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謹賀新年

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2024年賀状_blog.jpg

 明けましておめでとうございます。

 今年の画像は、年末にMSCベリッシマのクリスマスクルーズに乗船した際のものからです。洋上のジャグジー、暖かい屋内は人が多かったですが、寒い屋外はガラガラ。温水で入っている限りは快適ですが、一度入るとなかなか出られなくなりました(自爆)
 モバイルプリンターを持ち込み、これを年賀状にせっせと印刷。寄港地の那覇から投函したのでした。

■クルーズ
 一昨年の、クルーズ船や鉄道を駆使した地球一周旅行の後、旅行にホトホト疲れ、昨年は静かにしているつもりでした。が、後半になると徐々に安いクルーズ情報を検索するようになり、日本発着が安くなっているのを見つけてしまったのが運の尽き。一番安い、窓の無い内側キャビンで、2人利用時の1人分クルーズ代がUS$219、諸税がUS$180というのを見てしまいました。この客室を1人利用する場合、割り増しされたクルーズ代はUS$258(自分は会員割引があってUS$245.10)でした。つまり、横浜発着の9泊10日で、神戸、那覇、石垣、基隆(台湾)に寄港するクリスマスクルーズが、諸税込み6万5千円程で乗れてしまう。これは乗らねば...となりました。もちろん、毎日の食事やショーも込みなわけで、陸の旅では考えられない安さです。クリスマス当日のショーは、特に素晴らしかったです。

 ちなみにこれは、アメリカ経由の予約の話ですが、同じクルーズを同時期に日本の旅行代理店経由で申し込むと、2~3倍以上の値段になります。20年前に自分が初めてクルーズ旅行をした時からそうですが、海外では高くないクルーズ旅行が沢山あるのに、日本ではクルーズ旅行=高額というイメージが定着しているため、同じクルーズでも高く売られる市場が出来上がっています。日本の値段しか知らなかった場合、今回の一人旅を同時期に日本の代理店経由で申し込むと諸税込み24万3千円でしたから、絶対に乗らなかったでしょう。

 なお、正月明けのクルーズも安かったので、来週は母を連れての珍道中予定です。6泊7日の二人分で、諸税込みで8万円でお釣りが来ました。安いでしょ?

■仕事とか
 昨年50歳になってしまいましたが、40代最後に韓国の仁川にあるカジノの求人に応募し、ディーリングの実技試験で大ミスをし、当然の結果として不採用となったのは落胆しました。それまで、韓国行く気満々で韓国語の勉強し始めたり準備していたのですが、自分でもガッカリなくらい自分のせい。意気消沈して(予定がガッツリ空いたので)箱根へ。箱根はいつも、オンボロ別荘で世捨て人モードがお決まりなのですが、仕事の予定が消えての滞在というのは初めて。そこで、箱根で面白い仕事無いかなと、職探ししてみました。

 すると...ありました。

 いわゆる、リゾートバイトと呼ばれるジャンルがあるのですが、観光地のホテル等の仕事で、寮費無料で住み込み、光熱費無料、場合によっては食事も無料で、時給もまあまあみたいな、そういう求人情報ばかり集めたサイトがいくつもあるのです。当然、人手不足が有名な箱根の求人もヒット。

 ディーラーという仕事はサービス業なので、どうせならサービス業の範疇でやったことない職種をと思っていたところ、箱根のハイクラスなホテルのフロントやレストランの求人がワンサカ。その中に、寮として紹介されている建物に見覚えがあるホテルがありました。別荘からよく歩いて行っている、箱根園の「ザ・プリンス箱根芦ノ湖」でした。ザ・プリまでバイト募集してるのかと驚きましたが、50歳にしてプリンスに直接雇用されて、ホテルのビュッフェレストランでホールデビューと相成りました。

 いつも、サービスを受ける側として行っていた場所に、サービスを提供する側として勤務するというのは、カジノ通いでミイラ取りがミイラになったディーラーとしては既視感が無くもありません。しかし、今まで全く興味が無かったジャンルのせいか、裏と表のギャップの激しさに驚かされる毎日。詳しくは書けませんが、もうお客として高いお金を払うことは無いかなと。

 ここから、箱根の他のホテルはどうなのかと、新しい興味が湧きました。価値のあるサービスを提供していて、働いている人々もハッピーな職場があったら、そこにこそお客として泊まってみたい。そういうところはあるのかなと。
 丁度この頃、箱根の多くのホテルが「タ〇ミー」という隙間バイトアプリを導入して求人していることを知りました。会員制高級リゾートホテル、老舗旅館、有名ホテルチェーン等々、箱根で高額なサービスを提供している現場に、日雇いバイト(どころか、数時間バイト)が日常化していたのです。そこで、自分もタイ〇ーを使って、箱根中のホテルの仕事を転々と経験してみることにしました。

 驚きました。10以上のホテルを経験しましたが、表ではすました顔でサービスしていても、裏では怒号と罵声(「死ね!」とか)が飛び交う超ブラックな会員制高級リゾートホテルのレストラン等、想像を超える酷いところがあったのです。裏を知ってしまうと、もうお客としても全く行きたくない世界でした。(たまに、従業員同士が仲の良い宿で働けると、ホッとしました。)
 特に残念だったのが、どこのホテルも多くの従業員は箱根に詳しくなくて、箱根が好きでも何でもないという人が少なくない点。休日は小田原や東京に遊びに行ってばかりで、自分のようのように箱根の自然を堪能している人には出会いませんでした。地方から働きに来ているだけで、箱根は何もないと思ってるような人が、沢山働いているのです。そういう人々は、箱根ローカルのイベントとも接点が無く、寮と職場を往復する毎日が、彼らの知る箱根の大半だったりします。物心ついた頃から箱根を知る自分としては、そんな人々が箱根に来る観光客と接していることに、心底ゾッとしました。(恐らく、他の観光地も同様なのでしょうね。)

 海外の学生をインターンシップと称して安く働かせている有名ホテルもいくつかあり、台湾やインドネシアの大学生との出会いは意外なものでした。自分たちが他の日本人と比べてどれだけ安く働かされているか知らずにいて、何かのタイミングで知ってしまってショックを受けている学生もいました。同一労働同一賃金とか、夢のまた夢。インターンシップ学生は、日本人バイトより更に低賃金で、ろくな研修も受けずに現場に投入され、慣れるまで苦労していました。研修無しに、教わらなければ絶対に無理なシフトに投入され、トラブルの原因になってしまった学生とか見ましたが、彼らは本当に悪くない。

 人手不足なのに低賃金で、人材教育にコストをかけない。短期間のバイトも集まらず、日雇いで毎日自転車操業。無理なことを繰り返すシワ寄せは、現場に重くのしかかる。あるホテルでは、何週間も休みが取れないとか、今日も帰れないとか、そういう嘆きの声を従業員から聞きましたが、持続可能性の無い、この国の縮図のようなものを見た思いでした。帰国する学生が、「もう二度とここには来ない」と言っていたのが、忘れられません。

 なお、そうして出会った海外大学生とのつながりは今もあり、大事にしたいと思っています。

■はてさて
 今年は、直近の年明けのクルーズの他に、またクイーン・エリザベスに乗りたいと思っています。横浜からアラスカ経由でバンクーバーへ渡る太平洋横断が、値下がりするのを待っています。が、母と叔母の旅をアテンドせねばならない様子。きっと、自分自身は楽しめない旅となるでしょう...シクシク。

 クルーズ旅行のレビューは、以下の口コミサイトにまとめてますので、興味のある方はご覧ください。
https://cruisemans.com/@ranpou

 安いクルーズについて等、質問を頂ければ可能な範囲でお答えしますよ。

謹賀新年

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2023年賀状_blog.jpg

 明けましておめでとうございます。

 昨年はついに、ローマで新型コロナ陽性となりました。85日かけて地球を一回りする珍道中の途中で、母が熱を出したのでローマの薬局で1個3.9ユーロの抗原検査キットを買って試したら、親子そろって陽性。色々大変でしたが、幸いイタリアの自己隔離はちょっと不思議で、隔離中もスーパー等へ買い物に行けるので助かりました。短時間で買い物を済ませなければならないのですが、外出して食料を買うことが可能だったお陰で、親子そろっての隔離期間中でも食べ物に困りませんでした。プライベートスペースにシャワーや洗濯機、冷蔵庫もそろった、広いバルコニーのある部屋で民泊していたので、部屋に閉じこもる必要もなく、バルコニーでゆったりと食事を取り、洗濯物を干す毎日でした。宿のオーナーに伝えたところ、共用部分のキッチン等の使用は禁止と言われましたが、それ以外は特に制限なく滞在出来ました。重症化せずに済んだのは、ワクチン接種済み(当時自分は3回、高齢な母は4回)だったお陰と思っています。

 この旅で興味深かったのは、様々な国のコロナ対策の違いです。例えば、スイスは屋内でも誰もマスクしていない国で、列車内など公共交通機関でもノーマスクだったのですが、陸続きのイタリアへ列車で国境を超えると、バスも列車もFFP2の高性能マスク着用が義務。母が座席でドリンクを飲むのにマスクを外したまま着用を忘れていたら、車掌に怒られてしまいました。(シンガポールでも、屋外でマスク外していたまま地下鉄駅に入って改札を通ろうとしてしまった際、駅の係員にマスク着用するようちゃんと止められました。)他のお客は皆、当然にマスク着用が徹底されていました。スイスとイタリアはシェンゲン協定加盟国ですから、国境超えると言っても何もないわけですが、ルールがガラリと変わり、それがちゃんと守られている。
 また、クイーン・エリザベスで2週間かけて大西洋横断した時は、船の屋内でのマスク着用義務と、屋外デッキでのノーマスクへの切り替えを、乗客がしっかり意識して行動していたのが印象的でした。日本人客は我々二人だけで、つい日本の癖で屋外でもマスクを外し忘れていても、他が誰もマスクしていないので、徐々に自然と外すようになりました。クイーン・エリザベスは、そもそもドレスコードの厳しい船で、同じ船内でも時間帯や場所によってフォーマルやカジュアルの指定がはっきり決められており、乗客もそれを守ってオシャレを楽しみます。マスクもドレスコードの一種と言えなくもなく、決められた場所で着用するという行動は、乗客にとっても違和感の無いルールだったのだろうと思います。一度、母がマスクを忘れて自分のキャビンを出てしまった時は、クルーにマスク着用を指摘されても持っていなかったため、FFP2の高性能マスクを無料で渡されました。
 対して、エーゲ海クルーズで乗船したノルウェージャン・ジェイドという船は、クイーン・エリザベスとは違い、船内でのマスク着用義務が守られていませんでした。この船会社は、フリースタイルを売りにしており、ドレスコードが殆ど無いのですが、同様にマスクも自由な感じになってしまっていたわけです。マスクを着用するよう言われたのは乗船時のチェックインでクルーズターミナルに到着した時だけ。以後は、船内でマスクしていなくても全く何も言われないのです。マスク着用を義務とする案内板はありましたが、それを守って船内でマスクをしている乗客は、ほぼゼロでした。
 では、ノルウェージャン・ジェイドは、クイーン・エリザベスより危険だったのかというと、これが全く分からない。ビュッフェの入口では、消毒液を吹きかけて簡単に済ませるのではなく、石鹸でしっかり手洗いすることを求められました。乗客も、クルーの指示に従って手洗いに並ぶ。この光景は、消毒液を使うだけのクイーン・エリザベスには無かった。どちらの船のやり方が乗客として正解なのか、簡単には言えません。しかし、安心感という意味では、クイーン・エリザベスが正しいと思える違いが明確にありました。
 クイーン・エリザベスでは、船内の陽性者率によって4段階に対応が決められていて、レベル4になると母港のサウザンプトンに帰港しなければならないと言われていました。アメリカのフォートローダーデールから私が乗船した時点で、既にレベル2だったそうで、途中でレベル3に上昇。バーカウンターでの対面サービスが停止され、セルフランドリーは使用禁止、シアターは1席空けての着席、ルームサービスは隔離者への対応に忙しいからと、極力使用せずにレストランへ行くようアナウンスがありました。いくつかのデッキに、客室への通路のドアが閉じられた区画が出来ていましたが、そこが陽性者の隔離客室の区画だと聞きました。つまり、マスク着用が徹底されていても、サービスを制限する程船内の新型コロナ陽性者率が上昇していたのがクイーン・エリザベスでした。対してノルウェージャン・ジェイドでは、そういったサービスの制限が全く無く、陽性者が出ているのかどうかすらも分からない。陽性者が全く出ないとは思えませんが、特にアナウンスが無いので、乗客としては分からない。この分からなさは、屋内で誰もマスクせずとも注意されない船内で、不安感を生みました。サービスが制限されたとは言え、決められたルールを徹底して守り、情報を共有するクイーン・エリザベスは、とても誠実に思え、安心できたのです。
 逆に共通しているのは、乗船時にいくら陰性証明書を確認しても、乗ってから陽性になる乗客を防げるはずもなく、海外のクルーズ業界は、陽性者が出ることは当然に織り込み済みで運行しているという事実です。日本ではつい最近も、日本のクルーズ船が出航後に陽性者が数名出たというだけでニュースになっていましたが、そんな程度がまだニュースにされてしまうのは日本だけでしょう。

 一番対策が厳しいなと思ったのは、アブダビでした。Alhosnという健康管理アプリをスマホにインストールし、ワクチン接種証明やPCR検査結果等の条件をクリアーしているとグリーンパスという画面が表示される仕組みがあり、商業施設等の入口でこれを警備スタッフに見せないと入れてもらえないのです。ところが、事前にスマホにインストールした際、SMSで認証が必要なのに、認証コードが届かないという不具合が。当時契約していたキャリアに問い合わせたりしましたが、特に障害は起きていないとのことで、何度も試しましたが諦めました。そこで予約したホテルに問い合わせると、Alhosn無くても空港でPCR検査受けて陰性証明取得すれば良いと言われ安心しました。(チェックイン時点で陰性結果が届いていなくても構わないが、レストランやプール等のエリアを利用する際には提示する必要があるとのことでした。)
 ただ、一筋縄ではいきませんでした。空港で受けたPCR検査の結果は、Email不可で、SMSでのみ送ってくるとのことで、空港到着後直ぐに購入した現地SIMの電話番号で対応は出来たのですが、検査から3時間程で届いた結果のSMSにあった陰性証明書PDFへのリンクが、何度クリックしてもエラー表示に。深夜だったので翌朝まで待ちましたが回復せず、検査を行った業者のホームページを探し、問い合わせフォームからダメもとで問い合わせました。すると、意外にも2時間もかからずに担当者からメールが。本人確認にSMSのスクリーンショットやパスポート画像を送り、更に2時間後には無事PDFの陰性証明書を取得できました。(なんだかんだで半日は行動できず、夕方からの観光となってしまったのは残念でしたが。)
 ショッピングモール等に入る際、毎回これを提示した訳ですが、その都度じっくりと記載内容を確認されるので、面倒ではあるのですが、こういったルールの運用が形式的にならずしっかり守られているというのは、とても好感が持てました。

 どの国でも、屋外ではマスクをしないのが普通だったので、それに慣れて帰国したら、屋外でもマスク着用が多数派の日本が異質だと、やっと気付きました。更に日本だと、バスなら乗車口で運転手からマスク着用を求められることもありますが、地下鉄の駅等でマスクをしていなくても、止めたり注意する駅員を自分は見たこと無いなと。よく考えたら変だなと。
 そもそも、成田の帰国時点で、入国審査より前に煩雑な導線で多数のスタッフとやり取りしなければならなかったのですが、これが異様な光景でした。ワクチン接種証明や健康管理アプリの確認のためだけの非正規雇用の外国人スタッフが多数いて(しかも、特定の国がやたらと多い印象で、私の対応をしたのも外国人でした。)、簡単なタスクがいくつもに細分化され割り振られ、それぞれの場所へ複雑な導線が組まれてグルグルと歩かされる。その為、一つ一つの通路は狭く仕切られ、他人との距離が近い。
 本来少人数で対応可能なタスクを、何故か細かく切り分け複数名に担当させるのは、無駄に人件費を膨らませているように見える。そんな面倒なことをやっている国は、この旅で他に無かったので、強く違和感を覚えました。健康管理アプリをインストールしているか聞いて次の行き先の書かれた紙を渡す人、アプリの画面を見て説明しつつ冊子を渡す人、通路の途中で前のポイントで渡された紙を持ってるかチェックするだけの人等々...無駄な導線減らせば一人で対応できるのでは?という作業分担。
 しかしそこで、ふと気づきました。非正規の多数のスタッフの様子が、私が前年経験した某国際大運動会の現場とそっくりだったのです。これは、どこかのイベント系の人材派遣会社が食い込んで、なるべく人月多くなるように仕事を作っているのではないか...そういえばあの大会も、何故かバングラディッシュ人が多数スタッフとして雇用されていて仲良くなったな。自分が今会話してる相手も、同じように見えるなと。
 なんというか、途端に極東の島国っぽさ満載な歓迎を受けた感じで、帰ってきたんだなと、生暖かい気持ちになりました。まあ、10月下旬の話なので、今はどうなのか知りませんが。

 ちなみに、この時のクルーズ乗船記は、以下に詳しく掲載しておりますので、ご興味のある方は是非。
 https://cruisemans.com/@ranpou
 https://www.cruisebrothers.jp/p/20238.html

 では、本年もよろしくお願い致します。

謹賀新年

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2022年賀状_blog.jpgのサムネール画像

あけましておめでとうございます。
昨年はカジノ管理員会規則案へのパブコメのことしか書いてないですが、夏は反対していた運動会の仕事に入ってみて、報道されない裏側の杜撰なところを色々と自分の目で確かめたりしました。まあ、ネットに書いたら訴える、監視してると連日脅されたので、コワイので書きませんけど、酷くて吃驚しました(苦笑)

元々反対していても、終ったらやって良かったとか言う人がいるみたいですが、その現実から目をそむけられる能力、幸せな人だなぁと、ある意味羨ましく思います。

ちなみに、カジノ管理委員会へのパブコメの結果は、自分の意見が一つ認められ、ブラックジャックのディーリングのルールが修正されました。が、自分は二十数個の問題点を指摘していたわけで、そのうちの1つしか問題が解消されなかったというのは、本当に深刻な問題だと思ってます。

ただ、もっと問題なのは、将来カジノに関わる当事者たるディーラー界隈の人々が、この問題を全く認識していないということ。Twitterでつぶやいても、反応薄かったなぁ。
自分がどれだけヤバいルールのカジノで働くことになるのか、もう少し興味持った方が良いです。

カジノ管理委員会に関わりたいなぁ...

謹賀新年

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2021年賀状.jpg
あけましておめでとうございます。
今年の年賀状は、GoTo先の屋久島は宮之浦岳山頂での360度写真です。

昨年は、横浜からバンクーバーへ太平洋横断片道クルーズをしようと、一昨年末から散々検討していたのですが、COVID-19のためにクルーズがキャンセルされてしまいました。途中でロシアを経由し、2週間でバンクーバーへ到着するこのクルーズ、プレミアム客船で当然に食事もショーも込みで、安い内側船室なら一人400ドル程度にまで値下がりします。ずっと値動きを追っていましたが、全て徒労に終わりました。

カジノツーリズムは諦め、仕事も無いので、ほぼ箱根に引き籠るようになりました。ヤフオクで安いプロジェクターを落札すると、延々とFallout76オープンワールドを大画面で旅する毎日。その合間、たまに最寄りのスーパーまで食料補給で片道7・8km歩けば、鹿と猪に遭遇。感染症より猪が怖いという生活でした。

■オンラインとか映画祭とか
そういった中でも、様々なイベントがオンライン開催となったお陰で、通常なら参加が困難な映画祭やイベントにオンラインで参加出来たというのは、とても有難かった。アヌシー国際アニメーション映画祭も、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭も、そして何よりバーニングマンも、オンラインで堪能しました。特に、VRを活用するバーニングマンは凄かった。通常なら、現地に行かなければ参加できなかったし、そもそもバーニングマンなどチケット入手すら大変なわけで、COVID-19のお陰でローコストにこれらへ参加出来たというのは、リアルとはまた違った価値ある体験となりました。

対照的に残念だったのは、広島国際アニメーションフェスティバルです。
https://hiroanim.org/
なんと、その存在価値を理解できない広島市の方針転換で、昨年が最後の開催でした。他の映画祭のようなオンライン対応がほとんど出来ず、世界中から寄せられた作品を審査員がオンライン会議で検討し、受賞作品名等がホームページに公表されるだけでした。歴史も重みもある映画祭が、こんな終わり方になるとは、本当に残念でした。
以前は理解があり、広島市長も舞台に上がって流暢な英語でながーい挨拶されてたのに感銘を受けたこともあったので、この方針転換は本当に驚きです。)
https://cgworld.jp/interview/202010-hranm18th.html

自分は学生の頃から行きはじめ、CG制作会社に入社してからは会社の部活動として、同僚と共に参加させてもらっていました。フレームインという、事前審査も何もなく持込上映させてもらえる枠があり、そこにまだプロ・アマの垣根もなかった頃、自社の仕事をVHSで持参し上映させてもらい、その場で批評を受けたり、叱られたり、全ては良い思い出です。行きの飛行機で、当時審査委員だった海外の著名なアニメーション作家と親しくなり、会場でその人の特集プログラムに参加し、自社のデモリールを手渡ししたことも。映画祭は色々行きますが、そんなことが容易に実現する権威ある映画祭、他に国内に無いですよ。

国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)公認で、アヌシー、オタワ、ザグレブと並ぶ世界4大アニメーションフェスティバルの1つだった訳ですが、それがどうやって成立してきたのか現在の広島市は理解していないのではないでしょうか。博報堂や中国新聞と組んで、名声を掠め取るような後続イベントを計画しているとか。米国アカデミー賞公認でもあり、広島のグランプリ作品はアカデミー賞ノミネート候補にもなっていたわけですが、ASIFAを足蹴にしてそんな真似は不可能。そういった意味で、価値のない後続の商業主義イベントを、さも歴史も権威もある以前の映画祭と関係があるかと世界に誤解させて作品を集めるような恥ずべき行為だけは、やめてもらいたいものです。
https://www.cartoonbrew.com/events/hiroshima-city-says-it-plans-to-hold-animation-festival-in-2022-asifa-protests-198499.html

ASIFAは、まだ広島市に再考を促そうとしています。
http://asifa.net/news/petition-to-save-hiroshima-festival

Change.orgで署名も集めています。
https://www.change.org/p/mayor-of-hiroshima-keep-the-hiroshima-international-animation-festival-going

一度決めたことは、どんなに間違いでも殆ど変更できないこの国ですから、それが恥ずべき行為でも、広島市が再考することは無いだろうとは思います。が、自分も一応署名しました。長年広島に通ってきたのに、もう広島に行く理由が無くなってしまったのは、非常に残念です。とうか、こんな不義理をやらかす広島市には、行きたくなくなってしまいました。

昨年は、GoToと併用できる各地方自治体の助成制度が色々とあり、それらを活用して旅しましたが、広島も大変安く旅行できる制度がありました。しかし、全く広島には興味が湧きませんでした。商業主義に踊らされる広島市の今後は、期待しないで生暖かく見守ります。

■その他GoToとか
世間では、GoToで豪華な宿をお得に、みたいなのばかりが話題でしたが、自分の場合は3泊で1万円くらいの格安ゲストハウスに使ったり、せいぜい1泊1万円程度のホテルでよく利用しました。じゃらん等の予約サイトでは、各地方自治体が助成する観光促進のための割引きクーポンが多数配布され、GoToとこれを併用するというのがお得でした。10,000円以上の宿泊費に対し5,000円助成される地域だと、GoToで3,500円引かれ、支払い1,500円に対して地域共通クーポンが2,000円もらえるというケースもザラ。こんなことに税金ばらまくなんて酷い国だと思いながら、活用しました(苦笑)
鹿児島県の屋久島や種子島、山梨県の富士吉田、静岡県は下田や熱海、東京だと伊豆大島等を長めに回りました。カジノの無い国内旅行は久々。種子島なんて、筑波宇宙センターに勤務していた頃だって行ってないのですが、南種子町の助成金が素晴らしく、初めて種子島宇宙センターも見学できました。屋久島は、感染症対策で山小屋(避難小屋)での宿泊はなるべく避けるようアナウンスがされてたので、テント持参で山中泊(ここにGoToは関係無いですが)。3泊4日かけて宮之浦岳等縦走しました。
様々な地域を回ると、感染症対策の温度差のようなものも実感でき、非常に興味深かったです。例えば箱根では、温泉にサウナが併設されていても、感染症対策を理由に使用中止が当たり前。これが、鹿児島の某砂風呂施設の温泉にあるサウナでは、入れる人数を減らしただけで、かなり密で使用させていて驚きました。狭いサウナ内は向かい合う席の配置で、流石に正面は空席にされてますが、ひな壇でその1段上がった位置は使用しており、そこのおじさんの荒い鼻息が丁度自分に当たってるんじゃねーかと気付いた時は、サウナなのに寒気が(苦笑)
また別のサウナでは、敷いてあるタオルがそのままなのに、そこに直に座らせるというのはどうかと思いました。誰かが座ったタオルの上にそのまま裸で座るとか、以前はそれほど気にしなかったと覆いますが、今となっては軽くホラーです。(サウナの温度でウィルス死ぬんだよと笑い話にする人もいましたが、もちろんそうとは限りません。)
マシな施設だと、一人一人入口で消毒したシートを持ってサウナに入り、座布団のように敷いて座り、出る時に持って出て消毒して返却とかさせていて、利用する側としても安心でした。(そういえば、以前ドイツのバーデンバーデンのスパに行った時は、サウナは自分用のシーツみたいのを敷いて座るのがマナーで、気付かずに直に座ったら、他のお客から静かに指摘されました。感染症対策云々じゃなくても、それがサウナの正解な気はしますね。)
その他、宿のチェックイン時の検温と身分証の確認とかは、もう本当にバラバラ。ちゃんとやっている施設が多いですが、感染症対策と称して無人チェックインを実施してますなんて宿もあり、宿泊中一度もスタッフに会わずにチェックアウトしたこともありました。そんなところは、検温やってないわけです。チェックイン時、書類に健康状態を自己申告で書いて、レセプションのポストに投函するだけ。そこに体温計があるわけでもなく、測りもせずに「37.5度以上はありません」とチェックするだけ。こんなの、いくらでも嘘ついて泊まれます。この宿は都内でしたが、年末に東京に久々に戻って実感したのは、東京は感染症対策杜撰なところ多いなということ。新宿のそれなりの商業施設でもエレベーターの人数制限をしておらず、人が沢山乗ってたりする光景、GoToで行った他所の県では見なかったので、ゾッとしました。ここに戻ってしまった以上、安易に他所の県には行けないと思いました。まあ、この年明け早々、某ワクチンの治験に参加予定で、しばらく待機せざるを得ないとうのもあります。初回健診で対象外と言われたら終わりですが、1年後まで通院予定が決まってたり、色々面倒ですし、プラセボだったりするかもしれません...が、どんな1年になるのやら。

謹賀新年

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2020年賀状.jpg

明けましておめでとうございます。
もう、年に一度の更新となってしまいました。

今年は、360度写真から切り出した画角を年賀状に使ってみました。令和とか元旦の文字を岩の角度が伝わるように張り付けてみましたが、崖っぷち感が伝わらないなぁ。なんか中途半端で、今年の年賀状は納得いってないのですが、集中力が続かないお年頃でしょうか。

昨年は、旅の合間にアミューズメントカジノでディーラーやったりしてましたが、今年は早速年明け2日、ホテルニューオータニ東京のカジノイベントでディーラーやります。
でも、ディーラーで食べてく気は無いし、格安クルーズ旅行とかカジノツーリズムも続けたいし、働き方改革でも必要ですかね。

なお、クルーズ旅行については、以下のクルーズマンズに乗船レビューを書いてますので、興味ある方はご覧ください。
https://cruisemans.com/@ranpou
クルーズに興味がある方には、参考になる口コミサイトだと思います。

では、本年も更新するか分かりませんが、どうぞよろしくお願い致します。

謹賀新年

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2016nenga_up_ss.jpg
明けましておめでとうございます。
今年は年賀状作りが遅れ、今朝やっと投函しました。

ということで、年始のエントリーも遅れてしまったわけですが、そもそも、前回の箱根のエントリーから半年以上も更新しないとは思ってもみませんでした。ブログ以外も含め、情報発信全般が滞ってました。

昨年前半は、LCCとマイレージを活用し、シンガポール、マレーシア、マカオ、香港、韓国と格安旅行をしました。(アジアの新興カジノを周り、やはりラスベガスが一番楽しいと再確認。) また、先祖の墓参りで初熊本入りし(何故"初"かは、話すと長くなるので割愛)、天草から長崎へ渡り、福岡と周りました。しかし、そういうことをここに書くこともできずにいるうちに、後半は社会復帰してしまい、気がついたら年の瀬でした。

その間箱根は、噴火警戒レベルが3まで上がった後、今はレベル1に戻った(元々レベル1)わけです。が、箱根ロープウェイなど一部運休区間があったりと、まだ元通りというわけではありません。TVのバラエティや旅番組で箱根が取り上げられる機会が多いのは良いですが、大涌谷についてもう少し触れてくれたらと思う今日この頃。自分自身、6月に仙石原湿原のヨシ刈り(文化財ボランティア)に参加して以降、めっきり箱根に行く頻度が減ってしまい、非常に気になってます。

色々と想定外に厄介な職場の影響もあってか、先月は通勤途中で激しい腹痛に襲われ、東京駅から救急搬送で病院送りとなりました。時々、駅から救急車に運ばれる人を見たことはありましたが、まさか自分がそうなるとは思ってもみませんでした。幸い、尿路結石と胃腸炎のダブルパンチな程度で済みましたが、今年は体を壊さないようにしたいものです。
その為にも、箱根で温泉にでもゆっくり入りたいなぁ...

■「火山の状況に関する解説情報」発表
http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/volinfo/VK20150503180037_315.html
ということで、5月3日18時に「火山の状況に関する解説情報」が発表された。
(噴火警戒レベル1は平成21年3月の導入以降継続中。)

箱根では、昨年7月、箱根火山防災協議会というのが発足した。
http://www.kanaloco.jp/sp/article/75331
御嶽山の水蒸気爆発を受けて11月に最初の協議会が開催され、第2回が3月27日だった。
http://www.kanaloco.jp/article/81896
ここで策定・承認されたのが、「箱根山の噴火を想定した大涌谷周辺の観光客等の避難誘導マニュアル」(以下、「マニュアル」とする)だ。
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f532361/
http://www.town.hakone.kanagawa.jp/hakone_j/ka/soumu/saigai02.html
これによれば、現状は「4想定される事態(3)箱根山に気象庁から「火山の状況に関する解説情報」が発表された場合」に該当する。(以下、当該マニュアルの項目を参照する。)

また、それとは別に、
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2483907.html
「3日午前になって、大涌谷にある温泉施設で、水蒸気が通常よりも勢いよく噴き出しているのが確認された」ことを異常現象と捉えていれば、「4(4)気象庁からの「火口周辺警報」や「解説情報」の発表が無い中で、箱根山で異常現象が発生した場合」に該当すると判断された可能性もある。

いずれにしても、箱根火山防災協議会(もしくはコア会議)の助言により、箱根町は「6(3)④b)」もしくは「6(4)④b)」の「自然研究路等立入規制」を決定(5(3))し、本日5月4日午前5時から、以下の措置が実施(5(4))されている。

 1 大涌谷自然研究路の閉鎖
 2 ハイキングコースの一部区間の閉鎖

具体的な閉鎖区間は、以下から閉鎖区間図のPDF参照のこと。
http://www.town.hakone.kanagawa.jp/hakone_j/ka/soumu/saigai02.html
防ヶ沢から駒ヶ岳や早雲山へのコースも含まれており、人気のハイキングコースなので、ゴールデンウィークに歩こうと思っていた人も大勢いるとは思うが、知らずに行ってしまわないように。また、当然、玉子茶屋へも行けない。そこへの道が閉鎖されているからだ。

そしてなんと、玉子茶屋で製造していた大涌谷名物の黒玉子が、本日から製造できなくなってしまったとのこと。
https://www.facebook.com/139003956161617/photos/a.354320201296657.80682.139003956161617/883652648363407/?type=1
以前であれば、観光客は玉子茶屋に行けずとも、下の「大涌谷くろたまご館」等で黒玉子が買えたものだ。しかし今回は、製造のために業者が玉子茶屋に行くことすら、禁止されたということだろう。

当該閉鎖区間にいた観光客には避難指示が、大涌谷周辺の観光客には避難準備情報が発令され、この情報は防災行政無線やエリアメール、広報車等によって伝達されているのだろうと思うが、登録している箱根町のメルマガでは、今日はまだメールがない。いつも、防災行政無線で放送された内容がメールが届くのだが...

■「大涌谷周辺規制」はまだ
とはいえ、今のところ「6(3)④a)」もしくは「6(4)④a)」の「大涌谷周辺規制」はまだなので、大涌谷周辺の観光客に避難指示は発令されていない。
(「大涌谷周辺」の範囲は、「1目的」下の地図参照)

本日(4日)、気象庁の機動観測班が、現地の状況を確認したので、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150504/k10010069631000.html
もしこれによって「火口周辺警報」が発表されたりすれば、「6(2)③」でただちに「大涌谷周辺規制」が実施される可能性はある。
(「火口周辺警報」とは、警戒範囲を火口周辺に限定する気象庁の噴火警報のことで、噴火警戒レベル2(火口周辺規制)とレベル3(入山規制)に相当。)

突発的に噴火するとか、火口周辺警報が発表された場合に、「大涌谷周辺規制」が実施されるのは分かりやすい。しかし、そこまで至らない場合、「大涌谷周辺規制」は実施されないかというと、そうとは限らない。現状のような、「解説情報」や「異常現象」のみでも、箱根火山防災協議会等の助言を踏まえ、箱根町が「大涌谷周辺規制」を決定する可能性はある。恐らく、ここが一番厄介なところだろう。ゴールデンウィーク中に「大涌谷周辺規制」の判断をしなければならないなんて、観光地の首長にとっては苦渋の決断に違いない。

まあ、いずれの決断にしても、「2基本方針」の以下を守り、最善の判断であると信じたい。
(1) 観光客等の命を守ることを最優先とする。
(2) 想定外を排除し、あらゆる事態に対処できるようにする。
(3) 外国人観光客等を考慮し、多言語による情報伝達等に配慮する。
(4) 箱根町を中心に火山協議会・園地協議会等が連携して対処する。

観光客の人々は、「大涌谷周辺規制」が実施されるか注意しつつ、
http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/activity_info/315.html
箱根観光を楽しんで欲しい。大涌谷は、玉子茶屋に近づけなくとも、大涌谷くろたまご館等は営業しているし、箱根ロープウェイも動いている。

それに箱根は、大涌谷だけではない。箱根という観光地は、箱根湯本と大涌谷で、標高差900m以上あるような場所だ。芦ノ湖だって、海賊船とか運行してる。マウンテンリッパーなんかのマウンテンバイクのツアーも、今日も普通にやっているようだ。
https://twitter.com/MountainRipper/status/595054808408592385
このゴールデンウィークは、大涌谷で黒玉子が食べられずとも、それ以外の箱根の大自然を満喫して欲しい。

ちなみに、大涌谷のライブカメラはコレ。
http://www.sizenken.biodic.go.jp/live/view.php?camera_no=48

気象庁の、次の「火山の状況に関する解説情報」は、本日(4日)16時00分頃に発表の予定だ。

---->追記
上記の発表がされた。
http://www.jma.go.jp/jp/volcano/info_03_20150504160008.html
噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)が継続とのこと。
明日も発表予定とのことで、しばらく注目が必要だろう。
<----

■「大涌谷周辺規制」が実施された場合を想像する
関係ないが、3月に熊本を旅行し、阿蘇へ行った。しかし、噴火警戒レベル2のため、火口周辺1kmは立入禁止で、阿蘇山ロープウェイも火口縁の火口西駅が立入禁止区域に含まれるので、運休していた。(昨年の8月30日から運休しっぱなし。)
しかし、草千里や阿蘇山ロープウェイの下の阿蘇山西駅までは行けて、観光客で賑わっていた。噴煙を眺めつつ、長閑なものだった。

今回もし「大涌谷周辺規制」となると、箱根ロープウェイの大涌谷駅も規制区域に入るので、恐らく運休するだろう。しかし、芦ノ湖は「大涌谷周辺規制」の区域に入らない。噴火警戒レベル3になっても、まだ住民は通常の生活をしている状況だ。なので、規制区域外なら、いつも通りの観光が可能なはずだ。

では、大涌谷にいる間に規制が実施された場合、観光客はどう避難するのか。

実は、つい4月28日に、朝から大涌谷周辺では、観光客等の避難誘導のための情報伝達訓練が実施されたばかりだ。
そして、マニュアルによって、大涌谷での一次避難場所は決まっている。

「7具体的な避難誘導の手順(1)一次避難」には、以下のように書かれている。
「箱根町は、大涌谷周辺規制の決定後、現に噴火が発生しているか否か、また、その噴火箇所に関わらず、周辺施設の従業員等の協力を得て、屋外にいる観光客等を、当面、周辺施設内に避難させるとともに、施設内の観光客等に屋内待機を呼びかける(なお、周辺施設の従業員等は状況を見ながら各施設に避難する。)。」

「避難誘導者とそれぞれの避難対象者及び誘導先について」に、どのエリアにいたら、どこの建物に避難するか、説明されている。

Aエリア:自然研究路、大涌谷湖尻自然探勝歩道
 →大涌谷くろたまご館へ
 (要配慮者や避難が間に合わない者は、ゆーらんど、極楽茶屋、公衆便所へ)
Bエリア:自然研究路入口~駐車場周辺
 →大涌谷くろたまご館へ
Cエリア:バス駐車場~大涌谷駅周辺
 →大涌谷駅へ

このうち、Aエリアの自然研究路は、既に4日午前5時から閉鎖している。
まあ基本的には、「大涌谷くろたまご館」か、ロープウェイの「大涌谷駅」への避難の2択ということになるわけだ。どちらも、ここ数年でできたばかりの新しい施設であり、位置的にも安全性が高いのだろう。また、くろたまご館の建物1階には、箱根ジオミュージアムが入っている。
http://www.hakone-geomuseum.jp/
箱根ジオミュージアムは、いざという場合の情報を伝達する拠点にもなっている、重要な施設だ。あそこは、展示はショボイと思っていたが、ちゃんと役割がある。

大涌谷へ自家用車で来ている人も多いだろうが、「大涌谷周辺規制」が決定されたら、一次避難先へ誘導されて一時的に車に戻れなくなるかもしれない。どのみち、安全なタイミングを見計らって、二次避難があるので、その時に「降灰等による道路交通への影響が認められない」なら、自分の車での避難が許されるので、マイカーを放棄するわけではない。

しかし、このマニュアルの内容を知らない観光客が、規制のアナウンスを聞いて、マイカーで下山しようとすることはあるだろう。あの、狭い大涌谷への一本道は、上りがしょっちゅう大渋滞だが、規制を知った車のUターンと、下りの殺到する自動車で、どんな混乱に陥るか分からない。あの道で大事故が起きたら、緊急車両も行き来できないだろう。(個人的には、噴火していない状態での大涌谷周辺規制ならまだしも、実際に噴火してしまったような場合に、人がどう対処すべきかなんて、マニュアル通りで良い結果となるかどうか、誰も保証してくれまい?とも思う。正直、ケース・バイ・ケースなのだろうが、そういうのが心配な人は、最初から危ない場所に近づかない以外、自分に答えは思いつかない。)

とりあえず、いつ一次避難になっても良いように、車に戻る必要がないように、車を降りる時に貴重品や持病の薬などを持って離れよう。

なお、二次避難は、「大涌谷周辺から700m以上離れた安全な場所に避難」させられる、ということになっている。その際に、降灰等によって道路交通に影響が出ていると、警察、消防、自衛隊に救出されることになるかもしれず、その場合に残された自家用車等がどうなるかは、そもそも考える余裕があるか分からない。

■問題はその先(噴火警戒レベル4、5)
マニュアルが、噴火警戒レベル3までの対応しか書かれてないことにお気づきだろうか。もちろん、レベルは5まで存在する。レベル4、5とは、居住地域を含んだ噴火警報だ。

何故か?

御嶽山の噴火以前は、2004年作成の「箱根町火山防災マップ」というのがあって、今回のマニュアルも、これの試算を前提にしている。
http://www.town.hakone.kanagawa.jp/hakone_j/kurashi/iza/kazanmapindex.html
「火山活動が活発化すると...」(水蒸気爆発の場合の影響の予測が記載されている)
http://www.town.hakone.kanagawa.jp/hakone_j/kurashi/iza/kazankatudou.html
「火山防災マップ全域図」
http://www.town.hakone.kanagawa.jp/hakone_j/kurashi/iza/kazanmap.html

しかし、今回のマニュアルが緊急的に3月にできたばかりで、これに則った訓練をしてみたのがつい先週。(ゴールデンウィーク前にできるだけのことをやってみたという姿勢は、評価したい。)
昨年10月の報道では、住民の具体的な避難対象地域は決まっていないとされ、箱根火山防災協議会で作られる避難計画の中で、具体化されるはずだった。恐らく、まだできてないのだろう。

観光客は今回のマニュアルで助かるが、居住者への対応が具体化されていないことは、地域住民は認識しておくべきだろう。
とりあえず、上記の箱根町火山防災マップに目を通しておこう。

■蛇足
ちなみにうちは、火山灰が積もる可能性がある範囲に別荘があるのですが、今は東京にいます。
一応、某試験の勉強してた頃に長年引きこもってた場所で、食糧の備蓄はそれなりにあり、今月は行きたいのだけど...分からん。

謹賀新年

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2015nenga.jpg

あけましておめでとうございます。
今年は、グランドキャニオンのブライトエンジェルトレイルを少し下ったところで撮った写真をベースに、スマホのゲームで最近珍しく興味を持ったIngress風味にアレンジしてみました。
なお、フォントやロゴは以下を使用させていただきました。
http://tanukifont.com/ingress-glyphabet/
http://cr0ybot.github.io/ingress-logos/


昨年は、最後の受験も結果を出せず、ただの無職となりました。
長年応援してくださった方々の期待に応えられず、申し訳ありません。

社会復帰する前にと、色々と旅行など画策し、あれやこれやと時間が過ぎましたが、古巣の社長に「ダメでした」報告もして自分なりにケジメをつけ、年末を前にやっと職探しを始めました。で、長年の目標を失い、さて何をするかと考え始めると、41歳にして無駄に悩むのであります。

行政書士だの知的財産管理技能士、ビジネス実務法務検定なんぞの資格はあるけれど、長年法律を勉強したからとそれを生かそうとこだわることは、サンクコストを切り捨てられないだけなんじゃないか?

でも、知財を勉強したのは、そもそもコンテンツ界隈の発展に寄与したい的な、制作現場の役に立ちたい的な、モロモロの思いがあったからで、そこにつながる仕事にこだわるなら、単なるサンクコストじゃないよな、とか。

久々に就活してみると、41歳なんて悩んでる時間はないのだという現実も直視することになるのですが、ここまでやりたいことをやってきたのだから、単に資格や能力が条件を満たすだけの仕事には躊躇するのであります。

それでも、偶然にも超興味のある求人を見つけ、年末に一社応募してみました。就活年越し予定はなかったのですが、自分的にツボな仕事を見つけてしまったので、応募してみる価値はあると。まあ、転職エージェントは条件に適合すると認めてくれましたが、面接に進めるかはまだ分かりません。

書類選考で落とされたら、残ってるデルタのマイレージ14万マイルで現実逃避するとかしないとか(苦笑)

そんなこんなで、本年もよろしくお願いいたします。

先日話題になった、森元首相の失言ニュース。
『「大事な時には必ず転ぶ」 森元首相、浅田選手の演技に』
http://www.asahi.com/articles/ASG2N6R04G2NUTFK01S.html

これ読んだ時は、「相変わらずこの人の失言オリンピックは、他の追随を許さないね」と思った程度だったのですが、その後この講演の全体像が分かる書き起こしが公開され、事態に変化が。
http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/02/post-259.html

何故か、森発言の浅田選手の部分のみに着目して善意で解釈し、恣意的に一部の発言をとりあげるマスコミが悪いと、発言を擁護する意見がネットに出始めました。

参考:全文を見たツイッタラーの賛否両論な反応
https://twitter.com/search?q=http%3A%2F%2Fwww.tbsradio.jp%2Fss954%2F2014%2F02%2Fpost-259.html

でもねぇ...
パラリンピックのためにソチに行くのメンドクセーってのもヒデェし、アイスダンスのリード姉弟に対する暴言は、もう土下座して謝れレベルじゃないですか。事実無根の嘘でしかない。

「特にペアでやるアイスダンスっていうんですかね。あれ日本にできる人はいないんですね。あのご兄弟は、アメリカに住んでおられるんだと思います確か。ハーフ。お母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人なのかな。そのご兄弟がやっておられるから、まだオリンピックに出るだけの力量ではなかったんだということですが、日本にはいないもんですから、あの方を日本に帰化させて日本の選手団で出して、点数が全然とれなかった。」

はぁ?

あの二人は、国籍を選択しただけで元々日本国籍持ってるし、オリンピック出場枠だってちゃんと国際大会で成績残して自分たちで獲得した。力量があるから、オリンピックに出場したんだよ!
(ちなみに自分は、リード姉弟に注目してたので、結果は非常に残念に思いました...)

流石に叩かれてます
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1392923930/

なので、マスコミは、他のもっとヒドイ失言もしっかり全部拾えよと思ったので、その意味では、確かに引用の仕方に偏りがあるとは思いました(苦笑)
(つーか、リード姉弟に対する暴言をスルーしたマスコミは、まさかあれが、嘘だと気付かなかったってことはないよね?...)

この人は、悪気なくリップサービスのつもりで軽口をたたく人なんで、いちいちそれにムカついたりしないけど、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の立場を少しでも考えれば、普通は出てこない嘘・小話満載なわけです。

しょーもないオヤジなのです。そこは飲み屋じゃねーんだぞ!

そういうのは、オリンピックの裏番組かなにかで「失言オリンピック」やって呼べば、笑って終わらせられるのだけど...今回の件は、叩かれて当然。

全文読んだのに嘘に気付くこともできずに森さん擁護してる連中も、リード姉弟に一緒に謝りませう。

姉弟の公式ブログは、ソチでの結果について既に更新されてます。
「ソチでの出来事・・・」
http://ameblo.jp/reed-icedance-blog/entry-11775140764.html


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140218/k10015326171000.html
「菅官房長官は「安倍総理大臣の指示の下、古屋防災担当大臣がしっかり対応しており、内閣全体として取り組んでいる」と述べ、安倍総理大臣の指示の下、政府全体で対応していると強調しました。」
え...政府が頑張って対応してこの結果だと言ってるの?
反省すべき点ないの?
これじゃあ、危機管理能力がないと、自ら認めているようなもんじゃん。

「先週金曜日の14日の午後12時半に関係省庁による災害警戒会議、16日と17日に関係省庁による災害対策会議を開くとともに、古屋防災担当大臣が山梨県側とテレビ会議を行ったこと、さらに自衛隊が15日には活動を始めた」
こうやって、形式的な会議の存在で自己正当化できてると思ってるのかな?
実質的には動いてなかったから、みんなの党からまで批判されてんじゃん。

http://t.co/qbfpbjfqyJ
「雪の被害は14日夜半から大きなものになっていました。みんなの党の山梨県選出の議員から現地の詳細情報が入り始め、孤立無援地域の救出を党は菅官房長官にも電話で直接お願いしました。しかし、政府は、関係各所の連絡会議を招集したのは、15日の午後1時、それまでは、災害対策の事務局は、2から3人の当直職員しかいなかったようです。」
月曜になっても、「午後5時の時点でも連絡がつかない孤立無援地域がどれくらいあるか詳細には分からないとの回答でした。災害から24時間以上立ってもこのような状態、政府には真面目にやって欲しいと申し入れました。未だに政府には災害対策本部は設置されていません。」

官房長官は、15日に自衛隊が活動始めたと言ってるけど、規模が小さすぎたわけじゃん。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1801F_Y4A210C1EB1000/
18日になってやっと、1000人規模に増やしたわけでしょう?
18日になってやっと、災害対策本部を設置したわけでしょう?
http://www.asahi.com/articles/ASG2L3SM2G2LULFA00G.html
「課長級による災害対策会議を閣僚がトップの同本部に格上げした。」
18日になってやっと、官僚任せだったのが失敗だったと気付いたんじゃないの?

死者が出てるのだから、もっと早期に本格的に活動開始する判断ができたんじゃないかっつー反省くらい、謙虚にしようよ。そりゃネットにゃ、今回の政府対応を支持する書き込みを何故かよく目にするけど、そんなの「裸の王様」と同じだから。

長野県に遅れて、17日に山梨県が災害対策本部設置したのは、擁護する意見なんて皆無なのに、18日に災害対策本部設置した政府は擁護されるとか、意味不明だから。

■蛇足
ところで、当選直後に災害対策としての大雪のこと質問されて、「こういうのは大した事は無い。一日で終わる話ですから」と答えた新都知事は、少しは反省してるだろうか?
東京は、地方から物を届けてもらうことで食いつなぐ脆い都市だというのは、311の時にみんな思い知らされた。今回東京都は、どういう対応をとれたのだろう?と、防災ページにある発災時の緊急ニュースのページを見てみると...酷すぎ。
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/datasheet/index_em.html

一連の大雪に関連した東京都の情報は、奥多摩町と桧原村に自衛隊派遣要請したというPDF1枚だけ。このサイトは、311の時も、夜まで災害情報が掲載されなかった。その辺の問題は、都政モニターやってた時にアンケートに答える形で東京都に指摘したし、その後猪瀬さんも、震災時に東京都がネットの情報発信を上手くできなかったことを認めていたわけだ。(だからといって、twitterでの情報発信ばかり強化したのはアホかと思ったけど。)
都知事が新しくなって、また災害を甘く見るように戻るなんてね...

謹賀新年

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2014nenga.jpg

あけましておめでとうございます。

子曰く、四十にして惑わず

昨年四十となりましたが、惑いまくりな今日この頃です。

さて、相変わらず箱根滞在率が高く、今朝は駒ケ岳から初日の出を拝もうとしたのですが、強風で箱根駒ケ岳ロープウェイが運休となり、元旦から散々なスタートです。今後の行方を暗示しているようです(苦笑)

今年も、アベノミクスで日々上昇するエンゲル係数に戦々恐々とするのは変わりませんが、ついに最後の受験資格を行使するので、結果の如何にかかわらず変化の1年となる予定です。というか、変化しないと、マジでニートの5秒前(^^;

ということで、本年もよろしくお願いいたします。

謹賀新年

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あけましておめでとうございます。

昨年1年を振り返るには、Facebookなんぞでタイムラインを見ると一目瞭然という時代で、ありがたいのか大きなお世話なのか分かりませんが、一言で表すなら「勉強しろ!」というところかと、反省ばかりです。今年の試験はスルーし、来年に向けてどう立て直すか思案中です。

さて、ここ数年は箱根滞在率が高いのですが、この辺はエヴァの第三新東京市ということで、ローソンがエヴァ仕様だったり、新宿からの高速バスもエヴァ仕様だったり、今も聖地巡礼的に観光を盛り上げようとしている感じで、ファンではない自分もそれなりに楽しんでます。

なので、いつかネタにしようと思っていたのですが、箱根ビジターセンターに手頃なジオラマがあったので、下二子山から陽電子砲を撃ってATフィールド割ってみました。Youtubeで確認したら、撃たれたシトが後ろに炎を吹き出してたので真似してみましたが、あんまり炎に見えないとか、完成度低いとか、つっ込みご勘弁を(苦笑)

ということで、本年もよろしくお願いいたします。

今年の司法試験も終わり、オワタオワタ...ということで、自暴自棄になって旅立った...ではなく、母親が東北を旅したいというので、ツアコンしてきました。
先月GW前に、陸前高田の戸羽市長がfacebookで書かれていたのだけど、6月になると、津波被害を受けた旧市役所などの公共の建物、ホテル、スーパーなどが、順次解体されることになっており、津波被害を直接見ていない人など興味本位でも構わないから、陸前高田に来てくださいという話があった。それを母に伝えたら、そういうことなら行きたいと。じゃあ、東北六魂祭もあるから、試験終わった翌週に...ということで、試験後、出発のわずか数日前に調べて旅程を組んだ。もちろん、平泉も観光したいとの要望があった。
で、そのうち陸前高田に関する部分は、これから行こうという人の参考になる部分もあると思うので、少し細かく紹介することにした。


■陸前高田の宿の予約
ボランティアや簡単なバスツアーなどではなく、しっかりと陸前高田を歩いて見るため、まずは宿の確保から始めた。自分一人なら、夜行高速バスで早朝到着し、午後のバスで一ノ関に戻って宿泊という強行軍も可能だが、今回はそうはいかない。悪天候なども想定し、確実に、無理のない行程を組むには、陸前高田で宿泊するのがベストと考えたからだ。

参考にしたのは、まず市のサイト。
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/kanko-event/syukuhaku/syukuhaku.html

この中から、長距離バスのバス停のある市役所仮庁舎や、広田湾との距離など考慮し、徒歩で活動可能な地域の宿を検討した。
もちろん、市中心部から遠い宿も、タクシーを活用するなどで交通手段が確実に確保できれば構わないだろうが、路線バスの本数は震災後は極端に少なくなっており、場所によっては1日1往復しか走っていなかったりするので注意が必要。
やはり市のサイトにある、バスの時刻表と路線図は、とても参考になる。
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/kurashi/bus/bus.html
で、時刻表とにらめっこしながら、中心部から遠い広田町の宿にも電話してみたが(以前この辺でも作業したことがあるので)、自家用車で来るのが普通の場所だから、バスを当てにするようなことはせずに、もっと市中心部に近い宿にした方が良いとアドバイスされた。

ということで、
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/shisei/access/access.html
市役所周辺で探した結果、
http://takata.si-dsg.com/camp/contents/04.html
陸前高田ドライビングスクールの宿泊施設(ユニウス)のお世話になることに。

DSC_0659.jpg

ここは、ボランティアも多く利用する宿で、どうやら普段からかなり混んでいる感じで、直前なのに予約できたのは運が良かったのかもしれない。徒歩数分圏内にコンビニ、ドラッグストア、スーパー、銀行、郵便局等が集中しており、被災した主要施設がこの周辺で営業再開し、市の新しい中心地の一つを形成している感じになっている。もちろん、市役所の仮庁舎も近い。

しかし、まあ専門のホテルではないので、色々とルーズな部分があり、実際にチェックインしようとしたら宿の管理人に予約の話が一切伝えられておらず、フロントに人はいないし、部屋も準備されておらず、常識的に考えれば色々と問題があった。

そもそも、予約の電話をした際の予約担当の男性の対応はかなり変で、宿から徒歩圏内にコンビニがありますよね?と念のため質問したら、何か勘違いされてしまい、来たら何とかなるとか東京のつもりで来ても何ともならない、とか、陸前高田に来たことはあるのか、とか言われてしまった。ボランティアで行ってるし、その宿の前も何度も通ったことがあるし、その目と鼻の先でも作業したことがあるのだけど、質問の仕方が悪かったのか何か気に障ってしまったようで、嘘を言われてしまったのだ。徒歩3分で、ローソンもファミマもドラッグストアも、スーパーマーケットのマイヤも、100円ショップのキャン・ドゥも既に営業再開している宿で、どうにもならない訳がない。どうにもならない広範な地域があることはもちろんだが、少なくともこの辺はもうそうではない。

更に、本当は素泊まりにして、食事はコンテナの店舗で頑張ってオープンした付近の飲食店を探し、お金を使おうとも思っていたのだけど、そういう考えを伝えたのがまた気に障ったのか、自分たちも被災しているのだから、食事もうちで食べてくれと言われてしまい、じゃあ食事付きでお願いしますと相成った。二食付きで追加1500円なんて格安な宿の食事で終わらせるつもりはなかったけれど、夕方になれば仮設の飲食店なども閉めてしまい、夜は食べる場所などないとも言われたので、それに従って食事付きにしてもらった。結果、夜コンビニに行こうとしたら、居酒屋のような店がやっていたように見えたのは、きっと気のせい...

陸前高田市内の各種店舗マップのサイトが存在することは、帰ってきてから知った。先に見ておけば...
http://www.rikuzentakatatenpomap.com/
なお、このマップにまだ反映されていない店も多いので注意。

で、その予約担当者が管理人に予約を伝えなかったため(ゲフンゲフン)、15時前には宿に着いたのに、部屋に入れたのは約40分後になってしまった(しかも、どうやらダブルブッキングもやらかしていた。)のは、きっと言葉足らずな自らの不徳の致すところに違いない。まあ、自分は旅行のトラブルは慣れているので、基本的に気にしないのだけど、今回は時間が貴重だったので残念ではあった。しかしそれ以上に、管理人のおばさんの親切が対照的で有り難く、また当日電話での問い合わせに応じてくれたドライビングスクールの方から、後からお詫びの電話をいただいたのも驚いた。最終的には、ここにして正解だったと感じた。終わりよければすべてよし。


■陸前高田への公共交通
陸前高田は、今も鉄道(ドラゴンレール大船渡線)は復旧していないので、バスでしか行けない。

ボランティア目的のバスや、素通りするだけの復興支援バスツアーならいくつもあるけれど、今回の目的にはそぐわないので除外すると、東京方面から陸前高田入りする際に使えるバスの選択肢は、基本的に2択しかない。

まず、池袋からの夜行高速バス(けせんライナー)で、直接に陸前高田入りできる。
http://5931bus.com/kosoku/tono-kesen.html
しかし、これは到着が早朝過ぎ、前記の通り今回は適当でない。
そこで、一ノ関まで新幹線を使い、一ノ関駅から陸前高田市役所仮庁舎前に1600円で行ける大船渡一関線という路線バスへの乗り換えを検討。
(JRは「一ノ関」と表記するが、バスは「一関」と表記している)
http://www.iwatekenkotsu.co.jp/rosen-jikoku/morioka/110314pdf/engann/20120317/ofunato-ichinoseki(20120317).pdf
これで、14:29に陸前高田市役所仮庁舎前に着けるので、15時チェックインの宿に丁度良いと考えた。(ちなみに、震災以前は1時間に1本はあったそうだが、今は1日2本しか走っていないので、1本逃すと大変なことになる。)

が、新幹線で一ノ関、バスで陸前高田というのがシンプルだが、実は一ノ関から気仙沼までは、ドラゴンレール大船渡線が再開している。これを組み合わせて、気仙沼で大船渡一関線のバスに乗り換えるというのが、ちょっと魅力的。

ということで、出発した5月24日当日は、こうなった。
09:06 大宮
  ↓ 新幹線やまびこ53号
11:13 一ノ関
12:21 一ノ関
  ↓ ドラゴンレール大船渡線
13:40 気仙沼
13:49 気仙沼駅前
  ↓ 大船渡一関線(岩手県交通)
14:29 陸前高田市役所(仮庁舎)前

気仙沼駅前のバス停は、ちょっと注意が必要。駅前にあるバス停は別のバスのもので、実は駅が見えない位置まで移動しないと、大船渡一関線のバス停はない。分からなければ、駅前の観光案内所で質問すればすぐに教えてくれる。

なお、逆の盛岡方面から陸前高田に行けるバスもあるが、そういった路線も詳しく比較したい人は、岩手県交通のサイトを参考にされると良い。
http://www.iwatekenkotsu.co.jp/

ちなみに、陸前高田市役所仮庁舎前は、今ではこんな感じでATMがずらりと並んでいる。
DSC_0649.jpg


■高田町
チェックイン後、16時頃に竹駒町の宿を出た。そして、20分も歩けば、高田町の広大な、津波で流されてまっ平らになった風景に出くわす。
1年前この辺に来た時の、凄い量の瓦礫が、確実に減ったことが分かる。

例えば、1年前こんな風景だった場所が、
IMG_3832.jpg今はこんな感じだ。DSC_0685.jpgそして、この残っている建物も、もうすぐ取り壊される予定というのが、今回の旅のきっかけ。

1年前、少し高い地域では、取り壊し待ちの家屋も多く、家財道具の運び出し等を手伝った家などは、業者の予約が混んでいて年内に取り壊せるかどうかも分からないとお婆さんが嘆いていたものだが、今回はそういう家がさっぱりと消え去っていた。


何もないのに、かろうじて道路だけある風景。家があったであろう場所には、いくつも供養の花が枯れていた。ここに初めて来た母は、当初は被害の規模の大きさがよく分かっていない様子だったが、見渡す限り広大な平地となってしまった風景を直に見て、TVで見ていたものとは違う現実がここにあることを、少なからずやっと理解したようだった。(被災者の方はまさかと思うかもしれないが、TVでしか震災を知らない人というのは、本当に被害規模を理解できていない。理解できていないから、酷いことを言う人もいる。でも、現地を見ないで想像できるような被害ではないのも事実で、理解できない人が特別に悪いわけでもないとも思う。想像を遥かに超える被害というのは、やはり現実に見てもらうしか、理解を得られない。)

マイヤから市民体育館に向かう途中、旧市役所前の簡易な祭壇で手を合わせた。
DSC_0698.jpg
高田松原第一球場近くから引き返し、キャピタルホテル、奇跡の一本松のよく見える場所まで歩き、国道340号沿いに宿まで戻って、丁度3時間たっていた。
自分としては、翌日も使って(もし初日雨だったら、翌日の夕方までを陸前高田で使えるように、フレキシブルな旅程を組んでいた)、かつてお手伝いした広田町くらいまで行きたい気持ちはあったけれど、高齢な母はもう十分よく分かったという感じだったので、翌日は早朝に陸前高田を発つことにした。(もちろん、高田町だけ見て陸前高田を全部見たなどというのは甘い話で、帰宅後、Googleマップとストリートビュー見せながら、歩いた場所がどんなに一部分に過ぎないか説明することになった。)

ちなみに、以前は壊れた自動車の山だった場所が駐車場になっていたり、少し坂を上った辺りに理髪店が営業していたり、お菓子屋さん等がオープンしていることに、一々感心してしまったが、行きに気になったお店で、帰りにお菓子を買った。

DSC_0675.jpg
IMG_20120528_115446.jpgIMG_20120528_115508.jpg
これを買った「おかし工房木村屋」さんは、後で調べたら、
http://okashitsukasa-kimuraya.com/
元は気仙ゆべしの老舗で、被災地応援ファンドで再建されたばかりだった。
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=200
何も知らずに訪れ、奇跡の一本松をモチーフにした「夢の樹バウム」も偶然買ったのだけど、とても美味しくて、デカいの一本丸々買えば良かったと、ちょっと後悔。
http://www.musicsecurities.com/blog/community_news.php?st=cal&bl=120&cg=25
被災前のサイトは、オンラインショップのリンクが切れており、更新されてないようで、買う手段はないのかと諦めかけたら、こんなの発見。
http://www.i-wa-i.jp/article/14399034.html
あぁ、ここは入らなかったけど、隣のお店だ!
ということで、隣のお店経由なら「夢の樹バウム」が通販で買えるので、おススメです(笑)


■平泉へ
翌25日は、早朝からバスで陸前高田を去った。

06:01 陸前高田市役所(仮庁舎)前
  ↓ 大船渡一関線(岩手県交通) ←行きの逆のバス
07:55 一関

鳴石団地前を過ぎたあたりから、広田湾に下っていくバスからの風景

通過した気仙沼の風景

09:00 一ノ関
  ↓ 東北本線
09:08 平泉

ここからは通常の観光モード。平泉では、駅前で電動アシストサイクルをレンタルで借り(ゴールドレンタ平泉:1日1300円)、効率的に観光した。
借りたのが9時30分頃で、柳之御所遺跡柳之御所資料館無量光院跡高館義経堂中尊寺と順調に回り、中尊寺の奥のかんざん亭で、絶景の中、自然薯そばを美味しくいただいた。

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かんざん亭を出た時には、既に14時だったので、ここまでじっくりと観光できた。しかし、段々と天候が怪しくなり、次の平泉文化遺産センターにたどり着いた頃には、雨が降り出していた。
旧観自在王院庭園を横目に見ながら、雨が激しくなりそうなのでスルーし、毛越寺へ。他の団体客のガイドの説明に耳を傾けながら回り、15時過ぎに最終目的地の達谷窟毘沙門堂へ向かうも、とうとう雨が本降りとなり、途中で諦めて平泉駅に戻ることになった。達谷窟毘沙門堂は、征夷大将軍の坂上田村麻呂が創建したというのが興味津々で、実はかなり行きたかった。が、雨は激しくなるばかり...16時前に自転車を返却し、平泉観光終了。無念なり...

で、東北本線で花巻に移動し、この日は花巻台温泉の松田屋旅館に宿泊。
http://www.show-un.com/
花巻は、温泉街がいくつもあって、どれがどうなのかよく分からないのだけど、台温泉は古い温泉街で、松田屋も結構古い。でも、温泉がいくつも楽しめ、ロビーではセルフサービスのコーヒーが無料で、食後にくつろげたり、自室用のアロマのお香も置かれていて自由に使え、他にも無料のちょっといいサービスがあって、コストパフォーマンスが高かった。


ところで、実は宿に着く前、花巻駅でトラブルが。なんと、着替えなどを入れた大きいウエストポーチを、車内の網棚に置き忘れて降りてしまったのだ。情けなや...
駅員に聞いてみたが、その電車は盛岡で折り返し前で止まってるということで、盛岡駅のインフォメーションセンターの電話番号を教えられ、自分でかけろと。
電話すると、その電車は一ノ関で車庫入りするまで忘れ物を調べることはできないと断られ、夜8~9時くらいになれば、忘れ物の情報が端末に登録されるので、盗まれてなければ忘れ物の問い合わせ番号に電話して確認できると...ワァーオ、ザ・たらい回し(笑)

折り返してくる電車の、花巻でのわずかな停車時間に乗り込んで探すという選択肢もあったけれど、直ぐに発見できるか分からないし、次の駅までに見つけるにしても、戻りの電車も本数が少ないので、宿へのチェックインが何時になるか分からない。それでは、せっかくの温泉宿への宿泊が台無しだ。
着替え以外は、スマホの充電器や髭剃りを入れていたけれど、もうそこで自分で探すのは諦めることにした。(ここは日本だから、きっと誰も盗まないさ!と自分に言い聞かせて。)

夜9時過ぎに電話してみたら、見事に一ノ関駅で荷物が見つかり、翌日の帰りに立ち寄って受け取ることにできて、ヤレヤレ一安心。

■花巻から盛岡
26日は、朝から宮沢賢治記念館宮沢賢治童話村花巻市博物館と回った。
宮沢賢治記念館は、あれは時間があればいくらでも過ごせる危険遅滞で、童話村のイマイチ感とは対照的だった。
花巻市博物館を見終えたのが13:30頃で、そこで初めて、盛岡の東北六魂祭に行くには丁度良いかもという話に。実はここまで、東北六魂祭は行けたらいいねくらいの話になっており、あまりまともにスケジュールを考えていなかった。しかし、博物館の方に新花巻駅までの歩き方を質問したついでにその話になったら、東北六魂祭のイベントスケジュールの掲載された新聞をコピーしてくれて、盛岡に15:34に到着できる電車の乗り継ぎ方まで教えてくれた。パレードは15時からなので、まだまだ祭りが楽しめる時間に到着できることが判明。

博物館の方に感謝しつつ、新花巻→花巻→盛岡と乗り継ぎ、お陰で東北六魂祭を楽しめた。

その後、盛岡冷麺を食べ、一ノ関に東北本線で向かおうとしたら、祭りの帰りの客で一杯の盛岡駅は、東北本線の改札を入場制限。長蛇の列に並んでいては、とてもその日のうちに東京に帰れない...ということで、新幹線Wきっぷを購入。

18:46 盛岡
  ↓ やまびこ66号
19:28 一ノ関

受付時間に結構ギリギリで、忘れ物を無事回収。
お土産買ったりしながら、次の新幹線に乗車。

20:22 一ノ関
  ↓ やまびこ68号
22:34 大宮

で、新宿経由で無事帰宅。
ハードな3日間だった...


さて、次のボランティアはどうすべか。

ネットと震災

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■ついに1年
この1年、何度涙腺が緩んだことか。
同時に、復興の遅さや、東電の対応など、何度怒りを感じたことか。
原発関連のムーブメントなど、とにかく激動の1年だった。まあ、激動だった割に大して進んでいないのだけどね。

最近よく考えることがある。

もしまた今、同じような震災が起こったら、僕らは1年前よりもマシな対応をできるだろうか?

次は多くの人が政府や電力会社の発表に聞く耳を持たず、パニックになるような気もする。それを避ける唯一の手段は、ネットを活用できるかどうかだろう。

ネット界隈は、震災の教訓をどう消化したのだろうか。

まあ、Twitterが役に立つというのは、今さら言うまでもない。
と言うか、もしも無かったらどうなっていたかと思うと、ゾッとする。
Googleの貢献も、無視できない。パーソンファインダーの立ち上げもそうだが、そもそもGoogleマップが無かったら、帰宅困難者はもっと困難だったろうし、被災地への支援活動も滞っただろう。

思えば、阪神・淡路大震災の時、インターネットにはそれらが無かった。Googleどころか、Yahoo!すら法人設立前だ。当然、Facebookもmixiもなければ、2chもブログもなかった。想像できるだろうか?

■社会的常識
「インターネットと情報ボランティア ―これまでとこれから ―」
http://www.heri.or.jp/hyokei/9601mzno.htm
を偶然目にしたので、ちょっと思いをはせてみる。

阪神・淡路大震災当時、大学生だった自分は、結局寄付しかできなかったように思う。ボランティアに行くべきか考えた記憶はあるのだけど、実行に移せなかった。
東日本大震災では陸前高田に行き、多くの大学生と共に活動し、昔の自分より全然偉いなと思ったり思わなかったり(苦笑)

もちろん、被害の性質や規模の違いはあるけれど、17年前の自分が能動的に支援に動かなかった理由は何だろうとか、ちょっと考えてしまった。まあ、結論は単純で、インターネットの違いなんだけど。

当時は、マルチメディアという言葉が世間を賑わせていたけれど、個人でインターネットを使えている人は極少数。それまで、月額何万円もしたインターネット接続料金をベッコアメ・インターネットが価格破壊し、やっと学生の自分でもプロバイダ契約が現実的になったばかりだった頃。

WWWなんて、大学の演算室のUNIXでNCSA Mosaic使う程度。
個人じゃ、パソコン通信のニフティサーブ経由でtelnetするのがやっと。
まだテレホーダイも始まっていなかった。

結局、TVや新聞で伝えられる情報がメインであって、少なくとも自分はネットを活用できなかった。


ところが、そんな時代の阪神・淡路大震災でも、インターネットが有効活用されたと当時話題になったりした。安否情報の提供なども、Googleすらないのに当時の人も頑張った。

その辺のことは、今はなき「インターネットマガジン」がバックナンバーアーカイブとして公開しているので、今見てみると興味深い。(読者だったけど、完全に忘れていた。)

『大規模災害とインターネット―阪神大震災にインターネットはどう対応したのか(1995年4月号)』
http://i.impressrd.jp/e/2008/01/17/343
PDF
http://archives.impressrd.jp/im/previewer.php?url=http://i.impressrd.jp/files/images/bn/pdf/im199504-064-jisin.pdf

『大規模災害とインターネット第2回―残された課題と今後のインターネット活動(1995年6月号)』
http://i.impressrd.jp/e/2008/01/17/344
PDF
http://archives.impressrd.jp/im/previewer.php?url=http://i.impressrd.jp/files/images/bn/pdf/im199506-076-jisin.pdf

東日本大震災でのインターネットの活用具合とは、全然レベルが違うはずなのだけど、そこに求められた役割や課題というものは、何かデジャブが...

震災後、インターネット防災訓練なんてものも始まった。

『[REPORT] 「第1回インターネット防災訓練」の裏側 (1996年4月号) 』
http://archives.impressrd.jp/im/previewer.php?url=http://i.impressrd.jp/files/images/bn/pdf/im199604-210-bousai.pdf
『[REPORT] 第2回インターネット災害訓練レポート (1997年4月号) 』
http://archives.impressrd.jp/im/previewer.php?url=http://i.impressrd.jp/files/images/bn/pdf/im199704-330-saigai.pdf

そして10年後

『ライフラインとしてのインターネット(2005年4月号)』
http://i.impressrd.jp/e/2008/01/17/346
PDF
http://archives.impressrd.jp/im/previewer.php?url=http://i.impressrd.jp/files/images/bn/pdf/im200504-112-letter.pdf
「最も重要な課題は、「いざというときはこれを使えばいい」という社会的常識を広く浸透させることである」

ということで、IAA Allinaceみたいのを定着させるのかと思いきや、2007年3月31日をもって解散してしまった。
http://www.iaa-alliance.net/

niftyもネットの防災訓練をやってたが、この年が最後?
http://rescuenow.nifty.com/tokusetsu2007/kunren/

なんだろね。結局、震災から時間が経つと、防災意識が低下してしまうのだろうか。
これらの反省や訓練の経験が、東日本大震災でどう生かされたのか興味があるけれど...

『第1回「iSPP 情報支援連携会議 in 仙台」で語られた被災地の話』
http://i.impressrd.jp/e/2011/05/23/1134
「グーグルのパーソンファインダーのようなウェブを見ること自体、発想にない」

『阪神淡路と東日本大震災に見るインターネット共通の課題』
http://i.impressrd.jp/e/2011/08/11/1149
「96年版と2011年版には、まったく同じ1つの視点が寄せられている。それは、「被災者には直接あまり役に立たなかった」という関係者の言葉である。」

なんとも残念。
震災時のインターネットの利用方法が、またしても社会的常識となっていなかったわけだ。

パーソンファインダーが立ち上がったのが、震災の2時間後なのだから当たり前だけど、そもそもGoogle先生に責任はないのだから仕方ない。IAA Allinaceの後も、本当の意味で役に立つ安否情報サービスが整備されなかったのは、国内問題なのだから。

しかし...
「Googleが新しい災害対応の取り組みを発表 - パーソンファインダーの機能拡充など」
http://news.mynavi.jp/articles/2012/03/07/google/
「東日本大震災と情報、インターネット、Google」
http://www.google.org/crisisresponse/kiroku311/

ここまでGoogleが本気を見せている以上、どういう枠組みであろうと、Google抜きには有り得ないことだけは確かだ。Google抜きには有り得ないけれど、Google任せで良いのか不安という、なんとも歯がゆい感じもある。
facebookの災害用伝言板よりは、遥かに頼もしいのだけど(^^;

とりあえず、いざとなったら
http://www.google.co.jp/saigai
これを確認するというのは、社会的常識にできずとも、家族や親戚の間では常識にしたい。

まあ、安否情報に限らず、社会的常識にするには国民的なインターネット防災訓練が必要なのは間違いないけれど、簡単じゃないからね。


■そもそも最初に生き残るためには
ところで、どんなにGoogle先生が素晴らしいとしても、それを生かせるのは、地震や津波をとりあえず生き延びた人だけだ。まずは、最初に死なないことこそが重要であり、この点でインターネットは役立つのか。やはり、リアルタイムなアナウンスという意味では、緊急地震速報やTVがベストなのだろうか。

実は、東日本大震災の際、最も迅速に適切な避難誘導をアナウンスしていたのは、既存のTVではなかった。weathernewsの24時間生放送の気象情報番組、SOLiVE24だ。


http://weathernews.jp/solive24/

ここでも見られるが、うちではソラマドという無料の専用ソフトをPCにインストールし、スマートフォンにはウェザーニュースタッチというアプリをインストールし、いつも見ている。地震があると、生放送でリアルタイムに適切な情報が確実に得られるので、直ぐに見る癖がついてしまった。

以下は、東日本大震災当時の、地震発生直前からの放送の様子だが、見たことがない人は、騙されたと思ってじっくり動画を見ることをお勧めしたい。あの時、こんな的確な放送が存在したことは、もっと評価されるべきだ。


00:43 緊急地震速報 発令
03:00 揺れが強くなってくる
04:11 大津波警報
22:00 余震発生
30:11 大きな余震発生

津波が川を遡って奥地まで被害が出るとか、車で避難すると危険だから降りろとか、そんなことを既に予測してアナウンスしていることに感服する。また、震災直後から、視聴者からのウェザーリポートが届いているのも注目すべきだ。普段は、日本各地の天候に関する情報提供インフラなウェザーリポートが、震災情報インフラとしても機能するわけだ。


今、weathernewsは、「Join&Share(参加と共有)」をキーワードに、自助・共助、減災を目指している。防災ではない。減災だ。そのために、日常的に機能しているウェザーリポートという仕組みを生かそうとしている。
一部の自治体とは、既に減災プロジェクトをスタートさせている。
http://weathernews.com/ja/nc/press/2011/110801.html
http://weathernews.com/ja/nc/press/2011/110905.html

更に、TSUNAMIレーダーの配備もしている。(津波は、船舶に搭載されているようなレーダーに映るのだ)
http://weathernews.com/ja/nc/press/2012/120305_2.html
これで、津波が到達する15分前には分かるそうだ。

減災訓練も繰り返している。
http://weathernews.com/ja/nc/press/2012/120116_2.html

weathernewsの本気っぷりは、プロフェッショナルの責任感を感じる。
トップダウンの気象庁の情報と異なり、Join&Shareなのがweathernewsだ。インターネットに親和的なのは、後者であることは明らかだ。

インターネットにつながってSOLiVE24さえ見られれば、逃げるチャンスを無駄にせずに済むかもしれないと、本気で思う。こんな会社が日本にあるというだけで、安心してしまう(ってそれじゃダメだけどw)。

いずれ必ずやってくる次の震災は、前よりもマシな対応、したいよね!


個人的に唯一の弊害は、普段のSOLiVE24の放送が面白すぎて、流星群とか今まで余り興味の無かった天体ショーが楽しみになって、夜中外に出たくなってしまう点だろうか?(自爆)

Be Happy New Year

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2012web.jpg

昨年は、世界的にはビン・ラディン、カダフィー、スティーブ・ジョブズ、金正日と、テロリストや独裁者が立て続けに消え去りました。エジプトも大変だなぁとか。しかし、そんなことすらどうでも良いと思える激震の一年でした。

日本が最悪を迎え、神話は神話でしかなかったと、ある種の洗脳を解かれてしまいました。とっとと昨年と決別し、今年は平穏なタイムラインが描かれると良いのですが。(まあ、そうは問屋が卸さないでしょうが...)

もちろん、決別とはいえ、昨年のことは忘れちゃいけない。
忘れられない。忘れてたまるかー!

ということで、今年は被災地のことを念頭に置きつつ、平穏な一年となることを願ってます。

>蛇足
なお、昨年は某受験を回避したので、今年が2回目の予定です。

陸前高田へ2

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■再び陸前高田へ
先週1週間ほど、また難民支援協会(JAR)の被災地支援ボランティアで陸前高田に行ってきた。
   月曜夜:東京出発 → 火曜~日曜:陸前高田で活動 → 月曜早朝:東京戻り
http://www.refugee.or.jp/event/2011/06/13-1127.shtml

震災から半年ということで、そろそろボランティアの足が遠のいているのではないかと思ったのと、これより後は某受験勉強に集中したいので参加できなくなるという事情で、このタイミングで精一杯の1週間の労働力を提供させてもらった。

ところが、陸前高田のボランティアは、実はかなり活況だった。理由は、他所の地域のボランティアセンター(以下「VC」)が閉鎖されたり、個人の参加を締め切ったりで、比較的従来通りボランティアを受け入れている陸前高田に、結果として人が集まってきていたのだ。その結果、週末に合流したメンバーには、各地のVCを転戦している歴戦の勇者的な人が多く、各地の受け入れ状況の問題点など、興味深い話も聞けた。

まあ、それ故の組織的な困難さもあったが、結論から言うと本当に参加して良かった。心からそう感じている。依頼者(被災者)との出会いは当然として、様々なタイプのボランティアメンバーとのソレも、喜怒哀楽に溢れていた。そしてこれは、1週間活動したからこそ実感できたのだとも思う。

こういう言い方はアレだが、元来自分はこの手の場所で人脈作りとか全く興味がなく、終わったらサヨナラな人で、特に人脈作りに来てんじゃねーの?的な人には冷淡なのだけど、今回ばかりは別れを惜しく感じてしまった。

特に、複数の学生からFacebookをやっているかと聞かれたのが意外だったのだが、多くの人とつながることができたのは、素直に嬉しい。

今までは、Facebookの使い勝手が嫌いで、アカウントはむかーしから取ってたけど、ほとんど使わないようにしてきた。しかし、大学生から「おじさんでもFacebookやるんですね」と言われてムキー!となったので、本腰入れることにした!(苦笑)

■6月と9月で変わった点
行く前は、草刈のような仕事が増えていると聞いていた。しかし今回、驚いたのだが、企業を支援することが2回あった。工場が被災した会社で、海水で真っ赤に錆びてしまった資材の錆取りを手伝ったりした。

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この会社は海が近く、工場の高い天井まで津波を被っていたが、天井に流木が引っかかったままの状態で、その下で仕事をしていた。そして何と、6ヶ月たった今でも、電気が復旧していなかった。

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辛うじて水道は使えたが、電気がないので錆取りに電動の研磨機が使えないのだ。発電機が一台だけあったが、膨大な量の資材に対して、全く足りてなかった。そこで、人海戦術しかないわけだが...

「皮すき → ワイヤーブラシ → スチールたわし」


この順でひたすら研磨するよう指示された。ところが、そもそもこれらの道具も数が限られ、ボランティア4名分しかなかった。その日は丁度、我々は男4名女3名と少人数だったので、むしろ丁度良い人数だと喜ばれたが、沢山ボランティアが来ても道具が足りなくて仕事がないわけだ。人海戦術すらできてない。
こんな状況で、ひたすら終わりの見えない作業を続ける社員の方々も凄いなと思ったのだが、作業を教えてくれた方々も解雇されているので、自分たちもボランティアみたいなものですと、笑って教えてくれた。

企業活動を支援するというのは、実はちょっと線引きが難しい。地域によっては、ボランティアの対象外としている。しかし、陸前高田のVCでは認めており、数日の活動では終わりが見えないような膨大な作業に、連日異なるボランティアが関わっているわけだ。自分がどんな作業にマッチングされるかはVC次第なので、個人の被災者のためにお手伝いしたいという意気込みで来ると、場合によっては納得し難い場合もあるかもしれない。
特に、上記のような津波被害をダイレクトに受けた現場ならまだしも、間接的な被害を抱えた会社の支援となると、躊躇する人も少なくないだろう。もう一つの現場がそうだった。

石材を扱う会社で、大きな石材を積んでいたプレートが壊れたり、袋が破れたりして散乱している砂利などを、再び販売するために積み直したり土嚢袋に詰めなおす、ひたすら力仕事の過酷な現場だった。ところがそこは、海から遠く、高台にあった。どう考えても津波被害はない。では、地震被害だろうか?と思いつつ作業していた。が、昼休みに従業員の人に聞いてみたら、地震の被害でもないという。え?

結局、地震・津波の直接の被害はそれ程ではなかったが、震災後しばらく業務が困難だったため、石材を放置せざるを得ず、その結果木製のプレート等が腐り、石材等が崩れてしまったというのだ。つまり、業務が滞ったことによる間接被害なわけだ。
VC側の基準がよく分からないが、もしもこの様な仕事ばかりだったら、ボランティアのモチベーションを維持するのは難しかったかもしれない。

■変わらぬ点
しかし、幸いと言うとおかしいが、そういう仕事の翌日は、以前と同じような個人の被災者のための瓦礫撤去だった。こういう仕事がまだ残っているのは、本当は残念なことなのだろう。しかし、海の近くで流されてしまった家の跡地や畑跡を、全て畑としてやり直したい老夫婦の依頼は、非常にやりがいがあった。

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地中に埋まっている瓦礫を撤去したり、生え放題の雑草を根っこから排除する仕事で、1日じゃ半分も終わらず、リーダーがVCに希望して2日続けて作業させてもらった。だから、余計に感情移入してしまった部分もあるかもしれない。

お婆さんは初日、僕らのために南瓜の煮付けを、二日目はオニギリ等を振る舞ってくれた。お爺さんは、見ているだけでは耐えられないようで、僕らと一緒に汗を流した。依頼者はボランティア保険に入ってないのだから、怪我でもしたらマズイわけで、手伝ってもらうのは本当は良くないのではないかとも思ったが、向こうからすれば自分のことを手伝ってもらうのに、傍観はできないのだろう。その気持ちもよく分かった。

まあ、そもそも自分のようなヘタレより、遥かにお爺さんの方が頼もしいのだが(自爆)

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一緒に、瓦礫を積んだリアカーを引いたりしながら、色々話をした。非常に優しいお爺さんで、水道すらまともに復旧していない現場で、作業後にろくに手洗いもさせられないことを申し訳ないというので、僕らはVCで洗えるし、帰りに花巻で温泉に入りますからというと、とても安堵したようだった。花巻の温泉は有名だから、是非疲れを癒してくれと。
他のメンバーとも色々話をしていたが、孫のような年齢のボランティアに囲まれ、お爺さんも色々と思うところがあったようだ。帰り際には、敷地の奥で栽培していたプチトマトを大量に(本当に大量w)収穫して、お土産にくれた。そして、バスから見えなくなるまで、深々とお辞儀をして見送ってくれた。涙を拭いながら。

実はこの日、地元の方の涙を目にするのは2回目だった。ボランティア参加者は、毎朝VCでオリエンテーションを受けるのだけど、この日の担当女性は、僕らのバスで説明を始めるなり、かなり泣いてしまったのだ。JARが継続的に支援していることに地元民として感謝していることや、震災当時のことを思い出しつつ話していたら、抑えられなくなってしまったようだった。
オリエンテーションでは、ボランティア作業中に津波の危険があれば、周囲を助けようとせずにとにかく一人で逃げろということを説明するのに、震災当時の辛い話を色々とされることがある。例えば、お婆さんを背負って逃げていた男性が、もうこのままでは逃げられないと、お婆さんに御免ねと謝って降ろして逃げのびた話などだ。地元の方々は、一人でも助かることを望んでおり、他人を助けて共倒れしないで欲しいと、ボランティアに言うのだ。もちろん、担当者によって違いはあるけれど、ボランティアに地元民の思いを理解させるのに、辛い話を毎朝している人もいるわけだ。この日の女性は、震災後家族と連絡が取れなくなった期間の辛い思いを、リアルに思い出してしまったようだった。

最近自分は、歳をとったせいか涙もろいと感じることが多く、この日は涙腺が緩みっぱなしだった。

おまけで、翌日の現場に行く途中、偶然に前日の現場の前をバスが通ったのだが、丁度お爺さんが作業していてバスに気付き、お互いに大きく手を振った。お爺さんは、あの場で黙々と畑仕事をしているわけだ。プチトマトは、その日のお昼に美味しくいただいた。

■ここまでのメンバー
月曜に共に出発したのは、確か日本人10名、外国人5名(内アフリカ系難民1名)で、夏休みな学生率は高かったが、自分同様「現在は働いていない」人が4名ほどおり、肩身は狭くなかった(自爆)

参加者によって、少し短く木曜に帰ってしまう組がおり、金曜は日本人3名、外国人4名に減少し、なんとスペイン人がリーダーとなり、気付いたら第一言語が英語状態になっていたのはなかなかレアな体験だった。

今回の外国人の多くは、上智の大学院等への留学生で、彼ら(Lilian、PatrickそしてリーダーとなったRuben)は過去にもJARのボランティアに参加しており、以下のサイトを立ち上げている。
http://www.311relief.com/

今回の活動については、以下のCeciliaの寄稿部分で取り上げられている。
http://www.311relief.com/index.php?id=20

夜は、リーダーがカルボナーラなスパゲッティを作ってくれるというのでお任せしたところ、適当なチーズが入手できなかったようで、チーズでコッテコテに固まった不思議なカルボナーラを体験した。そして最後は、鍋に大量に余ったソレを、Ceciliaが何故か僕の皿に全て盛り付けてくるもので、ノーサンキューを連呼して逃げた。が、既にテンコ盛りだった(^^;

このカルボナーラ、一人600円というのが少々お高かったが、Rubenが更にチップ1万円と言ったら、ここは日本だからチップの習慣はないねーという外国人達の一斉の反論が面白かった(笑)

その後は、英語で猥談が凄いディープなことになり、日本人3名は置いてけ堀状態(え?自分だけ?w)。ナニな件について日本人はどう思うのかと聞かれてもねぇ(^^;;

そんなボキャブラリーありませんがな!

■後半メンバーとの合流
金曜夜に東京を出て、土日だけ活動する後半組もいて、これが大変多かった。金曜に7人に減少したのが、一気に30人越えの大人数に膨れた。すると、よく戦争ものドラマにありそうな、アレな状況が生じた。古参兵のいる分隊規模の独立愚連隊が、突如新規の小隊に編入され、その指揮に従えと言われて...というアレですよ(苦笑)

最大の問題は、新しいリーダーとサブが、合わせて4人もいたことだったと思う。船頭多くして船山に登る的な状況があった。しかし、色々あったが、幸い男性リーダーに人望があったことで、小隊は瓦解を免れた。同時に、色々あったことで、古参兵同士の連帯感も増したように思う。
こういう問題は、少なからずボランティアにはあるものなのだろうが、一般の会社でもよくあることだ。まあ、だからこそ組織とは面白い(笑)

■市立広田中学校周辺
土曜の現場は、単に広範囲なのと電柱がゴロゴロ転がってた以外は、至って普通な個人の畑の瓦礫撤去だった。コンクリの電柱は重いけれど、なんせ男手は大量にあったので、皆で運べた。後は、掘れば掘るほどキリがないが、時間までできることをやるだけだった。まあ、場所が広田町で、市立広田中学校周辺までバスで来た時は、どこまで行くのかと驚いたが。

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問題は、日曜の市立小友中学校周辺だった。こんな現場がまだ残っていたとは...

■市立小友中学校周辺
VCの当初の指示では、側溝の泥欠きと、手が空いていれば畑だかの草刈という程度のもので、あまり状況が分からなかったが大変という認識はなかった。ところが、現場に行って呆然。

地図にある側溝の位置が、実際にどこなのか分からなかった。道路と畑の間に、側溝らしき形跡なんて見当たらない。リーダーが苦労しつつ、目的の側溝に接続しているであろう他の側溝を見つけたところ、つまりは目的の側溝が完全に埋まっていることが分かった。深さ1mくらい?

えええーーー!!!

ここは、依頼者が現場に来てくれない(そういう現場もある)ので、側溝の一端は判明しても、それがどう伸びているのかは想像するしかない。道路に対して直線とは限らない。しかし、判明している側からのみ徐々に掘り進めるのでは、数人しか作業できない。せっかくのマンパワーが無意味になる。そこでリーダーは、つるはしやスコップを持つメンバーをおよその予測で並ばせ、側溝に当たるように各自掘らせた。恐らく、あの時点でベストの指示だったろう。

午前中は、皆ガムシャラに掘っていたと思うが、この地中には板状の大きなアスファルトの塊がワンサカと埋まっており、思うように掘り進められなかった。道路のアスファルトが津波で剥がされ、一人じゃ持ち上げられないようなサイズのまま、側溝の上に覆いかぶさって泥とまみれて層になっていた。そして、これが下手をすると、アスファルトが側溝の底や壁なのではないかと判断を誤らせた。逆に、側溝の壁すら、埋もれたアスファルトと区別がつかない。

大きなアスファルトの場合、その一端が見えても、大半は泥に埋もれている。すると、その見えている一端が邪魔なだけでも、どかすには全体の上にある土を掘らなければならない。アスファルトが分厚すぎて、割ることも難しいのだ。そうして掘ってみたら、また別のアスファルトが重なってたりする。しかも、それだけ苦労して掘っても、その下に側溝があるかどうかは分からない。しかし、掘るしかない。

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自分も一応、一時はつるはしで掘ってたのだが、ヘタレなんで(自爆)、つるはしを自分より上手く扱える人に任せ、別の仕事に着手した。側溝の壁探しだ。

分かっている側溝の一端とは、そこが一端であろうこと以外、どこに壁があるのか誰も確認していなかった。それなりに掘れてはいるが、掘った傍から泥水が流れ込み、底も何も見えない。足を踏み入れれば、長靴が埋まってしまう。スコップで掘ろうにも、泥水みたいな場所は、ほとんど掘れない。で、地道に手で泥を確実にすくうことにした。

触感に頼ってみると、スコップじゃ分からなかった泥底の感覚から、目には見えずとも埋まっているものの存在を認識できるようになった。で、被さっていたアスファルトやら謎の鉄板などを引っぺがしたら、やはり泥水で目視はできずとも、やっと側溝の壁が触感で認識できた。

ところが、端からこの側溝の両壁を両手で触りつつ歩いてみたら、既に予測で掘られた溝に対し、壁がクロスしていた。つまり、我々が掘り進めてしまっていたのは、途中までは正しかったが、その先は側溝ではない場所だったわけだ。

何か、見つけてはいけない真実を知ってしまったような、そんな感じ(^^;
みんな、一生懸命掘ってるけど...

ということで、リーダーを呼んで報告したところ、やはり側溝より畑側を掘っているということが確認され、方向転換がアナウンスされた。しかし、結局作業時間修了と相成り、修正は間に合わなかった。後は、後日の別のチームが誤った溝に騙されないように、目印などを立てて終わった。

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こりゃ仕方ありませんがな(^^;;
しかし、いまだにこんな、とんでもない未着手の場があることに、最後に驚かされた。

■昼休み
なお、この日の昼食は、市立小友中学校の体育館入口らしき場所でとらせていただいた。
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中学校は、2階途中まで津波を被っており、そのままにされていた。
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教室の黒板には、様々なメッセージが書かれており、興廃した校舎内との対比が、これまた感じるものがあった。
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翌日が卒業式の予定だったんだね。
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やはり、涙もろくなった。

■蛇足1
その他、印象に残ったのは、我々のバスの運転手さんだ。一度、前を走っていたバイクが急に曲がり、事故りそうになったのだが、そのバイクの爺さんに、「津波からせっかく生き残った命を粗末にしてはいけない!」と怒っていた。

この運転手さんはハートが熱く、VCでのバスの誘導が不合理だったりすると、喧嘩しそうでヒヤヒヤもさせられた。しかし、7・8カ国もの国籍が入り乱れたメンバーに対し、日本語で臆することなく話しかけて打ち解ける、素晴らしいハートの持ち主だった。

こういう人に偶然当たれたというのは、幸運なんだと思う。

前半で帰ったアフリカ系難民は、ボランティア活動中は暴走するくらいパワーがあって働くのに、活動後に皆で温泉に行く際はタオルも所持しておらず、当初は下着を着たまま風呂に入ろうとしたくらいで、結構周囲のサポートが必要だった。

難民故かは分からないが、準備不足で所持金が底をついたというか、着替えなども足りず、本来は1週間共に活動するはずだったところを木曜に短縮して帰るようにJARに言われて突然帰ってしまったのだが、活動後皆で温泉に行く際に、そんな彼にタオルをくれたのも運転手さんだった。

よくバスの前で立ち話していたが、もしかすると難民と一番フランクなコミュニケーションをしていたのが、運転手さんだったかもしれない(笑)

■蛇足2
キャンプ中の食事なのだが、当初は花巻のスーパーで弁当でも買うつもりでいた。というのも、前回6月の時に、バーベキューやってご飯担当した学生が、自炊経験ゼロで、米を大量に入れて炊いてしまって大失敗したからだ。皆で作るとなると、色々と面倒だなと思っていた。

ところが今回、一人で何人分でも作ってくれてしまうスーパー料理人がおりまして、朝晩美味しいご飯を毎日格安で振る舞ってもらえた。美味しくて、減るはずだった体重が、増えてしまった(自爆)

彼とは、前半組が帰った後、本来なら一人一テントで寝られたところ、一緒に寝ようよとお誘いを受けた(危ないw)

そしたら、何と寝言で、英語でボランティア活動の指示を出していた!
あれは、「スゲー!」と思った。一生忘れない(笑)

彼の料理あってこその連帯感だったとも思う。

■蛇足3
今回出会ったメンバーの大学生は、素直に関心する、とても共感できる、ステキな逸材もいれば、全然超ヘタレなのもいて、そういう一人ひとりが面白かった。

例えば、1週間キャンプ場と被災地を往復し、キャンプ場の汚ねートイレとか慣れちゃって、このまま東京に戻っても、公衆トイレの便座すら汚くて座れないと言っている友達たちと、普通に会話できるだろうか?と、冗談半分に心配してた僕より20歳年下の女子大生とかいた(笑)

彼女は、瓦礫の分別にしてもいい加減な仕事が嫌いで、とにかく黙々と我が信じる道を行く、ヘッポコな命令に反意を示す立派な古参兵だった。
そのくせ、人生の目標的なやりたい事が見つからないとも嘆く。

まるで昔の自分を(以下略

そんなの18歳なら当たり前じゃんか!と、おじさん、おばさん世代は簡単に思うわけだ。
しかし、そこを悩むのが学生にとっての大きな壁であることは、昔を思い出せば理解できる。

まあ、自分のような人生遠回り組みからすれば、道なんて長いほうが楽しいのだけど、こればっかりは人様にゃ安易に勧められない。

でも、こんな過酷なボランティアに1週間も一人で参加しているような人間は、既に正解出してるんだよね。
高城剛的に言えば、「アイデアと移動距離は比例する」わけだ(笑)
答えが見つからなければ、とりあえず動いてみることが正解の一つだったりするさね。
それに気付いているのかどうかは、あえて聞かなかったけど。


対して男子はだ、持参するパンツの枚数計算間違えて、最後の温泉の後、履くパンツがないと悩んでいるのがいた。一度履いたのをその場で洗って、直ぐに乾きますか?って(^^;

洗えば数十分やそこらで乾くわけないのだから、濡れたまま履くなんて有り得ない以上、一度履いたやつでもそのまま履いちゃえよと答えた。ところが、横の友達に聞いて、二人揃ってそれは有り得ないという結論に。一度履いたのを履くくらいなら、履かない方がマシだと言われた。

えーーーー!
そういうもんなの?
つか、それで本当に洗うか迷ってんの?

いざとなったら女子は生き残れそうだけど、この男子たちは...悩むところ間違ってるだろ(爆)

あと、前回6月に参加した際に一緒だった大学生もいて、自分を覚えてくれていたのは素直に嬉しかったかな。


さて、自分も前進せねば。

週刊ポストが「NHKの「人肉食った日本兵」表現に捏造疑惑」という記事を掲載した。
http://www.news-postseven.com/archives/20110905_30277.html

ニューギニアで飢えをしのぐため、日本兵が友軍同士で共食いした事実があったことは有名だが、これを扱った証言番組で、ネズミを食べた話を人肉を食べた証言になるように編集して捏造放送したのではないかというのが、週刊ポストの記事。

で、NHK嫌いな人たちが、ろくに自分で調べもせずにこの記事に釣られて、NHKが捏造したとする動画とか作ってネットにアップしてる。まあ、全然盛り上がってないけど。

週刊ポストが問題視した番組の動画は、NHKの戦争証言アーカイブスにアップされてるので、誰でも自由に見られるので確認してみた。
問題部分は、以下の動画の23:50からだ。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210027_00000

この内容は、確かに週刊ポストの記事通りの内容で、友軍の死体を食べる話の後に、一度編集が入ってから、「すごい、抵抗感とかもあったんじゃないですか?」という女性の問いかけがあって、生きるためにはしょうがないという話が続いている。

戦争証言アーカイブスでは、番組に関連した証言について、番組で使用されなかった部分も含めて、個人単位でインタビュー動画を公開しているが、週刊ポストの記者はこの証言動画を見て、番組でカットされた部分はネズミを食べた話だと思ったわけだ。

証言インタビューなんてものは、それこそ一人毎に何時間もあるだろうから、それを全て無編集で公開なんぞされては、見る方はたまらない。確かに、番組で取り上げなかった証言も聞きたいけれど、それでも無駄に長いのでは見る気が失せてしまう。なんせ、既に公開されてる証言動画だけで、もう500件を軽く超えている。証言を可能な限り公開することの意義は大きいだろうが、膨大な数の中に貴重な証言が埋もれてしまっては意味がない。だから、証言を歪曲しない範囲で、証言動画も編集されるべきであることは疑いないだろう。

しかし、週刊ポストは、証言動画も編集されていることを認識しながら、そこは軽く流し、こう書いたわけだ。

>アーカイブスを見る限り、一連の証言が「腹が減った兵士たちはネズミを生で食べて飢えをしのいだ」という内容であることは疑いの余地がない。

そして、証言動画に対する上記解釈を前提に、これと異なる編集がされた番組は捏造ではないかと論じた。もちろん、何の証拠もないもんだから、「NHKのドキュメンタリー番組に携わっていた元番組制作スタッフ」の発言という形で。

他人の発言を伝聞形式で紹介するなら、どんな証拠のない話でも許されると思ってるのだろうか?

更に、それでも心もとないのか、仮に番組が捏造じゃないなら、ネズミを食べた話に見える証言動画が捏造になると論じて、言い逃れも忘れていない(苦笑)

そんなに自信がないなら、記事にしなきゃいいのにと思うけどね。
それじゃ、ネットの掲示板とレベルが変わらんではないか。
それを信じて、更にネットに転載するマヌケが出るのだから、どうにもこうにも...


で、流石にNHKが反撃した。
現在、戦争証言アーカイブスのトップページに、「おことわり」という欄を設けて、週刊ポストへの抗議文を公開している。
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/

同時に、当該証言部分のノーカット版を、静かに公開した。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100674_00000&seg_number=004

静かにというのは、ノーカット版を公開したこと自体について、NHKは特に告知していないからだ。週刊ポスト同様、証言者に配慮しつつ、自らの正当性を証明する最低限の手段を講じたのだろう。戦争証言プロジェクトのメールマガジン購読者に対しても、週刊ポストへの抗議文の公開の件だけ伝えられた。(自分はこのメールマガジンで知った。)

そして、当該動画の再生テキストの中に、「誤解が生じる可能性があると判断したため、ノーカットで公開します。」とだけ書かれている。お陰で、該当部分が分かった。

見たら分かるが、NHKの週刊ポストへの回答書に、嘘は全くなかった。
番組でカットされていた、証言と「すごい、抵抗感とかもあったんじゃないですか?」という女性の問いかけとの間も、人肉の食べ方の話だった。ネズミの話は、番組で使った証言より前の部分と、女性の問いかけに答えた証言の更に後の部分に出てくる。番組は、完全に証言に従った編集であったわけだ。

週刊ポストからすれば、当初編集されて公開されていたアーカイブスの証言動画が、「最も衝撃的で貴重な人肉食の話を割愛し、ネズミ食の話だけ残すような編集をしたというのも不自然な話だ。」と思って番組を捏造と思ったわけだが、衝撃的であるからこそ、公開に配慮があった可能性に、思いは至らなかったのだろうか。

週刊ポストのように、衝撃的なら記事にして良いとは、NHKは思ってないだけでしょ。

まあ、そもそも、証言動画のページから、クリック一つで番組の動画が見られるわけで、当初の証言動画でカットされていた部分がその番組でしっかり使われているのだから、両方ちゃんと見れば全てが伝わる。

おまけに、元々公開されてた証言動画だけでも、日本兵が友軍を撃ち殺して食べていた事が語られているわけで、殺してないけど死体は食べたという証言者の話より、十分に衝撃的な話が公開されていたわけだ。(まあ、そういう事実があったこと自体は有名なので、新事実でもなんでもないのだけど。)

もちろん、ネズミを食べた話も事実であって、捏造ではない。この方は、人肉を食べたこととネズミを食べたことをシームレスに語っており、両者に対し、最初は抵抗があったという話が掛かっているのだ。(ネズミと人肉が同等に語られていることは、ある意味衝撃かもしれない。)

このレベルを捏造と言い出したら、週刊ポストのこの記事はどういうレベルになるのかね?


まあ、ここまで書いて今更だけど、週刊ポストがどうだとか、NHKがどうだというのは、実はどうでも良いとも思っている。

重用なのは、この戦争証言アーカイブスの存在が、もっと知られるべきなんじゃないかということだ。この番組で取り上げられた連隊の方々の証言は、どれも貴重だ。辛い証言を、実名で番組にしたり公開することを承知してくれた方々の思いを、無駄にしてはいけない。日本人なら、見るべきだとも思う。

以前からそう思っていたのだけど、今回の記事をきっかけに、その思いを強くしたので、今回ブログで取り上げてみた。

もちろん、実名で証言して下さった方々に対し、これを責めるようなことがあってはならないし、週刊ポストの記事にもあったように、そっとしておいてあげるべきだ。週刊ポストは、とっとと謝罪しちゃいなよ。この問題が訴訟にでも発展したら、それこそ証言者に申し訳ない。

そうすれば、こんな記事がきっかけでも、戦争証言アーカイブスの存在が広く知られることになれば、意味があったと思う。

衝撃的な証言も沢山あるのだけど、それだけではない。面白いと言うと語弊があるけれど、興味深い話も埋もれている。暇な時間があれば、色々検索して見ることをオススメしたい。

東京は、被災地支援のために被災者意識を持つことは、重用だとは思う。電力供給源の原発が壊れたという意味じゃ被害があるし、確かに地震で死者も出た。しかし、いわゆる復興が必要というほどの物理的損害は少ない。東北はもとより、お隣の千葉と比べても、「被災地です」なんて言えた柄ではない。食の不安の問題は、東京が地方の食材に依存しているからだし、放射性物質の影響も、電力使用が不便なのも、東京の被害の直接の結果ではない。経済的損失は、間接的なものだ。

そんなところで、東京が「復興五輪」なんて言うのが、正直、都民として恥ずかしくてしょうがない。

前回招致失敗した時も、招致賛成してる都民に会ったことがなかった(話題になると、誰もが馬鹿にしていた)。今だって、やるにしても東北主体なら分かるが、東京が主体になることを不思議がっている意見が大半ではないか。

津波が日本人の我欲を洗い流すと言って4月に再選した都知事は、どうしてそこまで、オリンピックを招致したいという我欲を捨てられないのだろうか。

東京自体に大義がないのに、被災地の皮を被って同情を買ってまで、どうしてオリンピック招致したいのか、理解できない。高度経済成長期からバブルまでドップリ堪能した世代って、欲深くなっちゃうものなのだろうか。それとも、人間、歳をとると、厚顔無恥になるってやつか。

関係ないのだけど、ふと昔、新宿西口で傷痍軍人の格好で物乞いしている人を、「偽物じゃないの?」と冷ややかに眺めていたのを思い出した。


前回、2016年の招致に失敗した時、都知事は
http://www.news24.jp/articles/2009/10/04/07145004.html
「他国のプレゼンテーションに比べて、格段に良かったと思うが、得点につながらないという裏に見えない力学が作用するのかな」とか、フランスの戦闘機購入と引換えにブラジルが買収工作をしたとか、ペラペラと負け惜しみを口にして、それが国際的にニュースになって、反感をかった。

『リオが"石原発言"に抗議 「ブラジルを侮辱」』
http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100601000869.html

こんな形でIOC批判をした人間が、どうやったら再評価されると思っているのだろう?

答えは簡単。
都知事は、前回の失敗から学んだことを生かすと言っている以上、買収工作という見えない力学とやらを活用するわけだ。正攻法じゃ勝てず、買収工作に負けたと公言しているのだから、学んだ手法とは他にない。

是非、記者の人には、記者会見とかで都知事に質問して欲しいポイントだ。
買収工作にいくら予算を?」とか(苦笑)

で、「都は汗をかいて金も出す、施設もつくるから」とか言ってる。
http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/sports-others-others/2813460/7507098

他の新聞じゃ、「都が汗をかいて血みどろになって金と施設をつくるから」とも表現されていた。

既存施設を使いまわすって話が吹っ飛んでるのもアレだけど、やっぱ、今買収に使う金があったら、そのまま復興に使って欲しいよ。

買収工作でオリンピック招致できて、都知事の我欲は満たされるとしても、本人は開催まで生きてるかどうかも分からないのに...キモイなぁ。

今、都民としては、気持悪さと恥ずかしさが同居した、キモハズイという不思議な気持ちだ(涙目)

前回の続き。

さて、今回参加した難民支援協会(JAR)の陸前高田における被災地ボランティアは、金曜夜に仕事を終えて参加し、月曜は早朝に戻れるのでそのまま出社できる。とはいっても、流石に月曜は有休という人が結構いた。ボランティア休暇があるという人も。
(学生の参加者も多かったのは、金銭的な理由が大きいのかもしれないが。)

しかし、JARのHPを見れば分かるが、参加は何も、金曜からの3泊4日(車中2日)だけではない。もう一週間いて翌週帰っても良いし、そもそも交通費を払うつもりなら、往復に手配されたバスに乗らずに、平日だろうと自腹で行って、現地でJARのボランティアに合流できる。(なお、平日のボランティアは人数が激減してしまうそうだ。当たり前だけど。)

だから、今回も行きと帰りの人数は違ったし、現地で前週から活動してる人とも合流したし、活動後の日曜のうちに新花巻から自腹で新幹線で帰ることもできる。説明会への参加と、事前の参加申込みや合意書の提出などをちゃんとしていれば、日程は自由なわけだ。

長期参加できると、現地で可能なボランティアの内容も色々あって、災害ボランティアセンター(VC)での仕事もあったりする場合がある。毎日やってくる個々のボランティアへの対応や、ボランティアと被災者を結ぶマッチングなども、これまたボランティアが入っている。

また、女性の被災者への対応のための、女性限定のボランティア活動もあることがあり、行きのバスの中で希望者を募っていた。

被災地でのボランティア活動とは、力仕事ばかりではないわけだが、長期活動して現地VCと信頼関係を構築できているNPOの活動に参加することで、個人の参加とは違うことができる可能性があるということだろうか。これは、一つのポイントだろう。


では、実際に参加して感じたことを。

■準備段階
まず、マスクについて迷った。
少し前のニュースでは、家屋からのアスベストをボランティアが吸い込んでしまう危険が話題になっていた。マスクは用意してくれるとはいえ、顔にフィットしないと意味がない。様々な種類もある。だから、防塵マスクがどんな形態のものか気になっていた。

結果としては、N95の折りたたみ式の使い捨て防塵マスクが配布され、使いやすかった。しかし、以前も参加したという人の話では、以前は違う種類のマスクだったとのこと。つまり、特に種類は決まってないようだ。作業中、マスクが息苦しいと外してしまう人もいたのだけど、配布されるマスクが合わずに外してしまうくらいなら、自分に合ったマスクを持参した方が良いかもしれない。どういう現場に派遣されるかによって、マスクの必要性が低い場合もあるけれど、活動内容はVCの指示次第なので、気にし過ぎない程度に気をつけるしかないとも思う。
--
>追記
現在は、マスクは参加者負担に変更となったとのこと。最低限、顔の大きさに合わせてサイズくらい気をつけて選ぼう。
--

また、服装も悩んだ。
作業の安全のためには、長袖が必須ということになっている。が、晴れた日の外での力仕事なら、長袖はきつい。しかし、夜のテントは寒そうだ...荷物を減らしたいのだけど...

結果として、Tシャツと、その上に長袖で頑張った。特に日曜が暑かったのだけど、Tシャツで活動する人も多く、その一人が軽い怪我をしていた。擦り傷で、長袖なら防げた感じ。まあ、これから夏の長袖はムリというのも分かる。正解はないけど、軽装なら余計に気をつけるしかないってことで。

それから、個人差はあるにしても、耳栓を持参すべきかと(^^;
バスで寝るにも、テントで寝るにも、耳栓がないと寝不足になるかもしれない。キャンプ地に到着すると、テントで一緒になる面子を自由にその場で決めるのだけど、幸い自分のテントの皆は静かでも、他所のテントの声もかなり聞こえるので、イビキ対策はおすすめ。

■1件目
依頼者の家の周辺の、土砂と瓦礫で流れなくなった排水路を復活させる。土砂は土嚢袋に詰め、刈った雑草や瓦礫と共に道路沿いに山積みし、回収できるようにする。

リーダーから簡単な指示をされただけで、誰も文句言わずに、各自が手にした道具で、ひたすら重労働をする。一輪車(猫車)を使ったのなんて、高校の野球部のグランド整備以来かもしれない。午後になると、ちょっとしたことで息があがってしまい、最近のヘタレ生活を反省しつつ、みんな凄いなぁと関心。

瓦礫と言っても、やはり色々なものが出てくる。「MY ALBUM」と書かれたCD-ROMや、フィルム、ビデオテープ、レコード、写真など。思い出の品は別にして、後でVCにサブリーダーが引き渡していた。

また、あまり適切ではないが、休憩する都度に依頼者のおばさんが様々なもてなしをして待ってくれており、ご好意に甘えさせていただいた。というか、断れる状況にない(^^;

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20人もいるのに、一人2つ分のお餅を焼いて持ってきてくれ、イチゴを潰して牛乳かけたり、昼には味噌汁、更に様々な果物をヨーグルトに入れて...美味しい!

でも、おばさん、そんなに気を遣わないで!

別の近所のおじさんからも、どこから来たのかとか聞かれて、応えると突然お礼を言われてしまい、何と言葉を返して良いのか戸惑ってしまった。道ですれ違う人からも、ありがとうとお辞儀をされてしまう。こちらこそ、こんなことしかできなくて申し訳ないです。

■2件目
依頼者の家の周辺の瓦礫と、室内のあらゆるものを捨てて欲しいと。

外の瓦礫はともかく、所有者の明確な家に土足で上がって家財道具を捨てるというのは、やはり違和感がある。依頼者のお婆さん曰く、必要なものは全て運び出したので、残っているものは全て捨てて良いというのだけど、津波をかぶってないものもあれば、高そうな品、何かの記念の品だの、普通なら捨てないようなものが沢山ある。最初の頃は、お婆さんに皆が確認を取っていたけれど、ついには「1000万円出てきても聞かないで捨てて良いから(笑)」と言われてしまう。一つ一つ聞かれてしまえば、どれも思い出があって捨てられなくなってしまうけど、これ以上持って行けないのだから、聞かずに捨ててくれと。そっか...

その家は、取り壊しは決まっているのだけど、解体業者の順番待ちで、年内に壊してくれるかどうかも分からないという状況だそうで、つまりはそれまで、住めない家の建っている土地をどうしようもない。どうしようもない話を聞いてしまうと、なんとも切ない。

しかし、とにかく喜んで、色んな話をしてくれる。津波が来た時の危機迫る話から、避難所で10日ほどしてから、孫がお菓子を食べたいと言い出した話。瓦礫に埋まった車に東京の美味しいお菓子が入ってたと言ったら、皆で掘り起こそうという話になって、掘り起こしたら車が壊れてなくて、孫はお菓子で喜んで、自分は今も車に乗れている。お菓子のお陰で、車を諦めなくて良かった(笑)とか。

そんな話をしている場所から、昼休みにちょっと歩いてみたら、家の形すら残ってない、広大で、言葉も出ない風景が広がっていたのだが。

■3件目
海岸線が後退した海の近く、入り込んだ海水の大きな水溜りと瓦礫の山が入り組んでいる場所で、瓦礫の山を、回収できるように道路沿いに移動させる。

地図なら、目の前は陸があって道路が通っているはずのところが、海になっている。自分のemobileのスマホで、GPS使って地図見たけど、目の前の風景とのギャップから、通信に失敗して地図が更新されてないのかと思った。バスも、ここに辿り着くのに道に迷っていた。

海水の水溜りに瓦礫の角材で近道を渡し、何度も往復。瓦礫の山は、家電や寝具、網や板切れに、何やら長いパイプや、一人じゃ持ち上がらない丸太まで、色んなものがスパゲッティー状態。3・4人で担げるものは良いのだけど、どう頑張っても動かせない太さの丸太も。VCで借りてるノコギリで切れるような太さでもない。チェーンソーが必要じゃないかと思った。ところがその丸太は、留学生と難民が、ロープを上手く使って担ぎ棒を通し、見事に運び出してくれた。

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■気になった点
まず個人的に驚いたのだけど、そもそもJARの活動に関して理解してない参加者が多かった。(それが悪いという意味ではない。今回は被災者支援なので、それで構わないのだろう。)

が、日本の難民問題を知らない参加者からは、難民と普通に友達のようになって、メアド交換して、今度飲もうみたいな話が聞こえてきてしまう。JARからは事前に、ボランティア期間中の難民との接し方について確認事項が提示されており、ボランティア活動以外で個人的関係につながる行為は、一応禁じているのにだ。(難民の方々は色々な問題を抱えている場合があるので、個人的に問題に関わってしまったりすると適切ではないと言われている。)

参加者は、難民に対する最低限の理解をしておく必要があると思うのだけど、JARの説明や配布資料は控えめで、どうも伝わってないのではないかな。

JARが、被災地支援活動にかこつけて難民支援を積極的に宣伝しようという意思がないのは、とても良い姿勢とは思うのだけど、結果として確認事項も参加者に忘れられてしまうなら、もう少し難民問題を主張してみても良いのかもしれない。(逆に、難民問題を知らない人こそ、普通に接することができるという見方もあるかもしれないが。)

次に、被災地での写真撮影について、かなり気を遣った。事前に、リーダーから厳重注意もあったが、ボランティアに来たのか写真撮影にきたのか分からないような、撮影ばかりしていた酷いボランティアの話が、一つの伝説のようになっているようだ。

しかし、写真撮影を一律に禁止するというのも行き過ぎな話であって、休憩時間に、節度を守った撮影は良いだろうという意見も出た。依頼者とうちとけて、別れ際に一緒に集合写真も撮ったりもしていたが、撮影の前に相手の許可を得るくらいの気遣いは必要とされていた。

このブログもそうだが、現地の今の様子を他人に伝えることは、無駄ではないと思っている。活動中は撮影せず、休憩時間や活動終了後、バスでの移動中等に写真を撮った。

なお、共にボランティアをする難民の顔写真の撮影、ブログ等への掲載は、難民問題の特殊性から、本人やJARから同意を得た以外は、確認事項として禁止されている。(自分も、このブログも含め、Twitterの情報発信についても、ボランティア参加申込みの段階で、JARに申請している。)

ま、あんまりこういうことを書くと、ボランティア面倒と思う人が出ると困るのだけど、まだまだ被災地は人手不足なんで、今からでも遅くないので、なかなか準備が大変だと思って躊躇している人は、JARのボランティアに参加することは、とてもおすすめする。

■蛇足
被災地にゴミを増やさないため、自分が出したゴミは、極力持ち帰った。帰りにバスが止まったサービスエリアのゴミ箱からは、大量にゴミが路上に溢れており、サービスエリア全体に異臭を漂わせていた。あれが、ボランティア帰りに捨てられたものでないことを祈る。

陸前高田へ

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久々の更新です。今年は某受験は回避しました。ヘタレです。

ヘタレなんで、なかなか体を動かすボランティアは出来ずにいたけれど、このブログでも過去に登場した難民支援協会(JAR)が、東日本大震災後からは震災支援活動も行っており、やっとこれに参加し、今その帰りのバス。

難民支援のNPOが、何故震災支援をするのかと疑問に思うかもしれないが、日本在住の難民の方々から、是非とも被災地でボランティア活動をしたいという要望が多かったそうで、それに応えた形で実現したそうだ。新聞やTVで、被災地でボランティア活動する外人が何度か取り上げられているが、その中にもJAR経由の参加者がいるようだ。
(まあ、今回は普段別の活動をしているNPOが震災支援も行う例は、日本ユニバの件などもあり、珍しくないのだろう。)

とは言っても、参加者を難民に限定しているわけではなく、広く一般に参加募集をしている。日本人だろうと外人だろうと関係なく参加できるが、難民と共に活動をする点が、JARの震災支援ボランティアの特徴と言える。

難民の方々というのは、それぞれ複雑な背景があるので、彼らと行動を共にするには、難民問題に関するそれなりの理解が必要だ。ちょっと古くてリンクも切れてる部分があるが、以下のエントリーなど多少は参考になるだろうか。
http://maruko.to/2009/03/post-10.html

そういった前提条件をクリアーしているとして、JARのボランティアに参加するとなると、以下の部分をJARが用意してくれる。

・東京からの花巻までの往復バス
・花巻のキャンプ場から被災地への往復バス
・ボランティアに必要な道具(長靴、軍手、マスク、ショベル等)
・テント、寝袋、キッチンセットを含むキャンプ道具
・ボランティア保険(天災Bプラン)

活動場所は陸前高田だが、キャンプ地は花巻と、ちょっと遠い。これは理由はあるのだが、今後はもう少し近場への移動も検討しているそうだ。


大きな地図で見る

まあ、とにかくある意味お得だ。お得な必要は無いがこれで参加したいという人は、別の形でその分寄付するとかありかもね。まあ、応募者多数の場合は、選考もあることになってるけど。

(自分の場合、JARには本来の難民サポートの他に、震災支援活動に対する寄付も別口でしているので、結局自腹を切っている以上に、何か不思議な感じだ。お前、仕事辞めて無職になってるのだから、他人に寄付してる場合じゃねーだろというつっ込みは禁止(笑))

後は、自分で持っていくのは
・食料(自炊or花巻のスーパーで調達可能)
・常備薬
・防寒具を含む自分の服
・入浴用品(有料の温泉がある)
・ポケットライト

あとは、電源の数が少ないので、携帯の充電方法を準備する、程度ということになる。つまり、かなり身軽で済むので、週末に気軽に参加できるだろう。

詳しくは、以下のJARのサイトを参照のこと。
http://www.refugee.or.jp/event/2011/06/13-1127.shtml

事前の説明会に参加し、いくつかのJARとの合意事項について書類提出を要するので、いきなり当日から活動には参加できないので、要注意。

また、今のところ7月まで予定が発表されているが、もっと先も予定はあり、夏休みになれば学生の参加者が増えるだとうとのことだ。

と、ちょっとこれだけで長めになったので、現地の話はまた後日。

なお、ブログに書きますよとは、事前にJARに伝えてあります。

>追記
「ボランティアに必要な道具」は、参加者負担に変更になったそうです。ご注意を。

写真素材のピクスタ

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