金など出せまい。判決と異なり、実効性のない和解など、するはずが無い。すると、必然的に三共ら遊技機メーカーのことだろう。
・本和解金の趣旨等を含むこれ以外の事情について説明することはできません
→和解金の趣旨が、損害賠償金ではない、別の何かかもしれない。
・東北新社は、日本のアニメーション史に残る不朽の名作「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を正当に保有
→著作権譲渡契約の経緯を正当化できたかは怪しい。正当化できたなら、その根拠を公表することが、東北新社にとって最大の利益のはずだ。正当化でき、和解金の趣旨が損害賠償金なら、誰も隠すべき理由がない。堂々と発表しただろう。

wikiでは、東北新社が控訴審で、著作権の包括移転契約の正当性を証明する証拠を提出したとも書かれている
しかし、その情報のソースが示されておらず、にわかに信じられない。

つまり
・著作権取得を論理的に正当化はできないが、著作権者であることを相手方には認めてもらった。
・引き換えに、損害賠償請求は諦め、何か別の、公にすると都合の悪い趣旨で和解金を得たかもしれない。

2億5千万円を損害賠償以外で出費したとしたら、それが支払側にプラスになるケースとは何だ。何かへの出資だろうか...

想像しても無駄だが、いずれ作品が発表される段階で、何かしら明らかになると面白い。


ところで、著作者裁判とPSソフト裁判で、飯村裁判官の下した判決が確定していたら、どうなっていただろうか。もしくは、PSソフト裁判に松本氏が独立当事者参加して、3者に既判力の及ぶ判決が確定していたら、どうだったろうか。西崎氏が著作者であり、東北新社は翻案権の制約を受けない包括的な著作権者であり、それを松本氏も争えないという既判力だ。明らかになっている事実関係を客観的にみて、最も妥当な結論だろう。単純に三共らに既判力が及ばずとも、パチンコ裁判を避けられた可能性もあるかもしれない。そうすれば、とっくに「復活編」は実現していたかもしれない。

ヤマトの訴訟の歴史を振り返ると、先のことを考えず、その場その場で都合の良いように和解し、和解内容を明らかにせず、権利関係を不明確にして無駄な争いを増やしてきたように見えてならない。

パチンコ裁判での東北新社の敗訴は、何にも増して、最悪だった。破産廃止決定された法人に著作権が残っていたとすれば、さぞ、旧債権者らを喜ばせたことだろう。三共らは、東北新社の著作権を否定できたところで、どれ程の価値があったのだろうか。裁判所は、清算人を選任して宇宙戦艦ヤマトの著作権を換価させ、その配当は、旧債権者らに追加配当されたことだろう。そして、新たに著作権者となる者と、三共らの新たな戦いの幕が...否、そうなることが分かっているなら、三共が自ら著作権者となる可能性もあっただろう。それは、宇宙戦艦ヤマトという作品にとって、幸せだったろうか。

作品を生かすも殺すも、権利関係を明確にすべくアドバイスする、弁護士の責任だ。ヤマトと比べ、僅か5年後の作品であるガンダムとの作品数の差、世界の広がりの差は、比較せずにはいられない。もちろん、作品が多ければ良いわけでも、世界が広がれば良いわけでもない。しかし、法的問題が生じる作品と、生じなかった作品の差は、確実に存在する。マクロスも然りだ。

望むべくは、「その1」で示した懸念が、杞憂であって欲しい。和解の内容が、西崎氏にとってマイナスでないことを祈るばかりだ。過去の争いを水に流し、東北新社、西崎氏、松本氏が協力して「復活編」を素晴らしい作品に仕上げてくれれば、ファンにとって最上の喜びとなろう。不安と期待を込めて、待つしかない。「その1」から読んでくれた方は、是非とも不安と期待を共有していただきたい。

最後に、和解後最初の、東北新社許諾による、藤商事によるパチンコ遊技機のサイトへリンクする。
http://www.cryamato2.com/

素晴らしすぎるクオリティではないか。


その1
その2
その4

西崎原告が、バンダイ、バンダイビジュアル、東北新社らを訴えたPSソフト裁判一審(東京地判平成13年7月2日)において、西崎氏の請求は以下であった。
--
1 被告らは,別紙物件目録1及び2記載の各ゲームソフトを複製,譲渡又は貸与してはならない。
2 被告らは,原告に対し,連帯して金1億円及び内金3000万円に対する平成11年9月15日から,内金7000万円に対する平成12年5月23日から各支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
--
http://tyosaku.hanrei.jp/hanrei/cr/3276.html
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/trials.html#2

主な争点は3つ。
1:宇宙戦艦ヤマトの著作者は誰か
2:著作権譲渡契約に、翻案権譲渡と、著作者人格権に基づく請求の放棄が含まれたか
3:著作者人格権侵害に基づく請求をすることは、信義則違反か

このうち、著作者については、3つの訴訟を通して全てで争われている共通の争点だが、PSソフト裁判での裁判所の判断は以下。
「原告は,アニメ作品の制作等を業としていたが,昭和49年から58年に掛けて,テレビないし劇場用映画である本件各著作物を制作,著作した(なお,本訴において,被告らは,本件各著作物の制作過程について,反証を全く行っていないが,このような弁論の全趣旨に照らして,上記のように認定した。)。」

西崎氏の著作者人格権を否定したい東北新社らは、この点にろくな反証をしなかった。著作権譲渡契約時の添付書類の記述と、作品中のクレジット表記のみから、ウエストケープとオフィスアカデミーが著作者だ、としか反証しなかったのだ。著作者を本気で争うのなら、裁判所の言うように、制作過程に関する西崎氏の主張を潰す必要があったはずだ。「書いてあったから著作者だ」などという反証は、とても本気の反証ではない。

後のパチンコ裁判では、裁判所こそがそのような理由を使う。しかしこの時点では、この裁判と平行して係属していた、「その2」で取り上げた著作者裁判を無視できない。タイムラインにまとめてみた。


PSソフト裁判と著作者裁判は、僅か1ヶ月程の時間差で始まり、共に、同じ著作物の著作者人格権侵害が争われていたのだ。

両方の当事者であった西崎氏の代理人弁護士は、どちらも共通の面子の6名だし、PSソフト裁判のバンダイビジュアルの代理人弁護士は、著作者裁判の松本氏の復代理人弁護士を務めている。しかも、同じ東京地裁民事第29部であり、裁判官は3名中の2名が重複し、その一人は両訴訟に裁判長裁判官として関わった飯村敏明氏だった。

これだけ重複していながら、同じ争点を含む訴訟を別々に争い、別々に和解し、他方の和解内容に一方の当事者が苦言を呈するような状況とは、一体なんだ?

二当事者間で係属している訴訟に、第三者が新たに共同訴訟人として参加する、主観的追加的併合という方法がある。しかし、これは最判(昭和62年7月17日)が否定しているので、難しい。それでも、問題の早期解決を本当に望むのであれば、主観的追加的民訴法152条によって、弁論併合の申し出でを促し、裁判は一つにされても良かった。裁判官は、訴訟経済を無視した当事者らの茶番を、どう思っていたのだろうか。

「反証を全く行なっていない」などと括弧書きしたのも、皮肉かもしれない。何しろ、仮に東北新社らの反証が認められてしまえば、間違いなく2つの裁判は矛盾してしまう状況だったのだ。併合もせずに別々に争いながら、手抜きな反証を見せられたら、裁判官だって「何やってんの、あんたら?」と言いたいところだろう。

もしもPSソフト裁判で東北新社らの反証が認められ、ウエストケープ及びオフィスアカデミーが著作者となり、著作者裁判では西崎氏が著作者と認められていたなら、民事訴訟法的には全く問題なく、矛盾した事実認定に基づいた判決が、同じ裁判官から出るところであった。松本氏が著作者と認められていた場合も同様であることは、後述する。

せっかく矛盾しない判決がなされたが、共に控訴審段階で和解に至り、飯村裁判官の苦労?も無に帰するのだが、その結果が後のパチンコ裁判で影響することなど、因果応報である。


ここで、東北新社の真意を想像するのに、西崎氏が著作者人格権侵害を訴える元になった著作物の、PSソフトの表記を確認してみよう。
>(C)松本零士/東北新社・バイダイビジュアル
何故か松本氏の名前が...

もしもこれが、
>(C)東北新社・バイダイビジュアル
であったなら、西崎氏の気持ちも違っただろう。

当時の東北新社は、松本氏を著作者の一人と真に信じていた可能性もあるようだ。以下は、本エントリー「その1」にいただいたコメントから訪問した、「9の部屋」さんのサイトだ。
http://www.newyamato.com/main3.htm
http://www.newyamato.com/main3_tfcem.htm

(C)表記自体は、無方式主義のベルヌ条約加盟国である日本では、そもそも法的な意味はない。そんなことを書かずとも著作権は保護されるのであって、(C)表記をするのは、それに意味があるという誤解に基づく単なる慣行である場合が多い。(万国著作権条約のみに加盟する無方式主義の国(かつてのアメリカ)で著作物を保護する場合には、意味がある。)

別に、松本氏が著作者であろうと、映画製作に参加している以上著作権は映画製作者に帰属している。誰であろうと、著作者人格権侵害などと騒がないでくれれば良い。しかし、松本氏のみが著作者で、西崎氏もウエストケープもオフィスアカデミーも著作者でないとなると、西崎氏との著作権譲渡契約の記載に反してしまい、よろしくない。東北新社としては、ウエストケープとオフィスアカデミーという法人も著作者であって欲しいが、その為には、西崎氏が著作者的に関わり、それが職務著作として法人に帰属している必要がある。ところが松本氏は、"自身のみ"が著作者だと言い出してしまった。

この矛盾が、主観的追加的弁論併合をされなかった理由の一つではないだろうか。収拾がつかない。収拾をつけるということは、松本氏と完全に敵対することを意味するが、まだこの段階ではその気もない。東北新社としては

著作者:ウエストケープ及びオフィスアカデミー(+松本氏)
著作権:西崎氏から、東北新社へ譲渡

としたいが、PSソフト裁判と著作者裁判からは、どう頑張っても合一的にこの結論は導けない。

東北新社がそんな状況に置かれたのは、遡れば、西崎氏から東北新社への著作権譲渡契約の記載が不適切だったからに他ならない。(西崎氏が著作権者でありながら、法人が著作者であるという記述があり、その関係が生じるには、法人から著作権が西崎氏個人に譲渡されたこと以外にない。しかし、著作権を法人が個人に譲渡することなど、何か特段の事情でもなければあり得ない話だ。にも関わらず、その西崎氏個人から著作権譲渡を受けたことで、後のパチンコ裁判一審での敗訴につながる。)

さて、前置きが長くなったが、PSソフト裁判の和解を見てみよう。
●和解2:平成16年5月28日 PSソフト裁判 訴訟上の和解
http://web.archive.org/web/20070515052223/http://www.enagio.com/release/old.html#040712
--
「宇宙戦艦ヤマト・復活篇」発進 2004.7.12
かねてより、「宇宙戦艦ヤマト」のゲームに関する著作者人格権問題で、係争状態にりました西崎義展(本名:弘文)(株)東北新社、(株)バンダイ、バンダイビジュアル(株)の三社は、5月28日、 東京高等裁判所民事法廷において西崎義展の控訴取り下げによる和解が成立しました。
この和解調書の中で、西崎義展が「宇宙戦艦ヤマト」の著作者である旨を公表しても反意を唱えない事が確認され、三社は了承しました。
 
これにより、西崎義展が新作の制作を 全面的に委託している(株)エナジオは、劇場用アニメ「新宇宙戦艦ヤマト 復活篇」(仮題)の 制作について、「宇宙戦艦ヤマト」の著作権者である(株)東北新社と協議に入りました。
--

この和解については、上記の西崎氏側の発表しか情報源がない。東北新社側は、和解について何も発表しなかったようだ。これを、裁判外の和解だと評しているブログを散見するが、その根拠は不明だ。

・法廷で
・控訴取り下げ
・和解調書が存在

ただ、これは矛盾も感じる。控訴した西崎氏が控訴を取り下げたなら、単に一審確定で西崎氏敗訴なので、和解ではないように思える。しかし、法廷で和解が成立し、和解調書が作成されている以上、訴訟上の和解であることは間違いない。実務は、和解を広く認めているであろうから、控訴取下げを条件とした訴訟上の和解というのも可能であるかもしれない。しかし、論理的に民訴法に反しない解釈としては、訴えの取り下げを控訴取り下げと混同して発表したのかもしれない。

和解条件として判明しているのは、「西崎義展が「宇宙戦艦ヤマト」の著作者である旨を公表しても反意を唱えない」ことのみで、「新宇宙戦艦ヤマト 復活篇」に関する東北新社との何らかの約束を得たであろうことは推測するしかない。そのためには、前後の動きが重要だろう。

「その2」に書いた通り、著作者裁判での西崎氏と松本氏の「和解1」の内容は、東北新社にとって想定外であったことが伺える。そして、PSソフト裁判一審では完全に苦境に陥っていたはずの西崎氏の立場が、著作者裁判の「和解1」で蘇った。松本氏側は、「和解1」に則り、宇宙戦艦ヤマトとは別物作品として、OVA「大ヤマト零号」のDVD発売を開始する。DVD第一巻の発売が3月31日、第二巻が5月10日と続き、5月28日にPSソフト裁判は和解(和解2)する。そして6月、三共ら松本氏側を相手取ったパチンコ裁判を、東北新社は提起したのだ。

東北新社は、和解1の前は松本氏に宇宙戦艦ヤマトの続編を作らせようとしてきた。しかし、和解1の後は、完全にコントロールの利かななくなった松本氏を、間接的に牽制する必要性を感じ始めた。ベンチャーソフトなどと組んで「大ヤマト零号」なぞ作ってしまう松本氏よりも、どうせ獄中でろくな活動ができない西崎氏に、著作者だと公表するくらい許してやる方が、遥かにマシだ。しかも西崎氏は、正当なヤマトの続編しか作る気が無い。元々、著作者人格権侵害などと言ってこなければ、西崎氏と争うべき理由などなかったはずだ...

そして、7月12日のエナジオのニュースリリース後の動きは以下だ。
7月20日:2006年の復活編公開が、新聞メディア等で取り上げられる。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072003.html
http://web.archive.org/web/20040720055515/http://www.asahi.com/culture/update/0720/003.html
7月24日:蚊帳の外におかれることが正しいのに、松本氏にコメントを求めた、事情を知らない間抜けな記事が出る。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072406.html
7月26日:松本氏が復活編に無関係であることが正しい証拠ととして、1年前の「和解1」の全てをエナジオが公表。
http://web.archive.org/web/20070515052223/http://www.enagio.com/release/old.html#040726


西崎氏としても、和解に価値があった。PSソフト裁判一審判決からは、自分が復活編を製作できる勝算は低い。しかも、最初の覚醒剤事件の刑期は満了したが、その後の銃刀法違反事件の上告が棄却され、5年6ヶ月の実刑が確定してしまった。獄中からできることは限られるし、(C)表記から松本氏の名前が消えるなら、PSソフト裁判で著作者人格権侵害を争い続ける意義も減少した。東北新社は、復活編について協議してくれるというし、松本氏に許したことと、三共らの作ったパチンコ遊技機の実際は、かなりかけ離れ、和解1に反する内容にもなっているようだから、パチンコ裁判を提起するなら敵ではない。

おいおい、歌が、まんま、宇宙戦艦ヤマト言うとるやんけ!

後は、東北新社がパチンコ裁判で請求認容判決を得るのを待って、復活編を...のはずだったろうか。ところが2006年、東北新社は三共らに負けてしまったのだ...


その1
その3
その4

ヤマト関連訴訟という場合、重要なのは4つあり、更に著作権に関する物となると3つある。そして、その3つ全てが、一審の終局判決後、控訴審段階で和解が成立している。2つ1つは裁判外の和解、1つ2つは訴訟上の和解だ。
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/history.html
上記サイトで、PSソフト裁判、著作者裁判、パチンコ裁判と表現されているものだ。

訴訟提起の順番としては、PSソフト裁判、著作者裁判、パチンコ裁判なのだが、和解の順番としては、著作者裁判、PSソフト裁判、パチンコ裁判だったので、まずは著作者裁判の和解から取り上げる。

★和解1:平成15年7月29日 訴えの取下げによる裁判外の和解★
著作者人格権の所在、つまりは著作者は誰かを争った、松本原告v.s.西崎被告の一審判決(東京地判平成14年3月25日)は、西崎氏の完全勝利だった。「映画の著作物」たる一連の8作品(最初のTVシリーズから、劇場版の完結編まで)のモダンオーサーは西崎氏であることが、詳細な事実認定から明らかにされた。この裁判は、現著作権法16条(映画の著作物の著作者)の適用による事例判断をした初めての事案として、著作権法の世界では有名な事件だ。松本氏は控訴した。

ところが翌年、完全勝利だった西崎氏が譲歩する内容で、裁判外での和解が成立した。これによって、訴訟係属そのものが遡及的に消滅した。民事訴訟法292条(控訴の取下げ)が準用する262条(訴えの取下げの効果)によって、取り下げられた訴えは、最初から係属していなかったものとみなされる。一審判決は、ヤマトの実際の権利関係とは離れて、純粋に著作権法を学ぶための事例としてしか、意味を持たなくなったのだ。しかし、一審の終局判決の後に訴えを取り下げた者は、もう同じ訴えを提起できない。再審の禁止(民訴法262条2項)という効果のみが、当事者に残った。

なお、何をもって同じ訴えと見るかは、実は法的には厄介な問題ではある。訴訟物が同一であれば、原則として同一の訴えとみなされるが、後訴の提起時に訴えの提起を必要とする合理的事情が存在すれば、同一の訴えとはみなされない(最判昭和52年7月19日、百選(3版)99事件)。よって必ずしも、この問題が再審できないわけではない、とだけ付言しておく。

この和解内容については、一時期その全文が、西崎氏の息子が代表取締役を務めるエナジオのホームページで公表されていたが、現在は削除されてしまっているようだ。しかし、Internet Archiveには、残っていた。
当時のニュースリリースページ
和解書PDF
確認書PDF

ぼかされているのは、氏名・住所などの部分だろう。また、和解書における「別件映画」とは、過去の宇宙戦艦ヤマトの8作品(TVシリーズから、劇場版の完結編まで)のことであろう。

この和解には、西崎、松本両名以外に、株式会社ベンチャーソフトという会社が加わっているので、少し触れておく。この会社は、平成11年7月23日設立の株式会社レイジ・マツモト・アソシエイツが、同年12月14日に商号変更して生まれ、平成12年1月の松本氏の誕生パーティと共に設立発表されている。
http://homepage1.nifty.com/akk-yihitk/reishi.htm
http://yasai.2ch.net/venture/kako/987/987922146.html
(香ばしい...少し懐かしい部分も(苦笑))
翌平成13年、江守商事と共に、ヴィームを設立(平成16年11月解散)。
http://www.emori.co.jp/ir/enpri_report_46/03.html
そして、平成17年12月1日にはアニメーションソフトと商号変更し、翌18年6月19日解散した。

この解散の煽りを食らったのが、OVA「大YAMATO零号」だ。

その後、紆余曲折あって、やっとDVD-BOXが発売されたが、一般市場向けには、なんと昨年10月24日に発売されたばかりだ。時期的に、東北新社のパチンコ裁判の和解を前提にしていたことは間違いないだろう。
http://www.daiyamato-box.com/

つまり、和解書に出てくる「大銀河シリーズ 大ヤマト編」という松本氏側のヤマトは、結果的に「大YAMATO零号」となった。しかし、ベンチャーソフトが作ろうとしていたのは、本当は別のヤマトだった。
http://web.archive.org/web/20020206062040/http://www.venturesoft.co.jp/news/newsrelease/2002/y20020125-1.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88

何故、松本氏が小学館で連載していた「新宇宙戦艦ヤマト(グレートヤマト)」ではなく、「大YAMATO零号」になったのかは、和解書の第5項を読めば分かる。松本氏&ベンチャーソフトは、過去の宇宙戦艦ヤマトと無関係な作品しか、西崎氏に製作を許されなかったのだ。だから、過去のヤマトと無関係な新作として、「大YAMATO零号」を作った。

しかし、この和解の遥か前の平成11年1月25日、松本氏は東北新社との間で、「宇宙戦艦ヤマト等に関する合意書」を交わしていることが、パチンコ裁判の中で判明している。
合意書の4条には、以下の記述がある。(甲=松本氏、乙=東北新社)
--
1項
「甲は,乙の対象作品に関する上記の権利の行使が円滑に行われるように,全面的に協力する。」
2項
「乙は,甲がヤマト作品に関連する新作の企画を希望する場合,これに全面的に協力する。ただし,甲は,乙に対し事前に企画内容の詳細を通知し,説明する。」
--

つまり松本氏は、自らが正当な著作者であったかどうかなど関係なく、著作権者たる東北新社との間で、既に宇宙戦艦ヤマトの二次的著作物たる「新宇宙戦艦ヤマト」を作る際の、何らかの協力関係を築いていたのだ。この合意の4日前、平成11年1月21日に、西崎氏の覚醒剤事件の控訴が棄却されている。ベンチャーソフトは、正にその合意のできた年に設立された会社であり、レイジ・マツモト・アソシエイツは設立1ヵ月後に、松本氏と、「新宇宙戦艦ヤマト」の映像化等の契約を締結している。

西崎氏の有罪が確実となった時点で、著作権者たる東北新社は、松本氏と組む選択をしたのだろう。ダークなイメージの西崎氏ではなく、松本氏が著作者である方が、新作の宣伝には適している。つまり、西崎氏は、東北新社から切り捨てられたのではないか?

遡れば、平成9年12月に、西崎氏は最初の覚醒剤取締法違反で逮捕され、翌10年3月公開の劇場作品「銀河鉄道999エターナル・ファンタジー」に、最後にほんの少しだけ、宇宙戦艦ヤマトそのものが出ていた。(この映画は大外れだったが、デジハリ時代の知り合いが就職先でCGを担当していて、煙のパーティクル表現のレンダリングが重くて重くて大変だと聞かされていたが、案の定、煙というよりエクトプラズム?というような、酷い煙になっていた。)これは、松本氏の意向に沿った作品だが、東映アニメーションの劇場作品にヤマトを出すには、どう考えても、著作権者たる東北新社の許諾を得たはずだ。

つまり、西崎氏のイメージダウンと反比例する形で、イメージの良い松本氏がヤマトの新作を作ることを、著作権者たる東北新社はバックアップしてきた経緯が見て取れる。

にもかかわらず、和解によって、松本氏による宇宙戦艦ヤマトの続編製作の道が封印され、西崎氏による復活編の製作が、逆に合意されてしまったのだ。続編を作って欲しい相手がパチモンを作り、作って欲しくない相手が続編を作るという合意だ。とても著作権者として、納得できる結果ではない。

西崎氏からすれば、松本氏が著作者でないという一審判決が出たところで、実は大した意味がなかった。

http://web.archive.org/web/20020401221821/http://www.venturesoft.co.jp/news/newsrelease/2002/y20020329-1.htm

そんなことと無関係に、著作権者たる東北新社が松本氏に許諾を与えて、続編を作らせようという動きが存在する以上、松本氏が続編を製作できない判決が必要だった。しかし、そんな判決は出るはずがない。すると、一見西崎氏が譲歩したかに見える和解内容が、西崎氏にとっては、一審判決よりもベストな答えだったのだ。

この和解に対して東北新社は、プレスリリースで反論した。

http://web.archive.org/web/20031203222016/http://www.tfc.co.jp/news/030806.html
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/recon3.html#tfc
東北新社の複雑な心境が読み取れると言うと、深読みし過ぎだろうか?

字面では西崎・松本両者の作品を同等に否定しているのだが、それに伴う行動は起こしていない。
逆に、松本氏が「大銀河シリーズ 大ヤマト編」を製作することについて、「松本零士氏は、株式会社東北新社から新作製作についての全面的な協力合意を得ております」とのベンチャーソフトのプレスリリースがあるわけだ。
確かに、「大YAMATO零号」のDVDが、販売差止請求されたなどという話は聞いたことがない。

更に言うと、松本氏の漫画は、東北新社の著作物の二次的著作物だ。松本氏がその続編漫画を公表するなら、東北新社の許諾が必要だ。小学館のサイトからは、当時からずっと、「新宇宙戦艦ヤマト(グレートヤマト)」の一部が公衆送信され続けている。まさか、こっそり同人誌を作って、無許諾で公開しているわけではないだろう。
http://ginga999.shogakukan.co.jp/yamato/

東北新社は、松本氏に続編を作らせようと、長らく考えていたのだろう。

-----以下、蛇足的だが、和解書と確認書についてもう少し詳しく見たい人のために、著作権法を16、15、29条の順におさらいしておく。

--
16条:映画の著作物の著作者
映画の著作物の著作者は、その映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者を除き、制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。ただし、前条の規定の適用がある場合は、この限りでない。
--

映画の著作物とは、絵や音楽などの一般的な著作物とは、著作権法上の扱いが異なる。前者の著作者をモダンオーサー、後者の著作者をクラシカルオーサーと呼び、16条でその分担を明確にしている。映画のように、多人数が創作に関わる著作物では、それら全員を共同著作者としてしまっては、何をするにも全員の許諾を求める必要が生じ、実質上著作物の円滑な運用を阻害する。特に映画は、商業目的に製作される場合を念頭に置いており、権利関係の簡略化の要請が強い。そこで、「全体的形成に創作的に寄与した者」のみを、映画の著作物の著作者に限定した。映画の著作物の元となる、原作小説やら音楽やら、アニメなら原画やら、個々の著作物(複製ないし翻案される原著作物)の著作者(クラシカルオーサー)は、映画の著作物の著作者から除外されたのだ。
しかし、モダンオーサーから除外されても、クラシカルオーサーにとって映画の著作物は、自らの著作物の二次的著作物に該当するので、映画の著作者に認められる著作権(21~28条)と同等の権利を持ってしまう。よって、事前の契約によって、これを制限する特約を盛り込むことが、映画の著作物の円滑な利用には重要となる。

例えば、最初の「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズの次に、これを再編集した最初の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」が西崎氏によって公開された。この際、松本氏は劇場版に関わっていないのだが、その大ヒットを知り、公開から一週間後になって、西崎氏に対価の支払いを求めた。そして西崎氏は、これを争わずに1000万円支払った。
当事者達が意識していたかは知らないが、松本氏が、映画の著作物たるTVシリーズのクラシカルオーサーであったなら、その二次的著作物である劇場版に対して、この様な請求をすることが可能なわけだ。現在なら、この様な要求をクラシカルオーサーにさせないため、事前に権利行使を制限する特約を盛り込んだ契約書が交わされるだろう。

--
15条1項:職務上作成する著作物の著作者
法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
--

15条1項は、職務著作を規定している。「使用者の発意」「使用者の業務に従事する者」「職務上作成されたもの」「使用者の名義」「契約、勤務規則その他に別段の定め」という要件で、自然人でない法人を著作者とする。これは、単に著作権を法人が得るのと異なり、著作者人格権まで法人が得るので、実際に創作したはずの自然人には何も残らない。

16条でモダンオーサーとなるべき監督やプロデューサーも、所属する映画製作会社の仕事として関わった場合、15条1項で自動的に、著作者としての立場を法人に奪われる(という表現は語弊があるが)。

ところが、フリーランスの監督が、委託されて映画の著作物の製作に参加した場合、15条1項は使えない。そこで出てくるのが、29条1項だ。

--
29条1項:映画の著作物の著作権の帰属
映画の著作物(第十五条第一項、次項又は第三項の規定の適用を受けるものを除く。)の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。
--

映画製作に参加を約束すると、外部の監督でも、著作権だけは映画製作会社に奪われる。残るのは著作者としての著作者人格権のみだが、映画製作に参加する場合の契約書では、著作者人格権の不行使特約が盛り込まれるのが通常だ。つまり、ちゃんと契約書があれば、本来の著作者は何もできない。契約書がなくとも、映画の著作物の著作権は、全て映画製作会社に集まる。映画の著作物とは、これほど特殊な扱いを受ける著作物なのだ。


----では戻って、和解書の第4項と確認書を見てみよう。
和解書第4項は、西崎氏と松本氏の両名はモダンオーサーで、加えて松本氏は、クラシカルオーサーでもあるという内容だ。そして、確認書の第1項で、クラシカルオーサーの著作権行使を制限している。

8作品のうち、公開当時の表記としては、
1「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズ(昭和49年10月6日~50年3月30日)
2「宇宙戦艦ヤマト」劇場版(昭和52年8月6日)
3「さらば宇宙戦艦ヤマト」(昭和53年8月5日)
4「宇宙戦艦ヤマト2」TVシリーズ(昭和53年10月14日~54年4月7日)
5「宇宙戦艦ヤマト・新たなる旅立ち」(昭和54年7月31日)
6「ヤマトよ永遠に」(昭和55年8月2日)
→オフィス・アカデミー
7「宇宙戦艦ヤマトIII」(昭和55年10月11日~56年4月4日)
→東京動画
8「宇宙戦艦ヤマト・完結編35mm」(昭和58年3月19日)
 「宇宙戦艦ヤマト・完結編70mm」(昭和58年11月5日)
→ウエスト・ケープ・コーポレーション
が製作会社のようだが、後の訴訟で提出された東北新社への著作権譲渡契約時の資料では、6・7・8がウエスト・ケープ、1~5がオフィス・アカデミーの著作物を著作者とされていた。異なる理由は知らない。

問題は、西崎氏が映画製作者であったか、法人が映画製作者であったかで、職務著作の帰属が変わってしまう点だ。
オフィス・アカデミーにしても、ウエスト・ケープにしても、西崎氏自身の会社だ(ウエスト=西、ケープ=岬...つまり西崎氏の苗字)。個人と法人が一体的であることが、厄介な問題を生む。

実は、この和解の3ヶ月前に、角川映画著作権確認事件(東京地判平成15年4月23日)というのがあった。
いわゆる角川映画の製作者は、角川春樹氏ではなく、春樹事務所又は角川書店だとされた判決だ。角川春樹氏の主張では、契約書では春樹事務所が映画製作の当事者として記名捺印しているが、同事務所の法人格は形骸化しており、自身と同一であり、契約の主体は実質的に角川春樹個人であるというものだった。しかし裁判所は、法人こそが映画製作者だと判決した。詳細な理由は省くが、気になる人は調べてみると良い。

ヤマトの著作者が誰かという問題も、西崎氏とその個人会社の法人格の問題であり、上記判例は見過ごせないはずだ。しかし、和解書によれば、西崎氏個人がモダンオーサーとされており、映画製作者が自身であったというのが、西崎氏の認識であったことがうかがえる。西崎氏がモダンオーサーであったという前提に立つなら、著作権は当初、西崎氏個人に集中し、その後、法人に譲渡されたかどうかという問題になる。

松本氏は、業務委託を受けている立場なので、モダンオーサーにはなれるが、映画製作者が西崎氏だろうと、法人だろうと、どのみち29条1項で著作権は無いだろう。二人がモダンオーサーである以上、二人から著作者人格権は奪えない。しかし、権利行使を制限することはできる。そこで、西崎氏のみが著作者人格権を行使できるという内容で和解した。


東北新社は平成8年12月20日に、当該著作権を包括的に譲渡された立場だったが、西崎氏個人からなのか、オフィス・アカデミーやウエスト・ケープという法人からの譲渡だったのかが、パチンコ裁判では問題になった。しかし、問題になった原因の一端は、この和解書の記述の曖昧さから、西崎氏の認識にあったのではないかと思えなくもない。

もちろん東北新社のプレスリリースでは、「1996年12月20日に西崎氏本人(氏の関連会社も連帯)から譲渡を受け」という書き方でフォローしている。著作権者の可能性のある者全てが連帯して著作権譲渡した、ということを主張しているのだ。この契約内容も、以下に紹介されている。(素晴らしいですね)
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/contract199612.html

ちなみに、この10条はやはり重要に思えるのだが、パチンコ裁判において被告側から主張されたにも関わらず、裁判所の判断には至らなかった。

んーー、長いな...続く...か?

その2
その3
その4

東京国際アニメフェア2009にて、
http://www.tokyoanime.jp/ja/

東北新社によって、宇宙戦艦ヤマトの新作劇場版が、年内公開とアナウンスされた。

http://www.oricon.co.jp/news/confidence/64286/full/
http://animeanime.jp/news/archives/2009/03/post_704.html
http://www.gigazine.net/index.php?/news/comments/20090318_taf2009_yamato/

今年のアニメフェアには、うちの会社は出展していないので、間接的に報道されている事実しか知らないけれど、ヤマトファンの"大きなお友達"には、嬉しい知らせだろう。ところが、ヤマトの著作権を巡る長年の争いを一度でも調べたことがある者なら、決して安心できるような発表ではない。

何故なら、今回の発表された新作のストーリーは、1994年(バンダイビジュアルから発売の宣伝用VHS・LD、「宇宙戦艦ヤマト胎動編 ヤマトわが心の不滅の艦」)から西崎氏が何度も製作しようとしてきた、「復活編」と呼ばれる新作のソレそのものにしか見えないからだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88_%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%B7%A8

http://www.geocities.jp/space_battle_ship_yamato_200x/yamato.html

http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072003.html

http://www.j-cast.com/2006/10/02003179.html

ニコニコには、当時公表された動画まで上がっている。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4171760


ところが、今回の東北新社の発表に関する報道に、西崎氏の名前が無い。しかし、松本氏の名前はある。

単に、報道に抜けているだけなら良いが、過去にこれだけ話題になってきた人物の名前があれば、記者が書き落とすとは思えない。東北新社のホームページを見ても、まだ新作に関するニュースリリースも無いので、これ以上のことが分からない...


さて、この不安を共有してもらう(自分だけ不安なのは悔しい)には、その問題認識の前提となる、事の経緯を知る必要があるだろう。しかし、はっきり言って、ヤマト関連の醜い争いを一から説明すると大変なことになるので、経緯を知らない方は、2006年末の時点までをまとめられているブログや
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/ClapHand/eid/411972/cid/25910/

以下のサイトをどうぞ。
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/history.html


問題は、東北新社が三共などに負けた一審判決:東京地裁平成18年12月27日

http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1274

http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1275

の後だ。なんと昨年末、この訴訟"も"控訴審途中で和解してしまったわけだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081215/trl0812152023017-n1.htm

http://www.tfc.co.jp/news/detail.php?reg_id=203


しかも、一審で負けた東北新社が、和解金2億5000万円を得るという大逆転の内容に、誰もが驚いたはずだ。



一審判決から後、和解までの間、最初の劇場公開から30周年を迎えたヤマト周辺の動きは活発だった(一審係属中と思われる、TVシリーズ開始から30周年の時と比べて)。

http://lalabitmarket.channel.or.jp/site/feature/yamato_helmet.html

http://lalabitmarket.channel.or.jp/site/feature/deslar_wine.html

DVD-BOXや、関連グッズの発売が続いた。

  平成19年8月     平成20年2月

東北新社の文字もある宣伝ページに、西崎氏のメッセージが写真付きで公開されているのに、松本氏が一切触れられていないのが印象的だった。
http://www.dot-anime.com/tb/yamato/

そして8月、西崎氏自身が、正に今回東北新社の発表しているストーリーと同じ内容で、新作の製作を発表したばかりだったわけだ。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/08/01/13.html

http://eiga.com/buzz/20080804/1

この時点で
>今回は西崎氏曰く「全てがクリアに」なっての再始動だ。

と書かれていたのが気になっていた。和解の結論が予定されていたのだろうか?

しかし、当時の予定では、エナジオが中心となって製作される予定だったわけで、何か西崎氏の想定とは違ったことになっているのではないだろうか?

東北新社の和解は、西崎氏の想定の内か外だったのか、非常に気になる。


実は、ヤマトの著作権問題をややこしくしている理由の一つが、この控訴審段階での和解の繰り返しだ。

和解のもたらした弊害については、次のエントリーとしよう。




ま、著作権情報集中管理機構設立に関わってる人物なので、この人がJASRAC批判に批判的なのは、当たり前ではあるが、ポリシーウォッチのサイトに、以下のコメントを入れた。

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まさか、両者が関わってルールが決まっていて、長年慣行として続いてきたものなら、無批判に尊重されるべき、などとは考えてないですよね?

新規参入を促すための、著作権等管理事業法に関わったのなら、現状で新規参入が阻害されていることに対して、何かしらの問題意識は持ってらっしゃいますよね?

それでも、公取の行動を批判されるというのなら、理解に苦しみます。
現実に疑問を持っていない、慣行を無批判に尊重されているなら、納得です。
あなたは、JASRACを批判すること自体に否定的なのかもしれませんね。

また、片方だけに命令を出すのが片手落ちだとしても、JASRACはサービスの提供者側なのですから、当たり前です。それとも、利用者側の放送局にも命令を出すべきだったというのですか?
利用者側にまで命令を出さなければならない程までに、両当事者間の癒着が深いというのなら、その方が驚きです。その癒着構造を、文化を盾に正当化してはい けません。それ程、文化たるコンテンツ産業が腐っているのなら、それに対してアクションを起こした公取は、たとえ片手落ちであっても、賞賛こそあれ、批判 されるべきではありません。

あなたの論理では、サービス提供者側に命令を出しても無駄と言えるような、競争の無い談合体質も、文化と言ってしまえば保護され、思考停止です。そ もそも、JASRAC以外の著作権等管理事業者は、要らないことになります。著作権等管理事業法に関わった人物の意見とは、思えません。

また、公取が実務を理解しないで口出ししているというのは、公取を馬鹿にしすぎです。公取と、検察の動きをごっちゃに論じるのも、論理の飛躍でしかありません。その程度の認識しかなくして、霞ヶ関の思惑などと言うのは、かなり的外れです。

私は、著作者側の人間であって、あなたの言う両当事者からは外れている立場ですが、クリエーターの立場からは、公取の行動を賞賛する声ばかりです。

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こないだのヨーロッパ法史で提出したレポートを上げておく。
ドイツと日本の法典編纂を、歴史法学派を軸に絡めてみた。
字数制限が3000字で、論点3つと言われ、めちゃくちゃ詰め込んだ走り書きのような内容になってしまったのが残念。しかし、ローマ法の重要性がやっと分かったし、古ゲルマン社会の面白さや、手続法の重要性を再確認できて、面白い授業だった。

別件で先週くらいに、法科大学院で、退官する大御所の先生方の最終講義等があったのだけど、学者と実務家の連携によって、判例、法改正に影響を与えていくことの重要性のようなことをどなたもお話されていて、歴史法学派の言い分のようだと感じたのも面白かった。

以下レポート
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一 概説
 1814年、「立法と法学に対する現代の使命」において法典編纂に反対したサヴィニーは、歴史法学派の開祖となる。指導原理が発見されていな い、法律学未発達な時代に法典編纂すべきでないと、強く反対した。それが、サヴィニーの手を離れ、19世紀後半のヴィントシャイトの時代の歴史法学派とな ると、ドイツ民法典編纂への積極的な関与を肯定するようになる。この背景には、社会の変化とドイツ法律学の変化、歴史法学派のテーゼに混在した普遍的なも のと変動的なものとが入り乱れている。
 そこで、歴史法学派が法典編纂に関与する背景を辿りつつ、応用例としての日本への歴史法学派の貢献に触れ、その正当性の片鱗を示すものとする。

二 歴史法学派と法典編纂
 法とは、言語や習俗と同様に、民族とともに生成発展する。法は、慣習法として存在するが、次第に法学によって洗練される。法典編纂とは、民族と ともに生成した法をそのまま採録することであり、既存の法を顧みずに「普遍的な理性法」として法典内容を定めることは、間違いである。歴史と共に法は変化 するのだから、完全無欠の法典など期待するのがおかしい。成文法に頼って全ての法的紛争が解決するわけではなく、法律学が成熟していないのに法典を導入す ることは、実務家の混乱を招く。
 これらは、法典編纂に反対したサヴィニーの、歴史法学派の主張である。しかし、一見して分かるように、それぞれは独立して主張することも可能 であり、また、前提条件の変化が、結論を左右するものもある。この自由度が、ロマニステンとゲルマニステンの対立を生み、更には法典編纂への積極的関与を 肯定するようにまでなる理由でもある。しかし、多様性があるからといって、一貫性がないわけではない。法典編纂に賛同したヴィントシャイトは、サヴィニー の否定した行動をとったかに見えて、歴史法学派のテーゼに反しないという。ヤーコプスの理解によれば、「法典を法律学の産物と見ること、そして、法典編纂 の後も法学が法典を形成し続けると解することによってのみ、歴史法学派のテーゼと法典編纂が相容れるものとなりうる」というのだ。ただしそのためには、指 導原理の発見が可能なレベルまで法律学が発達し、かつ、その状態が将来に渡って持続する必要がある。
 ところがサヴィニーによれば、法律学が発達した状態の社会には制定法は無用だ。制定法が必要とされる社会とは、法律学が未発達か衰退している 場合であり、そのような状況でまともな法典編纂は不可能だ。つまり、需要が無い時にしか、まともな法典編纂は不可能でり、法典編纂は必要ない。ローマ法を 知る者として、引用法の公布された時代の再来を恐れたかもしれない。法典にしろ学説にしろ、それを読み判断する法曹の力量が過不足なく存在しなければ、絵 に描いた餅である。同じ意味で、徴憑理論が導入された糾問訴訟ですら、司法構成員が素人ではドイツ的糾問訴訟と同じ失敗に終わった可能性も、認識できたで あろう。よって重要なのは、法律学の持続的・有機的な発展状態の維持にあり、同時に理論と実践が乖離してはならない。この結論が、歴史法学派の共通目的で あった。
 19世紀後半は、共通目的の部分を実施に移せた時代であった。ヴィントシャイトは逆説的ではあるが、法律学が発達した状態で法典編纂し、その 後も法律学が衰退せずに、法典のメンテナンスを主体的に持続可能であるなら、法典編纂は歴史法学派の共通目的に反しない、と解したのだろう。法典編纂に よって断絶することなく、学説主導が揺るがなければ良い。サヴィニーの時代と異なるのは、法律学の成熟と同時に、法典編纂を社会が必要とした、時代背景の 変化にあった。

三 法典編纂の時代背景
 1814年当時は、仮にサヴィニーが法典編纂に反対せずとも、ドイツ同盟では統一民法典の編纂など無理であった。しかし、ヴィントシャイトの時 代になると、ビスマルクの登場とドイツ帝国の誕生により、全く状況が変わっていた。以前の、単なる「ドイツ人」としての一体感の高まりのみの状態と異な り、1870年代になると、帝国の立法権限拡張を目指す憲法改正の議論が活発となる。民法領域での帝国による個別立法の乱発を許すと、各ラントの地方法に 対する帝国法の介入を許すことになる。個別立法で既存の法を変革されてしまうのであれば、歴史法学派のテーゼを生かした法典編纂こそが、伝統的な地方法保 護の防波堤となる。法律学の専門家による法典編纂であれば、「政治的な牙を折られる」と、南ドイツ諸国に期待されたのだ。
 議会主導の個別立法による改革とは、正にそれまで歴史法学派が反対してきた法典編纂のあり方でもあり、これを阻止する目的での学説主導の法典 編纂が求められるのであれば、共通目的に反しない。加えて、1850年代に始まったドイツでの産業革命による労働者階級の登場は、社会構造を変化させ、理 論と実践の乖離を否定する立場からは、無視できない状態であった。従来の経済的自由の精神から成るドイツ民法典第一草案に対して、ゲルマニステンのギール ケは、「社会主義的油の一滴」を加えよと批判した。これは、社会的弱者保護の必要性など、社会問題を解決するための道具として、立法が必要であると考えら れるようになっていた時代の変化の現れでもある。共通目的に反しなければ、社会需要に応じて、慣習に囚われない法典編纂すら、歴史法学派は肯定できるよう になっていたのだ。
 社会が法典編纂を望む時、歴史法学派も法典編纂を望むのであり、法律学が熟している時、社会は学説主導の法典編纂を望む。社会需要と法律学が車の両輪の如く機能した時、法典編纂はなされたのであった。

四 日本における歴史法学派
 明治政府は1870年代、不平等条約改正のために近代法を必要とし、フランス人にフランス法教育を依頼している。この中で、ドイツ的歴史法学派 であったジョルジュ・ブスケの存在が、日本の法律学の成熟に多大な貢献をした。ボアソナードを除き、当時日本にやってくる御雇外国人は、本国では反主流ば かりであったのだが、それが功を奏した。
 江藤新平は、自然法学派ではないが、フランス法をそのまま日本に持ち込もうとしていた。これに対しブスケは、歴史法学派の立場から、「フラン ス法は、フランス語を話し、長い歴史の上に出来上がったものであり、日本に持ち込んでも機能しない」と批判した。フランス法が芽吹くような、土壌を作るこ とが必要なのであり、まずは法学校を作れと、司法省に「法律学校見込書」を建白した。これを受けて、司法省明法寮をベースに、司法省仏国法律学科専門学校 が誕生したのである。後に来日する自然法学派のボアソナードは、歴史法学派の功績の上に名声を残したとも言える。また、自然法学派でありながら慣習法を重 視したボアソナードは、全く社会環境の異なる日本では、歴史法学派の正当性を認めざるを得なかったとも言える。
 社会的類似性としても、日本の産業革命が1890年代であったことは、民法典施行が1898年であることからも忘れることはできない。不平等 条約の存在をドイツ帝国の立法権拡張とパラレルに見ると、法典編纂を成し得た社会環境のドイツとの類似性と、歴史法学派の実践したテーゼの正当性は、無視 し得ないであろう。
--


http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090302k0000m040040000c.html

そういや先々週、難民支援協会の講座受けた。

一昨年末から昨年にかけて、ミャンマーやトルコが不穏な状況だったから、昨年の難民申請は増えるとは思っていた。しかし、増えるどころじゃなかった。激増していたことを知った。

2007年は816人だった難民申請者数が、昨年は1599人になった。
内訳は、ミャンマーからが979人、トルコからが156人、スリランカからが90人...
http://www.refugee.or.jp/jar/topics/other/2009/01/30-1100.shtml

案の定、ミャンマーとトルコからの難民が増えた。
ミャンマーからは、少数民族は沢山いるけれど、有名どころはカレンとロヒンギャだろうか。トルコからってのは、つまりはクルド人だ。

そのうち、難民認定されたのは57人で、内54人がミャンマー人。
(本当は、申請した年に認定される人は少ないので、前年以前の申請者が含まれる。特に、申請者が増加した現在、認定に要する期間はどんどん延びて、平均は2年らしい。これ、行政手続法を知ってる人なら、おかしいと思うかもしれないが、難民関係は適用除外なのだ(苦笑))
で、トルコとの関係を悪化させたくない日本政府は、トルコはクルドを迫害していないという立場を貫いているので、クルド人を難民と認めることはほとんどない。つか、全然ないかな?

ミャンマー人だけ優遇しているわけだけど、それはそれで、ミャンマー人の難民も複雑な心境のようだ。自分たちが認められるのは有難いが、何故日本 政府は他国の迫害は擁護するのかと。入管で何ヶ月~何年も収容(ほとんど刑務所と同じ)されていると、難民同士で世界中の迫害状況を知ることになるので、 難民認定された後になって、何故自分たちだけ...という気持ちになる人も居るらしい。


ちなみにロヒンギャ人は、周辺国からも迫害されてるので、ミャンマーの外でも殺される。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2559564/3697350
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009021402000085.html

しかし、大半の日本人は、そんなこと想像できないので、島国日本に辿り着く外国人=金目当て、と思い込んで思考停止する。

日本で難民なんて言うと、ネットカフェ難民と同レベルくらいの認識だったりして、流石村社会としか言いようがない。

ま、今回の記事になってる人物が、具体的にどうなのかは知らないけれど。


そして、よく出てくる意見が、不法滞在は犯罪だから、犯罪者は出て行け、みたいな思考停止パターンだ。難民が、合法的に他国に入国できることなんて、まずないわけだが、日本で平和ボケしてると、違法=悪人としか考えられない人が居るらしい。

まず、自国を出国する時点で、合法的なパスポートとビザを持っているような人間は、余程運が良い難民だ。今回の記事では
>05年12月、中国人ブローカーに約30万円払い来日。
となっているが、そういう手段を使わないと、普通は逃げて来れない。

次に、
>成田空港で難民申請したが「仮滞在」のまま3年以上過ぎた。
成田で難民申請できる難民は、かなり珍しい。そもそも、自分が難民だと認識している人自体、少ない。とりあえず不法にでも外国に逃れてきただけ で、自分が国際的に条約難民として地位を得る条件をクリアーしているとか、考えたこともないわけだ。迫害されてきた国の中では、情報が限られているので、 そういう条約の存在自体を知らなかったりする。とにかく、帰国したら殺されるかもしれない、としか思ってなかったりする。

すると、不法入国のまま不法滞在に直結する。そういう中で、難民支援協会に辿り着くのは、運が良いとしか言えない(アフリカ系の難民の場合は、現 地でUNHCRが活動していることが知られていることが多いので、国連に電話する人は居るらしい。すると、最終的に難民支援協会を紹介される。)。

不法入国、不法滞在の認識があると、余計に公的機関に相談することなど怖くてできず、不法就労して生き延びるうちに、何年も経過してしまう。もし くは、何らかのコミュニティに辿り着いたとしても、同様の境遇の仲間が難民申請したら収容された、なんて話を聞いて、余計に難民申請そのものを恐れるよう になったりもする。裏街道まっしぐら。

そういう状況になるべくして日本にやってくる者こそが、難民なわけだ。
せめて、外国人の玄関となる全国の空港や港には、難民に関する相談窓口でも作るべきだが、そんな金はどこからも出ないので、他国のようにはいかない。

ついでに言うと、出国する時点で行き先が決まっていない難民も多い。とりあえず、自国に居ると危険なので、外国へ行く船の船員として潜り込んだり して、とにかく出国する(これも運が良いパターンかな)。日本を選んだのではなく、日本に寄港したから下船しただけということもある。

ま、そんな程度だから、今の難民申請数で済んでいる、という見方もできるかもしれない。


日本に辿り着く難民は、難民キャンプに押し込められる大半の難民より、一見運が良いように見える。でも、実例を聞けば聞くほど、「日本に来ちゃって残念だったね」、「こんな国ですまんね」と思ってしまう。


そして、最も解かなければならない誤解は、難民を保護すべき理由は、難民がカワイソウだから、ではないということだ。日本は難民条約を批准し、国 内法を整備した以上、そのルールに従って難民を受け入れるのが、法を尊重する先進国として当たり前なだけだ。作ったルールの運用基準を曖昧にして、出身国 によって差別的な扱いをしたり、非人道的な扱いをして良いとは、どこにも書かれてないってことだ。


ヨーロッパ法史

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ヨーロッパ法史の集中講義で、日曜に歴史法学派について発表せにゃならんので、ちょっと自分用にローマ法継受の歴史を把握するのにをタイムラインにしてみた。かなりアバウトだし、情報の選択条件もいい加減だ。でも、流れは把握できたかな。
授業終わったら、誰でも自由に書換えできるように公開しよう。
しかし、タイムラインのサービスって、紀元前が登録できないのが欠点だな...十二表法はあそこにしか置けなかったよ。もうちょっと使い勝手もよければ、いいサービスなのになぁ。


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