コンピュータの最近のブログ記事

http://www.adobe.com/jp/aboutadobe/pressroom/pressreleases/20130108_cs2_downloads.html
アドビが、CS2のアクティベーション(ライセンス認証)サーバーを停止したこととの引換えに、正規ユーザー向けに、アクティベーションサーバーを介在しないで起動できるインストーラーとシリアルを公開したそうで、当然色々と祭り状態になった。
http://matome.naver.jp/odai/2135760297416235101
http://room402.biz/adobe-cs2-is-not-free/

そもそも、ネット経由でアクティベーションするシステムが導入された当時から、将来いつまでサーバーが維持されるのか、利用し続けられるのか、自分のような社内のライセンス管理をする立場だった人間は気が気でなかったわけだけど、これがその答えというわけだ。

「技術的な理由」としているが、つまりはコスト削減だろ?という感じがしないでもない。

アドビは昔から、正規ユーザーのライセンス管理がおろそかで、自分の昔のmixi日記なんぞ読み返すと、涙なしにアドビとの格闘の日々を語れない(嘘)のだが、ユーザー管理部門のスリム化・適正化というのが、アドビの変革の歴史なのではないかと思っている。

手紙でシリアルコードを送付させて、人力でユーザー登録処理していた時代、アドビのサポートは正規ユーザー情報を管理しないともノタマイ、アドビのユーザー情報のデータベースが壊れていても、その修正に膨大な時間と労力をユーザーに負担させた。そういう意味では、アクティベーションサーバーによる自動化、その後のサブスクリプションやらクラウドの導入というのは、ユーザー管理の効率化の歴史であり、ユーザー側のライセンス管理の負担軽減の歴史でもあった。しかし、逆に言うと、そのために無駄なバージョンアップがなされ、大した機能向上もないのに新バージョンを買わせる口実にもされた。
(あんまりこの辺を語りだすと愚痴だらけになるので、やめておくけれど(苦笑))

さて巷では、こんな大胆なことをやって大丈夫なのかと、不正利用が増えるのではないかと、アドビを心配する声もあろうが、アドビがこういうことをやらかすのは、実は今回が初めてではない。アドビは昔から、不正使用を誘発することを躊躇しない会社なのだ。例えば、昔のMac版のPhotoshop等では、イントラネット上でアドビ製品が起動している数をチェックしていて、5ライセンス購入者のシリアルでは、同時に5台でしかソフトを起動できない制限があったが、Win版では無制限に何台でも起動できた。また、昔のAfterEffectsでは、ドングルというハードウェアキーをPCに接続し、これがなければプロ版の起動ができない制限があったが、あるバージョンからこれが廃止され、プロ版がノーチェックでいくらでも起動できてしまうようにされた。社内でライセンス管理する立場としては、「ドングル買わないと起動できないのですから買いましょう」と、必要数のライセンス購入を促す社内の説得材料がなくなり、困ったものだ(苦笑)

しかし、不正使用によってアドビの売上げが下がるなんてことはなく、いつも確実にシェアを拡大し、売上げは右肩上がり。これが、プログラムの著作物たるソフトウェアの面白いところだ。

もちろん、今回の本来の目的はこうだ。
「これらの製品は、7年以上前にリリースされたものであり、現在多くの方に利用されている主要なオペレーティングシステムでは動作いたしません。 しかしながら、旧来のオペレーティングシステム上で継続してCS2製品およびAcrobat 7を利用されるお客様に引き続きご利用いただけるよう、CS2およびAcrobat 7の正規ライセンスを所有されているお客様を対象として、アクティベーションサーバーを介在しないソフトウェアをアドビ システムズより直接提供させて頂いています。」
今更、CS2を使ってる正規ユーザーからは、不満の声は出ないだろう。

しかし、喉の奥に何か引っかかる説明が続く。
「弊社が不特定多数の皆様に対して無償でソフトウェアを提供することが目的ではございません。本措置は既存の正規ライセンスを所有されているお客様の利便性を損なわないための顧客支援の一環の措置であり、正規ライセンスを所有されていないお客様のご利用はライセンス違反となり得る旨、ご理解の上ご利用いただけますようお願い申し上げます。」

>ライセンス違反となり得る旨
「なり得る」とは、「なる」ではない。
なぜ、正規ライセンスを所有せずに利用する場合を、ライセンス違反と断言しないのだろうか。

>ご理解の上ご利用いただけますよう
ご理解すれば、ご利用いただいても構わないのですか?

「正規ライセンスを所有されていないお客様は、ご利用いただけません。」とは、何故書かないのか考えてみよう(笑)


■そもそもダウンロードして良いのか
例えば、パッケージ製品を購入するユーザーは、パッケージに印刷された利用規約を読み、その内容を了承してパッケージを開封することで、権利者と契約が成立するとされている。シュリンクラップ契約というが、これ自体、民法上は色々と問題がある。

今回アドビは、当初アナウンスが不適切で、無償で公開したかの誤解が広がったわけだが、アナウンスをし直した後に至っても、ライセンス条項や利用規約のようなものの表示は一切なしにダウンロードが可能なまま。というか、アクセスが集中してメンテナンスした後、ついにはAdobeIDすら不要で、誰でもダウンロードできるようにされた。言ってることと、やってることが逆だ。
不特定多数がダウンロードしたことが推測されるが、それが具体的に何に違反をするのか、その過程で表示していないままだ。

もし仮にアドビが、ダウンロード者をIPアドレスから特定し、正規ユーザーでなければ著作権侵害として訴えるとか、正規料金の3倍払え(これは不正利用者と訴訟になった場合のアドビのスタンス。損害額を正規小売価格の2倍とし、これを払った上に、更に新規に正規ライセンスを買わせる。もっとも、日本の裁判所は2倍の損害額を認めないけれど。)と請求するような対応をしたとしたら、どうだろう?

ワンクリック詐欺と、どう違うのだろうか。(もちろん違うがw)

そもそも世の中には、フリーソフトウェアやシェアウェアも存在するのであり、正規ライセンスを所有していない状態でソフトウェアをダウンロードすることが、即違法となるような慣習はインターネットに存在しない。
著作権法的には、私的使用のための複製はセーフであり、プログラムの著作物は、違法ダウンロード刑事罰化の対象でもないし、なにより今回、アドビという権利者本人が自動公衆送信している。

また上記の通り、ダウンロードの画面上に許諾条件の表示もないし、同意ボタンもなく、申込と承諾の過程が皆無なわけで、オンクリック契約、クリックラップ契約の欠片もないように見える。

つまるところ、正規ユーザーのみがダウンロードできるように制限をかけるくらい、アドビには造作も無いのに敢えてやらず、ダウンロード前にライセンス条項等を容易に認識できるステップも踏ませず、無駄に太っ腹にいくらでもワンクリックでソフトウェアがダウンロードができる状態をあえて作出している以上、正規ライセンス所有者でない者がダウンロードすることまでは、目的外だが想定済みということなのだろう。だから、「ご利用」がライセンス違反となり得るという書き方になっているわけだ。

何故こんなノーガード戦法を選択したのか、理由は色々あるだろうが、そもそも制限しても無意味だからだろう。
仮に、正規ユーザーにのみダウンロードを許したところで、アクティベーションサーバーを経由せずに起動できる共通のシリアルとセットで配布したが最後、足がつかないので、正規ユーザーがそれをコピーして第三者に渡してしまうことを防げない。どうせ防げないなら、無駄に制限をかけても意味がない。むしろ、ダウンロードを自由にすれば、不正コピーを売買して利益を貪る輩を防げるくらいの話だ。

ということで、アドビの目的ではないにしても、ダウンロードを正規ライセンス所有者に限定する気は、毛頭ないのだろう。要は、結果として最新版の売上げが減少しなければ、今更売れない旧バージョンがいくら使われても、実質的な損害はない。それよりも、正規ユーザーがアクティベーションできないことの方が問題なのだから。


■ライセンス違反となり得るのか
では、どの段階でライセンス違反が成立し得るのか。インストールするのに、どんな契約を交わしているのだろうか。

アドビ製品を買ったことがなくてライセンス条項を知らない人や、当初の祭り状態につられて、無償と信じてインストールしてみた人もいるだろう。
そういう人に対しては元より、そうでない人に対しても、ライセンス違反と言うには、その前に前提となるライセンス契約が存在しなければならない。
ソレがないなら、「ご利用いただけません」と言えない。

さて...ソレはないのだろうか?


インストール時にクリックして承諾させられる、アドビのソフトウェア使用許諾契約書というのがあるので、読んでみれば分かる。

実はこっちもノーガードだw
確実に1台にはインストールが許される規定っぷり。
ワイルドだろ~?(苦笑)

何故ならこの契約書は、ライセンス契約の存在が使用許諾の前提条件になっていない。それどころか、「お客様が本ソフトウェアをAdobeまたはその公認ライセンシーから取得し、本契約の条件に従う場合には、Adobeはお客様に対し、下記に定めるように、マニュアルに記載されている方法および用途に本ソフトウェアを使用するための非独占的なライセンスを許諾します。」という規定がある。

つまり、今回アドビがダウンロードページで主張しているような、正規ライセンスを所有している人に使用を許すのではなく、その逆で、インストール時に使用許諾条件を承諾した人に、アドビが正規ライセンスを許諾しなければならない建て付けの契約になっている。そして、本来あったはずのアクティベーション(ライセンス認証)というのは、この使用許諾契約で許可された以外のコンピュータにソフトウェアがコピーされるのを防止する仕組みだったのだ。

唯一の例外は、「お客様は、本契約の全部または一部を補足し、またはこれに代替する別個の契約書(例えば、ボリューム・ライセンス契約)を直接Adobeと締結している場合があります。」という記述。
昔、CLPというボリューム・ライセンス契約をアドビと交わしたことがあるが、あれは確かに、インストールの前にライセンスが存在した。しかしもちろん、そんな契約をするのは法人くらいであって、個人では聞いたことがない。
アドビは、単発のライセンスの場合と、ボリューム・ライセンスの場合とで、ライセンスの発生するタイミングがインストール開始と前後し得るのだ。ややこしぃ...

なので、この使用許諾契約が有効である限りは、今回配布されているプログラムのインストール開始前は、ライセンスを有しないユーザーこそ一般的であって、それがライセンス違反になるという論理には無理があるんでないかい?

言いたいことはよく分かるけど、法務部ちゃんと仕事してるの?


■どうしてこうなった
思うに、今回のような手法で製品版をアドビ自身が配布してしまう事態は、この使用許諾契約書は想定していないのだ。だから、アドビ自身から取得(今回の場合はダウンロード)さえしていれば、それは不正ユーザーではないという大前提で、用法を守るならライセンスを許諾してくれちゃう。しかも、「本契約は、権限を有するAdobeの役員が署名した文書による場合のみ変更できます」とされているので、今回のダウンロードページに何と書いてあっても、それがAdobe役員の署名した文書によるものでなければ、意味がない。契約条件の変更権限を有しないアドビ社員が、ダウンロードページにどんな条件を呈示したところで、使用許諾契約書の内容は変更できない。

ということで、アドビの社員さん、ちゃんと御社の契約書の内容理解してください。
契約書の想定外の配布方法を取りながら、使用を制限したいなら、ちゃんと御社の役員に署名してもらって、使用許諾契約書を改定してください。
現状、私的使用目的なら、著作権法的にも、使用許諾契約書的にも、誰でも使えちゃうとも解釈可能なわけで...え?だから「ご理解の上ご利用いただけますようお願い申し上げます。」なわけ?(嘘)

おや、誰か来たようだ...


■補足
今回は、そういう解釈もあるんでないかい?ってことで書いてるだけなので、これを根拠にアドビ様に立てついたりしてはいけませぬ。ならぬことはならぬものです。

「1対1通信のロケフリは「自動公衆送信装置」になりうるか 「まねきTV」最高裁判決の内容」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1101/19/news076.html

「録画番組の海外転送、レコーダーが業者管理下なら著作権侵害に 最高裁、審理差し戻し」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1101/20/news088.html

最高裁が、残念な差戻し判決を立て続けに出してしまった。
著作権法の世界では有名な、まねきTVとロクラク事件だ。

このブログでも、かつて取り上げた。
http://maruko.to/2009/02/post-6.html最後のところに
>最高裁...ひっくり返さないでね(^^;;
と書いてるが、虚しい。
まさか、訂正せねばならない事態が訪れるとは(涙)

しかし、まねきTVなんて、まだ続いてたのかというのがそもそも驚き。
仮処分で完敗したのに、本案で逆転て、それ自体興味深い。
5年かかって、しかもまだこれから差戻しの原審が待っている。
スピードを求められるインターネットビジネスの世界で、我が国の著作権法がどれほど機能不全を起こしているのか、よくよく再確認できたというところか。

前置きはこれくらいにして、では2つ続けて、長いつっこみを入れようと思う。
ただし、基本的に批判的に。


■■最判平成23年1月18日 まねきTV■■
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=6708

送信可能化権侵害の判決理由
-->
5 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 送信可能化権侵害について
ア 送信可能化とは,公衆の用に供されている電気通信回線に接続している自動公衆送信装置に情報を入力するなど,著作権法2条1項9号の5イ又はロ所定の方法により自動公衆送信し得るようにする行為をいい,自動公衆送信装置とは,公衆の用に供されている電気通信回線に接続することにより,その記録媒体のうち自動公衆送信の用に供する部分に記録され,又は当該装置に入力される情報を自動公衆送信する機能を有する装置をいう(著作権法2条1項9号の5)。
自動公衆送信は,公衆送信の一態様であり(同項9号の4),公衆送信は,送信の主体からみて公衆によって直接受信されることを目的とする送信をいう(同項7号の2)ところ,著作権法が送信可能化を規制の対象となる行為として規定した趣旨,目的は,公衆送信のうち,公衆からの求めに応じ自動的に行う送信(後に自動公衆送信として定義規定が置かれたもの)が既に規制の対象とされていた状況の下で,現に自動公衆送信が行われるに至る前の準備段階の行為を規制することにある。このことからすれば,公衆の用に供されている電気通信回線に接続することにより,当該装置に入力される情報を受信者からの求めに応じ自動的に送信する機能を有する装置は,これがあらかじめ設定された単一の機器宛てに送信する機能しか有しない場合であっても,当該装置を用いて行われる送信が自動公衆送信であるといえるときは,自動公衆送信装置に当たるというべきである。

イ そして,自動公衆送信が,当該装置に入力される情報を受信者からの求めに応じ自動的に送信する機能を有する装置の使用を前提としていることに鑑みると,その主体は,当該装置が受信者からの求めに応じ情報を自動的に送信することができる状態を作り出す行為を行う者と解するのが相当であり,当該装置が公衆の用に供されている電気通信回線に接続しており,これに継続的に情報が入力されている場合には,当該装置に情報を入力する者が送信の主体であると解するのが相当である。

ウ これを本件についてみるに,各ベースステーションは,インターネットに接続することにより,入力される情報を受信者からの求めに応じ自動的にデジタルデータ化して送信する機能を有するものであり,本件サービスにおいては,ベースステーションがインターネットに接続しており,ベースステーションに情報が継続的に入力されている。被上告人は,ベースステーションを分配機を介するなどして自ら管理するテレビアンテナに接続し,当該テレビアンテナで受信された本件放送がベースステーションに継続的に入力されるように設定した上,ベースステーションをその事務所に設置し,これを管理しているというのであるから,利用者がベースステーションを所有しているとしても,ベースステーションに本件放送の入力をしている者は被上告人であり,ベースステーションを用いて行われる送信の主体は被上告人であるとみるのが相当である。そして,何人も,被上告人との関係等を問題にされることなく,被上告人と本件サービスを利用する契約を締結することにより同サービスを利用することができるのであって,送信の主体である被上告人からみて,本件サービスの利用者は不特定の者として公衆に当たるから,ベースステーションを用いて行われる送信は自動公衆送信であり,したがって,ベースステーションは自動公衆送信装置に当たる。そうすると,インターネットに接続している自動公衆送信装置であるベースステーションに本件放送を入力する行為は,本件放送の送信可能化に当たるというべきである。
<--

送信の主体
今回の判決で最大のポイントは、以下の2点だ。
 ・5(1)ア:「公衆送信は,送信の主体からみて公衆によって直接受信されることを目的とする送信をいう(同項7号の2)」
 ・5(1)イ:「当該装置に情報を入力する者が送信の主体
以下、それぞれについて論ずる。

■「公衆送信は,送信の主体からみて公衆によって直接受信されることを目的とする送信」か
実は、公衆送信を定義する2条1項7号の2には、「公衆によつて直接受信されることを目的として無線通信又は有線電気通信の送信を行うことをいう。」としか規定されておらず、「送信の主体からみて」という視点の追加は存在しない。一見当たり前なので、思わずスルーしてしまいそうだ。

ところが、その視点からしたら、「あらかじめ設定された単一の機器宛てに送信する機能しか有しない場合であっても,当該装置を用いて行われる送信が自動公衆送信であるといえるとき」があると、最高裁が考えてしまった。

自動公衆送信装置とは,公衆の用に供されている電気通信回線に接続することにより,その記録媒体のうち自動公衆送信の用に供する部分に記録され,又は当該装置に入力される情報を自動公衆送信する機能を有する装置をいう(著作権法2条1項9号の5)」と言っておきながら、単体で自動公衆送信する機能を有しなくても、自動公衆送信装置に当たる「べき」となったというのだ。

斬新な「べき論」の登場だ。
(「あらかじめ設定された単一の機器宛てに送信する機能しか有しない」装置で自動公衆送信を成立させるために、「送信の主体」という視点を追加したのだから、斬新なのは当たり前なんだが(苦笑))

そして、斬新な「べき論」を成立させるため、「送信の主体」を画期的に導くのが、続く5(1)イだ。

■「当該装置に情報を入力する者が送信の主体」か
送信の主体」が、送信した者ではなく、入力した者だというユニークな解釈は、とても「相当」とは是認したくないので、5(1)イを修正してみるとこうだ。

自動公衆送信が,当該装置に入力される情報を受信者からの求めに応じ自動的に送信する機能を有する装置の使用を前提としていることに鑑みたところで、その主体は,当該装置が受信者からの求めに応じ情報を自動的に送信することができる状態を作り出す行為を行う者と解するのが相当ではなく、当該装置が公衆の用に供されている電気通信回線に接続しており,これに継続的に情報が入力されている場合には,当該装置に情報を入力する者はせいぜい送信可能化の主体であって、送信の主体であると解することは、相当ではない。

さて、どういうことか。

5(1)イで示された自動公衆送信の行為主体についての規範は、まるで送信可能化の行為主体の要件なのだ。自動公衆送信は、送信可能化の上位概念か何かなのだろうか?

送信可能化は、「著作権法2条1項9号の5イ又はロ所定の方法により自動公衆送信し得るようにする」ことなのだから、その行為主体が自動公衆送信の行為主体と異なる場面を、法が当然に予定していると言って良い。そして、入力した者が送信可能化の主体に含まれることは、2条1項9号の5イが「当該自動公衆送信装置に情報を入力すること」と規定していることからも、明らかである。

しかし、公衆送信権に関する23条1項が、「著作者は、その著作物について、公衆送信自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行う権利を専有する。」と規定していることが、多少の混乱を生むかもしれない。自動公衆送信送信可能化が含まれるのごとき、本判決のように。

まあ、少し考えれば、公衆送信送信可能化が含まれないことからすれば、その下位概念である自動公衆送信送信可能化が含まれることもないとは気付く。これは単に、自動公衆送信の場面では、送信可能化権も認められる、というだけだと。

更に言えば、本件上告人らは、放送事業者としての送信可能化権(99条の2)の侵害を争っている。放送事業者は、自らが著作権を有しない番組は、公衆送信権も自動公衆送信権も有しないが、著作隣接権としての送信可能化権が認められている。

公衆送信権を認められていない放送事業者の送信可能化権を論ずるなら、その送信可能化の行為主体に該当する行為が、同時に自動公衆送信の行為主体に該当してはマズイ。
 →「X君にの権利はありますが、の権利はありません。でも、すると、もしちゃいます。」というのは困る。

行為主体がたまたま同一になることはあるだろうが、著作権法は刑事罰があることから、誤解を恐れずに刑法的な例えをするなら、送信可能化自動公衆送信は牽連犯たり得ても、観念的競合ではない。

23条1項括弧書の場合とは、準備行為である送信可能化権が認められずに自動公衆送信権が認められても絵に描いた餅だから、自動公衆送信権を有する者は、当然にその準備行為の権利も認めますよ、ということだろう。それぞれの行為を別々の主体に行わせることは、十分に可能だ。

例えば、著作物の権利者が、どこぞのハウジング業者にホームページ用のサーバ(自動公衆送信装置)を預けて自ら運用しているが、自らの著作物を公開するためのホームページの制作・ファイルのアップロードは外部業者に委託している場合、送信可能化したのはホームページ制作業者で、自動公衆送信しているのは著作権者自身ということになろう。入力(アップロード)する者が送信の主体になるなら、ホームページ制作業者に、自動公衆送信権まで与えなければ、仕事を委託できないことになってしまう。

これが、権利侵害を前提とするプロバイダ責任制限法の話なら、入力した者が発信者とされるのだけど、文化の発展に寄与することを目的とする著作権法は、権利の活用を想定して解釈する必要がある。

よって、「入力する者が送信の主体」という、自動公衆送信送信可能化の行為主体が一致する5(1)イのような規範を立てるのは、画期的過ぎて理解を超える。

送信可能化権侵害のあてはめ部分
こんなにつっこみどころ満載な規範は、とても論理的に導かれたとは考えられない。どうにかして、自動公衆送信する機能を有しないベースステーションを、自動公衆送信装置に仕立てようと、結論ありきで頑張ったのだろう。5(1)アの「べき論」で飛躍させた理論に合わせて、5(1)イもぶっ飛ばしたのだ。恐らく意識的に。そして、5(1)ウであてはめ完了だ。

ザックリ書くと
・5(1)イへのあてはめ
 ベースステーションに入力している被上告人は送信の主体
・5(1)アへのあてはめ
 送信の主体である被上告人からみて自動公衆送信なのでベースステーションは自動公衆送信装置
∴インターネットに接続しているベースステーションに放送を入力する行為は送信可能化権侵害


うーむ。
入力しても送信の主体じゃなければ、送信の主体でない被上告人から見ても自動公衆送信は見当たらず...というはずなんだけど(^^;;

公衆送信権侵害の判決理由
-->
(2) 公衆送信権侵害について
本件サービスにおいて,テレビアンテナからベースステーションまでの送信の主体が被上告人であることは明らかである上,上記(1)ウのとおり,ベースステーションから利用者の端末機器までの送信の主体についても被上告人であるというべきであるから,テレビアンテナから利用者の端末機器に本件番組を送信することは,本件番組の公衆送信に当たるというべきである。

<--

あれ?放送事業者に公衆送信権は認められていないんじゃなかったの?
と思うかもしれない。

しかしこれは、上告人らが制作した番組について、著作者として著作権を有する立場から主張した公衆送信権侵害だ。よって、5(1)と混同してはならない。別物だ。

ポイントはやはり、「送信の主体
・テレビアンテナからベースステーションまでの送信の主体が被上告人
・ベースステーションから利用者の端末機器までの送信の主体も被上告人
∴テレビアンテナから利用者の端末機器に本件番組を送信することは,本件番組の公衆送信権侵害

アンテナからベースステーションまでの送信て、少なくとも、公衆送信から除外されてる同一構内だと思うが、それは別にしても、やはりここでも「(1)ウのとおり」だから、入力したからと送信の主体にされて、公衆送信権侵害...残念!

■IPマルチキャスト:蛇足
IPマルチキャストは自動公衆送信に該当するので、放送と同時に送信可能化(同時再送信)する場合、放送の複製権(98条)を侵害せず、かつて放送事業者に、これを制限する権利はなかった。そこで与えられたのが、平成14年改正による放送事業者の送信可能化権(99条の2)だ。

つまり、放送事業者の送信可能化権とは、IPマルチキャストによる同時再送信を制限する権利を認めたものだった。「単一の機器宛てに送信する機能しか有しない」装置なんぞ、当時の議論で念頭にあったと思えない。むしろ、IPマルチキャストと言われないために工夫したのが、まねきTVだったのだろう。

ところが今回最高裁は、「べき論」を導くために、放送事業者の送信可能化権の平成14年改正に触れることなく、著作者の送信可能化権の平成9年改正の状況だけ説明した。

実は上告人らは、一審(東京地裁判決平成20年6月20日)から「IPマルチキャストは,チャンネルを選択することにより利用者が求める番組を視聴することができるサービスであって,利用者が選局したデータをIP局内装置に送信したことに応じて,受信者の選択したチャンネルの番組のみ最寄りのIP局内装置から送信するものであり,本件サービスと同様のサービスである(IP局内装置がベースステーションに相当する。)。特に,利用者が自動的にテレビ番組を送信する機器に対して遠隔操作によりデータ送信をさせるための指令(チャンネル選択)を行っている点で全く同一である。かかるIPマルチキャストについては,利用者のチャンネル選択は「公衆からの求め」にすぎないと当然に判断されている。よって,本件サービスにおける利用者によるチャンネル選択も「公衆からの求め」にすぎないことが明らかである。」と主張していた。

つまり、まねきTVが、IPマルチキャスト放送してるという主張だ。個人が所有するベースステーションをハウジング業者に預けたら、ハウジング業者がIPマルチキャスト放送していることになってしまうのだ。ワォ!アメージング!(苦笑)

と思っていたら、最高裁はIPマルチキャストかどうか一顧だにせず、更に斜め上を行ってしまった。

なんせ、アンテナつなげば「入力送信な~のだ。」(バカボンのパパ風に)

★なお、平成18年改正で、同時再送信のIPマルチキャストを有線放送に準じる扱いにする改正がされたが、「専ら当該放送に係る放送対象地域において受信されることを目的」とする場合に限定された話なので、今回は関係ない。

では続けて、ロクラク最判へ


■■最判平成23年1月20日:ロクラク■■
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=6713

複製権侵害の判決理由
-->
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
放送番組等の複製物を取得することを可能にするサービスにおいて,サービスを提供する者(以下「サービス提供者」という。)が,その管理,支配下において,テレビアンテナで受信した放送を複製の機能を有する機器(以下「複製機器」という。)に入力していて,当該複製機器に録画の指示がされると放送番組等の複製が自動的に行われる場合には,その録画の指示を当該サービスの利用者がするものであっても,サービス提供者はその複製の主体であると解するのが相当である。すなわち,複製の主体の判断に当たっては,複製の対象,方法,複製への関与の内容,程度等の諸要素を考慮して,誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当であるところ,上記の場合,サービス提供者は,単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという,複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為をしており,複製時におけるサービス提供者の上記各行為がなければ,当該サービスの利用者が録画の指示をしても,放送番組等の複製をすることはおよそ不可能なのであり,サービス提供者を複製の主体というに十分であるからである。

<--

■カラオケ法理と言われるのを意識的に避けた?
「その録画の指示を当該サービスの利用者がするものであっても,サービス提供者はその複製の主体」になってしまうというのは、基本的に行為主体の転換という結果ではカラオケ法理と同じだが、そもそも転換どころではなく、当然にサービス提供者が行為主体と考えているのだろう。

何しろ、図利性を考慮していない。管理・支配だけでカラオケ法理と言うかは議論の余地があると思うが、金築裁判官の補足意見を読む限り、まんまカラオケ法理と言われないように意識したのかもしれない。というか、カラオケ法理的な規範そのものを肯定した上で、要件の固定化を避けた結果、実質はカラオケ法理の強化とも言える。

何しろ、「複製の主体の判断に当たっては,複製の対象,方法,複製への関与の内容,程度等の諸要素を考慮」するというのは、行為規範にならないから困る。まあ、諸般の事情を総合考慮するみたいな言い回しは判決理由では一般的だが、著作権法のように日常的に誰もが権利侵害し得るのにとんでもなく重い刑事罰が規定されてる法律では、もう少しなんとか予測可能な基準を示していただきたい。

それとも、「複製の実現における枢要な行為をして」、それがなければ「当該サービスの利用者が録画の指示をしても,放送番組等の複製をすることはおよそ不可能」であれば、「サービス提供者を複製の主体というに十分」という前例が、今後一人歩きするのだろうか?

■それでもやはり「入力」がポイント?
「放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力する」ことは、「複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為」というのが、少々引っかかる。

今回は、入力環境を提供した者が複製の主体とされたわけだが、先の「まねきTV」判決によれば、入力することは送信することで、送信可能化権侵害と公衆送信権侵害だったわけだ。あの規範は、ロクラクのような複製してから子機に送信する場合でも、入力することが複製になるなら、そっくり当てはまる。今回は、たまたま、上告人側が複製権侵害しか主張していなかっただけだ。

すると、本件のように入力環境を提供すると、複製の主体になると同時に送信の主体になって、複製権侵害+送信可能化権侵害+公衆送信権侵害のスリーコンボだ。KO。

アンテナつなげば「入力複製送信な~のだ。」(バカボ(ry)

諸要素を考慮すると言いながら、「放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力する」という、まるで、まねきTV判決に引っ張られたような形式的な行為を理由にしてしまったのが、不可解に感じる。

入力が問題なら、今後はブースターにつないだワンセグ中継アンテナを室内に設置するとかして、各複製機器は自身のアンテナで独自に受信するサービスにしたら、入力が観念できなそうですが、いかがでしょう(笑)

え?受信感度の良い場所で、窓辺に並べて、ダイレクトに受信させた方が完璧?
ハウジングとしてどうかとは思うが(苦笑)

そしたらきっと、入力複製に不可欠な行為ではなくなって、電源供給が複製に不可欠だ!とか言い出しそうだ。すると、電源供給が複製になって、複製したなら送信可能化で、公衆送信権侵害までやっぱりスリーコンボ...

■日本デジタル家電はそれでも元気
ということで、原審に差し戻して、ロクラクの管理状況等をきっちり認定しろ、という結論なのですが、被上告人の日本デジタル家電は、強気のコメントを発表。
http://www.tv.rokuraku.com/index_110120.html

管理状況等の認定次第で、再度ひっくり返る可能性がゼロではない。
つまり、管理状況等を認定したら、複製の主体と言えなくなるロジックが新たに見つかるかどうか...首の皮一枚といったところか。


■金築裁判官の補足意見
-->
1 上記判断基準に関しては,最高裁昭和63年3月15日第三小法廷判決(民集42巻3号199頁)以来のいわゆる「カラオケ法理」が援用されることが多く,本件の第1審判決を含め,この法理に基づいて,複製等の主体であることを認めた裁判例は少なくないとされている。「カラオケ法理」は,物理的,自然的には行為の主体といえない者について,規範的な観点から行為の主体性を認めるものであって,行為に対する管理,支配と利益の帰属という二つの要素を中心に総合判断
するものとされているところ,同法理については,その法的根拠が明らかでなく,要件が曖昧で適用範囲が不明確であるなどとする批判があるようである。しかし,著作権法21条以下に規定された「複製」,「上演」,「展示」,「頒布」等の行為の主体を判断するに当たっては,もちろん法律の文言の通常の意味からかけ離れた解釈は避けるべきであるが,単に物理的,自然的に観察するだけで足りるものではなく,社会的,経済的側面をも含め総合的に観察すべきものであって,このことは,著作物の利用が社会的,経済的側面を持つ行為であることからすれば,法的判断として当然のことであると思う。
このように,「カラオケ法理」は,法概念の規範的解釈として,一般的な法解釈の手法の一つにすぎないのであり,これを何か特殊な法理論であるかのようにみなすのは適当ではないと思われる。したがって,考慮されるべき要素も,行為類型によって変わり得るのであり,行為に対する管理,支配と利益の帰属という二要素を固定的なものと考えるべきではない。この二要素は,社会的,経済的な観点から行為の主体を検討する際に,多くの場合,重要な要素であるというにとどまる。にもかかわらず,固定的な要件を持つ独自の法理であるかのように一人歩きしているとすれば,その点にこそ,「カラオケ法理」について反省すべきところがあるのではないかと思う。

-->

カラオケ法理の考慮要素は、その二要素だけじゃないと思いますが、カラオケ法理の一人歩きを反省すべきというのは、素晴らしいと思います。

しかし、法律の規定によらずに行為類型によって考慮要素が変わるというなら、行為規範としては最悪ですね。判例の死屍累々が蓄積されるまで、予測不能です。

<--
2 原判決は,本件録画の主体を被上告人ではなく利用者であると認定するに際し,番組の選択を含む録画の実行指示を利用者が自由に行っている点を重視したものと解される。これは,複製行為を,録画機器の操作という,利用者の物理的,自然的行為の側面に焦点を当てて観察したものといえよう。そして,原判決は,親機を利用者が自己管理している場合は私的使用として適法であるところ,被上告人の提供するサービスは,親機を被上告人が管理している場合であっても,親機の機能を滞りなく発揮させるための技術的前提となる環境,条件等を,利用者に代わって整備するものにすぎず,適法な私的使用を違法なものに転化させるものではないとしている。しかし,こうした見方には,いくつかの疑問がある。
法廷意見が指摘するように,放送を受信して複製機器に放送番組等に係る情報を入力する行為がなければ,利用者が録画の指示をしても放送番組等の複製をすることはおよそ不可能なのであるから,放送の受信,入力の過程を誰が管理,支配しているかという点は,録画の主体の認定に関して極めて重要な意義を有するというべきである。したがって,本件録画の過程を物理的,自然的に観察する限りでも,原判決のように,録画の指示が利用者によってなされるという点にのみに重点を置くことは,相当ではないと思われる。
また,ロクラクⅡの機能からすると,これを利用して提供されるサービスは,わが国のテレビ放送を自宅等において直接受信できない海外居住者にとって利用価値が高いものであることは明らかであるが,そのような者にとって,受信可能地域に親機を設置し自己管理することは,手間や費用の点で必ずしも容易ではない場合が多いと考えられる。そうであるからこそ,この種の業態が成り立つのであって,親機の管理が持つ独自の社会的,経済的意義を軽視するのは相当ではない。本件システムを,単なる私的使用の集積とみることは,実態に沿わないものといわざるを得ない。

<--

ここに、考え方の一端を垣間見る部分がある。

「親機の管理が持つ独自の社会的,経済的意義を軽視するのは相当ではない」

確かに、管理の意義というのは重要だが、その社会的、経済的意義というのは、ロクラク独特なものではない。恐らく金築裁判官は、ハウジングというサービスが、インターネットでは極一般的に定着した、当たり前の存在であることを、ご存知ないのだろう。だから、ロクラクのような管理形態が、放送事業者の利益を害する独特なサービスに見えたのではないか。

「本件システムを,単なる私的使用の集積とみることは,実態に沿わないものといわざるを得ない。」

一度、どこかのiDCにお連れしたいくらいだ。インターネットに接続するサーバというのは、誰もが自宅で管理しているのではない。室温管理、安定的な電源供給、回線の帯域保証など、機材の設置場所を提供する専門の業種が、長年確立している。セキュリティが厳重で、正に管理・支配が強固であることが求められるこれらの業務形態を、様々な利用者が信頼し、自らの所有する機材を預けている。

高速な回線を引くことも、サーバの安定的な運用環境を構築することも、とてもコストを要する上にノウハウが必要なので、その部分だけ専門の業者に任せることで、安価に、簡易に、インターネットを利用できるようにするものであって、その社会的、経済的意義は、広く認知されている。

その前提知識があれば、ロクラクの管理形態が、それほど特別なものでないと分かるだろう。
更に、ホスティングがもっと一般的だと知ったら、どう思うだろうか。

-->
さらに,被上告人が提供するサービスは,環境,条件等の整備にとどまり,利用者の支払う料金はこれに対するものにすぎないとみることにも,疑問がある。本件で提供されているのは,テレビ放送の受信,録画に特化したサービスであって,被上告人の事業は放送されたテレビ番組なくしては成立し得ないものであり,利用者もテレビ番組を録画,視聴できるというサービスに対して料金を支払っていると評価するのが自然だからである。その意味で,著作権ないし著作隣接権利用による経済的利益の帰属も肯定できるように思う。もっとも,本件は,親機に対する管理,支配が認められれば,被上告人を本件録画の主体であると認定することができるから,上記利益の帰属に関する評価が,結論を左右するわけではない。
<--

物理的、自然的に観察するだけでは足りないと言いながら、やはり今回は、物理的、自然的な「放送の受信,入力の過程を誰が管理,支配しているか」という観点だけで判断したのですね。しかも、結論を左右しないというなら、社会的、経済的観点は、考えるだけ無駄ということではないでしょうか。

-->
3 原判決は,本件は前掲判例と事案を異にするとしている。そのこと自体は当然であるが,同判例は,著作権侵害者の認定に当たっては,単に物理的,自然的に観察するのではなく,社会的,経済的側面をも含めた総合的観察を行うことが相当であるとの考え方を根底に置いているものと解される。原判断は,こうした総合的視点を欠くものであって,著作権法の合理的解釈とはいえないと考える。
<--

「原判断は,こうした総合的視点を欠く」って、原判決ほど、社会的、経済的側面を総合的に観察した判決は、過去にないくらい画期的だったと思うのですが。

原判決の時にもブログに引用したけれど、原判決は、こう説示していた。
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=4093
「かつて,デジタル技術は今日のように発達しておらず,インターネットが普及していない環境下においては,テレビ放送をビデオ等の媒体に録画した後,これを海外にいる利用者が入手して初めて我が国で放送されたテレビ番組の視聴が可能になったものであるが,当然のことながら上記方法に由来する時間的遅延や媒体の授受に伴う相当額の経済的出費が避けられないものであった。
しかしながら,我が国と海外との交流が飛躍的に拡大し,国内で放送されたテレビ番組の視聴に対する需要が急増する中,デジタル技術の飛躍的進展とインターネット環境の急速な整備により従来技術の上記のような制約を克服して,海外にいながら我が国で放送されるテレビ番組の視聴が時間的にも経済的にも著しく容易になったものである。そして,技術の飛躍的進展に伴い,新たな商品開発やサービスが創生され,より利便性の高い製品が需用者の間に普及し,家電製品としての地位を確立していく過程を辿ることは技術革新の歴史を振り返れば明らかなところである。本件サービスにおいても,利用者における適法な私的利用のための環境条件等の提供を図るものであるから,かかるサービスを利用する者が増大・累積したからといって本来適法な行為が違法に転化する余地はなく,もとよりこれにより被控訴人らの正当な利益が侵害されるものでもない。」

これが、社会的、経済的側面を含めた総合的観察でないというなら、一体どんな考察をしろと言うのか疑問だ。


まねきTV、ロクラクそれぞれの法廷の裁判官の平均年齢は約65歳だが、皆さんがインターネットを使っているのか、とても気になる。(ちなみにうちの母は74歳だが、用事があるといつもSkypeで呼び出してくるので、ご高齢だからと馬鹿にしているわけではありません。)

http://mainichi.jp/select/biz/news/20100406k0000m020077000c.html?inb=fe
-->
経済産業省は5日、産業構造審議会(経産相の諮問機関)の産業競争力部会に「文化産業大国戦略」案を提示した。「クール・ジャパン」と呼ばれ、海外で人気のアニメやゲーム、ファッションなどの輸出テコ入れを官民一体で進めるのが狙い。政府が6月にまとめる新成長戦略に反映させる方針だ。

日本のアニメやファッションなどは海外での評価は高いが、輸出比率が低く、戦略案でも「海外で稼げていない」と指摘。そのうえで、映画などのコンテンツを海外で販売するのに不可欠な資金を提供する官民出資の「コンテンツ海外展開ファンド」を創設する。
<--

だそうで...

経産省は、何のためにアイディアボックスやったのさ?
アイディアボックスで、賛成が最多で最も盛り上がった意見が、無視されてるじゃないか。
「ハリウッドVFXの仕事を日本で受注するための支援」
http://201002.after-ideabox.net/ja/idea/00131/

映像を制作している現場は、日本はハリウッドと比べてノウハウが足りないから、ハリウッドの下請けをしてでも質の向上を目指すべきだ、という切実な提案をした。もちろん、この意見には賛否両論あるだろうが、少なくともアイディアボックスでは、多数の支持を得た。しかし、それを受けた産業構造審議会は、「日本の作品はクールで優れてるけど、海外への売り込みに失敗してるだけだ」という真逆の戦略を打ち出したわけだ。

これが、大本営発表ってやつか?
前線の兵士は、圧倒的な火力の差を実感して現実的な戦略を提案したのに、大本営から「我々は優れているのだ!」「あとは神風が吹けば勝てる!」と言われて、「突撃命令」待ちだろうか?

産業構造審議会で、アイディアボックスの意見が無視された理由は、産業構造審議会情報経済分科会で配布された資料を見れば分かる。
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/data/g100402aj.html
「ハリウッドVFXの仕事を日本で受注するための支援」の意見については、以下の資料の20ページ目で触れられている。
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100402a062j.pdf
-->
日本は、CGに関する優れた技術・人材を有するものの高い人件費のため、ハリウッドなどの海外からのVFX等の映画製作の受注が行われていない。海外からの受注を呼び込むため、政府が税優遇措置、助成金、ハリウッド・プロダクション誘致等の支援を行うもの。
実際にCG業界等で活躍される方々を中心に、映画業界などの現状と課題などを踏まえ、活発な議論が行われ、アイディアボックスで最も多くの投票数を獲得した。

<--

1文目から、提案の大前提の理解を、間違って紹介している。

「ハリウッドVFXの仕事を日本で受注するための支援」の提案者は、日本は潜在的能力はあるが、「クオリティが低い」から、ハリウッドから受注して、仕事を通じてノウハウを学ぶ機会が必要だ、と主張していた。そして、ハリウッド作品に関わる中で、VFXだけでなく、ハリウッド映画の製作手法全体を学ぼうと。

ところが、それをまとめた上記資料では、「日本は、CGに関する優れた技術・人材を有する」という、真逆の前提で、提案の説明がされているのだ。

資料まとめた官僚さんは、日本語力に問題があるのですか?
誰かに「クール・ジャパン」のバイアスをかけられて、冷静さを失っているのですか?
もっとクールに考えてくださいよ。

まあ、提案されたご本人は、この結果でも前進と、前向きに受け止めておられるようなのが、唯一の救いだろうか。
http://shikatanaku.blogspot.com/2010/04/blog-post.html


そもそも、クール・ジャパンは、クール・ブリタニアのパクリみたいなものだ。

かつてイギリスは、国家そのものをブランドとして海外に売り込む政策をとり、その中心には、1997年に出版された「登録商標ブリテン」というレポートが存在する。どういうことがなされたかの詳細は、以下をどうぞ。
http://www.mskj.or.jp/getsurei/ninoyu0201.html

こういう話は以前から、高城剛氏が政府の審議会や書籍などで何度も紹介し、真似るべきだと絶賛していた。まったくその通り、流石トリックスターだと、自分も思っていた。そして、外務省は以前から、ポップカルチャー外交を唱えていた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/shingikai/koryu/h18_sokai/05hokoku.html

ポップカルチャーと言うより、サブカルじゃん?という疑問はおいといて、まだこの頃は、クール・ジャパンを自称する程の驕りはなかったし、その手法が「登録商標ブリテン」からのパクリであることが、認識可能だった。外務省は頑張って、各国で日本文化を紹介するイベントを開催したりしてきたし、そこには経産省も関わってきた部分があったはずだ。

すると、クール・ジャパンとやらは、外務省のポップカルチャー外交の成果なのだろうか?

残念ながら、否である。

ダグラス・マッグレイが、「Japan's Gross National Cool」と論文を発表したのが2002年。

フランスのジャパンエキスポは、1999年から始まっているが、Cool Japanというキーワードがル・モンド紙に出たのは2003年だろうか。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C394170269/E382880148/index.html

日本では、「COOL JAPAN THE EXPLODING JAPANESE CONTEMPORARY ARTS」が出版されたのが2004年。

米国でのクール・ジャパンの仕掛け人の一人、アレクサンドラ・モンローが、グッゲンハイムのアジア担当シニア・キュレーターに就任したのが2006年。


つまり、このキーワードは古く、今更言い出す奴は時代遅れで、かなりクールじゃない。
クール・ジャパンの前は、ジャパニメーションとか言ってたのも似たようなものだ。

しかも、このキーワードが通じた国々は、既にこれから成長の見込めない、欧米である点に留意すべきだ。

経産省が昨年まとめた報告書でも、今後の国際展開先としてはアジアに注目していた。
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/contents/downloadfiles/movie.pdf

上記報告書では、アメリカ市場への進出に失敗する最大の理由として、人材不足を挙げていた。アメリカ市場へ進出するための日本映画業界に必要な人材の要件として以下を示し、そういった人材は育成するには時間がかかるから、諦めてアジアを開拓しようという悲しい論理だが、しかしまだ冷静だった。
-->
 【専門知識】
・英語力(脚本や契約書の読解力)
・知的財産権の知識
・映画業界特有の会計の知識
・制作に関する知識(アメリカの大学、大学院での履修経験。しかも業界内での評価から、映画関連大学は、トップクラス校である必要性)

 【教養、素養面】
・業界特有の慣習、文化の把握力
・業界への同化力
・歴史、文化やトレンドなどの知識
・配偶者の社交性
・交渉における機転やジョークのノウハウ
<--

どうしてそれが今年になって、「コンテンツ海外展開ファンド」を創設すれば海外で稼げる、なんて無謀な戦略につながる?
俺たちクールだから?

寝言は寝てる時に言ってくれ。


アジアでは、哈日族(ハーリー族)はいるから、彼らを増やすような戦略は重要だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%88%E6%97%A5%E6%97%8F
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1694

しかし、既に哈日族な人々には、クール・ジャパンなどと言う必要は今更ない。

この点、以下のブログ(この方も経産省ですが必読)の「クールジャパンはインナーシンキングだ」という意見に、自分も賛成する。
http://d.hatena.ne.jp/masays/20100406
アニメージュの読者なら30年前から知ってる、という意見も同感(苦笑)

これから成長市場のアジアを主戦場とし、そこでまだ哈日族でない人々に訴えるには、クール・ジャパンなんて自画自賛が漏れ伝わるのはマズイ。

しかも、どうして「コンテンツ海外展開ファンド」なんだ?
どうせコピーするなら、クール・ブリタニアをもっと精巧に分析して、本家以上にしてくれ。なんで、劣化コピー以下の粗悪品な政策になってるのさ?
「登録商標ブリテン」をちゃんと分析したかい?

冷静な情報分析ができず、俺たちはスゴイ的な誤信に基づいて宣戦布告みたいな、いつか来た道と同じではないか。

アバターと竹槍で戦えと?


今、CG制作現場で使われている主要ツールで、国産のものなどないに等しい。
AutodeskAdobeの2社の製品抜きでは、何も作れないと言っても言い過ぎではない。
実際、国産ツールなんて、竹槍程度のものしかないのだ。

にもかかわらず、何でこんなに自信を持っているのか、さっぱり理解できない。


もちろん、制作現場の人間は、負けてることをよく理解している。
だからこそ、ハリウッドの下請けでもやってみたいという意見に、賛成が集まる。

フルCGで映画を作る時、最初に検討するのは、どのソフトウェアを使うかだ。
高いけど、PixarからRenderManを買うか?とか、とっても悩むのだ。

しかし、その選択肢に国産ツールなど、一つもない。選択したツールに深刻なバグがあって、制作に支障が生じても、海外のメーカーはほとんど対応してくれないと分かっていても、それを買うしかない。

道具を海外依存しておいて、ファンドがあれば勝てると思うような妄想は、制作現場で苦労してる人間からは、出てこないだろう。かなりマヌケだ。

その辺の詳細は以前、以下に書いたので繰り返さないが...日本の映像制作は、映画産業以外の仕事で食いつないでる点を理解して、効果のある産業支援を検討して欲しい。
http://maruko.to/2010/03/post-81.html

先月、円谷プロダクションデジタル・フロンティアフィールズに買収されたのも、必然の流れだ。
http://www.findstar.co.jp/news/syosai.php?s=201189
http://www.p-world.co.jp/news2/2010/3/29/news3894.htm


ところで、これから開拓すべき市場は、本当にアジアなのだろうか?

日本作品に好意的でありながら、ハリウッド作品を素直に受け入れられない、資金の豊富な国々と言えば、中東のイスラームな国々だ。経産省の資料等では、中東に関しては一言程度しか触れられていないが、民間のアニメ・CG制作会社は、既に中東へ関わり始めている。
http://animeanime.jp/biz/archives/2009/04/cg_4.html

上記サウジアラビアでのプロジェクトは、最近やっと動き始めたが、自分も在職中に見積もりに少し関わったこともあり、今後に注目している。なお当時、社長から冗談半分に「サウジ行く?」と聞かれたが、退職したのはそのせいではない(苦笑)

http://riyadh.exblog.jp/13433802/
いやはや、デッサンから始めてるとは、頭が下がります。

冗談抜きで、石油依存から脱却しようとしている中東諸国への文化的な関わり方というのは、今後の日本にとっても重要だろう。

例えば、日本の家電は、既に韓国等に負けており、挽回の兆しはない。今まで、アジア市場で負けているのは、安価な製品じゃないと売れないからで、日本製品は性能が上だけど高いから売れない、と説明されてきた。しかし、ドバイでも日本の家電が韓国製品に負けているそうで、値段は問題じゃないことが分かる。
http://blogs.yahoo.co.jp/dubai1428/31697357.html
(上記ブログのコメント欄で日本擁護してる人が、正に自称クール・ジャパンと同じニオイがする(苦笑))

今後、技術分野での優位は、益々失われると考えるのが順当だ。そういう意味でも、クール・ジャパンなんて今頃言ってるのは、かなり恥ずかしい。
サウジじゃまだ、一応尊敬を得られている日本人というブランドは、今後は何によって維持できるだろうか。

かつて中東諸国では、ポケモンがハラームだと、ファトワーが出た。イスラームの教えに反するとして、サウジでも禁止になった。逆に言えば、それほど大人気で、社会問題になっていたのだろう。
http://www.cafeglobe.com/news/dailynews/dn20010424-02.html

しかし、それでも日本のアニメは、今も受け入れられている。なんという素晴らしいお得意様だろう。イスラーム圏での日本のアニメの人気は、単なるブームではなさそうだ。中東から先進国を眺めた時、日本だけ違って見えるのかもしれない。

そんな中、超保守なサウジで日本人がCGを教えるということは、広く中東地域の将来の文化に、確実に影響を与えるだろう。

そのうち、サウジで一定規模のCG制作が可能となれば、オイルマネーで日本に下請け仕事、くれるかもよ...え?違う!?(苦笑)

蛇足:
ついに某試験まで1ヶ月を切り、ブログ書いてる暇がなくなるので、試験後に確実に失っているであろう気力を回復するまで、しばらくこのブログの新規エントリは控えます。

追記:5/24
「あなたが思う"クール・ジャパン"コンテンツは?」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1005/18/news098.html
うーむ、酷い調査&記事だ。
「最近、注目されるようになっている」とか、2行目から嘘ではないか。
一体、この記者の考える「最近」とは、何十年前までを含むのだろうか?
しかも、ドラゴンボールやドラえもんがクールとは、東京工芸大学はどんな質問したんだ?
質問する前提として、「クール」の意味を定義しないで、質問したんじゃあるまいな?
2ページ目に載ってる「宮崎駿映画で世界の子どもたちに見せてあげたいと思う作品」なんて質問自体、押し売りクール・ジャパンそのもの。
せめて、「見てもらいたい作品」というなら、まだ分かる。何で、質問からして上から目線なんだよ。


ところで最近、コンテンツ産業の成長戦略に関する研究会の報告書が出た。
http://www.meti.go.jp/press/20100514006/20100514006.html

産業構造審議会情報経済分科会みたいには、クールジャパンを盲信せず、ちゃんと日本が負けてることを真摯に受け止めてるところから考えてるのは、素晴らしいと思う。

でもやっぱり、パチ産業は無視してるけど(苦笑)

http://www.meti.go.jp/press/20100514006/20100514006-3.pdf
上記報告書の、表記上のP16にある
「② 大規模CG映像製作分野への参入」に出てくる
「アジア域内でのCGアニメ共同制作のためのインフラ構築構想(Creative Asian Pipeline 構想)」ってのが気になる。

概念的な話なのか、物理的にインターネット経由で共同作業とかいう無謀な話だろうか?

海外と仕事って、結局先方の国のインターネット普及状況に左右されてしまう。ヨーロッパにしろアジアにしろ帯域が狭くて、どこも光回線は皆無だから、連番画像とか大きいデータは、結局HDDをDHLで直送ってのが、まだまだ現実なんだよね。

追記:5/25
「ハリウッドVFXの仕事を日本で受注するための支援」の提案者さんのブログで、「コンテンツ産業の成長戦略に関する研究会」の報告書についてのフォローがされてましたので、リンクしておきます。(このエントリーにリンクしていただいていることに、遅ればせながら今気づきました。)
http://shikatanaku.blogspot.com/2010/05/vfx.html
http://shikatanaku.blogspot.com/2010/05/vfx_20.html
http://shikatanaku.blogspot.com/2010/05/vfx3.html
先週、今回の報告書を読んだ時、アイディアボックスを反映しているのかな?とは思ったのですが、審議会と研究会の関係に詳しくないので、ぬか喜びしたエントリーは控えようと思っていました。しかし、上記3つめのエントリーによると、やはり意見が反映された報告書なのだということです。あとは、6月の新成長戦略にどうつながるか、注視したいです。

なお、上記を読んで、経産省のイメージの話がありましたので、このエントリーでも批判的に書いているため、念のため付言しておきます。

私の在籍したロースクールは、社会人のための夜間ローでしたから、クラスメイトは皆、仕事と二足のわらじでした。そして、様々な職種の様々な年齢層のクラスメイトの中に、経産省の現役官僚もおりました。共に勉強するうちに、職場の苦労話も自然と耳に入ってきましたから、その大変さも少しは理解しているつもりです。

また、今までもアニメ業界の下請け問題等の健全化のため、経産省が様々な取り組みをしていることも理解しており、私の中では、「経産省GJ!」と思うことも多いです。そういう、ある種の期待の高い役所でもあり、アイディアボックスを始めたことも、私は高評価しておりました。

それだけに、当初の産業構造審議会にガッカリしたのです。

そして、コンテンツ産業の成長戦略に関する研究会が、アイディアボックスの意見を反映しているのであれば、その報告書を公開した時点で、
http://twitter.com/openmeti
http://d.hatena.ne.jp/ideaboxFU/
これらで報告してくれても良いではないか、と思うのです。
せっかくTwitterやブログがあるのにアナウンスされなかったので、「アイディアボックスと無関係なのだろうか?」と、迷いました。私が報告書の公開を知ったのは、偶然他人のツイートからです。

そんなこんなで、経産省そのものをダメだとか言う気は全くなく、個々の人々が頑張ってることも知ってますが、問題点は問題点として指摘する、というスタンスです。

と、追記が長くなってしまいましたが、今年の新司法試験が終了ということで、今週は上記経産省のクラスメイトとも久々に飲むので、「メディアコンテンツ課」ってどうよ?とか聞いてみようかなw

追記:5/30
と、上の追記をしたところ、5/27にアナウンスされました。
http://twitter.com/openmeti/status/14798079247
http://d.hatena.ne.jp/ideaboxFU/20100527/1274919221
書いてみるものです。
って、単なる偶然か、ここを見ていただけているのかは、分かりませんが(^^;

ちなみに飲み会は、諸事情で急遽中止に。残念!

追記:6/10
「経済産業省にクール・ジャパン室設置」
http://www.animeanime.biz/all/2010060803/
言葉を失った...
今からでも遅くないから、「実はソレ、温暖化対策室の間違いでした」と言ってくれ!

アドビが、アップグレード版の購入に使えない、世代の古い旧バージョンのままのユーザーに対して、下取りキャンペーンを始めた。
http://www.adobe.com/jp/joc/store/eco/

でもアドビは、ライセンスの利用許諾をしているだけで、ソフトウェアの所有権は譲渡してないのに、下取りって言い方、おかしくない?

-->
本キャンペーンにご応募いただくには、お持ちの旧製品のメディア本体と、「エコキャンペーンお申し込み兼ソフトウェア廃棄に関する誓約書」(以下「申込書兼廃棄誓約書」)をアドビにご提出いただく必要があります。
<--

というので「申込書兼廃棄誓約書」を見てみると...

-->
【 ソフトウェア廃棄に関する誓約書 】
本状は、エコキャンペーンのお申込みと同時にお客様の旧アドビ製品をアドビへご返却されたことを条件に、お客様の旧アドビ製品に対する使用権が直ちに終了および取り消されることを確認するのもです。お客様は当該旧アドビ製品をご利用のコンピュータより速やかに削除し、当該旧アドビ製品から作成した複製物をすべて廃棄しなければなりません。当該旧アドビ製品またはその複製物の第三者への転売・譲渡・寄贈・配布はできません。お客様が本状に署名し、本状と当該アドビ製品をアドビへ返却し、アドビがそれを受領後、アドビは当該旧アドビ製品とシリアル番号の「廃棄」を行います。お客様がアドビ製品のエンドユーザー使用許諾契約書に基づき当該アドビ製品を使用する権利は、お客様が本状に署名し、本状と当該旧アドビ製品をアドビへの送付を完了した時点で終了します。
<--

なんだ、やっぱり使用権の終了・取消しと書いてある。
で、PCからアンインストールしろと。

そんなの守るユーザーが、現実に何割いるのだろうか。

それに

>当該旧アドビ製品またはその複製物の第三者への転売・譲渡・寄贈・配布はできません。

これって、下取りと関係なく、そもそも利用許諾だけなんだから、最初から禁止してるはずではないか。下取りに出さなけりゃ、転売することが許されてるかの解釈が可能な書き方は、ちょっとオカシイ。

更にFAQを見ると、驚き。

-->
Q3. 対象バージョンのPhotoshopやIllustratorを所有していましたが、すでにCS2などにアップグレード済みです。このキャンペーンに応募できますか?

A3. 旧バージョンからアップグレードを継続いただいているお客さまへの感謝の気持ちを込め、上記お手続きまたは製品登録内容を確認した上で、ご応募を可能とさせていただきます。なお、アップグレード版をご購入いただくのが一番お得な選択となりますので、まずは上記価格をご参照ください。ご不明な点はアドビストアコールセンターまでご連絡ください。
<--

既に旧バージョンをアップグレード元として、新バージョンを安価に購入していても、同じ旧バージョンを下取りに出せて、もう1本新バージョンが買えると...

これが意味することを考えてみる。


まずアドビは、アップグレードで新バージョンを入手しているユーザーもが、今でも旧バージョンを活用しているという事実を認識しているということだ。

以前は、アップグレード版をインストールしたら、旧バージョンと併存を禁じて、旧バージョンを使いたいボリュームライセンスユーザーは、インストールの都度アドビに申請しろという無茶な利用許諾条件を押し付けていた会社であることを考えると、感慨深い。

しかし、どうして旧バージョンが活用されているのか、どうして新バージョンが受け入れられないのかという、ユーザー側の理由に耳を傾けるのではなく、どうにかして旧バージョンを捨てさせたいわけだ。


そもそも、旧バージョンから新バージョンにアップグレードしているユーザーが、どのシリアルの旧バージョンからアップグレードしているか、アドビは把握していない。

アドビはかつて、シリアルナンバーなどユーザー情報のデータベースに不具合が生じたことがあったが、いつのまにか、アップグレード版購入者のユーザー登録に、旧バージョンの購入者であることの証明を要求しなくなった。インストールの段階で、旧バージョンのシリアルが要求されるが、それがアドビに管理されているわけではない。

もっと言えば、ユーザー登録を必須とせず、登録したい人は任意に登録すれば?という態度に変わった。旧バージョンをユーザー登録せずとも、新バージョンへのアップグレードが可能な、吃驚するほどルーズなユーザー管理姿勢に移行した。

膨大なシリアル情報のデータベースの管理を放棄したのか、管理コストを削減したのか知らないが、アドビが正規ユーザーを軽視する姿勢だけは、昔から一環している。

だから、上記FAQの答えは、別にアドビが寛容なのではなく、そもそも制限できない、というのが実際のところだろう。


では、どうしてアドビが、こんな必死のキャンペーンまでしなければならなくなったのか、売上げのプレスリリースを見たら分かったので、グラフにしてみた。(昨年もグラフにしているので、手直ししただけだが。)

adobe2009_4.jpg

2009年第4四半期、なんと純利益がマイナスに転じた。

adobe2009s.jpg

もちろん、通年なら真っ黒に黒字だ。しかし、四半期とはいえ赤字というのは、営業部門が必死になるには十分な理由だろう。

ただし、この時期アドビは、Omnitureを買収している。この点を考慮すれば、不振は一時的なものかもしれない。かつてのマクロメディア買収前後の売上げに比べれば、遥かに上だからだ。

ところが、当時より純利益は遥かに下回る。最近のアドビは、利益率が極端に下がっている点が興味深い。

もしかするとCS4は、アップグレードユーザーばかりで、利益率の高い新規ユーザーが、ほとんど開拓できなかったのかもしれない。

不況の影響もあるだろうが、独占したプロユース市場が飽和気味で、新規ユーザー増加が見込めないのか?とか、色々想像してしまう。

そういうタイミングで、あえて年末にOmnitureを買収し、新規市場開拓に出たというなら、戦略としては納得だ。今まで散々蓄えてきたろうし、2008年末には、事実無根の「売上げ不振」を理由とした、600人のリストラを発表している。
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20384723,00.htm
2009年の不振は、2008年末時点で予測済みだったわけだ。
(「事実無根」というのは、2008年末はまだ、過去最高の売上げだったからだ。)

自らは先にスリム化し、不況のタイミングで他社を買収して事業拡大。
上手い。上手すぎる...


しかし、ユーザー側から言わせてもらうと、事業拡大してまで余計な機能は要らんから、軽くてバグの少ない安定したソフトを希望したい...
http://www.omniture.com/jp/company/adobe_faq
-->
アドビ システムズがOmnitureを買収した理由は。
アドビ システムズの事業目標は、あらゆるユーザーの、アイデアや情報の関わり方に変革をもたらすというものです。アドビ システムズのコンテンツ制作ツールやユビキタスクライアントと、Omnitureのウェブ解析、計測、最適化テクノロジーを組み合わせることにより、すべてのデジタルコンテンツプラットフォームおよびデバイスを通じて、魅力的な体験やEコマースの未来を変革することのできるソリューションを提供することが可能になります。
<--




てへ!
今後も、現場が要望しない機能テンコ盛りな予感。

天下のアドビ様が、ユーザー目線に立ってくれることなんて、あり得ない話でしたねーーー
ちゃんちゃん!

蛇足:
>アドビはこのキャンペーンを通じて発生した利益の1%を、植林や里山保全に関する人材育成を行っているNPO団体に寄付します。
>ご購入の際にはパッケージやメディア不要で資源を節約でき、かつ送料無料で価格もお得なダウンロード版をぜひご活用ください。

価格がお得なのは、送料分の630円分だけだそうで...普通、節約したメディアやパッケージ分、ダウンロード版は販売価格を安くするものだろ?
何で販売価格は同じで、送料なんて当たり前の部分削れてるからって、お得とか言ってるの?
ユーザー側の資源節約が、丸々アドビの利益になるのに、何がエコだよ。

CS4の発売前後くらいからの販売方針とか、物凄くエグイ売り方をする会社になったと感じている正規ユーザーは、多いはずだ。時期的に考えると、クレイグ・ティーゲルが日本法人の代表取締役社長になったせいか?

追記:
やっぱ皆さんご不満のようで。
http://d.hatena.ne.jp/seuzo/20100207/1265518232

先日、以前在籍していた会社のOB会なパーティーがあって、久々にデジハリに行ってみた。

その様子が、杉山校長のブログの最後に、ちょこっと書かれている。外人2人の写真をクリックすると、自分も写っているOB会の集合写真がポップアップで出てくる。

自分はデジハリの3期生(本科ビジュアルサイエンス専攻)で、その設立母体となった研究所というか会社に就職したのだが、なんかは、デジハリでクラスメイトだった。偉くなったなぁ(しみじみ)

しかし、恐らく彼にしても、杉山校長にしても、僕自身については、顔に見覚えがある程度だろう。何故なら当時、秋頃の就職活動の面接で、「VRMLでマルチユーザーでアバターがリアルタイムにインタラクティブに楽しめる仮想空間を作るのに興味があります」と言ったら、「じゃそれを作って持ってこい」と研究所の某所長に言われたからだ。デジハリでは、C言語とPower AnimaterというCGツールを学んだのに、それ以降ひたすら自宅で、VRMLとJavaな日々だった。だから、皆がデジハリに入り浸ってO2で卒業制作していた時間を、ほとんど共有していない。今のデジハリ東京本校が出来た年で、超キレイな教室に引越したのに、その恩恵に預かれなかったのだ。もったいない...

当時、Web3Dなんて言葉はなく、VRML2.0とJava3Dが登場したばかりで、その年の夏のSIGGRAPHでは、Java3Dがケチョンケチョンに言われていた。

Second Lifeなんてまだ無かったが、Diabloにハマり、順調にUltima Onlineにハマった。デジハリと日大理工学部をダブルスクールしていたけれど、大学の研究室のPCでは、これらのオンラインゲームばかりしていた(^^;

そして、その頃の自分は、VRMLとJava3Dはいずれ統合され、マルチユーザーな仮想空間を作る標準言語となるだろうと、無謀にも信じていたのだ。

結果として、独学で就職活動のための作品制作に没頭した。年が明け、研究室の仲間は誰もが就職先が決まっていたが、まだ孤独に作品を作っていた。しかし、何故か不安はなかった気がする。

で、2月か3月かにギリギリ、就職が決まった。その時、完成した作品を見てもらったのが、今度アメリカに移ると書かれている小野さんとの最初の出会いとなった。某所長は、作品を見せた時、「丁度こういうのをやろうと思っていたんだ」と言った。しかしその後、その研究所に就職しても、そんな仕事は発生しなかったのだけど(苦笑)

まあ、色々ありましたが、今は良い思いで...(遠い目)
あの、作品制作への集中力を、今の勉強にも欲しい...(自爆)


蛇足:
ついでなので、もう一つ触れておく。OB会の前日のブログに出てくるIBMの園田さんには、「よなよなペンギン」のレンダリングでお世話になった。というか、お互いに大変だった(^^;;
実験台を兼ねて提供した成果が、少しでもお役に立てていることを祈るばかりだ。

3DV Systems

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http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20394169,00.htm?tag=nl
またイスラエルか...ってのはおいといて。
結局、どうコンパクトにモーションキャプチャするかって話で、これだけじゃ、記事にするような話題なのか、さっぱりだ。

と思ったら、こっちはまだ記事として読める。
http://japanese.engadget.com/2009/05/05/xbox-360-3dv-zcam/

狭い家じゃゲームできない時代が...という不安はおいといて、3DV Systemsのものならこれだ。
http://www.mbel.co.jp/product/56_3dv.html
とっくに国内代理店が存在するくらいだから、実は、結構古い製品だ。

http://www.100shiki.com/archives/2000/08/z_3dv_systemscom.html
こんな、2000年の頃から画期的だ画期的だと言われつづけ、全然普及しなかった。

何故だろう?

よほど、技術先行で営業が下手な会社なのだろうか。ユダヤにしては珍しい?
http://www.3dvsystems.com/

世の中のヴァーチャル系の技術は、イスラエルの軍事技術の民間転用だったりするのは珍しくないので、ユダヤ様々だけど、この製品もそういう関連はあるかもしれない。民間に売れなくてもOKみたいな。(未確認)

しかし、視点を変えれば、やっとこの製品が普及する前提が、整ったのかもしれない。高性能なゲーム機が手軽に存在してこそ、リアルタイムな画像処理が一般家庭でできる時代になったのだ。一昔前は、カメラを接続した先の、コンピュータが高額で、システム全体で見たら、業務目的でしか実現不可能な価格帯だったはずだ。

なので、今更、前世紀から存在する3DV SystemsのZCamがスゴイわけではない、と言うことを理解した上で、スゴイのは高性能ゲーム機の普及による既存デバイスの利用可能性の拡大にある、というところがもっと取り上げられても良い。一般家庭の居間に、一昔前のスパコンが転がってる時代になったのだ。

物事の順序を理解していないと、本当に何がスゴイのか理解できない典型みたいな話かもしれない。そこに気付けば、上記の百式の2000年の記事のように、色んな可能性があるはずだ。

ところで、1997年の最新技術は、以下のようだった。
http://maruko.to/old_home/siggraph/la2.htm

感慨深い...

http://japan.cnet.com/panel/story/0,3800077799,20392467,00.htm
この話題は、個々人それぞれの立場から言い分があるとは思う。
どの観点から評価するかで、結論が左右される問題だろう。
そして、誰かが正しいのではなく、誰の言い分も一定程度正しいという厄介な問題だ。

http://www.nttdata.co.jp/whatsnew/20090424.html
http://www.nttdata.co.jp/whatsnew/20090424-01.html
http://www.nttdata.co.jp/whatsnew/20090424-02.html

まず、元システム管理者側の視点から、復旧した担当者に、「ご苦労様」とねぎらいたい。

-->
(1)データベースサーバーのRAID5構成のハードディスク2本が同時に破損
1本の破損であれば残りの5本から情報を再構成できますが、破損が2本に及んだためデータを読み取ることが出来なくなりました。
(2)更にバックアップ用のサーバでも障害が発生
これによりバックアップのデータにも異常が生じたため、皆様の記事情報を復旧することが困難な状態となりました。
<--

RAID5構成で、ドライブが2台飛ぶ悪夢は、自分も数回経験したことがある。
ドライブが2台同時に故障する場合とは、単に運が悪いというより、RAIDコントローラーやマザーボードなど、ドライブ以外に原因がある可能性が高いのだけど、これは経験の豊富な管理者でなければ想像できない。また、故障と断定できない単なる可能性の段階で、ドライブ以外の高額なハードウェアの交換を決断する勇気も必要で、常識的にはドライブ同時故障は単に運が悪かったと考えるのが一般的だろう。

データベースサーバは、1日1回バックアップが他のサーバに取られていたとの説明であり、基本的にRAID5を信用しない運用も、常識的だ。しかし...

-->
2009年2月13日(金)
* 復旧作業中に更なるハードウェア故障が発生
<--

担当者の頭が真っ白になったのではないだろうか。
バックアップからリストア中に、何かが起こったわけだ。

早期復旧を急かされる中、リストアという時間のかかる作業をトライし、結局無駄であったと理解するには、さぞかし葛藤があったことだろう。

-->
2009年2月20日(金)
* 2003年11月4日のサービス開始から2008年8月4日未明までの情報の復旧が完了
* 上記期間における記事を閲覧できる状態に復旧
<--

バックアップの更なるバックアップがあったということだ。NTTデータとしては、三重のバックアップは、常識的な管理体制かもしれないが、世の中そこまでできないシステムは多数存在する。テープメディアのバックアップだろう。

よく頑張ったと言えるのではないか。その後も、様々な部分的復旧が進むが、

-->
2009年4月10日(金)
* 故障したハードディスクの復旧に成功
<--

これは驚いた。

ドライブの復旧は、容量にもよるし、RAIDがかかっているとその複雑さにもよって、非常に高額なデータ復旧費用がかかる。貴重なデータの価値を量りにかけられ、復旧業者に数百万円~天井知らずの代金を請求されることが多い。

つまり、会社としては、データを復旧させることに道義的責任を大きく感じ、かなりの高額なコストを負担したことになる。サーバそのものの交換も含め、下手したら数千万円はかかっているかもしれない。

もちろん、当初からドライブ以外の機材故障を念頭に、予備機を待機させておけば、もっと早期にスマートな解決はできたはずだが、収益性の無い無料のサービスに対して、バックアップ的なリソースにコストをかけられる会社というのは、あまり無いだろう。三重のバックアップは、常識的に十分だ。もし、一切止められないサービスなら、ストレージをisilonなどにすべきだろうか。しかし、どこまでコストをかけられるかは、システム管理者の責任の範疇ではない。限られたリソースの中で、できる限りのことは、頑張ったのだろう。と思いたい。


次に、会社としてサービス終了を決断した、経営者的な観点からはどうだろうか。

サービスを提供してしまった以上、安易に止められない道義的な責任はある。規約等で法的には免責されていようと、株式会社NTTデータとしての社会的責任を放棄できるものではない。ブログの累計のユーザー数は約10万人だが、アクティブなのは2000~3000人だったそうだ。さて、どうすべきか...

そもそも、収益性の無いサービスを何故始めたのだろうか。
社内稟議の段階で、トラブル時にこれほどコストがかかることは、想定されていただろうか。
このサービスは、今後も収益性がなくとも継続する価値はあるのだろうか。
株主への説明責任を果たせる根拠があるのだろうか...

恐らく、この不況時に、収益性の望めないサービス提供を終了するという判断は、合理的で正しいだろう。しかし、会社としての評価を下げるような撤退方法だけは、避けねばならない...さてさて。


さて、ユーザーの観点からはどうか?

アクティブに毎日利用していたら、きっと発狂ものだろう。
フザケルナ!
オレの貴重なブログを返せ!
どんだけ時間をかけて築いたブログか分かってるのか?

え?過去のブログは、99%以上復旧したの?
じゃ自分でバックアップできるんだ!

サービス終了?
まあ、引っ越すか。
無料だから、仕方ない部分はあるよね...


と、最終的にバックアップで引越しできれば、最低限の道義的責任の範囲と、大多数のユーザーは諦めがつくのではないだろうか?

あとは、納得のいく説明がなされれば...


これは、mixiの利用規約の改悪問題の時と、少し似ているかもしれない。
突然のルール改悪と、サービス終了とは、程度の差でしかない。
完全に無料のサービスを終了するNTTデータの行為と、一部有料のユーザーに対しても突然ルール改悪をやってしまうmixiの行為とを比べれば、後者の方がはるかに悪意に満ちている。NTTデータは、データ復旧の過程も公表したし、最低限のオトナの対応はできているので、mixiよりよほどマシだ。

それでも非難されているのは、以下の部分らしい。
-->
 復旧作業の終了を受け、今後のDoblogについて検討した結果、Doblog開設時の目的である、ブログシステムを構築するための技術的知見、およびコミュニティサービスを運用・運営するためのノウハウの蓄積については十分に達成できたものと考え、サービスを終了するという判断をいたしました。
<--

自己中と思われたか?
しかし、これはとても正直だと思う。
恐らく、収益性の無いサービスを外部に提供するために、会社組織の中で予算を得るのに許される理由は、上記のような技術的知見、ノウハウ蓄積くらいしか無い。なので、事実として、そのような理由で企画提案者は稟議書を書き、決済責任者の許諾を得たのだろう。だから、トラブルによって高額なコストが予定外に生じた現在、あらためてこの事業の存在意義を再確認した結果、当初の目的を果たしたと考えたとしても、何も不思議はない。5年も運用すれば、そりゃ分かるだろう。

隠しているかもしれない理由は、今回のトラブルで生じたコストが、予想外に高額で、「そんなに費用がかかるなら、この不採算事業は打ち切る」というものだろう。

個人的には、後者の方が事業継続の判断では重視されたとしても、おかしくないとは思う。しかし、そんなことを表立って公表できるかといえば、NOだろう。そんなことは、常識ある社会人なら想像できるのであって、公表しない=嘘、と非難するのは、安易だろう。不採算だから、利用者の信頼を裏切ってよいことにはならないが、目的を達したのなら、データ復旧して猶予期間を設けてバックアップ手順を準備したなら、十分に無料サービスの道義的責任を果たしていると評価すべきではないだろうか。少なくとも、この点に明らかな嘘は無いのだ。

僕は、NTTデータという会社は特に好きでもないし、高コスト体質の会社だと思っているので、否定的な評価をしているけれど、今回の対応はまともだと感じた。この手のサービスを終了する際に、バックアップ手順をユーザーに提供し、猶予期間を設けたというのは、良い手本となるだろう。代替手段があるなら、十分ではないか。

逆に言うと、これで不満足なユーザーとは、無料サービスにどこまで求めていたのか聞いてみたい。mixiのように、ある日突然サービス提供者に有利な権利を規約に盛んだなら論外かもしれないが、未来永劫死ぬまで無料でブログが使えると思っていたとは思えない。責任者が出てきて、土下座でもしたら、納得するのだろうか?

ブログのような、ユーザーの情報資産を預かるサービス提供者は、無償サービスといえどもサービス継続すべき道義的責任が高いとは思うが、サービス終了自体が非難される前例にはならないで欲しい。

ネット上のサービスは、提供開始時は比較的低コストで始められるので、様々な試行錯誤が可能であり、新サービスが生まれやすい。それこそが、インターネットの特徴でもある。それが、一度始めると終了させることは難しいらしい、となったら、サービス開始時に終了の困難さを含めた経営判断が必要となり、つまりは開始が困難となる。無償のサービスに、高度の責任を求めるユーザーの存在は、将来恩恵に預かったかもしれない新サービスの目を摘んでしまう可能性がある。

もちろん、だからと言って、企業が無責任にサービスをいつ止めても良いわけではない。要は、程度の問題であり、今回のNTTデータの対応は、社会常識の範疇のオトナの対応だったと、僕は感じている。なので、これに不満を持つ人も当然存在するだろうが、全員が満足する方法など無い。


さて、ここのブログですが...
このブログを始める時、当然、どこのブログサービスを使うか、自分自身悩んだ。その時、当たり前というか、無償のサービスはいつ終わっても文句言えないとなと思ったので、無償のブログサービスは選択肢から除外した。mixiの利用規約改悪時の悪夢がよぎったというのもある。自分の著作物は、自分で守るべきだし、守れるのが今の社会だと。だから、自己所有のドメインで、以下の有料のホスティングサービスの上で、ブログを開設した。権利関係も、責任関係も明確だ。



この程度の出費で、自らの責任で情報発信できるのであれば、他人の無料サービスに頼る必要など無かろう。

もちろん、このホスティング業者が廃業する時も、いずれ来るだろう。
しかし、自らのデータを、自らの責任でバックアップし、管理できているなら、その時また新たな選択を自らすれば良いのだ。

その意味では、無償のホスティングでも良いのかもしれないが、そこは様々な自由度との兼ね合いだ。

自由だと、逆に何をどう設定したら良いのか技術的に分からず、困るという人も居るかもしれない。しかし、自分で出来ないことを他人に頼るなら、結果の不自由も一定程度仕方ない。

自由と権利を得るには、何事もコストがかかるってことを、忘れてはいけない。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090401/327640/
http://www.atmarkit.co.jp/news/200904/02/sgi.html
http://www.sgi.com/company_info/newsroom/press_releases/2009/april/rackable.html
http://www.rackable.com/news/pressrelease.aspx?prid=672

まあ、最近は、何やってる会社か全然分からず、どうして再生したのか謎でしたが、やはり不況のせいですかね。2度目の破産とは...しかも、RACKABLE SYSTEMSなんて、初めて聞いたメーカーだ。日本と違って、あちらにはこういうメーカーって沢山ありますね。それが、懐の深さかもしれない。

しかし、感慨深い。

http://japan.cnet.com/svc/nlt2?id=20390980

先日、サーバトラブルで、たまたま若手のCGデザイナーに、電話でLinux端末にコマンドを打ってくれと指示したら、とんでもなく役に立たなかった。CUIで作業することは、何か特殊技能かと思っているようだった。昔のデザイナーは、皆SGIのワークステーション上で、コマンドも多用して仕事してたんだと説明しながら、ジェネレーションギャップを感じてしまった(苦笑)

入社した当時、INDYやO2で仕事することは、憧れだった。今のCG業界は、間違いなく、SGIがあったから存在する。新人として入社した当時、CG制作は、全てSGIのワークステーション上で行なっていた。WindowsPCの上でCGなんて、無理だと思っていた。しかし今では、誰もがPCでCGを作っている。そして、誰もPCに憧れなんぞ、いだかない。

もう少し、道具を愛せないかな?


adobe.JPG
アドビの過去の四半期毎の売上げ、営業利益、純利益などを、報道資料を基に表にしてみた。
http://www.adobe.com/jp/aboutadobe/pressroom/pressreleases.html

1998年第3四半期に、営業利益が赤字(-610万ドル)だったというのが感慨深い。純利益が、15万2千ドルだったとか。まあ、通年で見れば、その1998年だって、純利益が1億ドル超えてるのだが。

その後の上昇する数年とは、アドビがアップルからMS市場にシフトし始めた頃ではないか。

しかし、同時にアドビは、不正使用を簡単に可能とするかのように、この頃から、何故かドングルの廃止などを始めた。結果、不正使用ユーザーで圧倒的な支持を得て、写真だけでなく、映像業界の標準ツールとしての地位を強固にしていった。すると、シェアは伸びるが、売上げが振わない年が続いたのだろう。2001年末に、247人のリストラを行っている。

で、 売上げがグッと上がる2004年とは、CSシリーズを発売し、アクティベーション機能を搭載し、再び不正使用を排除し始めた年だ。それまでコピー し放題という状況に、まんまと不正使用でアドビ製品に慣れ親しまされた(?)大半のプロユーザーは、業務遂行のためにCSから正規ユーザーにならざ るを得 ず、大幅に売上げに貢献する。業務では、常に他社などから最新版のデータが届くので、不正使用できる旧バージョンでは仕事が立ち行かなくなるのだ。
アドビは、不正使用を誘引して、業界標準ツールとしての地位を独占した後、不正使用を禁じて完全独占体制を確立したのではないか、という見方は映像業界ではよく聞く。

で、独占が完成した後は、売上げがうなぎ上り。毎年記録更新だ。
マクロメディア買収後の2006年は、利益は減ってるけれど、売上げは止まらない。
そして、2007年は、売上げ31億5800万ドル、純利益7億2380万ドルに達する。

そんなアドビが、先月上旬に、売上げ不振を根拠とした600人のリストラを発表した。
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20384723,00.htm

市場を独占しといて、ユーザーの望まないバージョンアップまで半ば強制する制度を押し付けておいて、不振なんて馬鹿な話があるかと、疑問ではあった。

まあ、この時点で出ている数字を足しても、どう計算しても不振ではなかったのだが、約2週間後に発表された2008年第4四半期の正式な売上げ発表の存在に気づいたので、それを加えたのが今回作成したグラフだ。

なんと、2008年の総売り上げは、35億8000万ドル...またまた過去最高じゃねーか!

売り上げ不振報道では

同社は当初、最大9億5500万ドルの売上高を予想していた。現四半期の業績はさらに下落し、同社は現在、8億~8億5000万ドルの売上高になると見込んでいるという。
としていた。

しかし、営業利益なんて、創業以来初の、10億ドル突破だ。金融危機の始まった第4四半期だけで見ても、悪くもなんともない。結局第4四半期は、9億1530万ドルの売上げだった。
これで目標に届かなかったから600人リストラなんて、とても真実とは思えない。

アドビは、CS4の発売で、かなりのユーザーから無駄なバージョンアップだと非難されている。売上げ不振報道は、"市場を独占し、ユーザーの意見を無視する巨人"という現在のアドビのイメージを、少しでも和らげようとしたイメージ戦略だったのだろうか?


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