著作権法の最近のブログ記事

最近、いくつかの場所で、映像制作やコンテンツ産業の在り方みたいな議論を目にしたので、自分も思うところを述べておきたいと思う。まとまりもなく、とりとめもない話をつらつらと...


■パチ仕事と映画、アニメ仕事
日本のアニメ、CG業界の特徴の1つに、パチンコ・パチスロ産業への依存というのがある。これは、旧作品の権利を持つ会社が、パチメーカーにその利用許諾を与えるという意味での受け身な話ではなく、パチンコ・パチスロ化する際に発生する映像制作案件を受注するという形での、純粋な映像制作仕事としての能動的・発展的関係の話だ。パチスロ台の液晶画面で流れる映像も、CG制作会社の立派な仕事なのだ。パチメーカーは、CG制作会社に、とてもまともな対価を支払う、お得意さんである。

対して、公知の事実として、日本のアニメの現場の貧しさについては、今更説明を要しないだろう。これは、実写系でも映像制作現場一般の話として、ある程度共通する部分もあるかもしれない。CG制作会社は、アニメだろうと実写だろうとゲームだろうとCMだろうと、コンピュータで作る映像なら、何でも受注できる会社が少なくない。しかし、アニメや映画仕事を受注する場合、元請けでもなけりゃ、まともにやって黒字にするのはかなり困難。その手の仕事の発注元は、映像制作にまともな金を払う気がないことが少なくないが、同時に、赤字で受注する制作会社も後を絶たない。需要と供給が、制作コスト割れしたポイントでバランスが保たれている。

この差が生じる理由は簡単だ。かつて、多くのCGデザイナーやプログラマは、パチ仕事をヨゴレだと思って避けていたが、映画仕事に参加するのはステータスなんで、若い頃はタダでも働きたい仕事だった。著名な劇場作品でも、学生上がりの未経験者を、インターンシップと称してただ働きさせているケースは後を絶たない。映画仕事を受注した会社は、学生の夢を食い物にしてでも活用しないと、赤字が拡大してしまう。

ある程度の規模の制作会社になると、有名な劇場作品に参加するのは、求人のために必須となる。同時に、劇場作品への参加を夢見て入社してきた社員たちの、モチベーションを維持する必要もある。だから、会社の宣伝、イメージアップのため、劇場作品を一定数受注し続ける。

すると、優秀な人材を確保するための赤字映画仕事と、会社経営を維持するための黒字パチ仕事とのバランスが、とても重要となる。黒字にしたいなら、パチ仕事ばかりやれば良いと思うかもれいないが、イメージの悪い会社に人材は集まらないので、両立させなければならない。特にデザイナーは、転職が頻繁で、フリーランスになってしまう人も多いので、一定規模で能力の高いデザイナーを雇用し続けるには、会社が魅力的でなければならない。更にパチ仕事は、ノウハウも必要で、守秘義務の厳しさもあり、映画仕事のように安易に学生を使うこともできない。

これが10年前なら、映画の赤字を埋めるのはゲーム仕事だった。アニメ業界からゲーム業界への人材流出も、当時のトレンドだった。しかし、ゲーム機の性能が向上し、リアルタイムの描画能力が高まった結果、ゲーム向けの映像制作仕事が激減した。憧れの仕事と収益の上がる仕事が合致していた時代は、ゲーム機の性能向上によって終わり、ゲーム仕事に代わって黒字仕事の柱となったのが、ヨゴレのパチ仕事だったわけだ。(念のため言っておくが、自分自身は、パチ仕事をヨゴレとは思ってない。十分に、素晴らしいと思ってるが、その理由は後で。)

みんなが憧れる映画仕事は、ヨゴレのパチ仕事によって、一部支えられてきた。
そしてやっと、パチ仕事のイメージが改善してきたのは、ごく最近の話だ。


■ダメな仕事
と・こ・ろ・が、パチ産業は、いわゆるコンテンツ産業の市場規模が計算される場面などでは、何故か除外されている。政府の発表する資料などでも、パチ業界は存在しない前提で、コンテンツ産業が語られる。20兆円産業のパチを無視して、それより遥かに小さな残余の業界をまとめて、コンテンツ市場の在り方が議論されている。そんな議論の価値が低いのは、言うまでもないだろう。

しかし、映画業界の権利者な方々は、自分たちのコンテンツが、実はパチのおこぼれで作られてる部分があることを知らないかもしれない。そんな人々にいくらヒアリングして資料が作られても、現実を全く反映しないのは当然だ。(対してパチ業界は、映画やゲームで培われた映像制作のノウハウの恩恵にあずかっている。)

各業界の権利者団体は、別個独立で、他業界を知らないかもしれない。しかし、映像制作現場のレイヤーで実際に様々な業界からの映像仕事を受注している各CG制作会社は、実は共通なので、複数の別個独立の業界のリスクが、映像制作現場のレイヤーで担保されてるのだ。逆に言うと、担保できてしまっているから、いつになってもダメな業界はダメなまま、なのかもしれない。


ダメな業界の仕事というのは、単に金がないだけではなく、コンテンツ制作過程が非合法だったりもする。映画仕事では、著名な監督が、ごく当たり前に、著作権侵害や制作に必要なソフトウェアの不正コピーを現場に指示する。例えば、各社に散らばった100名程度のスタッフで、監督のイメージする映像を共通認識して完成を目指すには、コンテだけじゃ足りないので、監督のイメージに近い既存の映画作品から、シーンやカット毎にリッピングして、関係スタッフに配られたりする。何十人もに違法DVDコピーで配られることもあれば、主要な制作会社のサーバーにリッピングした作品が蓄積されたり、海外の外注先に配布されたりする。(もちろん昔は、VHSの大量コピーだった。)

スタッフは、必要に応じてPCで参考作品の映像を見て、監督のイメージを共有しようと努力しながら、自分たちの作品を制作する。スタッフの人数分、何十作品ものDVDを買うなんて真面目なことは、誰も考えない。何しろ予算の少ない仕事だ。他人の作品を参考にする事自体は合法でも、参考にする手段が非合法なのに、それに文句を言う映画制作関係者は、ほとんど存在しない。リスペクトしてれば良いと思ってる。

劇中で表示される文字などに至っては、どこかからフォントを違法コピーしてCD-Rに焼いてきて、ポンと渡され、「この文字でよろしく」みたいなこともある。

自分がかつて在籍したCG制作会社では、そういう非合法な制作手法を排除するのが、自分の仕事の一つでもあった。受注仕事では、違法行為を指示してくるのがクライアントであり、これと衝突することは極力避けなければならない。現場にウルサイと思われつつも、自分たちの仕事を合法とするため、いつも苦労した。

CG業界とアニメ業界の垣根が崩れ、旧態依然としたアニメ制作会社と共同作業するようになると、本当に最悪な場面に出くわした。アニメの会社は、ソフトウェアを買うものだと考えていないところが大半だ。金の無い業界の常識とは、そういうものだ。それでも、一緒に仕事をする以上、不正ソフトを使わないでくれと、相手の会社の責任者と話をしたりもした。「そんなことしてると、メーカーの監査が入りますよ」と脅しても、「そんなのは追い返すから大丈夫だ」と、まるで気にするのが馬鹿みたいに言われる業界だった。

不正を排除しようという意識を持たない会社が大半だが、そうして違法に作られた自分らの作品の権利だけは、絶対に守られるべきだと信じて疑わない、不思議な業界。それが、映画やアニメの業界だ。極論ではなく、一般論として、日本のアニメ等で、その制作過程全体において完全に合法性が担保されている作品は、皆無と言って良いだろう。中には、「うちの会社に不法行為はない!」と言いたい会社もあるだろうが、下請けや、人件費が安価だからと仕事を投げる、アジア各国の外注先の制作会社が何をしているかは、見て見ぬふりだ。フリーランスのデザイナーに発注する場合も、その個人が、自宅でどんなソフトをしっかりと買い揃えているか、クラックされた不正ソフトを使用していないかなど、発注側は誰も気にしない。結局、安く受注する会社や個人を便利に使うことで、不法行為を押し付けている。


■パチの良さ
対してパチは、完全に合法的な仕事を求められる。発注元が、何度も納品物をチェックする。高い金を出すだけでなく、合法的なコンテンツの制作にこだわる会社が多い。例えば、CGではテクスチャー画像をいくつも使用するが、パチ仕事では、作中で使用した全テクスチャーの著作権チェックがされる。テクスチャー一覧を提出すると、先方の法務部がチェックしたりする。テクスチャー画像は、ロイヤリティフリーの素材集などを買って利用することが多いが、素材集の発売元の会社が無くなっていると、テクスチャー差し替えの指示を出されたり...

そんなことは、かつてのゲーム仕事でも、要求されなかった。


フォントも、遊技機で合法的に使用できる、業務用フォントの契約を求められる。一度、先方がフォントの種類決定を後回しにして、仮のフォントで納品することを現場レベルで合意し、後に先方が差し替える話になっていたのに、先方の法務部に伝わっておらず、「不正なフォントで納品し、損害を与えた」と、損害賠償に発展しそうな時もあった。本当に、合法的なコンテンツにこだわる業界だ。(様々な著作権関係の裁判経験から、パチ業界は学んでいるのかもしれない。)

そういう仕事をしつつ、一方で、自堕落な映画やアニメの関係者に接すると、合法的なパチの仕事を受注できる会社というのが、とても誇らしいと感じるようになったのを覚えている。

しかしながら、パチに代替する黒字仕事が登場する前に、もしもパチ仕事が激減すると、経営が傾くCG制作会社も少なくないだろう。パチ業界は、最近持ち直したような話も聞くが、ちょっと前は市場規模が縮小傾向で、先行きに不安があった。そこで待ち望まれてきたのが、カジノ解禁だ。


■需要創出としてのカジノへの期待
カジノに期待するというと、どうやら、カジノのゲームマシンの仕事に期待をしているのではないかと、大きな誤解をしている人がいる。それは、あまりにもカジノを知らなすぎる。

もちろん、既存のパチメーカーは、海外のギャンブルマシンの供給も行っているので、既存のパチメーカーとの関係の延長で、カジノ向けのマシンの仕事も、期待が大きい部分ではある。CG制作会社から、パチメーカーへ転職し、海外カジノ向けの機種に関わってるなんて人もいる。

しかし、十数年前、自分がまだデジハリの学生だった頃から、SIGGRAPHとラスベガス旅行はセットだった。カジノとは、エンターテインメントの総合産業であり、当時からデジハリの杉山校長は、本場を見ろと学生に教えていた。

ラスベガスは、いたるところにコンテンツが溢れ、輝いていた。遊園地でもないのに、スタートレックのライドものや、ショー、シアターがホテル毎に存在し、どこもかしこも映像仕事の宝の山に見えた。街中の巨大スクリーンが、無数の映像を消費していた。

カジノを解禁するとは、単にギャンブルを解禁することではなく、ギャンブルを中心とした一大エンターテインメント都市を構築し、街中のいたるところにコンテンツ需要が生まれるということだ。合法化の暁には、これらの仕事を、国内の会社が受注できる制度を担保することは、必須だろう。その際、受注した仕事を海外に下請けに出すようなことを一定数制限すると、更に良いかもしれない。

これを、ゲーム、アニメ、映画などと、コンテンツの下流の権利者レイヤーの縦割りでしか業界を評価していないと、上流の制作現場レイヤーの重複に気がつかないので、カジノの魅力が理解できない。

CG制作会社に、「あなたの会社は、アニメ業界ですか?映画業界ですか?ゲーム業界ですか?それともCM業界?」と質問するのが、どれだけ愚問か分かるだろう。1つの会社で、実写合成だって、アニメだって、博物館の展示映像だって、何でもやってたりするのだ(もちろん、それぞれの専業の会社もあるが、そういうところは業界と運命を共にするしかない。)。だから、カジノ解禁で需要が創出されると、パチ依存の現状の偏りを緩和する方向に作用するだろう。それが、間接的に映画やアニメを支えることにつながる。


■制作サイドの改善
もちろん、個々の業界がそれぞれ健全化を目指すのは大事だ。しかし、日本のアニメ系の会社は、プログラマはゲーム会社にいるものだと、勘違いしてる感じがある。アニメの制作会社で、プログラマを重視して雇用している会社は、ほとんど無いのではないか。それが、Pixarに永遠に追いつけない原因だ。道具は、自分たちで作るものだという認識が、文科系アニメ制作会社には抜け落ちてる。なんせ、ソフトウェアは不正入手するのが当たり前だと思ってるのは前記の通りなんで、それを作るのに人件費をかけるという発想がないのかもしれない。プログラマが雇えないのか、雇う気がないのかは別にしても、そういう会社が淘汰されるのは、ある程度仕方のない話だ。

不正を行わずに、プログラマも雇わず、道具をひたすら真面目に買う側にいる会社もあるだろう。プラグイン一つ自給せず、必要なら買えば良いと。それはそれで、黒字を維持できるなら良いのだけれど、かなり非効率なので、小規模な会社でしか無理ではないかな。

理科系CG制作会社は、まだ、映像制作におけるプログラマーの重要性は、理解している。デジハリ時代のクラスメイトなども、インハウスのツールで海外に対抗しようと、ゲーム会社の出資でCG映画専門の大規模な制作会社を立ち上げた奴もいる。そういう会社が成功するよう、心から声援を送りたい。でも、映画ばっかじゃ飽きないの?とは思う。

専門化せず、つまみ食い的に、多様な業界の映像需要に応えられる会社というのが、時代の変化にも生き残れ、社員も飽きずに在職し続けられる、ノウハウのある楽しい職場なんじゃないかなと、個人的に思っている。

ノウハウがなければ生き残れないし、生き残った会社にしかノウハウは残らない。
焼畑農業みたいな業務スタイルの会社は、どうぞご自由にご退場ください。
...とか言ってみるテスト。


■風が吹けば桶屋が儲かる的なナニカ
このブログは、観光立国に関わるものを時々書くけれど、それは、観光立国にはカジノが必須だと考えており、カジノが認められればコンテンツ産業が潤うと考えているからだ。そして、JALを批判するのは、観光立国をインフラ面で妨げているのがJALだからだ。

航空行政が健全化し、LCC+地方空港による安価な観光インフラが整備され、普天間基地跡地だろうと、夕張だろうと、お台場だろうと、カジノが解禁され、観光立国となることが、日本のコンテンツ産業の活性化と合法化(カジノにまつわる仕事は、非合法であってはならないので、不正を厭わない旧態依然とした制作会社は受注できない仕組みも必要)につながる可能性というのに、大いに期待してる。


そして自分は、そういう時代に法律分野で貢献できたらという思いで、職を辞して法科大学院にいる。今回の日弁連の会長選にはガッカリしたし、今年はどうあがいても合格できそうにないけど、新司法試験は三振するまでチャレンジする所存。ギャンブル人生ですわ(涙)


■蛇足1
みんなの党の柿沢議員は、都議時代にお台場カジノ構想に深く関わり、カジノ推進に積極的だし、ショートショートフィルムフェスティバルにも関わってて、映像産業に興味も持ってる。かつ、みんなの党は観光立国も重視している。こういう話に興味持ってくれないだろうか?

■蛇足2
経産省が、コンテンツ振興策についての意見募集をしているので、またちょっと違う話を書いてみた。
https://open-meti.go.jp/ja/idea/00786/

Winny事件についてのブログが、久々に更新されていた。
そしたら、NHK記者による、とんでもない弁護妨害の手紙が公開されていた。

http://danblog.cocolog-nifty.com/attorneyatlaw/2009/10/post-785f.html

手紙の内容の酷さに驚いた。

NHKは、こういう露骨な手法でインタビューに応じさせようとする記者が在籍していることを、組織として把握しているのだろうか?

この記者は、こんな脅し方で、いつもインタビューを得ているのだろうか?

ちょっと、余りに驚いたので、ここで取り上げてしまったが、Winny事件とは別にしても、この種の問題はもっと話題にされるべきだ。

高裁、無罪になって本当によかった。
http://danblog.cocolog-nifty.com/index/2009/10/winny-0ca7.html

全く面識もなく、こんなところから言うのもなんですが、おめでとうございます!


>10/9 追記

そういえば、Winnyといえば、最近こういう状況になってる。

「Lessigが案じた未来がここにあった」
http://maruko.to/2009/09/post-67.html

こういう監視が許されるのかどうかという問題は別にして、Winny利用者は、他者にプライバシーを侵害され、CCIFや捜査機関から監視されている可能性が高いということは、自覚した方が良い。

クリエイティブ・コモンズが、文化庁の審議会への報告向けに、フェアユースに関するアンケートを行っています。ご意見のある方は、是非回答を。

http://creativecommons.jp/news/2009/07/19/fairuse_enquete.php

何故こういう質問になっているかは、文化庁の著作権分科会法制問題小委員会の前回の議論が関係していると思われます。著作権法には、民法の信義則のような一般条項が無く、フェアユースを一般条項として規定すべきという中山氏の意見と、その真意を曲げて理解し、民法の信義則があるならフェアユースは要らないという松田氏の意見が対立しているようです。

まだ、議事録が公式には公開されてないのですが、
http://twitter.com/tsuda
これを先月24日の午後1時くらいまで遡れば、大体理解できます。
ちなみにこれが、本物の「tsudaる」ですw


自分の回答は、包括的にフェアユースを導入することが、現在既に行われているコンテンツ制作の現場の違法行為を合法化するために必要、という感じで。フェアユースに反対する著作権者は、自ら著作物を創作していないから理解していないのだろうが、制作現場では、既に他者の著作権を侵害しながらアニメ等が制作されていることからすれば、反対すればするほど自らの首を絞めることを理解すべきだと。二次的利用という意味ではなく、アニメやCG等の映画の著作物の制作「過程」は、著作権侵害無しに成立しないのであって、それらを唯一合法化できるのが、フェアユースだと。


総務省の、放送コンテンツの製作取引適正化に関するガイドライン第2版が策定された。

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02ryutsu04_000015.html
本文
http://www.soumu.go.jp/main_content/000030633.pdf

関係する方々は、自社の立場が、どういう権利・義務を有するのか、知らなければ確認した方が良いので、ご参考に。

アニメの製作(このガイドラインでは、製作と制作をあえて統一し、製作と表記している)に関する部分もあったりします。

著作権の法的性質
http://tatuya.niu.ne.jp/copyright/column/10.html

上記コラムは、著作権の議論を、憲法レベルで整理してある。
こうしてキレイにまとめてあると、著者に感謝したいくらいだ。

法律に関する議論というのは、なまじ条文が日本語で書いてあるものだから、法を学んでない一般人も、容易に参加する。そして、自分の国語力を信じて、自らの正論を語る。ところが、条文に出てくる日本語は、ありゃ日本語じゃないのだ。ヲタクの専門用語。条文の背景なんぞ、エスパーじゃなけりゃ理解できない。

ローマからの歴史をトレースしないと、法律用語の意味すら理解できないこともあるのだけど、一応日本語っぽいから、一般人でも間違った理解は出来てしまう。僕は、法律を学び始めた当初、コンメンタール(逐条解説)なんてものの存在意義すら理解できなかった。日本語の条文に、日本語の解説が膨大に必要とされているなんて、想像もしてなかった。もちろん、今は理解できる。コンメンタール=ヲタク入門だ。

著作権の議論も、一般人が参加して泥沼に陥りやすい。ヲタクと一般人が、一見同じ日本語で議論しているようでも、議論がかみ合うわけがない。

著作権を人権として論じる時、公共の福祉だの内在的制約だの、我が国の法律である以上、当然に念頭に置いて議論しなければならないなんてことは、もしかしたら、ヲタクですら忘れているかもしれない。僕はまだ、ヲタク見習いなんで、上記コラムを読んで、目から鱗だった(自爆)

憲法に思いが至らず、「知的財産保護の核心にある、共産主義的側面」などと表現していた。

とりあえず、コラムの意味が理解できるだけでも、進歩はしてるのかもしれないけど(^^;

恥デジカ

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民放連は、本当にこんなにアホなこと言ったのかな。
http://getnews.jp/archives/11408

これだけ著作権の存在意義を勘違いしてる方針てのは、壮大な釣りマーケティングというか、ネガティブでも良いから話題づくりを目指してるのではないかと、勘ぐってしまう。
http://up01.ayame.jp/up/download/1240837517.jpg

こういうのを阻止したいらしい。
http://www.age2.tv/rd05/src/up5046.jpg

しかし、地デジの普及が目的なら、著作物が無断で翻案されようが、民放連は放置することこそが、本来のあるべき方針だろう。それができるのが、著作権の親告罪たる所以なわけで。権利侵害=悪という誤解に基づく法解釈は、JASRACだけにして欲しい。

まあ、いっそのこと、言うだけじゃなくて、訴訟にしてくれた方がマシかもしれない。そうすれば、これが許されるかどうか、判例が蓄積される。本当の意味で、著作権を主張することの弊害について、議論が盛り上がるかもしれない。

ま、これに対して、現状こんな感じ。
http://chidejika.jp/
http://zenra.tk/
http://sukumizujika.tk/
http://chidejika.tk/
http://chidejika.jp/

わざわざドメイン押さえてまでやるかw

http://getnews.jp/archives/11467
http://www12.atpages.jp/analoguma/
下の方が好きだな。

あ、ちなみに、僕は地デジに興味ありません。TV持ってないし。

WIRED VISION主催のトークセッション
『グーグルの権利覇権と情報流通革命』
骨董通り法律事務所の福井先生ということで、面白そう。

骨董通り法律事務所には、法科大学院のエクスターンシップで大変お世話になったばかり。丁度その時、事務所のメルマガでGoogleの問題を取り上げた直後で、ひっきりなしに問い合わせの電話が殺到していたのが印象的だった。

http://www.kottolaw.com/column_090210.html

http://www.kottolaw.com/column_090323_2.html

コンテンツに偏りがちのエンタメロイヤーとは異なり、クリエイターの創作活動に対する理解の深い先生です。

http://lawandpractice.jp/contents/special/lpro/kotto/legal_p10_1.html

もし、参加を迷ってる人が、参加費で悩んでるなら、きっと損しないので行った方が良い。

その1
その2
その3

前回から間が空いてしまったが、前回の民事訴訟法的なポイントについて松本氏の側から見てから、最後にパチンコ裁判の和解を取り上げる。

前回、著作者裁判とPSソフト裁判がほぼ同時期に係属し、互いに統一的に解決されるべき争点を含んでいたことから、主観的追加的併合や、弁論の併合の可能性があったと指摘した。しかし、松本氏を著作者と思っていた可能性すらある東北新社としても、著作権を西崎氏から譲り受けた際の経緯の不適切さから、松本氏のみが著作者であったら困る状況にあっただろうとも指摘した。だから、互いに西崎氏と敵対しながら、共同訴訟関係になれなかったのだろうと。

どちらの裁判の訴訟物も、判決の効力が他に影響するようなものではないので、必要的共同訴訟(民訴40条)とならないのは当然だが、どの当事者の主張した著作者も異なったので、通常共同訴訟にすらできなかったわけだ。

各当事者の主張した、宇宙戦艦ヤマトの著作者:
・西崎氏:自分
・松本氏:自分
・東北新社:ウエストケープ及びオフィスアカデミー

しかし、そうであるなら、松本氏が著作者裁判を提起したこと自体に疑問が生じる。先に係属していたPSソフト裁判で、両当事者が、自らの主張と異なる者を著作者だと争っていたのであり、どちらが勝つにしても松本氏には受け入れられない裁判だったはずだ。自らの事実上の利益に反する。この場合、松本氏は、PSソフト裁判に独立当事者参加(民訴47条)すべきだったのではないか。

-->
独立当事者参加:民訴法47条1項
訴訟の結果によって権利が害されることを主張する第三者又は訴訟の目的の全部若しくは一部が自己の権利であることを主張する第三者は、その訴訟の当事者の双方又は一方を相手方として、当事者としてその訴訟に参加することができる。
<--

互いに矛盾した理由を元に判決が出るかもしれない2つのタッグマッチ(PSソフト裁判、著作者裁判)を平行して行うのではなく、バトルロイヤル(独立当事者参加)で三者が一気に決着を着けるべきだったはずだ。松本氏の弁護士が、PSソフト裁判の存在を知らなかったはずはない。何しろ、松本氏の訴訟復代理人弁護士は、PSソフト裁判被告のバンダイビジュアルの訴訟代理人弁護士でもあったのだから。

おや?

独立当事者参加となった場合、バンダイビジュアルと松本氏は対立関係に立つ。何のことは無い。この弁護士では、そもそも独立当事者参加など、不可能だったわけだ。敵対する当事者同士の弁護など、同時にできないことは言うまでもない。

両立し得ない事実の主張をしているクライアントを同時に抱えて2つの訴訟を受任していたという事実だけでは、どのように関わるようになったのか経緯が不明なので、安易に批判はできない。単に、気持ち悪いとは思う。

しかし、影響が無い建て前とはいえ、同じ裁判長裁判官で同時期に係属している訴訟で、矛盾する主張をすることが、少なくともクライアントの為に最適とは思えない。弁護士倫理的には、ギリギリセーフなのだろうか...

あまり深入りしてはいけないような気がしてきたので、これ以上触れない。
とにかく著作者裁判は、独立して提起された点からして、民事訴訟法的に不適切だったのではないか、という指摘に留めておく。


さて、最後のパチンコ裁判に移ろう。

東北新社は、平成16年6月、パチンコ機「CRフィーバー大ヤマト」およびパチスロ機「大ヤマトS」等の製品が、東北新社が保有するアニメーション映画「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を侵害しているとして、パチンコ機を製造販売した株式会社三共のほか、株式会社ビスティ(パチスロ機製造販売)、インターナショナル・カード・システム株式会社(PS2用パチンコシミュレーションゲーム製造販売)、および株式会社アニメーションソフト(「大ヤマト」の許諾元(旧:株式会社ベンチャーソフト))を相手方として、東京地裁に損害賠償請求等を提起(平成16年(ワ)第13725号)。
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1274

これに対し、アニメーションソフトの補助参加人として、松本氏と、氏が代表取締役の零時社が参加。つまりこの裁判は、「東北新社v.s.松本氏」というのが、本当の構図だ。三共、ビスティ、インターナショナル・カード・システムら3社担当の弁護士が2名、アニメーションソフトの弁護士が4名なのに、補助参加人の松本氏らの弁護士は12名もいる。

また、この訴訟が係属後、三共らは「CRフィーバー大ヤマト2」等も製造販売したため、翌年、それらの著作権侵害(及び不正競争防止法に基づく請求)を理由に同様の訴訟が東北新社から提起され、三共、ビスティ、フィールズが被告になったが、これは先の訴訟と同日に同じ裁判官らによってほぼ同じ判決がなされているので、特に触れない。
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1275

訴訟提起段階での、東北新社の奇妙な点は、松本氏原作の「大ヤマト」そのものには、何も請求していない点だろうか。松本氏からの許諾で、被告アニメーションソフトが製作した、OVA「大ヤマト零号」のDVD販売に関しても、何も請求していない。つまり、「大ヤマト」そのものが「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を侵害したかどうかは、争われていない。そこから、更に許諾を受けて製造販売された、「大ヤマト」の遊技機等が、著作権侵害と言われたのだ。どうやら東北新社は、「大ヤマト」そのものは「宇宙戦艦ヤマト」とは無関係の著作物という認識を持っているか、翻案された著作物だとは認識していても存在を認めているか、単に松本氏とは争いたくなかったか、ということだろう。当事者と争点を増やしたくなかっただけかもしれないが、松本氏との直接対決を避けようという姿勢だけは、いつも一貫しているのかもしれない。

しかし、「大ヤマト」原作者として松本氏は、これを静観はできなかったのか、結局は弁護士12名を従えて補助参加した。一見、尤もな気もするが、よく考えると補助参加する利益が松本氏にあったのか、大いに謎だ。

-->
民訴法42条:補助参加
訴訟の結果について利害関係を有する第三者は、当事者の一方を補助するため、その訴訟に参加することができる。

<--

松本氏は、被告アニメーションソフトの補助参加人となったのだが、訴外の第三者として傍観していてアニメーションソフトが敗訴したところで、松本氏に対して法律上はおろか、事実上の影響すら考え辛い。判決の効力は、訴外の松本氏に及ばないし、パチンコ裁判の争点に関連する事実のうち、原作者として許諾を与えた側に、事実上利害関係が生じる点が無いのだ。

民事訴訟法的には、補助参加した場合の参加者への判決の効力は、一つの論点である。現在の判例・通説は、「参加的効力説」というのをとっている。この説では、敗訴した場合の判決中の理由にも、補助参加人は拘束される。しかし、勝訴したからといって利益となることなど、ほとんどない。後日、勝訴した理由と矛盾する理由で、被参加人(この場合はアニメーションソフト)から何か不利益な請求をされるリスクを回避できる、という程度である。「あの一緒に戦った裁判で、そんな事実は否定されたじゃないか!」という感じだ。

しかし、ライセンス許諾者側の松本氏は、勝訴した場合にアニメーションソフトから何か請求されるような関係に無いのだ。何か請求される可能性がある場合とは、アニメーションソフトが敗訴した場合しか想定できない。松本氏が許諾した著作物に瑕疵があった(他人の著作権を侵害していた)等の理由で、損害賠償を求められるケースだろうか。この場合、参加的効力説からは、補助参加人は敗訴の責任を被参加人と共同して負担させられるので、損害賠償から免れなくなるという不利益しか生じない。参加せずに傍観していれば、アニメーションソフトが敗訴したところで、その裁判は松本氏に一切関係無いので、後に損害賠償請求訴訟を提起されても、前訴の敗訴理由などに拘束されずに一から争える。一体、松本氏が補助参加した理由は、何だったのだろう。どんな利害関係が成立するのか。

補助参加とは、当事者から異議が出なければ、裁判所は利益の有無などの要件を満たしているか、わざわざ判断しない。自ら不利益を負いに来る者を、当事者らが受け入れるなら、反対する理由はない。

実は、松本氏は、被参加人のアニメーションソフトが唯一責任を追及された、共同不法行為成立の可否について、何も言わなかった。本当は、補助する意思など無いとしか思えない。この視点から、被告らと補助参加人が、どの争点にどう応じたかの違いを見ると面白い。三共、ビスティ、インターナショナル・カード・システムの3被告は、全ての争点に応じている。しかし、アニメーションソフトと補助参加人は、利害関係が異なることが明確なのだ。

東北新社が著作権を有するかどうかという根本的な争点に、アニメーションソフトは争った形跡がない。沈黙は、自白とみなされる(民訴159条1項)。しかし、翻案権は有しないと争っている。対して松本氏は、映画製作者はオフィスアカデミー又はウエスト・ケープだったとして、西崎氏は製作者ではないので著作権を有せず、その西崎氏から著作権譲渡を受けたとする東北新社の著作権を否定。しかし、翻案権に関しては、「不知」と陳述した。不知の陳述は、一応否認との推定を受ける(民訴159条2項)が、争ったという効果は弱い。この争点について、アニメーションソフトが使った証拠は、正に松本氏が東北新社と交わした合意書であったのだ。その合意書の当事者の松本氏が、補助参加しながら不知の陳述しかしなかったというのは、補助しないどころか、険悪な関係すら想像してしまう。

逆に見ると、アニメーションソフトは、映画製作者がオフィス・アカデミー又はウエスト・ケープとは主張せず、翻案権は西崎氏に留保されていると主張したので、西崎氏は著作権者であった必要がある。つまり、映画製作者は西崎氏であって欲しいのだ。しかし松本氏は、そもそも西崎氏が映画製作者とされることが我慢できないので、西崎氏に翻案権が留保されること自体を認めたくないのだ。何しろ、西崎氏との和解で、どうせ手足を縛られているのだから。

アニメーションソフトは、松本氏と東北新社で交わした平成11年1月25日の合意書を生かせれば、OVA「大ヤマト」が「宇宙戦艦ヤマト」っぽくても、製作を正当化できる。三共らの遊技機を保護する以上に、自らの作品もいつ訴えられるか分からない立場であり、西崎氏から東北新社への著作権譲渡時に、翻案権が留保されたと主張することは、価値があるのだ。

東北新社への譲渡契約について、合意書3条によれば
-->
ヤマト作品に登場するキャラクター(人物,メカニック等の名称,デザインを含む)を使用し新たな映像作品(ただし,キャラクター使用以外の行為でヤマト作品の著作権を侵害しないものに限る)を制作する権利は西崎に留保されていること。
<--
と確認しており、同4条2項では、
-->
乙(東北新社)は,甲(松本氏)がヤマト作品に関連する新作の企画を希望する場合,これに全面的に協力する。ただし,甲は,乙に対し事前に企画内容の詳細を通知し,説明する。
<--
と規定されている。つまり、許諾を得る関係には無いというものだ。

同じ合意書は、別の争点でも活用される。それは、東北新社が、三共らの製品について、宇宙戦艦ヤマトの著作権を行使できる立場にあるかという争点だ。この争点は、上記の翻案権の存否に関する争点と背中合わせだが、ここでは松本氏も同じ合意書を用いて主張している。三共らの製品は、守ろうという姿勢のようだ。しかし、アニメーションソフトの主張との差が明快だ。アニメーションソフトは、同じく合意書の3条と4条を使ったが、松本氏は3条を使わず、4条のみを使ったのだ。西崎氏に翻案権が留保されていると解釈できる規定は、何が何でも使いたくないのだろう(苦笑)

映画製作者が西崎氏でないとなると、東北新社は譲渡契約を無権利者と締結したこととなり、せっかくの合意書の前提すら危うい。実をとるアニメーションソフトと、名誉のみにこだわる松本氏のスタンスの違いは、明確と言えよう。結局のところ、補助参加などではなかったのだ。補助参加人の訴訟行為は、被参加人の訴訟行為と抵触してはならない(民訴45条2項)のだ。

-->
45条2項:補助参加人の訴訟行為
補助参加人の訴訟行為は、被参加人の訴訟行為と抵触するときは、その効力を有しない。

<--

結果、正に西崎氏が映画製作者とは認められず、東北新社への著作権譲渡が認められないとする判決が下される。三共らの完全勝訴と言えよう。しかし、アニメーションソフトや松本氏にとって、この勝ち方がプラスになったのか怪しい。負けた東北新社は、当然控訴した。

なお、東北新社が負けたのは、主張がお粗末だったからで、訴訟の経緯を見れば妥当な判決だ。合意書4条2項に対する東北新社の反論は、酷いとしか言いようがない。

「丙4合意書は,丙4合意が成立するに至る経緯からすれば,原告と補助参加人P1との友好協力関係全般についての精神的,営業政策的観点から作成されたものであり,丙4合意書4条2項も,法律的な意味はない。」だそうだ。

精神的、営業政策的観点から、松本氏をだまくらかしたということだ。そんなことが、よく自ら主張できるものだ。こういった、信義に反するようなことを言うから、勝てないのではないか。

また、遡ればPSソフト裁判の際、著作者人格権侵害を主張する西崎氏に対して、東北新社は西崎氏が著作者ではないと争った。その際、ウエストケープ及びオフィスアカデミーが著作者だと主張したのだ。法人が著作者となる場合とは、職務著作(著作権法15条)の場合しかないことは、「その2」で書いた。ところがパチンコ裁判では、西崎氏が映画製作者だったとするために、ウエストケープ及びオフィスアカデミーは実体のないダミー会社だったと主張したのだ。著作権譲渡契約書に、両社が製作者として表示されていた事実について、何の根拠も示さずに「ダミー会社だから、実態は西崎氏個人が製作者だ」と主張したのだ。ダミー会社だったのなら、正に西崎氏は著作者だったということではないか。まあ、相手が異なれば既判力は及ばないので、訴訟戦略上は、裁判毎に矛盾した主張をするのも自由だ。しかし、過去に自らが利用した証拠で負けるというのは、因果応報というものだ。

控訴の結果は、「その1」で書いた通り、訴訟上の和解(和解3)だ。またしても和解だ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081215/trl0812152023017-n1.htm

http://www.tfc.co.jp/news/detail.php?reg_id=203

-->

 本和解は、被控訴人らのうち一部の者が東北新社に対して和解金2億5000万円を支払うことを内容とするものです。なお、本和解成立の前提となる当事者間の合意により、本和解金の趣旨等を含むこれ以外の事情について説明することはできませんので、ご理解頂きますようお願い申し上げます。
 東北新社は、日本のアニメーション史に残る不朽の名作「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を正当に保有する会社として、今後も同作品の権利ビジネスを積極的に展開していく意向です。

<--

この発表から想像できることは以下だ。
・被控訴人らのうち一部の者
→アニメーションソフトは、既に一審判決前に解散してしまった会社なので、どう考えても和解金など出せまい。判決と異なり、実効性のない和解など、するはずが無い。すると、必然的に三共ら遊技機メーカーのことだろう。
・本和解金の趣旨等を含むこれ以外の事情について説明することはできません
→和解金の趣旨が、損害賠償金ではない、別の何かかもしれない。
・東北新社は、日本のアニメーション史に残る不朽の名作「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を正当に保有
→著作権譲渡契約の経緯を正当化できたかは怪しい。正当化できたなら、その根拠を公表することが、東北新社にとって最大の利益のはずだ。正当化でき、和解金の趣旨が損害賠償金なら、誰も隠すべき理由がない。堂々と発表しただろう。

wikiでは、東北新社が控訴審で、著作権の包括移転契約の正当性を証明する証拠を提出したとも書かれている
しかし、その情報のソースが示されておらず、にわかに信じられない。

つまり
・著作権取得を論理的に正当化はできないが、著作権者であることを相手方には認めてもらった。
・引き換えに、損害賠償請求は諦め、何か別の、公にすると都合の悪い趣旨で和解金を得たかもしれない。

2億5千万円を損害賠償以外で出費したとしたら、それが支払側にプラスになるケースとは何だ。何かへの出資だろうか...

想像しても無駄だが、いずれ作品が発表される段階で、何かしら明らかになると面白い。


ところで、著作者裁判とPSソフト裁判で、飯村裁判官の下した判決が確定していたら、どうなっていただろうか。もしくは、PSソフト裁判に松本氏が独立当事者参加して、3者に既判力の及ぶ判決が確定していたら、どうだったろうか。西崎氏が著作者であり、東北新社は翻案権の制約を受けない包括的な著作権者であり、それを松本氏も争えないという既判力だ。明らかになっている事実関係を客観的にみて、最も妥当な結論だろう。単純に三共らに既判力が及ばずとも、パチンコ裁判を避けられた可能性もあるかもしれない。そうすれば、とっくに「復活編」は実現していたかもしれない。

ヤマトの訴訟の歴史を振り返ると、先のことを考えず、その場その場で都合の良いように和解し、和解内容を明らかにせず、権利関係を不明確にして無駄な争いを増やしてきたように見えてならない。

パチンコ裁判での東北新社の敗訴は、何にも増して、最悪だった。破産廃止決定された法人に著作権が残っていたとすれば、さぞ、旧債権者らを喜ばせたことだろう。三共らは、東北新社の著作権を否定できたところで、どれ程の価値があったのだろうか。裁判所は、清算人を選任して宇宙戦艦ヤマトの著作権を換価させ、その配当は、旧債権者らに追加配当されたことだろう。そして、新たに著作権者となる者と、三共らの新たな戦いの幕が...否、そうなることが分かっているなら、三共が自ら著作権者となる可能性もあっただろう。それは、宇宙戦艦ヤマトという作品にとって、幸せだったろうか。

作品を生かすも殺すも、権利関係を明確にすべくアドバイスする、弁護士の責任だ。ヤマトと比べ、僅か5年後の作品であるガンダムとの作品数の差、世界の広がりの差は、比較せずにはいられない。もちろん、作品が多ければ良いわけでも、世界が広がれば良いわけでもない。しかし、法的問題が生じる作品と、生じなかった作品の差は、確実に存在する。マクロスも然りだ。

望むべくは、「その1」で示した懸念が、杞憂であって欲しい。和解の内容が、西崎氏にとってマイナスでないことを祈るばかりだ。過去の争いを水に流し、東北新社、西崎氏、松本氏が協力して「復活編」を素晴らしい作品に仕上げてくれれば、ファンにとって最上の喜びとなろう。不安と期待を込めて、待つしかない。「その1」から読んでくれた方は、是非とも不安と期待を共有していただきたい。

最後に、和解後最初の、東北新社許諾による、藤商事によるパチンコ遊技機のサイトへリンクする。
http://www.cryamato2.com/

素晴らしすぎるクオリティではないか。


その1
その2
その4

西崎原告が、バンダイ、バンダイビジュアル、東北新社らを訴えたPSソフト裁判一審(東京地判平成13年7月2日)において、西崎氏の請求は以下であった。
--
1 被告らは,別紙物件目録1及び2記載の各ゲームソフトを複製,譲渡又は貸与してはならない。
2 被告らは,原告に対し,連帯して金1億円及び内金3000万円に対する平成11年9月15日から,内金7000万円に対する平成12年5月23日から各支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
--
http://tyosaku.hanrei.jp/hanrei/cr/3276.html
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/trials.html#2

主な争点は3つ。
1:宇宙戦艦ヤマトの著作者は誰か
2:著作権譲渡契約に、翻案権譲渡と、著作者人格権に基づく請求の放棄が含まれたか
3:著作者人格権侵害に基づく請求をすることは、信義則違反か

このうち、著作者については、3つの訴訟を通して全てで争われている共通の争点だが、PSソフト裁判での裁判所の判断は以下。
「原告は,アニメ作品の制作等を業としていたが,昭和49年から58年に掛けて,テレビないし劇場用映画である本件各著作物を制作,著作した(なお,本訴において,被告らは,本件各著作物の制作過程について,反証を全く行っていないが,このような弁論の全趣旨に照らして,上記のように認定した。)。」

西崎氏の著作者人格権を否定したい東北新社らは、この点にろくな反証をしなかった。著作権譲渡契約時の添付書類の記述と、作品中のクレジット表記のみから、ウエストケープとオフィスアカデミーが著作者だ、としか反証しなかったのだ。著作者を本気で争うのなら、裁判所の言うように、制作過程に関する西崎氏の主張を潰す必要があったはずだ。「書いてあったから著作者だ」などという反証は、とても本気の反証ではない。

後のパチンコ裁判では、裁判所こそがそのような理由を使う。しかしこの時点では、この裁判と平行して係属していた、「その2」で取り上げた著作者裁判を無視できない。タイムラインにまとめてみた。


PSソフト裁判と著作者裁判は、僅か1ヶ月程の時間差で始まり、共に、同じ著作物の著作者人格権侵害が争われていたのだ。

両方の当事者であった西崎氏の代理人弁護士は、どちらも共通の面子の6名だし、PSソフト裁判のバンダイビジュアルの代理人弁護士は、著作者裁判の松本氏の復代理人弁護士を務めている。しかも、同じ東京地裁民事第29部であり、裁判官は3名中の2名が重複し、その一人は両訴訟に裁判長裁判官として関わった飯村敏明氏だった。

これだけ重複していながら、同じ争点を含む訴訟を別々に争い、別々に和解し、他方の和解内容に一方の当事者が苦言を呈するような状況とは、一体なんだ?

二当事者間で係属している訴訟に、第三者が新たに共同訴訟人として参加する、主観的追加的併合という方法がある。しかし、これは最判(昭和62年7月17日)が否定しているので、難しい。それでも、問題の早期解決を本当に望むのであれば、主観的追加的民訴法152条によって、弁論併合の申し出でを促し、裁判は一つにされても良かった。裁判官は、訴訟経済を無視した当事者らの茶番を、どう思っていたのだろうか。

「反証を全く行なっていない」などと括弧書きしたのも、皮肉かもしれない。何しろ、仮に東北新社らの反証が認められてしまえば、間違いなく2つの裁判は矛盾してしまう状況だったのだ。併合もせずに別々に争いながら、手抜きな反証を見せられたら、裁判官だって「何やってんの、あんたら?」と言いたいところだろう。

もしもPSソフト裁判で東北新社らの反証が認められ、ウエストケープ及びオフィスアカデミーが著作者となり、著作者裁判では西崎氏が著作者と認められていたなら、民事訴訟法的には全く問題なく、矛盾した事実認定に基づいた判決が、同じ裁判官から出るところであった。松本氏が著作者と認められていた場合も同様であることは、後述する。

せっかく矛盾しない判決がなされたが、共に控訴審段階で和解に至り、飯村裁判官の苦労?も無に帰するのだが、その結果が後のパチンコ裁判で影響することなど、因果応報である。


ここで、東北新社の真意を想像するのに、西崎氏が著作者人格権侵害を訴える元になった著作物の、PSソフトの表記を確認してみよう。
>(C)松本零士/東北新社・バイダイビジュアル
何故か松本氏の名前が...

もしもこれが、
>(C)東北新社・バイダイビジュアル
であったなら、西崎氏の気持ちも違っただろう。

当時の東北新社は、松本氏を著作者の一人と真に信じていた可能性もあるようだ。以下は、本エントリー「その1」にいただいたコメントから訪問した、「9の部屋」さんのサイトだ。
http://www.newyamato.com/main3.htm
http://www.newyamato.com/main3_tfcem.htm

(C)表記自体は、無方式主義のベルヌ条約加盟国である日本では、そもそも法的な意味はない。そんなことを書かずとも著作権は保護されるのであって、(C)表記をするのは、それに意味があるという誤解に基づく単なる慣行である場合が多い。(万国著作権条約のみに加盟する無方式主義の国(かつてのアメリカ)で著作物を保護する場合には、意味がある。)

別に、松本氏が著作者であろうと、映画製作に参加している以上著作権は映画製作者に帰属している。誰であろうと、著作者人格権侵害などと騒がないでくれれば良い。しかし、松本氏のみが著作者で、西崎氏もウエストケープもオフィスアカデミーも著作者でないとなると、西崎氏との著作権譲渡契約の記載に反してしまい、よろしくない。東北新社としては、ウエストケープとオフィスアカデミーという法人も著作者であって欲しいが、その為には、西崎氏が著作者的に関わり、それが職務著作として法人に帰属している必要がある。ところが松本氏は、"自身のみ"が著作者だと言い出してしまった。

この矛盾が、主観的追加的弁論併合をされなかった理由の一つではないだろうか。収拾がつかない。収拾をつけるということは、松本氏と完全に敵対することを意味するが、まだこの段階ではその気もない。東北新社としては

著作者:ウエストケープ及びオフィスアカデミー(+松本氏)
著作権:西崎氏から、東北新社へ譲渡

としたいが、PSソフト裁判と著作者裁判からは、どう頑張っても合一的にこの結論は導けない。

東北新社がそんな状況に置かれたのは、遡れば、西崎氏から東北新社への著作権譲渡契約の記載が不適切だったからに他ならない。(西崎氏が著作権者でありながら、法人が著作者であるという記述があり、その関係が生じるには、法人から著作権が西崎氏個人に譲渡されたこと以外にない。しかし、著作権を法人が個人に譲渡することなど、何か特段の事情でもなければあり得ない話だ。にも関わらず、その西崎氏個人から著作権譲渡を受けたことで、後のパチンコ裁判一審での敗訴につながる。)

さて、前置きが長くなったが、PSソフト裁判の和解を見てみよう。
●和解2:平成16年5月28日 PSソフト裁判 訴訟上の和解
http://web.archive.org/web/20070515052223/http://www.enagio.com/release/old.html#040712
--
「宇宙戦艦ヤマト・復活篇」発進 2004.7.12
かねてより、「宇宙戦艦ヤマト」のゲームに関する著作者人格権問題で、係争状態にりました西崎義展(本名:弘文)(株)東北新社、(株)バンダイ、バンダイビジュアル(株)の三社は、5月28日、 東京高等裁判所民事法廷において西崎義展の控訴取り下げによる和解が成立しました。
この和解調書の中で、西崎義展が「宇宙戦艦ヤマト」の著作者である旨を公表しても反意を唱えない事が確認され、三社は了承しました。
 
これにより、西崎義展が新作の制作を 全面的に委託している(株)エナジオは、劇場用アニメ「新宇宙戦艦ヤマト 復活篇」(仮題)の 制作について、「宇宙戦艦ヤマト」の著作権者である(株)東北新社と協議に入りました。
--

この和解については、上記の西崎氏側の発表しか情報源がない。東北新社側は、和解について何も発表しなかったようだ。これを、裁判外の和解だと評しているブログを散見するが、その根拠は不明だ。

・法廷で
・控訴取り下げ
・和解調書が存在

ただ、これは矛盾も感じる。控訴した西崎氏が控訴を取り下げたなら、単に一審確定で西崎氏敗訴なので、和解ではないように思える。しかし、法廷で和解が成立し、和解調書が作成されている以上、訴訟上の和解であることは間違いない。実務は、和解を広く認めているであろうから、控訴取下げを条件とした訴訟上の和解というのも可能であるかもしれない。しかし、論理的に民訴法に反しない解釈としては、訴えの取り下げを控訴取り下げと混同して発表したのかもしれない。

和解条件として判明しているのは、「西崎義展が「宇宙戦艦ヤマト」の著作者である旨を公表しても反意を唱えない」ことのみで、「新宇宙戦艦ヤマト 復活篇」に関する東北新社との何らかの約束を得たであろうことは推測するしかない。そのためには、前後の動きが重要だろう。

「その2」に書いた通り、著作者裁判での西崎氏と松本氏の「和解1」の内容は、東北新社にとって想定外であったことが伺える。そして、PSソフト裁判一審では完全に苦境に陥っていたはずの西崎氏の立場が、著作者裁判の「和解1」で蘇った。松本氏側は、「和解1」に則り、宇宙戦艦ヤマトとは別物作品として、OVA「大ヤマト零号」のDVD発売を開始する。DVD第一巻の発売が3月31日、第二巻が5月10日と続き、5月28日にPSソフト裁判は和解(和解2)する。そして6月、三共ら松本氏側を相手取ったパチンコ裁判を、東北新社は提起したのだ。

東北新社は、和解1の前は松本氏に宇宙戦艦ヤマトの続編を作らせようとしてきた。しかし、和解1の後は、完全にコントロールの利かななくなった松本氏を、間接的に牽制する必要性を感じ始めた。ベンチャーソフトなどと組んで「大ヤマト零号」なぞ作ってしまう松本氏よりも、どうせ獄中でろくな活動ができない西崎氏に、著作者だと公表するくらい許してやる方が、遥かにマシだ。しかも西崎氏は、正当なヤマトの続編しか作る気が無い。元々、著作者人格権侵害などと言ってこなければ、西崎氏と争うべき理由などなかったはずだ...

そして、7月12日のエナジオのニュースリリース後の動きは以下だ。
7月20日:2006年の復活編公開が、新聞メディア等で取り上げられる。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072003.html
http://web.archive.org/web/20040720055515/http://www.asahi.com/culture/update/0720/003.html
7月24日:蚊帳の外におかれることが正しいのに、松本氏にコメントを求めた、事情を知らない間抜けな記事が出る。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072406.html
7月26日:松本氏が復活編に無関係であることが正しい証拠ととして、1年前の「和解1」の全てをエナジオが公表。
http://web.archive.org/web/20070515052223/http://www.enagio.com/release/old.html#040726


西崎氏としても、和解に価値があった。PSソフト裁判一審判決からは、自分が復活編を製作できる勝算は低い。しかも、最初の覚醒剤事件の刑期は満了したが、その後の銃刀法違反事件の上告が棄却され、5年6ヶ月の実刑が確定してしまった。獄中からできることは限られるし、(C)表記から松本氏の名前が消えるなら、PSソフト裁判で著作者人格権侵害を争い続ける意義も減少した。東北新社は、復活編について協議してくれるというし、松本氏に許したことと、三共らの作ったパチンコ遊技機の実際は、かなりかけ離れ、和解1に反する内容にもなっているようだから、パチンコ裁判を提起するなら敵ではない。

おいおい、歌が、まんま、宇宙戦艦ヤマト言うとるやんけ!

後は、東北新社がパチンコ裁判で請求認容判決を得るのを待って、復活編を...のはずだったろうか。ところが2006年、東北新社は三共らに負けてしまったのだ...


その1
その3
その4

ヤマト関連訴訟という場合、重要なのは4つあり、更に著作権に関する物となると3つある。そして、その3つ全てが、一審の終局判決後、控訴審段階で和解が成立している。2つ1つは裁判外の和解、1つ2つは訴訟上の和解だ。
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/history.html
上記サイトで、PSソフト裁判、著作者裁判、パチンコ裁判と表現されているものだ。

訴訟提起の順番としては、PSソフト裁判、著作者裁判、パチンコ裁判なのだが、和解の順番としては、著作者裁判、PSソフト裁判、パチンコ裁判だったので、まずは著作者裁判の和解から取り上げる。

★和解1:平成15年7月29日 訴えの取下げによる裁判外の和解★
著作者人格権の所在、つまりは著作者は誰かを争った、松本原告v.s.西崎被告の一審判決(東京地判平成14年3月25日)は、西崎氏の完全勝利だった。「映画の著作物」たる一連の8作品(最初のTVシリーズから、劇場版の完結編まで)のモダンオーサーは西崎氏であることが、詳細な事実認定から明らかにされた。この裁判は、現著作権法16条(映画の著作物の著作者)の適用による事例判断をした初めての事案として、著作権法の世界では有名な事件だ。松本氏は控訴した。

ところが翌年、完全勝利だった西崎氏が譲歩する内容で、裁判外での和解が成立した。これによって、訴訟係属そのものが遡及的に消滅した。民事訴訟法292条(控訴の取下げ)が準用する262条(訴えの取下げの効果)によって、取り下げられた訴えは、最初から係属していなかったものとみなされる。一審判決は、ヤマトの実際の権利関係とは離れて、純粋に著作権法を学ぶための事例としてしか、意味を持たなくなったのだ。しかし、一審の終局判決の後に訴えを取り下げた者は、もう同じ訴えを提起できない。再審の禁止(民訴法262条2項)という効果のみが、当事者に残った。

なお、何をもって同じ訴えと見るかは、実は法的には厄介な問題ではある。訴訟物が同一であれば、原則として同一の訴えとみなされるが、後訴の提起時に訴えの提起を必要とする合理的事情が存在すれば、同一の訴えとはみなされない(最判昭和52年7月19日、百選(3版)99事件)。よって必ずしも、この問題が再審できないわけではない、とだけ付言しておく。

この和解内容については、一時期その全文が、西崎氏の息子が代表取締役を務めるエナジオのホームページで公表されていたが、現在は削除されてしまっているようだ。しかし、Internet Archiveには、残っていた。
当時のニュースリリースページ
和解書PDF
確認書PDF

ぼかされているのは、氏名・住所などの部分だろう。また、和解書における「別件映画」とは、過去の宇宙戦艦ヤマトの8作品(TVシリーズから、劇場版の完結編まで)のことであろう。

この和解には、西崎、松本両名以外に、株式会社ベンチャーソフトという会社が加わっているので、少し触れておく。この会社は、平成11年7月23日設立の株式会社レイジ・マツモト・アソシエイツが、同年12月14日に商号変更して生まれ、平成12年1月の松本氏の誕生パーティと共に設立発表されている。
http://homepage1.nifty.com/akk-yihitk/reishi.htm
http://yasai.2ch.net/venture/kako/987/987922146.html
(香ばしい...少し懐かしい部分も(苦笑))
翌平成13年、江守商事と共に、ヴィームを設立(平成16年11月解散)。
http://www.emori.co.jp/ir/enpri_report_46/03.html
そして、平成17年12月1日にはアニメーションソフトと商号変更し、翌18年6月19日解散した。

この解散の煽りを食らったのが、OVA「大YAMATO零号」だ。

その後、紆余曲折あって、やっとDVD-BOXが発売されたが、一般市場向けには、なんと昨年10月24日に発売されたばかりだ。時期的に、東北新社のパチンコ裁判の和解を前提にしていたことは間違いないだろう。
http://www.daiyamato-box.com/

つまり、和解書に出てくる「大銀河シリーズ 大ヤマト編」という松本氏側のヤマトは、結果的に「大YAMATO零号」となった。しかし、ベンチャーソフトが作ろうとしていたのは、本当は別のヤマトだった。
http://web.archive.org/web/20020206062040/http://www.venturesoft.co.jp/news/newsrelease/2002/y20020125-1.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88

何故、松本氏が小学館で連載していた「新宇宙戦艦ヤマト(グレートヤマト)」ではなく、「大YAMATO零号」になったのかは、和解書の第5項を読めば分かる。松本氏&ベンチャーソフトは、過去の宇宙戦艦ヤマトと無関係な作品しか、西崎氏に製作を許されなかったのだ。だから、過去のヤマトと無関係な新作として、「大YAMATO零号」を作った。

しかし、この和解の遥か前の平成11年1月25日、松本氏は東北新社との間で、「宇宙戦艦ヤマト等に関する合意書」を交わしていることが、パチンコ裁判の中で判明している。
合意書の4条には、以下の記述がある。(甲=松本氏、乙=東北新社)
--
1項
「甲は,乙の対象作品に関する上記の権利の行使が円滑に行われるように,全面的に協力する。」
2項
「乙は,甲がヤマト作品に関連する新作の企画を希望する場合,これに全面的に協力する。ただし,甲は,乙に対し事前に企画内容の詳細を通知し,説明する。」
--

つまり松本氏は、自らが正当な著作者であったかどうかなど関係なく、著作権者たる東北新社との間で、既に宇宙戦艦ヤマトの二次的著作物たる「新宇宙戦艦ヤマト」を作る際の、何らかの協力関係を築いていたのだ。この合意の4日前、平成11年1月21日に、西崎氏の覚醒剤事件の控訴が棄却されている。ベンチャーソフトは、正にその合意のできた年に設立された会社であり、レイジ・マツモト・アソシエイツは設立1ヵ月後に、松本氏と、「新宇宙戦艦ヤマト」の映像化等の契約を締結している。

西崎氏の有罪が確実となった時点で、著作権者たる東北新社は、松本氏と組む選択をしたのだろう。ダークなイメージの西崎氏ではなく、松本氏が著作者である方が、新作の宣伝には適している。つまり、西崎氏は、東北新社から切り捨てられたのではないか?

遡れば、平成9年12月に、西崎氏は最初の覚醒剤取締法違反で逮捕され、翌10年3月公開の劇場作品「銀河鉄道999エターナル・ファンタジー」に、最後にほんの少しだけ、宇宙戦艦ヤマトそのものが出ていた。(この映画は大外れだったが、デジハリ時代の知り合いが就職先でCGを担当していて、煙のパーティクル表現のレンダリングが重くて重くて大変だと聞かされていたが、案の定、煙というよりエクトプラズム?というような、酷い煙になっていた。)これは、松本氏の意向に沿った作品だが、東映アニメーションの劇場作品にヤマトを出すには、どう考えても、著作権者たる東北新社の許諾を得たはずだ。

つまり、西崎氏のイメージダウンと反比例する形で、イメージの良い松本氏がヤマトの新作を作ることを、著作権者たる東北新社はバックアップしてきた経緯が見て取れる。

にもかかわらず、和解によって、松本氏による宇宙戦艦ヤマトの続編製作の道が封印され、西崎氏による復活編の製作が、逆に合意されてしまったのだ。続編を作って欲しい相手がパチモンを作り、作って欲しくない相手が続編を作るという合意だ。とても著作権者として、納得できる結果ではない。

西崎氏からすれば、松本氏が著作者でないという一審判決が出たところで、実は大した意味がなかった。

http://web.archive.org/web/20020401221821/http://www.venturesoft.co.jp/news/newsrelease/2002/y20020329-1.htm

そんなことと無関係に、著作権者たる東北新社が松本氏に許諾を与えて、続編を作らせようという動きが存在する以上、松本氏が続編を製作できない判決が必要だった。しかし、そんな判決は出るはずがない。すると、一見西崎氏が譲歩したかに見える和解内容が、西崎氏にとっては、一審判決よりもベストな答えだったのだ。

この和解に対して東北新社は、プレスリリースで反論した。

http://web.archive.org/web/20031203222016/http://www.tfc.co.jp/news/030806.html
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/recon3.html#tfc
東北新社の複雑な心境が読み取れると言うと、深読みし過ぎだろうか?

字面では西崎・松本両者の作品を同等に否定しているのだが、それに伴う行動は起こしていない。
逆に、松本氏が「大銀河シリーズ 大ヤマト編」を製作することについて、「松本零士氏は、株式会社東北新社から新作製作についての全面的な協力合意を得ております」とのベンチャーソフトのプレスリリースがあるわけだ。
確かに、「大YAMATO零号」のDVDが、販売差止請求されたなどという話は聞いたことがない。

更に言うと、松本氏の漫画は、東北新社の著作物の二次的著作物だ。松本氏がその続編漫画を公表するなら、東北新社の許諾が必要だ。小学館のサイトからは、当時からずっと、「新宇宙戦艦ヤマト(グレートヤマト)」の一部が公衆送信され続けている。まさか、こっそり同人誌を作って、無許諾で公開しているわけではないだろう。
http://ginga999.shogakukan.co.jp/yamato/

東北新社は、松本氏に続編を作らせようと、長らく考えていたのだろう。

-----以下、蛇足的だが、和解書と確認書についてもう少し詳しく見たい人のために、著作権法を16、15、29条の順におさらいしておく。

--
16条:映画の著作物の著作者
映画の著作物の著作者は、その映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者を除き、制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。ただし、前条の規定の適用がある場合は、この限りでない。
--

映画の著作物とは、絵や音楽などの一般的な著作物とは、著作権法上の扱いが異なる。前者の著作者をモダンオーサー、後者の著作者をクラシカルオーサーと呼び、16条でその分担を明確にしている。映画のように、多人数が創作に関わる著作物では、それら全員を共同著作者としてしまっては、何をするにも全員の許諾を求める必要が生じ、実質上著作物の円滑な運用を阻害する。特に映画は、商業目的に製作される場合を念頭に置いており、権利関係の簡略化の要請が強い。そこで、「全体的形成に創作的に寄与した者」のみを、映画の著作物の著作者に限定した。映画の著作物の元となる、原作小説やら音楽やら、アニメなら原画やら、個々の著作物(複製ないし翻案される原著作物)の著作者(クラシカルオーサー)は、映画の著作物の著作者から除外されたのだ。
しかし、モダンオーサーから除外されても、クラシカルオーサーにとって映画の著作物は、自らの著作物の二次的著作物に該当するので、映画の著作者に認められる著作権(21~28条)と同等の権利を持ってしまう。よって、事前の契約によって、これを制限する特約を盛り込むことが、映画の著作物の円滑な利用には重要となる。

例えば、最初の「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズの次に、これを再編集した最初の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」が西崎氏によって公開された。この際、松本氏は劇場版に関わっていないのだが、その大ヒットを知り、公開から一週間後になって、西崎氏に対価の支払いを求めた。そして西崎氏は、これを争わずに1000万円支払った。
当事者達が意識していたかは知らないが、松本氏が、映画の著作物たるTVシリーズのクラシカルオーサーであったなら、その二次的著作物である劇場版に対して、この様な請求をすることが可能なわけだ。現在なら、この様な要求をクラシカルオーサーにさせないため、事前に権利行使を制限する特約を盛り込んだ契約書が交わされるだろう。

--
15条1項:職務上作成する著作物の著作者
法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
--

15条1項は、職務著作を規定している。「使用者の発意」「使用者の業務に従事する者」「職務上作成されたもの」「使用者の名義」「契約、勤務規則その他に別段の定め」という要件で、自然人でない法人を著作者とする。これは、単に著作権を法人が得るのと異なり、著作者人格権まで法人が得るので、実際に創作したはずの自然人には何も残らない。

16条でモダンオーサーとなるべき監督やプロデューサーも、所属する映画製作会社の仕事として関わった場合、15条1項で自動的に、著作者としての立場を法人に奪われる(という表現は語弊があるが)。

ところが、フリーランスの監督が、委託されて映画の著作物の製作に参加した場合、15条1項は使えない。そこで出てくるのが、29条1項だ。

--
29条1項:映画の著作物の著作権の帰属
映画の著作物(第十五条第一項、次項又は第三項の規定の適用を受けるものを除く。)の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。
--

映画製作に参加を約束すると、外部の監督でも、著作権だけは映画製作会社に奪われる。残るのは著作者としての著作者人格権のみだが、映画製作に参加する場合の契約書では、著作者人格権の不行使特約が盛り込まれるのが通常だ。つまり、ちゃんと契約書があれば、本来の著作者は何もできない。契約書がなくとも、映画の著作物の著作権は、全て映画製作会社に集まる。映画の著作物とは、これほど特殊な扱いを受ける著作物なのだ。


----では戻って、和解書の第4項と確認書を見てみよう。
和解書第4項は、西崎氏と松本氏の両名はモダンオーサーで、加えて松本氏は、クラシカルオーサーでもあるという内容だ。そして、確認書の第1項で、クラシカルオーサーの著作権行使を制限している。

8作品のうち、公開当時の表記としては、
1「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズ(昭和49年10月6日~50年3月30日)
2「宇宙戦艦ヤマト」劇場版(昭和52年8月6日)
3「さらば宇宙戦艦ヤマト」(昭和53年8月5日)
4「宇宙戦艦ヤマト2」TVシリーズ(昭和53年10月14日~54年4月7日)
5「宇宙戦艦ヤマト・新たなる旅立ち」(昭和54年7月31日)
6「ヤマトよ永遠に」(昭和55年8月2日)
→オフィス・アカデミー
7「宇宙戦艦ヤマトIII」(昭和55年10月11日~56年4月4日)
→東京動画
8「宇宙戦艦ヤマト・完結編35mm」(昭和58年3月19日)
 「宇宙戦艦ヤマト・完結編70mm」(昭和58年11月5日)
→ウエスト・ケープ・コーポレーション
が製作会社のようだが、後の訴訟で提出された東北新社への著作権譲渡契約時の資料では、6・7・8がウエスト・ケープ、1~5がオフィス・アカデミーの著作物を著作者とされていた。異なる理由は知らない。

問題は、西崎氏が映画製作者であったか、法人が映画製作者であったかで、職務著作の帰属が変わってしまう点だ。
オフィス・アカデミーにしても、ウエスト・ケープにしても、西崎氏自身の会社だ(ウエスト=西、ケープ=岬...つまり西崎氏の苗字)。個人と法人が一体的であることが、厄介な問題を生む。

実は、この和解の3ヶ月前に、角川映画著作権確認事件(東京地判平成15年4月23日)というのがあった。
いわゆる角川映画の製作者は、角川春樹氏ではなく、春樹事務所又は角川書店だとされた判決だ。角川春樹氏の主張では、契約書では春樹事務所が映画製作の当事者として記名捺印しているが、同事務所の法人格は形骸化しており、自身と同一であり、契約の主体は実質的に角川春樹個人であるというものだった。しかし裁判所は、法人こそが映画製作者だと判決した。詳細な理由は省くが、気になる人は調べてみると良い。

ヤマトの著作者が誰かという問題も、西崎氏とその個人会社の法人格の問題であり、上記判例は見過ごせないはずだ。しかし、和解書によれば、西崎氏個人がモダンオーサーとされており、映画製作者が自身であったというのが、西崎氏の認識であったことがうかがえる。西崎氏がモダンオーサーであったという前提に立つなら、著作権は当初、西崎氏個人に集中し、その後、法人に譲渡されたかどうかという問題になる。

松本氏は、業務委託を受けている立場なので、モダンオーサーにはなれるが、映画製作者が西崎氏だろうと、法人だろうと、どのみち29条1項で著作権は無いだろう。二人がモダンオーサーである以上、二人から著作者人格権は奪えない。しかし、権利行使を制限することはできる。そこで、西崎氏のみが著作者人格権を行使できるという内容で和解した。


東北新社は平成8年12月20日に、当該著作権を包括的に譲渡された立場だったが、西崎氏個人からなのか、オフィス・アカデミーやウエスト・ケープという法人からの譲渡だったのかが、パチンコ裁判では問題になった。しかし、問題になった原因の一端は、この和解書の記述の曖昧さから、西崎氏の認識にあったのではないかと思えなくもない。

もちろん東北新社のプレスリリースでは、「1996年12月20日に西崎氏本人(氏の関連会社も連帯)から譲渡を受け」という書き方でフォローしている。著作権者の可能性のある者全てが連帯して著作権譲渡した、ということを主張しているのだ。この契約内容も、以下に紹介されている。(素晴らしいですね)
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/contract199612.html

ちなみに、この10条はやはり重要に思えるのだが、パチンコ裁判において被告側から主張されたにも関わらず、裁判所の判断には至らなかった。

んーー、長いな...続く...か?

その2
その3
その4

東京国際アニメフェア2009にて、
http://www.tokyoanime.jp/ja/

東北新社によって、宇宙戦艦ヤマトの新作劇場版が、年内公開とアナウンスされた。

http://www.oricon.co.jp/news/confidence/64286/full/
http://animeanime.jp/news/archives/2009/03/post_704.html
http://www.gigazine.net/index.php?/news/comments/20090318_taf2009_yamato/

今年のアニメフェアには、うちの会社は出展していないので、間接的に報道されている事実しか知らないけれど、ヤマトファンの"大きなお友達"には、嬉しい知らせだろう。ところが、ヤマトの著作権を巡る長年の争いを一度でも調べたことがある者なら、決して安心できるような発表ではない。

何故なら、今回の発表された新作のストーリーは、1994年(バンダイビジュアルから発売の宣伝用VHS・LD、「宇宙戦艦ヤマト胎動編 ヤマトわが心の不滅の艦」)から西崎氏が何度も製作しようとしてきた、「復活編」と呼ばれる新作のソレそのものにしか見えないからだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88_%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%B7%A8

http://www.geocities.jp/space_battle_ship_yamato_200x/yamato.html

http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072003.html

http://www.j-cast.com/2006/10/02003179.html

ニコニコには、当時公表された動画まで上がっている。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4171760


ところが、今回の東北新社の発表に関する報道に、西崎氏の名前が無い。しかし、松本氏の名前はある。

単に、報道に抜けているだけなら良いが、過去にこれだけ話題になってきた人物の名前があれば、記者が書き落とすとは思えない。東北新社のホームページを見ても、まだ新作に関するニュースリリースも無いので、これ以上のことが分からない...


さて、この不安を共有してもらう(自分だけ不安なのは悔しい)には、その問題認識の前提となる、事の経緯を知る必要があるだろう。しかし、はっきり言って、ヤマト関連の醜い争いを一から説明すると大変なことになるので、経緯を知らない方は、2006年末の時点までをまとめられているブログや
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/ClapHand/eid/411972/cid/25910/

以下のサイトをどうぞ。
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/history.html


問題は、東北新社が三共などに負けた一審判決:東京地裁平成18年12月27日

http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1274

http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1275

の後だ。なんと昨年末、この訴訟"も"控訴審途中で和解してしまったわけだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081215/trl0812152023017-n1.htm

http://www.tfc.co.jp/news/detail.php?reg_id=203


しかも、一審で負けた東北新社が、和解金2億5000万円を得るという大逆転の内容に、誰もが驚いたはずだ。



一審判決から後、和解までの間、最初の劇場公開から30周年を迎えたヤマト周辺の動きは活発だった(一審係属中と思われる、TVシリーズ開始から30周年の時と比べて)。

http://lalabitmarket.channel.or.jp/site/feature/yamato_helmet.html

http://lalabitmarket.channel.or.jp/site/feature/deslar_wine.html

DVD-BOXや、関連グッズの発売が続いた。

  平成19年8月     平成20年2月

東北新社の文字もある宣伝ページに、西崎氏のメッセージが写真付きで公開されているのに、松本氏が一切触れられていないのが印象的だった。
http://www.dot-anime.com/tb/yamato/

そして8月、西崎氏自身が、正に今回東北新社の発表しているストーリーと同じ内容で、新作の製作を発表したばかりだったわけだ。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/08/01/13.html

http://eiga.com/buzz/20080804/1

この時点で
>今回は西崎氏曰く「全てがクリアに」なっての再始動だ。

と書かれていたのが気になっていた。和解の結論が予定されていたのだろうか?

しかし、当時の予定では、エナジオが中心となって製作される予定だったわけで、何か西崎氏の想定とは違ったことになっているのではないだろうか?

東北新社の和解は、西崎氏の想定の内か外だったのか、非常に気になる。


実は、ヤマトの著作権問題をややこしくしている理由の一つが、この控訴審段階での和解の繰り返しだ。

和解のもたらした弊害については、次のエントリーとしよう。




ま、著作権情報集中管理機構設立に関わってる人物なので、この人がJASRAC批判に批判的なのは、当たり前ではあるが、ポリシーウォッチのサイトに、以下のコメントを入れた。

--

まさか、両者が関わってルールが決まっていて、長年慣行として続いてきたものなら、無批判に尊重されるべき、などとは考えてないですよね?

新規参入を促すための、著作権等管理事業法に関わったのなら、現状で新規参入が阻害されていることに対して、何かしらの問題意識は持ってらっしゃいますよね?

それでも、公取の行動を批判されるというのなら、理解に苦しみます。
現実に疑問を持っていない、慣行を無批判に尊重されているなら、納得です。
あなたは、JASRACを批判すること自体に否定的なのかもしれませんね。

また、片方だけに命令を出すのが片手落ちだとしても、JASRACはサービスの提供者側なのですから、当たり前です。それとも、利用者側の放送局にも命令を出すべきだったというのですか?
利用者側にまで命令を出さなければならない程までに、両当事者間の癒着が深いというのなら、その方が驚きです。その癒着構造を、文化を盾に正当化してはい けません。それ程、文化たるコンテンツ産業が腐っているのなら、それに対してアクションを起こした公取は、たとえ片手落ちであっても、賞賛こそあれ、批判 されるべきではありません。

あなたの論理では、サービス提供者側に命令を出しても無駄と言えるような、競争の無い談合体質も、文化と言ってしまえば保護され、思考停止です。そ もそも、JASRAC以外の著作権等管理事業者は、要らないことになります。著作権等管理事業法に関わった人物の意見とは、思えません。

また、公取が実務を理解しないで口出ししているというのは、公取を馬鹿にしすぎです。公取と、検察の動きをごっちゃに論じるのも、論理の飛躍でしかありません。その程度の認識しかなくして、霞ヶ関の思惑などと言うのは、かなり的外れです。

私は、著作者側の人間であって、あなたの言う両当事者からは外れている立場ですが、クリエーターの立場からは、公取の行動を賞賛する声ばかりです。

--


http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10222415770.html

んんーー
これ、地裁の時から引き合いに出されてるメールですな。
なんか、かなり微妙なものを公開(注)していると思うのだけど...
訴訟記録に含まれるかね?
含まれるとしても、公表を予定されていなかった著作物だろうか?
いや、社員の相当数に送られている?

ちょっと真面目に考えてみよう。

~裁判の公開主義と、訴訟記録の閲覧自由、訴訟手続等における著作物の複製物の目的外使用について~


 第一に、憲法82条によって要請される、裁判の公開主義は、当事者以外の一般第三者が審理を傍聴できることを保障する。しかし、この原則は、訴訟記録についてはそのまま適用されるものではない。民訴法は、公開原則の趣旨を尊重し、一般第三者の閲覧権(91条1項)を認めているに過ぎない。
 第二に、著作権法は、裁判手続等における必要と認められる限度において、著作物の複製を認めている(42条1項)。著作者に無断で複製しても、複製権(21条)侵害にならない。しかし、その目的外で、著作者に無断で当該「複製物を頒布し、または当該複製物によって当該著作物を公衆に提示した者」は、複製権侵害に該当する(49条1項)。
 よって、訴訟記録に著作物が含まれる場合、著作者でなくとも、民訴法上はその閲覧権が認められるが、著作権法上は、著作者に無断で当該著作物を公衆に提示することは許されない。また、当該著作物が、訴訟前に未公表の著作物であった場合、著作者人格権として著作者に認められた公表権(著作権法18条1項)は、憲法の定める公開原則を尊重する民訴法の閲覧権に劣後し、失われると考えるべきである。例外的に、閲覧が制限されるのは、民訴法92条1項各号に該当する、秘密保護目的の場合であり、この判断に著作物性は影響しないであろう。
 つまり、訴訟記録に含まれた著作物は、全て公表された著作物とみなされた上で、訴訟手続等の目的外での著作権侵害を検討することになる。


 本件においてタカポン(ホリエモン)は、著作者に無断で、その著作物たるメールを複製し、インターネット上に公開しているものと思わる。当該行為は、電気通信回線に接続している自動公衆送信装置たるサーバに、当該複製物を自動公衆送信し得る状態に置いたことになる。
 これらの行為は、著作権法上の複製権、送信可能化権(2条9項の5)、自動公衆送信権(2条9項の4)の侵害に該当する。


 その他、名誉毀損やプライバシー権侵害に該当する場合、著作権侵害と別に、不法行為(民法709条)にを構成するであろう。

以上

どうだろ。まあ、こういう事例だと微妙な気がするけど、例えば有名な書籍が訴訟記録に含まれた場合に、それが著作権を無視してインターネット上で全文公開される場合とか考えれば、ありえないと思うわけだ。

と、ここまで書いて気づいたけど、これは引用か?
そう考えると、引用であることも、主従関係も明確だ。
でも、全文だし、公表の問題の処理は必要だよな...


参考
http://civilpro.law.kansai-u.ac.jp/kurita/copyright/commentary/Act42.html





注)2009/3/15追記:
最初にリンクした、takaponさんのブログから、問題のメール全文の印刷物からのスキャン画像が、削除されていることを確認しました。このブログが関係したかどうかは、全く知りません。ちなみに個人的には、裁判は頑張って欲しいと、応援してます。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20389472,00.htm?tag=nl
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/06/055/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090306/326069/


音楽に限らず、将来的にあらゆる著作権を牛耳ろうという団体が誕生してしまった。
どうしてこんなに、恐ろしい団体名を思いつくのだろうか(苦笑)
集中処理よりも、分散処理とかして欲しいな。

何年かしたら、日本にとって残念な日の始まりだったと、思い起こされる時が来ないことを祈る。


CDCはまず2009年5月の実験システムの稼働に合わせて,本システムの競争見積もりを実施する。本システムの本格運用開始は2010年4月を予定する。システム構築費は,「概算だが2億円から2億5000万円を想定している」(CDC理事の佐々木氏)という。

3月に設立発表した団体が、その最も重要な、核心となるであろうシステムについて、これから入札を実施するという段階にも関わらず、2億だか2億5千万円で、もう5月から実験システムが稼動するだと?

どういう会社が、どういう経緯で受注するのか、興味を持たずにいられない。

まあ、どうせシステムを作るなら、クリエーターと、著作物の利用者が、安価な取引費用で直接市場を形成できるような、中間業者を排除できるシステムを作ってくれないものだろうか。彼らには無理なのは分かってるけど(苦笑)
ニコニコとは、ちょっと違う感じでさ。

恐らく、JASRACが、音楽以外にまで触手を伸ばそうとしているようにしか見えないのが、えらく気に入らないのかもしれないが、こういうのと比べると、
http://maruko.to/2009/02/google.html
Googleが健全だと感じてしまうのは何故だろう...

作ってみたけど使わなかった資料。

著作権関係の書籍とかに掲載されてる図が、どれも分かり辛いんだよね。

音楽ビジネスs50.jpg

水色が、著作者もしくは実演家で、自らの行動で何かしらの権利を獲得する者で、灰色が、そこから権利を譲渡させたり信託させて、主体的には何も生み出さずに利益に預かる者です。

ま、今の時代、原盤制作会社自体、無くても良いと思いますが。

http://www.kottolaw.com/column_090210.html
ここで知ったのだけど、

http://books.google.com/intl/ja/googlebooks/agreement/
こんなことになっている。
http://books.google.com/booksrightsholders/
ははは...

http://it.nikkei.co.jp/business/netjihyo/index.aspx?n=MMITs2000028112008
http://it.nikkei.co.jp/business/netjihyo/index.aspx?n=MMITs2000008122008
他人事ではないのだけど、イマイチ話題になってないような...

まあ、とりあえず、使ってみて考えよう。反対するかどうかはそれからだ。
http://books.google.com/

あ、スニペット(抜粋)表示って、横書きの英文向きだから、縦書きの書籍だとかなり無意味だなw

番組の海外転送サービスは「適法な行為」 テレビ局側、逆転敗訴
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0901/27/news121.html

感動した。判決を読みながら、感動した。

以前、中山先生の発言に感動したことがあるのだけれど、
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6a250f427f466cbda2e39990c7286cf0
http://www.businesslaw.jp/blj-online/interview/000028.html
この情熱が伝わったかのような判決文だった。

http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=4093

このロクラク事件で、そもそも被控訴人(TV局)側は、
1 本件サービスの目的
2 機器の設置・管理
3 親機ロクラクと子機ロクラクとの間の通信の管理
4 複製可能なテレビ放送及びテレビ番組の範囲
5 複製のための環境整備
6 控訴人が得ている経済的利益
を総合すれば,控訴人(日本デジタル家電)が本件複製を行っていることは明らか

と主張していたのだ。

これ、何が問題だったかと言うと、簡単に言えば、権利者に無断でTV番組を録画して、それを見せて利益を得ると、著作権(複製権)侵害ですよってことだ。今まで同様の事案で、裁判所がとってきた態度だった。

ところが、実際のところは、録画しているのも、見ているのも、サービスの利用者個人だ。利益を上げているサービス提供業者じゃない。複製行為の主体は、個人の利用者だ。そして、個人が、私的にTV番組を録画し、それを後で見る行為は、著作権侵害とは言わない。YouTubeにアップするのとは違い、録画した本人だけしか見ることができないのだから、著作権法上認められている、私的使用のための適法行為のはずだ。なのに、裁判所の常識は、違っていたのだ。

今回の判決から引用するなら
「著作権法30条1項(同法102条1項において準用する場合を含む。)に規定する私的使用のための複製として適法なものであることはいうまでもない」のに、今までは違っていたわけだ。

この、今までの判決が認めていた、権利者側の非常識な論理の根拠が、「カラオケ法理」というやつだ。その昔、クラブキャッツアイ事件(昭和63年3月15日最高裁判決)というので作られた論理だ。

カラオケスナックの経営者が、客が歌う曲の使用料をJASRACに払うことを拒んで負けた事件で、JASRACに何で金を払うのか、JASRACの言い分を正当化するための法理だった。

本来客は、歌唱するだけで、利益を得ていなければ、著作権(演奏権)侵害にはならない。利益を上げることが、侵害の要件だからだ。客が自ら選曲し、カラオケ装置をコントロール(ホステスがすることもあるかもしれないけど)して、曲を流し、自ら歌う。何か問題が?

そこで、何とか著作権侵害にするために、カラオケ装置を設置したスナック経営者を、侵害行為主体にしようという発想が生まれた。スナック経営者は、カラオケ装置を設置することで、集客につながるのだから、利益を得ているじゃないか、と。自ら演奏も歌唱もしてないけど...

そこで、侵害行為主体の転換、という必要性が生まれた。やってない人を、やったと言うための論理だ。これがカラオケ法理だ。

ポイントは、サービスの目的、その管理、及びそれによる営業上の利益だ。
これを備えている奴は、演奏してなくても演奏してるのと同じだとされた。

歌唱の行為主体がカラオケスナック経営者だとなれば、これで利益も得ているので、演奏権侵害の要件を満たす。だから、JASRACに金を払えと。

まあ、ここまでなら、今の社会常識なら、何となく受け入れられるだろう。当時は、斬新だったのだろうけど。
ところが、この法理が一人歩きを始めて、厄介なことになる。


①行為(提供されるサービス)の性質
②管理支配性
③図利性
これらを総合考慮して判断し、自ら著作物の利用行為をしていないサービス提供者を利用主体とみなす法理だけが、カラオケじゃない事例でもバンバン使われ始めた。

象徴的だったのは、ファイルローグ事件だ。P2Pのファイル共有ツールで、インターネットを介した音楽ファイルの交換がされたケースで、不特定多数の相手とファイル交換して、著作権(複製権、公衆送信権、送信可能化権)侵害したのはユーザー個人だったけれど、交換の場を提供した業者が、侵害行為主体とされた。
http://e-words.jp/w/E38395E382A1E382A4E383ABE383ADE383BCE382B0E4BA8BE4BBB6.html
この時、サービスは無料だったわけだが、ソフトのダウンロードサイトに広告バナーがあった点から、③図利性が認められた。利益なんて出てなかったらしいけどね。

でもまだ、これは野放しされるべき状態ではなかったから、なんだかJASRACの言い分が正しいような気がして、こういう発想の転換みたいなのは、否定されるべきではないような雰囲気があった。そして、アナログ時代の古風なカラオケ法理が、インターネットのデジタル社会にも通用するんだ!というのが、裁判所スゲー、という驚きと共に受け入れられた(と思う)。(個人的意見としては、ノーティス・アンド・テイクダウンという、権利者からの削除要請に応えるシステムがあったのに、JASRACが著作物の削除要請を一切せずにサービスを潰したことが、理不尽だとは思っているし、言いたいことは色々あるけど、まあそれは今回はおいておく。)


ところがだ...

インターネットの普及に伴い、様々なビジネスチャンス、ビジネスモデルが生まれたけれど、それらには共通点があった。ネットやデジタルの特徴として、無体物たるデジタルな著作物を扱うことに長けている。容易にデジタルコピーできる知的財産たる著作物は、ネット社会に最適なコンテンツだった。

もちろん、YouTubeに代表されるような、あからさまに著作権侵害が生じているサービスもあるけれど、必ずしもそうではない。むしろ、権利侵害が生じないように、サービス提供者が細心の注意を払っている、適法で便利なサービスを望む利用者にとって有難い、ネット社会ならではのビジネスが生まれた。そしてそれらのビジネスのほとんどが、JASRACとTV局によって、潰された。カラオケ法理を使って...

例えばMYUTA事件だ。
http://www.infocom.co.jp/cone_new_jp/info/press/2005/p05111402.html
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 今回ご提供するサービス「MYUTA」は、パソコンから「MYUTA」のサイトにアクセスいただき、会員登録の後、操作手順に従って設定するだけで、150MB(約100曲分)相当の音楽データを保存する事ができ、かつパソコンと携帯電話が紐付いた、自分だけの(オンリーワン)・安全な(セイフティー)ボックスをインターネット上に持つ事ができる画期的なサービスです。(オンリーワンセイフティーボックス機能。)

 インターネット上における自分だけのオンリーワンセイフティーボックス機能は、「自分だけのオンリーワンセイフティーボックス」という観点により、著作権法上で認められている私的複製の領域内のサービスとして位置づけられ、個人のパソコンに発行するアクセスキーと携帯電話固有のキーを紐づける事で可能となり、携帯電話利用者が所有するCD楽曲等のパソコンに取り込んだ個人使用を目的に収集した音楽データを、インターネット上に安心・安全な方法でファイリング/カタログ化し、携帯電話でいつでもどこでもアクセスやダウンロードしてお楽しみいただく事を実現します。
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このサービスが、サービス提供者が侵害行為主体に置き換えられたために、私的複製ではないとされた。つまり、個人が自らが所有する、著作物の複製物たる音楽CD等から、楽曲を自らが使用するためだけに、著作権者に無断で自らストレージサーバにアップできるサービスは、著作権侵害になった。インターネット業界は、吃驚仰天した(と思うw)。

今回のロクラク事件同様の、放送番組の遠隔地視聴サービスでは、「録画ネット事件」が先例だ。
http://www.6ga.net/
また、類似しているけれど、かなり違う、集合住宅向けの放送番組の共同利用型録画サービスでは、「選撮見録(よりどりみどり)事件」が先例だ。それぞれ平成17年頃から相次いで判決が出て、カラオケ法理で潰された。

似たようなサービスは色々あったと思うけれど、何が適法なのか、誰にも確信が持てなかった。
例えば、これは今でも、違法だろうか?
http://slashdot.jp/articles/03/11/19/0758254.shtml

そんな中、唯一、サービス事業者が勝利したのが、「まねきTV事件」だった。
http://www.manekitv.com/
これは、ソニーのロケーションフリーベースステーションという製品を使ったサービスで、録画機能が無かった。まねきTVに、自分の所有するベースステーションを預けて、データセンターでネット接続とアンテナ接続しておいてもらえば、ベースステーションが受信できる国内のTV放送を、ネット経由で海外からでも視聴できるサービスだ。海外赴任するサラリーマンには、日本のTVを見るために、有難かったのではないだろうか。

ベースステーションは市販品で、1台に1人しか接続できない。共有サーバで、多人数が同時アクセスする状況ではないので、著作権法の公衆送信権侵害の要件の、公衆からの接続が無い。これを権利侵害と言い張るために、TV局は、以下の主張をした。
・多数のベースステーションが、一つのアンテナから分配機で放送を受信している。
・多数のベースステーションは、ケーブル、HUB、ルーター等で接続されている。
・一つのIPアドレスをルーターでポートフォワーディングすることで、多数のベースステーションが、それぞれの利用者に送信している。
だから、「単一の情報源からの著作物等を公衆に分配する機能を有する装置として、全体としてみれば、著作権法99条の2の送信可能化権との関係においては、一つの自動公衆送信装置として評価されるべきものである。」と。

つまり、簡単に言うなら「サーバラックにベースステーションが並べてあれば、ラック全体で1台の装置だ」という無茶な主張だ。無茶だけど、MYUTA事件を見れば、無茶とも言い切れない怖さがある。データセンターに詳しい人なら、ハウジングと共用のホスティングサーバの違い程度の話だと言えば、理解し易いだろう。

しかし、とにもかくにも裁判所は、流石にこのTV局の無茶振りは許さなかった。しかし同時に、このケースしか適法となった事例が存在しなかったことで、違法とされた事例との決定的な差として、「録画」の有無が注目された。どんなに便利で素晴らしいサービスでも、「録画はアウトにされるんじゃないか?」という雰囲気が、著作権の世界では蔓延していた。

ご他聞にもれず、本件ロクラク事件の第一審は、カラオケ法理でアウトにされた。そして今回の控訴審でも、TV局はお馴染みのカラオケ法理を適用するため、冒頭の6つを総合すれば,日本デジタル家電が著作権(複製権)侵害の行為主体だ、と主張していたわけだ。

この流れに反対の意を唱えていた、知財法の大家(元東大法学部教授、現弁護士)が、中山先生だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E4%BF%A1%E5%BC%98
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン代表と言った方が、著作権に興味のある人には理解し易いだろう。

そして、この中山先生の情熱が、今回の判決に伝わったのだと、僕は判決理由を読みながら、感動した。

特に印象的だった部分を以下に抜粋する。
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かつて,デジタル技術は今日のように発達しておらず,インターネットが普及していない環境下においては,テレビ放送をビデオ等の媒体に録画した後,これを海外にいる利用者が入手して初めて我が国で放送されたテレビ番組の視聴が可能になったものであるが,当然のことながら上記方法に由来する時間的遅延や媒体の授受に伴う相当額の経済的出費が避けられないものであった。

しかしながら,我が国と海外との交流が飛躍的に拡大し,国内で放送されたテレビ番組の視聴に対する需要が急増する中,デジタル技術の飛躍的進展とインターネット環境の急速な整備により従来技術の上記のような制約を克服して,海外にいながら我が国で放送されるテレビ番組の視聴が時間的にも経済的にも著しく容易になったものである。

そして,技術の飛躍的進展に伴い,新たな商品開発やサービスが創生され,より利便性の高い製品が需用者の間に普及し,家電製品としての地位を確立していく過程を辿ることは技術革新の歴史を振り返れば明らかなところである。
本件サービスにおいても,利用者における適法な私的利用のための環境条件等の提供を図るものであるから,かかるサービスを利用する者が増大・累積したからといって本来適法な行為が違法に転化する余地はなく,もとよりこれにより被控訴人らの正当な利益が侵害されるものでもない。

したがって,本件サービスにおいて,著作権法上の規律の観点から,利用者による本件複製をもって,これを控訴人による複製と同視することはできず,その他,控訴人が本件複製を行っているものと認めるに足りる事実の立証はない。
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なお、カラオケ法理に関しては、
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クラブキャッツアイ事件最高裁判決は,スナック及びカフェを経営する者らが,当該スナック等において,カラオケ装置と音楽著作物たる楽曲が録音されたカラオケテープとを備え置き,ホステス等の従業員において,カラオケ装置を操作し,客に対して曲目の索引リストとマイクを渡して歌唱を勧め,客の選択した曲目のカラオケテープの再生による演奏を伴奏として他の客の面前で歌唱させ,また,しばしば,ホステス等にも,客とともに又は単独で歌唱させ,もって,店の雰囲気作りをし,客の来集を図って利益を上げることを意図していたとの事実関係を前提に,演奏(歌唱)の形態による音楽著作物の利用主体を当該スナック等を経営する者らと認めたものであり,本件サービスについてこれまで認定説示してきたところに照らすならば,上記判例は本件と事案を異にすることは明らかである。
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強調しよう。
>上記判例は本件と事案を異にすることは明らかである。

分かったかい?TV局さん。

最高裁...ひっくり返さないでね(^^;;

ちょっと古いけれど、去年、法と経済学の授業で提出したレポートが出てきた。まあ、授業のレポートなので、用語の誤用や、授業内容そのものに触れる内容でもあって、あまりブログに掲載するようなものではないかもしれない。でも、ちょっと公の目にさらしておきたい内容でもある。ちなみに、成績はAだったw

偶然ここを訪れた人は、もちろん、以下の内容を鵜呑みにせず、批判的に検討する材料にしてもらえればうれしい。

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1 近年、デジタル及びインターネット等の技術の発展に伴い、音楽の著作物、映画の著作物等の著作権侵害が増加したとされている。同時に、権利を 侵害されたとする著作権者は、訴訟提起に限らず、積極的なロビー活動による立法への働きかけによって、厳罰化や、保護期間の延長、更には権利侵害を前提に した私的録音録画補償金制度などの導入に成功した。更に最近は、技術による著作権保護システムとして、DRM、B-CAS、ダビング10等が、ハードウェ アにアーキテクチャとして埋め込まれるようになった。
 著作権保護システムは、従来は困難とされた遠隔地での個人認証や、個別のコンテンツ管理といったが手法を、技術の発展によって、安価に著作権 者に提供することになり、インターネットを通じての音楽の著作物の販売(利用権の許諾も含む)等の機会を増加させ、取引費用の大幅な低下を実現した。法 は、著作物に限らず、あらゆる商品のインターネットを通じた取引の増加を重視し、消費者保護のための各種立法を通じ、情報の非対称性に関連する私的交渉の 障害を取り除いた。これは正に、規範的なコースの定理に従っていると言えよう。
 技術による保護も、法律による保護も、そのためのコストは無償ではないが、技術による保護は安価であるのに対し、法律による保護は高くつく可 能性がある。著作権侵害した者を捕まえるよりも、著作権侵害できないシステムを広める方が、安価であろう。そして、この二種類の方法を、追加の単位保護あ たりの限界費用が限界便益と等しくなるような割合で混合することが、最も効率的となるだろう。すると、技術による安価な保護の割合が高くなるのであって、 つまりは商業的な要求に基づく民間独自の技術を活用すべきという結論になる。

2 ところが、当の著作権者は、複製権侵害を防ぐためのダビング10等の技術による著作権侵害防止には、反対している。ダビング10の運用開始が 遅れたのも、これら権利者団体が非協力的だったからで、決して技術的な問題があったわけではない。経済学的にも、法学的にも、著作権を保護することは、創 作活動へのインセンティブとなると考えられていたはずである。では何故、このような乖離が生じるのであろうか。以下、状況は少々異なるが、本件の参考とな る事例を取り上げる。

3 本講義において、独禁法に関連して、マイクロソフトによるNetscape排除のための、Internet ExplorerのOSとの抱き合わせ販売の事例が取り上げられていた。マイクロソフトは、アメリカだけでなく、ヨーロッパにおいても訴えられ、一時は追 い込まれたかに見えた。こういったマイクロソフトの苦境から学び、独禁法に引っかからない方法で市場支配に成功した、とあるソフトウェアメーカーがある。 ここでは、仮にA社としておく。
 A社は、コンピュータグラフィックス分野での、特殊映像や、画像加工の技術に特化した、プロフェッショナル向けのソフトウェアを数種類販売し ていた。映像、画像制作を生業とする商用ユーザーの中で、アップル社のMacintoshを使用しているユーザーの間では評価が高く、同分野のシェアを独 占していた。ところが、Windowsの流行により、MacintoshのPC市場全体でのシェアが低下した。A社も、Windows版の同ソフトウェア を販売していたが、Windows市場にはA社のソフトウェアと競合する、より安いソフトウェアが多数存在し、Macintosh市場のような競争相手の 少ない独占的な市場を前提とした高額な価格設定のままでは、Windows市場でシェアを得ることは難しかった。
 そこでA社は、Windows版のソフトウェアには、Macintosh版では搭載していた、不正使用を防止する技術を一部除外した。更に、 最も高額なソフトウェアで、不正使用を禁じるために用いていたハードウェアキー1を、代替する不正使用防止策を一切講じずに、ソフトウェアのバージョン アップの段階で廃止した。これらによって、A社のソフトウェアは、不正コピーによる使用を防ぐ機能がなくなり、不正使用が横行した。
 本来高額な製品が、不正使用し放題となったため、正規価格には支払い意欲額が全く達しないユーザーまで、圧倒的なシェアを獲得した。結果、A 社と競合していた、より安価なソフトウェアメーカーは、市場から姿を消した。この間、A社はあくまで、著作権侵害の被害者として振舞った。市場の独占に よって、映像、画像制作の業界は、A社のソフトウェアを使った業務スタイルが定着し、A社のソフトウェアでなければ業務遂行が不可能なユーザーばかりとな り、完全にA社に依存するようになった。その後A社は、新規バージョンから新たな不正使用防止策を講じた。
 当初は不正使用ユーザーだった者も、既に他社の選択肢がないため、A社のソフトウェアでなければ業務遂行が不可能であり、当該業界で業務を受 注するには最新バージョンでのデータ納品が必要であり、新規バージョンから正規ユーザーとならざるを得なくなった。A社は、高額な価格設定を維持したま ま、市場の独占に成功し、かつ、正規ユーザーを大量に獲得した。
 この事例は、実質的にはダンピングと類似である。しかし、A社は自らが被害者となるので、絶対に独禁法には抵触しない。もちろん、不正使用をしたユーザーは、非難されるべき存在ではある。しかし、不正使用を拡大することは、A社の方針であった。

4 A社の振る舞いによって、他社が排除され、独占を許したのは、市場の失敗と言えるはずであるが、現行法でA社を非難することはできない。コー スの定理によっても、政府の新たな介入が必要とされるケースであろう。本講義では、ソフトウェアについて、同時に複数人が利用できるが、料金を支払った者 だけが使えるように排除できるとして、非競合性と排除性のある人為的希少財として取り上げられた。しかし同時に、ソフトウェアの違法コピーに関連して、ア イデアの伝達を排除することは非常に高い費用がかかるとして、非競合性と非排除性があるとして、公共財的な側面もあるとされた。この排除性の有無が、著作 権者のさじ加減に任せられていることに、大きな問題がある。
 著作権は、著作物の創作者に対して、創作の見返りに与えるものだ。一定の時間がたてば、権利は失われ、公共が自由に利用できるようになる。こ れは、知的財産保護の核心にある、共産主義的側面であると言われることもある。通常の有体物の財産なら、法は生産するインセンティブと、所有権保護を提供 しなければならない。しかし、知的財産の場合は、法は生産するインセンティブさえ生み出せば良い。後は社会全体の利益を優先する。アメリカでは、フェア ユースとファーストセール(消尽)にその思想が色濃く認められるが、現在フェアユースを認めていない日本でも、同様の方向での著作権法改正の議論が進んで いる。創作者に生産物の利用についてコントロールを認めるけれど、完全には認めない。公共にある程度のアクセスを認めるけれど、完全なアクセスは認めな い。このバランスは、自然に生まれるものではないので、社会全体の功利を意識しながら、国家が法律で定めなければならない。2

5 著作権法は、もちろんバランスを考慮して規定されていた。しかし、A社のような振る舞いが可能となることは、想定されていない。何故ならかつ ては、著作権を保護するのは圧倒的に国家・法律の役目であり、著作権者自らが自衛することなど、不可能に近かったからである。ところがA社は、自らの著作 物を、自らの技術で、著作権侵害の発生をコントロールすることが可能となった。極端な話、仮に著作権法が存在せず、国家による権利保護が一切与えられてい ない世界であっても、ソフトウェアに自衛のためのコードを埋め込むことで、自らの意思で著作物をコントロールできる。これは、冒頭に記した、技術の発展に よってもたらされた著作権保護システムの登場と同じ話である。著作権者は、国家の保護に預からずとも、自ら強力に、安価に、著作物をコントロール可能な技 術を手に入れたのである。これが、著作権法の想定していたバランスを崩し、独占を可能とした。従来は、コントロールを徹底するには高いコストが生ずるた め、不完全なコントロールは、著作権者側からの効率性の観点からも支持されていた。この、前提条件が覆ったのである。

6 ここで、ダビング10に反対した、権利者団体の話に戻ってみる。現在、デジタル技術の発達によって、容易なデジタルコピーが横行し、彼らの権 利は常に侵害される側であるという前提で、私的録音録画補償金制度が存在する。音楽や映画の著作権者は、自らの著作物の被害を立証せずとも、著作権侵害を 全くしていないデジタル機器・記録メディアの購入者から、損害賠償目的の補償金を得ている。もしも、私的録音録画補償金制度が存在しなければ、真の著作権 侵害者を探索する費用だけでも高額になる。高額な取引費用は、交渉を困難とする。これはつまり、コースの定理に従い、法的な権利を単純明確化して、私的交 渉の障害を取り除いたのが、私的録音録画補償金制度であるとも言える。権利者団体は、補償金制度の拡充を望んでいる。
 この制度が特殊なのは、単に法的な権利を定めただけでなく、検索、交渉を要せずに執行まで自動化している点にある。これに対し、デジタル機 器・記録メディアの購入者が、著作権侵害を否定し、勝手に徴収された補償金の返還を求めることも可能であるが、こちらは逆に、返還される補償金よりも、取 引費用が高くなる仕組みであり、実質は返還を諦めるしかないのが現状である。よって、権利者団体は、実質的には不当利得を返還せずとも良い仕組みとなって いる。能動的に何の取引もせずに、権利者は利得を得られる。

7 ダビング10は、著作権侵害を生じさせないための技術である。著作権侵害が防がれると、私的録音録画補償金制度の前提が崩れるので、この技術 を開発したメーカー業界団体は、補償金の廃止を求めている。そうすれば、デジタル機器や記録メディアに上乗せしていた補償金の分だけ、価格を抑えられる。 現在、デジタル機器や記録メディアの販売には、税の効果によって生じる死荷重と同じ効果が、私的録音録画補償金によって生じているのである。しかし、これ が廃止されては、取引費用をかけずに補償金を得られていた権利者団体は、単純に利得を失う。
 本来、補償金制度が正当化される論理は、権利者の逸失利益の存在を前提としている。よって、権利侵害が防がれれば、利益は逸失せず、正当な対 価を支払う消費者が増加するのであるから、権利者団体がこれに反対する理由はない。しかし実際は、権利者の設定する価格は、大半の消費者の支払い意欲額を 超えており、権利侵害が防がれたからといって、それまで権利侵害していた消費者との間に取引が成立する可能性は、極めて低い。
 例えば、DVDのセル市場は、作品に対価を支払って購入する消費者層は、非常に偏った需要曲線を描く。1割弱のヘビーユーザーによる支出が市 場全体の7~8割を支えており3、この層が、映画の著作物を大量に、頻繁に、繰り返し購入していることが判明している。この1割弱は、支払い意欲額が高額 なので、権利者はこの消費者層のみをターゲットに絞り、価格設定をすることが効率的と言える。ある程度価格設定を下げても、それが大半の消費者の低額な支 払い意欲額に達しなければ、1割弱のヘビーユーザーの消費者余剰ばかりが拡大してしまう。権利者は、大半の消費者の支払い意欲額まで価格を下げることは、 限界収入をマイナスにする危険があると、予測しているのかもしれない。

8 そもそも、無料放送のTV番組は、放送によって非競合性と非排除性が生じるので、公共財と言える。ダビング10は、ここから非排除性を制限 し、排除性を与え、人為的希少財とするための技術的アーキテクチャである。権利者団体は、自らの著作物が、自動的に人為的希少財とされてしまうことを望ま ない。A社の事例と同様、権利者は、自らが被害者の立場に自由に立てることに、価値があると考えている。これは、著作権侵害が、親告罪であるそもそもの理 由と同じである。権利侵害が、権利者の利益につながる場合は多々あるのであって、利益につながる権利侵害かどうかは、個別に権利者が判断したいのだ。
 最近の事例とすれば、インターネットの動画共有サイトに不法にアップロードされるMAD作品4による権利侵害は、一律に禁じる権利者ばかりで はない。自社の著作物の利益となるMAD作品は、自社の定めたルールで公式に存在を許可する、角川デジックスのような権利者も存在する。権利者自らが、権 利侵害が新たな利益を生む場合があることを理解しているのである。

9 ここで、現代の技術水準に基づいた、著作権保護のための法律と技術のバランスを検討する。国家によらず、権利者自らで著作権侵害をコントロー ル可能となることは、著作権法の想定を超えていたため、A社のような独占を防げなかった。私的録音録画補償金制度は、著作権者は著作権侵害をコントロール できないという、過去の技術水準を前提とした著作権法によって、定められている。A社は、作為的に著作権侵害を発生させたが、ダビング10に反対して私的 録音録画補償金制度の拡充を目指す権利者団体は、不作為によって著作権侵害を発生させようとしている。前者はその後、作為的に著作権侵害を防止して利益を 拡大したが、後者は、不作為によって、引き続き権利侵害していない者からも不当利得を得ようとしている。どちらがより信義則に反する行為か、にわかに判別 し難いが、どちらも、権利濫用という点で一致しているのではないだろうか。安価な技術によって、容易に権利者自ら著作権侵害をコントロールできるように なった今、国家は、かつての弱い権利者の保護ではなく、強い権利者からの公益保護の観点から、新たな立法をすべき時代に到達している。冒頭で示した、「追 加の単位保護あたりの限界費用が限界便益と等しくなるような割合で混合することが、最も効率的」というのも、保護すべき便益の対象が、権利者から公益にシ フトしつつあるのではないか。

10 不完全なコントロールを前提とした私的録論録画補償金制度という法律による保護と、完全なコントロールを目的とするダビング10という技術 による保護とでは、権利者は後者によって利得を失うのに対し、消費者は前者で損失を被り、後者で便益を失う。消費者の損失と便益を数値的に比較することは 難しいが、失う便益の方が大きいという権利者の言い分(言い訳)は、間違っていないように感じる。しかし、だからと言って、私的録音録画補償金制度が正当 化されるとは言えない。
 安価な技術で、権利侵害をコントロール可能となったということは、取引費用が低下したことに他ならない。コースの定理に従えば、法的な権利分配に関わらず、効率性が実現する。つまり、私的録音録画補償金制度そのものも、無用なのだ。
 必要なのは、冒頭に記した、情報の非対称性による私的交渉の障害を取り除くための消費者保護と類似の観点からの立法であり、権利者の権利制限の 立法であろう。フェアユースの導入、拡大もその一つである。しかし、もっと具体的に、権利侵害防止が可能であるのに権利侵害を誘発して市場支配を目指すよ うな手法そのものも、独禁法の観点からも制限されるべきだろう。民間が独自に、完全なコントロールを可能とする技術は、ある程度、法律によって制限されな ければならない。完全なコントロール技術を取引の一方当事者の自由に任せていては、市場は失敗するだろう。自由と公平は、時に背反するが、そのどちらを維 持するのも、国家の役割である。
 つまり、現代に合った著作権保護のための法律と技術のバランスとは、民間の突出した技術を、公共性の観点から法律で制限するという関係の実現であり、公共性とは何かという、非常に判断の難しい利益配分の決定を、立法が求められていると言えよう。

                                          以上

注釈について:
1 ソフトウェアを起動する際、PCに、ドングルと呼ばれるハードウェアを接続していないと、起動できなくする仕組みで、物理的に不正コピーを排除する。
2 ローレンス・レッシング、『CODE インターネットの合法・違法・プライバシー』、翔泳社
3 社団法人 日本映像ソフト協会、『DVD ユーザー調査 2007』サマリー
4 既存の音声・ゲーム画像・動画・アニメーションなどを個人が編集・合成し、再構成したもの。

Las Vegas

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