難民の最近のブログ記事

色々とネタはあったのに8月更新ゼロということで、サボりすぎと反省しつつ、じゃあ何を書くかと思案していたところ、難民支援協会が、クラウドファンディングで50万円の寄付(形式的にはチケット購入)を募っていたので、ちょっと取り上げてみる。
https://readyfor.jp/projects/194

9月10日現在、スポンサー募集終了まで18日を残し、達成金額は367,000円。
28日午後11時までに50万円に達した場合のみ決済されるとのことで、達しないとプロジェクトは不成立で、資金を1円も得られないそうな。

つまり、All or Nothing...あと18日で大丈夫?


難民支援協会と言うと、このブログでも何度か触れている。古いものは、文中のリンク先が切れていたりするが、この手の問題について詳しく知らない人は、以下をどうぞ。ここで言う難民とは、日本にいる難民の話だ。

「難民支援と思考停止」
http://maruko.to/2009/03/post-10.html
「陸前高田へ」
http://maruko.to/2011/06/post-114.html
「陸前高田へ:続き」
http://maruko.to/2011/06/post-115.html
「陸前高田へ2」
http://maruko.to/2011/09/post-120.html


自分が今までこの団体を支持してきたのは、「難民支援と思考停止」の最後に書いた以下の理由だ。
「最も解かなければならない誤解は、難民を保護すべき理由は、難民がカワイソウだから、ではないということだ。日本は難民条約を批准し、国内法を整備した以上、そのルールに従って難民を受け入れるのが、法を尊重する先進国として当たり前なだけだ。作ったルールの運用基準を曖昧にして、出身国によって差別的な扱いをしたり、非人道的な扱いをして良いとは、どこにも書かれてないってことだ。」

そして今回は、既存の国内法の不透明で不公平な不備の部分を正すための、法整備を働き掛けるための資金集めということなので、寄付したい気持ちは山々。でも、これとは別件で毎月少額寄付してるのと、今月はもう出費が増やせない諸事情で、どうにも悩ましい。なんせ今、無職だからw
なので、このブログを読んで、少しでも寄付してくれる人が増えないものかと...超他力本願(自爆)


ただ、今回の説明を読むに、難民がカワイソウだから法改正を訴えているように見える部分もあり、個人的にはちょっと違和感も。
難民が頭をかかえている写真とか、子供が描いた絵とか、そういうのを見せてしまうと、日本人だって辛い生活をしている人はいくらでもいるのだからと、話を相対化して受け取る人が出てしまうのではないかと心配になる。
自分は、被災地で共にボランティア活動した難民に対して、カワイソウとは思ったことがない。被災地では、彼らは頼れるボランティアメンバーであり、決して弱者ではなかった。難民としての本来の権利が認められれば、普通の外人なのだ。日本のおかしな対応のせいで、日本で不当に厳しい生活を長期間強いられているだけ(これを、本国での迫害から逃れた後の、日本政府による「二重の迫害」と言う人もいる)なので、こちらとしては申し訳ないという気持ちになってしまうのが本当のところだ。

それに今回、寄付金の額によって、見返りに差があるのだけど、その中身もちょっとアレ?という感じ。
大金を寄付する人には、より大きい見返りがあるわけだけど、基本的にそういうの必要なのかな?という疑問はさておき(自分などは、むしろ見返りは要らないから、寄付した金を活動本来の目的に100%有効に使ってもらいたいなどと考えてしまうが)、例えば5万円支出した人に、後から難民の話を聞く会に招待するというのは、順番が逆に思えて仕方ない。
難民問題を理解するより前に、人は5万も10万も寄付しない。そして、支出を決める時点では、既に日本の難民問題を理解し、難民支援協会の活動に共感しているはずだから、そんな人に後からスタディーツアーに招待すると言っても、それが寄付の動機になるとは思えない。
こういう資金集めは、普通は先にパーティーとかで広く人を集めて、そこで解決すべき課題を提示し理解してもらってから、寄付を募るのが順序な気がする。そういうので、派手に大金を集めている世界規模の団体は色々とあるだろう。

しかし難民支援協会は、今までそういう派手な演出はやってこなかったのではないかな。
地道に、コツコツと実績を残し、企業やUNHCR、政府機関とも連携して、マジメにやってきた。(だからこそ、支援し甲斐もある。)
そういう違いから、クラウドファンディングという手法自体は、ある意味非常に難民支援協会に合っているとも思う。50万円という目標額も、非常に控えめではないか。後は、この仕組みの使い方の工夫なのだろう。
とりあえず、寄付に見返りが必要なら、難民が作って販売してるようなアクセサリーがもらえるとか、そういう単純なもので良いのではないかなと、個人的には思ってしまう。

東日本大震災の前後から活動の幅が広がり、本来の活動がぼやけて見えた時期もあったけれど、新難民法を作るという日本の難民問題の根幹に着手しようとする姿は、難民支援協会が本旨を忘れずに次のステップに進もうとしているように見える。

そのステップとして、今回のクラウドファンディングを捉えるなら、不慣れながら色々な手法を試しているのかもしれない。
クラウドファンディングを使ってみること自体が、チャレンジなのだろう。
色々と試行錯誤しつつも、目的を達成できることを、陰ながら祈ってます。

この話に理があると思い、お金に余裕がある人ば、以下から少額でも支援してみるのはいかがですか?
->「難民が日本で安心して暮らせる社会を目指して 新難民法の実現へ」

ブータン的幸福

| コメント(2) | トラックバック(0)

国王帰った今更だけど、一応書いておく。

GNHってのは、確かに良いと思うよ。

だけど、民族の伝統を重んじているとか、日本人に似てるとか、統治が優れているとか、ブータンをヨイショばっかする風潮には、疑問を感じる。そりゃ、発展に貢献した日本人がいて、感謝されてるとか、耳障りの良い美談だろうけどね。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol79/index.html
米中露と外交関係がない国連加盟国で、日本の常任理事国入りを支持してくれる国なんて、超貴重なのも分かる。

でも、そんなに素晴らしい国なら、なんで国民の1/5もが、難民として流出したのかね?
http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/bhutan/
あんな多民族混在地域で、どうやって特定の民族の伝統を重んじる国を実現したのか、その手段も知るべきだ。GNHの判断要素には、文化の多様性も含まれるのだから、どうして文化の押し付けで大量の国民を難民化させてしまったのか、矛盾を感じるのが自然だ。

経緯を知った上で、97%が幸せと答えたという国勢調査の結果を見ると、怖くもある。


え?酷かったのは、過去のことだって?

どうかね(苦笑)
http://www.unhcr.or.jp/html/2011/08/ws110817.html
http://www.japanforunhcr.org/jessica/nanmin/
もしもそんなに褒めたいなら、まず先に、まだ何万人もネパールにいるブータン難民のために、日本も第三国定住先として名乗り出て、ブータンの尻拭いを世界各国と共に手伝ってあげたらどうだ?
ついでに、難民に、幸せか聞いてみたら良い。


もちろん、以前と比べれば、劇的に状況が改善しているし、今の国王はカッコイイよね。東日本大震災にも、義捐金を100万ドルくれたし、本当に有り難い。でも、今の国王が素晴らしいからと、現状だけ強調して賞賛するなんて、不合理にも程がある。

非難されるべきブータンの姿も知り、それでもGNHという思想自体は素晴らしいというなら理解できる。そうすれば、GNHを高めるために、何故か多様性を排除してしまうような矛盾した手法は、当然に否定されるだろう。

だから、ネガティブ情報は、ほんの少し触れるだけでも良い。でも、いくらなんでも、ネガティブ情報が皆無ってのはキモイ。(まあ自分には、今もブータン難民が何万人もネパールにいることを思えば、現状を美化すること自体理解が難しいけどね。)

親日的に思える国なら、何でも美化するという日本の風潮は、トルコへの対応と同じかもしれない(苦笑)


で、更に理解できないのは、ブータンを無批判に賞賛するTVなんかの情報を鵜呑みした上、小国で中国の侵略を受けたとか、一方的に同情のネタにする輩だ。国王が来日したのは、日本が核武装して中国を抑えてくれることを望んでいるからだとかいう寝言も、ネットにはある。

世の中の全ての事象を、中国や民主党政権への批判ネタに直結できる、ある種の妄想壁を持つ人々がいるのは分かるが、ブータンもそのネタに取り込まれてしまっている。そういうことができる人は、さぞかし頭の中で幸せなのかもしれないが、そんなGNHはお断りします。


ところで、97%が幸福と答えたという数字自体、実は単純ではない。
先代の国王は、人は知れば知るほど不幸に感じるとか言っていたそうで、つまり、情報を与えないことが幸せに資する、大海を知らない井の中の蛙は幸せ、という側面がある。
それが読み取れるのが、以下の調査だ。
http://www.sri.or.jp/sri_database/backnumber_kiji/documents/99/99report2_2.pdf
--
ブータンの集計結果を都市部と農村部に分類してみると、満足度の傾向に大きな違いが見られた。純粋に「満足している」と回答した人の割合を見てみると農村部では94.3%であったのに対し、都市部では44.1%と低くなっている
--

1999年にTVとインターネットを解禁し、都市部で情報に接することができるようになったブータン人の満足度は、所詮こんなもんなわけだ。(もちろん、「まあ満足している」まで含めたら都市部だって凄いけど、それなら日本だって...というか、「満足」と「幸福」はそもそも別なので、日本人の多くも、かなり幸せな気がする。)


そもそも、SFネタじゃあるまいし、完璧なユートビアなんて存在しない。
これ、常識だよね?

誰もが幸せだと思っている社会なんて、むしろ非人間的であって、実はその意味の方がユートピア本来の意味に近いかもしれない。異なる文化を排除することで成立した今のブータンは、その本来の意味でのユートピアかもしれないと言ったら、ブラック過ぎかな。

■蛇足
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111128-OYT1T00999.htm
--
政府は28日、ブータンに2億円の無償資金協力を行うことを決め、ブータン政府と交換公文を締結した。
--

こういうあからさまな事は、止めたほうが良い。昭和天皇が崩御した時、大喪の礼に参列した先代のブータン国王は、弔問外交はしなかったというのが美談なんでしょ。普通に、JICA経由の支援を強化すりゃーいいじゃないか。

え?今回はハネムーンだからご祝儀か(笑)


●参考
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/kankei.html
--
ブータンにおける外交上の主要な懸案事項は,ネパール系ブータン難民問題である。1980年代,ブータン政府は,ゾンカ語の普及やブータン式の服 (「ゴ」,「キラ」とよばれる)の公式の場での着用義務付け等国家のアイデンティティー強化のための施策を進めた。これに反発して,1990年秋,南部 ブータンにおいて一部ネパール系住民による反政府デモが展開され,反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生した。1991年に入り事 態は一応沈静化したものの,ネパール系ブータン難民がネパール国内に流入した。2007年11月より第三国定住プロセスが開始され,2011年8月まで に,約5万人の移住が完了した(内訳:米約4万2千人,カナダ約2400人,豪約2千人等)。難民の第三国定住プログラムとしては世界最大規模となってい る。キャンプ内には,約6万2千人の難民が残っており,このうち約4万7千人が第三国定住を希望している。2011年4月にティンレイ首相がネパールを訪 問し,2003年から中断していた両国政府による難民帰還に関する協議再開に合意した。
--
 ブータンは国防政策の柱として,国境保全,空港警備,治安維持以外にインドとの防衛協力関係維持を掲げており,ブータンの全国防予算をインドが負担してい る他,インドから資金・装備・訓練の支援を受ける等インドとは特殊な関係にある。また,ブータンには1個大隊規模(約700名)のインド陸軍将兵が常駐し ており,主要なインド陸軍部隊として,インド軍事訓練チーム(IMTRAT)がティンプーに,軍事訓練学校と陸軍病院がハに所在している。また,パロにも インド軍駐屯地が存在し,夏季にはインド本国から派遣された部隊が山岳地訓練を行っている。将校の教育は全てインドで行われており,下士官・兵の教育 も,IMTRATが管理運営するブータン内の軍学校で行われている。この他,部隊訓練もIMTRATの指導を受けている。さらに,ブータン軍は,年に 3~4回,インド陸軍部隊と共同訓練を行っている。
 山岳地形のブータンは意図的に部隊を中隊毎に分屯させており,そのほとんどは,ブータン・中国国境沿い及び重要防護施設の哨所に配置されている。各哨所には,インド陸軍兵士も5~6名ずつ配置されており,ブータン軍を指導している。
--

陸前高田へ2

| コメント(2)

■再び陸前高田へ
先週1週間ほど、また難民支援協会(JAR)の被災地支援ボランティアで陸前高田に行ってきた。
   月曜夜:東京出発 → 火曜~日曜:陸前高田で活動 → 月曜早朝:東京戻り
http://www.refugee.or.jp/event/2011/06/13-1127.shtml

震災から半年ということで、そろそろボランティアの足が遠のいているのではないかと思ったのと、これより後は某受験勉強に集中したいので参加できなくなるという事情で、このタイミングで精一杯の1週間の労働力を提供させてもらった。

ところが、陸前高田のボランティアは、実はかなり活況だった。理由は、他所の地域のボランティアセンター(以下「VC」)が閉鎖されたり、個人の参加を締め切ったりで、比較的従来通りボランティアを受け入れている陸前高田に、結果として人が集まってきていたのだ。その結果、週末に合流したメンバーには、各地のVCを転戦している歴戦の勇者的な人が多く、各地の受け入れ状況の問題点など、興味深い話も聞けた。

まあ、それ故の組織的な困難さもあったが、結論から言うと本当に参加して良かった。心からそう感じている。依頼者(被災者)との出会いは当然として、様々なタイプのボランティアメンバーとのソレも、喜怒哀楽に溢れていた。そしてこれは、1週間活動したからこそ実感できたのだとも思う。

こういう言い方はアレだが、元来自分はこの手の場所で人脈作りとか全く興味がなく、終わったらサヨナラな人で、特に人脈作りに来てんじゃねーの?的な人には冷淡なのだけど、今回ばかりは別れを惜しく感じてしまった。

特に、複数の学生からFacebookをやっているかと聞かれたのが意外だったのだが、多くの人とつながることができたのは、素直に嬉しい。

今までは、Facebookの使い勝手が嫌いで、アカウントはむかーしから取ってたけど、ほとんど使わないようにしてきた。しかし、大学生から「おじさんでもFacebookやるんですね」と言われてムキー!となったので、本腰入れることにした!(苦笑)

■6月と9月で変わった点
行く前は、草刈のような仕事が増えていると聞いていた。しかし今回、驚いたのだが、企業を支援することが2回あった。工場が被災した会社で、海水で真っ赤に錆びてしまった資材の錆取りを手伝ったりした。

IMG_4265.jpg

この会社は海が近く、工場の高い天井まで津波を被っていたが、天井に流木が引っかかったままの状態で、その下で仕事をしていた。そして何と、6ヶ月たった今でも、電気が復旧していなかった。

IMG_4266.jpg

辛うじて水道は使えたが、電気がないので錆取りに電動の研磨機が使えないのだ。発電機が一台だけあったが、膨大な量の資材に対して、全く足りてなかった。そこで、人海戦術しかないわけだが...

「皮すき → ワイヤーブラシ → スチールたわし」


この順でひたすら研磨するよう指示された。ところが、そもそもこれらの道具も数が限られ、ボランティア4名分しかなかった。その日は丁度、我々は男4名女3名と少人数だったので、むしろ丁度良い人数だと喜ばれたが、沢山ボランティアが来ても道具が足りなくて仕事がないわけだ。人海戦術すらできてない。
こんな状況で、ひたすら終わりの見えない作業を続ける社員の方々も凄いなと思ったのだが、作業を教えてくれた方々も解雇されているので、自分たちもボランティアみたいなものですと、笑って教えてくれた。

企業活動を支援するというのは、実はちょっと線引きが難しい。地域によっては、ボランティアの対象外としている。しかし、陸前高田のVCでは認めており、数日の活動では終わりが見えないような膨大な作業に、連日異なるボランティアが関わっているわけだ。自分がどんな作業にマッチングされるかはVC次第なので、個人の被災者のためにお手伝いしたいという意気込みで来ると、場合によっては納得し難い場合もあるかもしれない。
特に、上記のような津波被害をダイレクトに受けた現場ならまだしも、間接的な被害を抱えた会社の支援となると、躊躇する人も少なくないだろう。もう一つの現場がそうだった。

石材を扱う会社で、大きな石材を積んでいたプレートが壊れたり、袋が破れたりして散乱している砂利などを、再び販売するために積み直したり土嚢袋に詰めなおす、ひたすら力仕事の過酷な現場だった。ところがそこは、海から遠く、高台にあった。どう考えても津波被害はない。では、地震被害だろうか?と思いつつ作業していた。が、昼休みに従業員の人に聞いてみたら、地震の被害でもないという。え?

結局、地震・津波の直接の被害はそれ程ではなかったが、震災後しばらく業務が困難だったため、石材を放置せざるを得ず、その結果木製のプレート等が腐り、石材等が崩れてしまったというのだ。つまり、業務が滞ったことによる間接被害なわけだ。
VC側の基準がよく分からないが、もしもこの様な仕事ばかりだったら、ボランティアのモチベーションを維持するのは難しかったかもしれない。

■変わらぬ点
しかし、幸いと言うとおかしいが、そういう仕事の翌日は、以前と同じような個人の被災者のための瓦礫撤去だった。こういう仕事がまだ残っているのは、本当は残念なことなのだろう。しかし、海の近くで流されてしまった家の跡地や畑跡を、全て畑としてやり直したい老夫婦の依頼は、非常にやりがいがあった。

IMG_4196.jpg

地中に埋まっている瓦礫を撤去したり、生え放題の雑草を根っこから排除する仕事で、1日じゃ半分も終わらず、リーダーがVCに希望して2日続けて作業させてもらった。だから、余計に感情移入してしまった部分もあるかもしれない。

お婆さんは初日、僕らのために南瓜の煮付けを、二日目はオニギリ等を振る舞ってくれた。お爺さんは、見ているだけでは耐えられないようで、僕らと一緒に汗を流した。依頼者はボランティア保険に入ってないのだから、怪我でもしたらマズイわけで、手伝ってもらうのは本当は良くないのではないかとも思ったが、向こうからすれば自分のことを手伝ってもらうのに、傍観はできないのだろう。その気持ちもよく分かった。

まあ、そもそも自分のようなヘタレより、遥かにお爺さんの方が頼もしいのだが(自爆)

IMG_4226.jpg

一緒に、瓦礫を積んだリアカーを引いたりしながら、色々話をした。非常に優しいお爺さんで、水道すらまともに復旧していない現場で、作業後にろくに手洗いもさせられないことを申し訳ないというので、僕らはVCで洗えるし、帰りに花巻で温泉に入りますからというと、とても安堵したようだった。花巻の温泉は有名だから、是非疲れを癒してくれと。
他のメンバーとも色々話をしていたが、孫のような年齢のボランティアに囲まれ、お爺さんも色々と思うところがあったようだ。帰り際には、敷地の奥で栽培していたプチトマトを大量に(本当に大量w)収穫して、お土産にくれた。そして、バスから見えなくなるまで、深々とお辞儀をして見送ってくれた。涙を拭いながら。

実はこの日、地元の方の涙を目にするのは2回目だった。ボランティア参加者は、毎朝VCでオリエンテーションを受けるのだけど、この日の担当女性は、僕らのバスで説明を始めるなり、かなり泣いてしまったのだ。JARが継続的に支援していることに地元民として感謝していることや、震災当時のことを思い出しつつ話していたら、抑えられなくなってしまったようだった。
オリエンテーションでは、ボランティア作業中に津波の危険があれば、周囲を助けようとせずにとにかく一人で逃げろということを説明するのに、震災当時の辛い話を色々とされることがある。例えば、お婆さんを背負って逃げていた男性が、もうこのままでは逃げられないと、お婆さんに御免ねと謝って降ろして逃げのびた話などだ。地元の方々は、一人でも助かることを望んでおり、他人を助けて共倒れしないで欲しいと、ボランティアに言うのだ。もちろん、担当者によって違いはあるけれど、ボランティアに地元民の思いを理解させるのに、辛い話を毎朝している人もいるわけだ。この日の女性は、震災後家族と連絡が取れなくなった期間の辛い思いを、リアルに思い出してしまったようだった。

最近自分は、歳をとったせいか涙もろいと感じることが多く、この日は涙腺が緩みっぱなしだった。

おまけで、翌日の現場に行く途中、偶然に前日の現場の前をバスが通ったのだが、丁度お爺さんが作業していてバスに気付き、お互いに大きく手を振った。お爺さんは、あの場で黙々と畑仕事をしているわけだ。プチトマトは、その日のお昼に美味しくいただいた。

■ここまでのメンバー
月曜に共に出発したのは、確か日本人10名、外国人5名(内アフリカ系難民1名)で、夏休みな学生率は高かったが、自分同様「現在は働いていない」人が4名ほどおり、肩身は狭くなかった(自爆)

参加者によって、少し短く木曜に帰ってしまう組がおり、金曜は日本人3名、外国人4名に減少し、なんとスペイン人がリーダーとなり、気付いたら第一言語が英語状態になっていたのはなかなかレアな体験だった。

今回の外国人の多くは、上智の大学院等への留学生で、彼ら(Lilian、PatrickそしてリーダーとなったRuben)は過去にもJARのボランティアに参加しており、以下のサイトを立ち上げている。
http://www.311relief.com/

今回の活動については、以下のCeciliaの寄稿部分で取り上げられている。
http://www.311relief.com/index.php?id=20

夜は、リーダーがカルボナーラなスパゲッティを作ってくれるというのでお任せしたところ、適当なチーズが入手できなかったようで、チーズでコッテコテに固まった不思議なカルボナーラを体験した。そして最後は、鍋に大量に余ったソレを、Ceciliaが何故か僕の皿に全て盛り付けてくるもので、ノーサンキューを連呼して逃げた。が、既にテンコ盛りだった(^^;

このカルボナーラ、一人600円というのが少々お高かったが、Rubenが更にチップ1万円と言ったら、ここは日本だからチップの習慣はないねーという外国人達の一斉の反論が面白かった(笑)

その後は、英語で猥談が凄いディープなことになり、日本人3名は置いてけ堀状態(え?自分だけ?w)。ナニな件について日本人はどう思うのかと聞かれてもねぇ(^^;;

そんなボキャブラリーありませんがな!

■後半メンバーとの合流
金曜夜に東京を出て、土日だけ活動する後半組もいて、これが大変多かった。金曜に7人に減少したのが、一気に30人越えの大人数に膨れた。すると、よく戦争ものドラマにありそうな、アレな状況が生じた。古参兵のいる分隊規模の独立愚連隊が、突如新規の小隊に編入され、その指揮に従えと言われて...というアレですよ(苦笑)

最大の問題は、新しいリーダーとサブが、合わせて4人もいたことだったと思う。船頭多くして船山に登る的な状況があった。しかし、色々あったが、幸い男性リーダーに人望があったことで、小隊は瓦解を免れた。同時に、色々あったことで、古参兵同士の連帯感も増したように思う。
こういう問題は、少なからずボランティアにはあるものなのだろうが、一般の会社でもよくあることだ。まあ、だからこそ組織とは面白い(笑)

■市立広田中学校周辺
土曜の現場は、単に広範囲なのと電柱がゴロゴロ転がってた以外は、至って普通な個人の畑の瓦礫撤去だった。コンクリの電柱は重いけれど、なんせ男手は大量にあったので、皆で運べた。後は、掘れば掘るほどキリがないが、時間までできることをやるだけだった。まあ、場所が広田町で、市立広田中学校周辺までバスで来た時は、どこまで行くのかと驚いたが。

IMG_4278.jpg

問題は、日曜の市立小友中学校周辺だった。こんな現場がまだ残っていたとは...

■市立小友中学校周辺
VCの当初の指示では、側溝の泥欠きと、手が空いていれば畑だかの草刈という程度のもので、あまり状況が分からなかったが大変という認識はなかった。ところが、現場に行って呆然。

地図にある側溝の位置が、実際にどこなのか分からなかった。道路と畑の間に、側溝らしき形跡なんて見当たらない。リーダーが苦労しつつ、目的の側溝に接続しているであろう他の側溝を見つけたところ、つまりは目的の側溝が完全に埋まっていることが分かった。深さ1mくらい?

えええーーー!!!

ここは、依頼者が現場に来てくれない(そういう現場もある)ので、側溝の一端は判明しても、それがどう伸びているのかは想像するしかない。道路に対して直線とは限らない。しかし、判明している側からのみ徐々に掘り進めるのでは、数人しか作業できない。せっかくのマンパワーが無意味になる。そこでリーダーは、つるはしやスコップを持つメンバーをおよその予測で並ばせ、側溝に当たるように各自掘らせた。恐らく、あの時点でベストの指示だったろう。

午前中は、皆ガムシャラに掘っていたと思うが、この地中には板状の大きなアスファルトの塊がワンサカと埋まっており、思うように掘り進められなかった。道路のアスファルトが津波で剥がされ、一人じゃ持ち上げられないようなサイズのまま、側溝の上に覆いかぶさって泥とまみれて層になっていた。そして、これが下手をすると、アスファルトが側溝の底や壁なのではないかと判断を誤らせた。逆に、側溝の壁すら、埋もれたアスファルトと区別がつかない。

大きなアスファルトの場合、その一端が見えても、大半は泥に埋もれている。すると、その見えている一端が邪魔なだけでも、どかすには全体の上にある土を掘らなければならない。アスファルトが分厚すぎて、割ることも難しいのだ。そうして掘ってみたら、また別のアスファルトが重なってたりする。しかも、それだけ苦労して掘っても、その下に側溝があるかどうかは分からない。しかし、掘るしかない。

IMG_4336.jpg

自分も一応、一時はつるはしで掘ってたのだが、ヘタレなんで(自爆)、つるはしを自分より上手く扱える人に任せ、別の仕事に着手した。側溝の壁探しだ。

分かっている側溝の一端とは、そこが一端であろうこと以外、どこに壁があるのか誰も確認していなかった。それなりに掘れてはいるが、掘った傍から泥水が流れ込み、底も何も見えない。足を踏み入れれば、長靴が埋まってしまう。スコップで掘ろうにも、泥水みたいな場所は、ほとんど掘れない。で、地道に手で泥を確実にすくうことにした。

触感に頼ってみると、スコップじゃ分からなかった泥底の感覚から、目には見えずとも埋まっているものの存在を認識できるようになった。で、被さっていたアスファルトやら謎の鉄板などを引っぺがしたら、やはり泥水で目視はできずとも、やっと側溝の壁が触感で認識できた。

ところが、端からこの側溝の両壁を両手で触りつつ歩いてみたら、既に予測で掘られた溝に対し、壁がクロスしていた。つまり、我々が掘り進めてしまっていたのは、途中までは正しかったが、その先は側溝ではない場所だったわけだ。

何か、見つけてはいけない真実を知ってしまったような、そんな感じ(^^;
みんな、一生懸命掘ってるけど...

ということで、リーダーを呼んで報告したところ、やはり側溝より畑側を掘っているということが確認され、方向転換がアナウンスされた。しかし、結局作業時間修了と相成り、修正は間に合わなかった。後は、後日の別のチームが誤った溝に騙されないように、目印などを立てて終わった。

hxdD.jpg

こりゃ仕方ありませんがな(^^;;
しかし、いまだにこんな、とんでもない未着手の場があることに、最後に驚かされた。

■昼休み
なお、この日の昼食は、市立小友中学校の体育館入口らしき場所でとらせていただいた。
IMG_4308.jpg

中学校は、2階途中まで津波を被っており、そのままにされていた。
IMG_4307.jpg

教室の黒板には、様々なメッセージが書かれており、興廃した校舎内との対比が、これまた感じるものがあった。
IMG_4314.jpg

翌日が卒業式の予定だったんだね。
IMG_4316.jpg

やはり、涙もろくなった。

■蛇足1
その他、印象に残ったのは、我々のバスの運転手さんだ。一度、前を走っていたバイクが急に曲がり、事故りそうになったのだが、そのバイクの爺さんに、「津波からせっかく生き残った命を粗末にしてはいけない!」と怒っていた。

この運転手さんはハートが熱く、VCでのバスの誘導が不合理だったりすると、喧嘩しそうでヒヤヒヤもさせられた。しかし、7・8カ国もの国籍が入り乱れたメンバーに対し、日本語で臆することなく話しかけて打ち解ける、素晴らしいハートの持ち主だった。

こういう人に偶然当たれたというのは、幸運なんだと思う。

前半で帰ったアフリカ系難民は、ボランティア活動中は暴走するくらいパワーがあって働くのに、活動後に皆で温泉に行く際はタオルも所持しておらず、当初は下着を着たまま風呂に入ろうとしたくらいで、結構周囲のサポートが必要だった。

難民故かは分からないが、準備不足で所持金が底をついたというか、着替えなども足りず、本来は1週間共に活動するはずだったところを木曜に短縮して帰るようにJARに言われて突然帰ってしまったのだが、活動後皆で温泉に行く際に、そんな彼にタオルをくれたのも運転手さんだった。

よくバスの前で立ち話していたが、もしかすると難民と一番フランクなコミュニケーションをしていたのが、運転手さんだったかもしれない(笑)

■蛇足2
キャンプ中の食事なのだが、当初は花巻のスーパーで弁当でも買うつもりでいた。というのも、前回6月の時に、バーベキューやってご飯担当した学生が、自炊経験ゼロで、米を大量に入れて炊いてしまって大失敗したからだ。皆で作るとなると、色々と面倒だなと思っていた。

ところが今回、一人で何人分でも作ってくれてしまうスーパー料理人がおりまして、朝晩美味しいご飯を毎日格安で振る舞ってもらえた。美味しくて、減るはずだった体重が、増えてしまった(自爆)

彼とは、前半組が帰った後、本来なら一人一テントで寝られたところ、一緒に寝ようよとお誘いを受けた(危ないw)

そしたら、何と寝言で、英語でボランティア活動の指示を出していた!
あれは、「スゲー!」と思った。一生忘れない(笑)

彼の料理あってこその連帯感だったとも思う。

■蛇足3
今回出会ったメンバーの大学生は、素直に関心する、とても共感できる、ステキな逸材もいれば、全然超ヘタレなのもいて、そういう一人ひとりが面白かった。

例えば、1週間キャンプ場と被災地を往復し、キャンプ場の汚ねートイレとか慣れちゃって、このまま東京に戻っても、公衆トイレの便座すら汚くて座れないと言っている友達たちと、普通に会話できるだろうか?と、冗談半分に心配してた僕より20歳年下の女子大生とかいた(笑)

彼女は、瓦礫の分別にしてもいい加減な仕事が嫌いで、とにかく黙々と我が信じる道を行く、ヘッポコな命令に反意を示す立派な古参兵だった。
そのくせ、人生の目標的なやりたい事が見つからないとも嘆く。

まるで昔の自分を(以下略

そんなの18歳なら当たり前じゃんか!と、おじさん、おばさん世代は簡単に思うわけだ。
しかし、そこを悩むのが学生にとっての大きな壁であることは、昔を思い出せば理解できる。

まあ、自分のような人生遠回り組みからすれば、道なんて長いほうが楽しいのだけど、こればっかりは人様にゃ安易に勧められない。

でも、こんな過酷なボランティアに1週間も一人で参加しているような人間は、既に正解出してるんだよね。
高城剛的に言えば、「アイデアと移動距離は比例する」わけだ(笑)
答えが見つからなければ、とりあえず動いてみることが正解の一つだったりするさね。
それに気付いているのかどうかは、あえて聞かなかったけど。


対して男子はだ、持参するパンツの枚数計算間違えて、最後の温泉の後、履くパンツがないと悩んでいるのがいた。一度履いたのをその場で洗って、直ぐに乾きますか?って(^^;

洗えば数十分やそこらで乾くわけないのだから、濡れたまま履くなんて有り得ない以上、一度履いたやつでもそのまま履いちゃえよと答えた。ところが、横の友達に聞いて、二人揃ってそれは有り得ないという結論に。一度履いたのを履くくらいなら、履かない方がマシだと言われた。

えーーーー!
そういうもんなの?
つか、それで本当に洗うか迷ってんの?

いざとなったら女子は生き残れそうだけど、この男子たちは...悩むところ間違ってるだろ(爆)

あと、前回6月に参加した際に一緒だった大学生もいて、自分を覚えてくれていたのは素直に嬉しかったかな。


さて、自分も前進せねば。

前回の続き。

さて、今回参加した難民支援協会(JAR)の陸前高田における被災地ボランティアは、金曜夜に仕事を終えて参加し、月曜は早朝に戻れるのでそのまま出社できる。とはいっても、流石に月曜は有休という人が結構いた。ボランティア休暇があるという人も。
(学生の参加者も多かったのは、金銭的な理由が大きいのかもしれないが。)

しかし、JARのHPを見れば分かるが、参加は何も、金曜からの3泊4日(車中2日)だけではない。もう一週間いて翌週帰っても良いし、そもそも交通費を払うつもりなら、往復に手配されたバスに乗らずに、平日だろうと自腹で行って、現地でJARのボランティアに合流できる。(なお、平日のボランティアは人数が激減してしまうそうだ。当たり前だけど。)

だから、今回も行きと帰りの人数は違ったし、現地で前週から活動してる人とも合流したし、活動後の日曜のうちに新花巻から自腹で新幹線で帰ることもできる。説明会への参加と、事前の参加申込みや合意書の提出などをちゃんとしていれば、日程は自由なわけだ。

長期参加できると、現地で可能なボランティアの内容も色々あって、災害ボランティアセンター(VC)での仕事もあったりする場合がある。毎日やってくる個々のボランティアへの対応や、ボランティアと被災者を結ぶマッチングなども、これまたボランティアが入っている。

また、女性の被災者への対応のための、女性限定のボランティア活動もあることがあり、行きのバスの中で希望者を募っていた。

被災地でのボランティア活動とは、力仕事ばかりではないわけだが、長期活動して現地VCと信頼関係を構築できているNPOの活動に参加することで、個人の参加とは違うことができる可能性があるということだろうか。これは、一つのポイントだろう。


では、実際に参加して感じたことを。

■準備段階
まず、マスクについて迷った。
少し前のニュースでは、家屋からのアスベストをボランティアが吸い込んでしまう危険が話題になっていた。マスクは用意してくれるとはいえ、顔にフィットしないと意味がない。様々な種類もある。だから、防塵マスクがどんな形態のものか気になっていた。

結果としては、N95の折りたたみ式の使い捨て防塵マスクが配布され、使いやすかった。しかし、以前も参加したという人の話では、以前は違う種類のマスクだったとのこと。つまり、特に種類は決まってないようだ。作業中、マスクが息苦しいと外してしまう人もいたのだけど、配布されるマスクが合わずに外してしまうくらいなら、自分に合ったマスクを持参した方が良いかもしれない。どういう現場に派遣されるかによって、マスクの必要性が低い場合もあるけれど、活動内容はVCの指示次第なので、気にし過ぎない程度に気をつけるしかないとも思う。
--
>追記
現在は、マスクは参加者負担に変更となったとのこと。最低限、顔の大きさに合わせてサイズくらい気をつけて選ぼう。
--

また、服装も悩んだ。
作業の安全のためには、長袖が必須ということになっている。が、晴れた日の外での力仕事なら、長袖はきつい。しかし、夜のテントは寒そうだ...荷物を減らしたいのだけど...

結果として、Tシャツと、その上に長袖で頑張った。特に日曜が暑かったのだけど、Tシャツで活動する人も多く、その一人が軽い怪我をしていた。擦り傷で、長袖なら防げた感じ。まあ、これから夏の長袖はムリというのも分かる。正解はないけど、軽装なら余計に気をつけるしかないってことで。

それから、個人差はあるにしても、耳栓を持参すべきかと(^^;
バスで寝るにも、テントで寝るにも、耳栓がないと寝不足になるかもしれない。キャンプ地に到着すると、テントで一緒になる面子を自由にその場で決めるのだけど、幸い自分のテントの皆は静かでも、他所のテントの声もかなり聞こえるので、イビキ対策はおすすめ。

■1件目
依頼者の家の周辺の、土砂と瓦礫で流れなくなった排水路を復活させる。土砂は土嚢袋に詰め、刈った雑草や瓦礫と共に道路沿いに山積みし、回収できるようにする。

リーダーから簡単な指示をされただけで、誰も文句言わずに、各自が手にした道具で、ひたすら重労働をする。一輪車(猫車)を使ったのなんて、高校の野球部のグランド整備以来かもしれない。午後になると、ちょっとしたことで息があがってしまい、最近のヘタレ生活を反省しつつ、みんな凄いなぁと関心。

瓦礫と言っても、やはり色々なものが出てくる。「MY ALBUM」と書かれたCD-ROMや、フィルム、ビデオテープ、レコード、写真など。思い出の品は別にして、後でVCにサブリーダーが引き渡していた。

また、あまり適切ではないが、休憩する都度に依頼者のおばさんが様々なもてなしをして待ってくれており、ご好意に甘えさせていただいた。というか、断れる状況にない(^^;

IMG_3782_cut.JPG

20人もいるのに、一人2つ分のお餅を焼いて持ってきてくれ、イチゴを潰して牛乳かけたり、昼には味噌汁、更に様々な果物をヨーグルトに入れて...美味しい!

でも、おばさん、そんなに気を遣わないで!

別の近所のおじさんからも、どこから来たのかとか聞かれて、応えると突然お礼を言われてしまい、何と言葉を返して良いのか戸惑ってしまった。道ですれ違う人からも、ありがとうとお辞儀をされてしまう。こちらこそ、こんなことしかできなくて申し訳ないです。

■2件目
依頼者の家の周辺の瓦礫と、室内のあらゆるものを捨てて欲しいと。

外の瓦礫はともかく、所有者の明確な家に土足で上がって家財道具を捨てるというのは、やはり違和感がある。依頼者のお婆さん曰く、必要なものは全て運び出したので、残っているものは全て捨てて良いというのだけど、津波をかぶってないものもあれば、高そうな品、何かの記念の品だの、普通なら捨てないようなものが沢山ある。最初の頃は、お婆さんに皆が確認を取っていたけれど、ついには「1000万円出てきても聞かないで捨てて良いから(笑)」と言われてしまう。一つ一つ聞かれてしまえば、どれも思い出があって捨てられなくなってしまうけど、これ以上持って行けないのだから、聞かずに捨ててくれと。そっか...

その家は、取り壊しは決まっているのだけど、解体業者の順番待ちで、年内に壊してくれるかどうかも分からないという状況だそうで、つまりはそれまで、住めない家の建っている土地をどうしようもない。どうしようもない話を聞いてしまうと、なんとも切ない。

しかし、とにかく喜んで、色んな話をしてくれる。津波が来た時の危機迫る話から、避難所で10日ほどしてから、孫がお菓子を食べたいと言い出した話。瓦礫に埋まった車に東京の美味しいお菓子が入ってたと言ったら、皆で掘り起こそうという話になって、掘り起こしたら車が壊れてなくて、孫はお菓子で喜んで、自分は今も車に乗れている。お菓子のお陰で、車を諦めなくて良かった(笑)とか。

そんな話をしている場所から、昼休みにちょっと歩いてみたら、家の形すら残ってない、広大で、言葉も出ない風景が広がっていたのだが。

■3件目
海岸線が後退した海の近く、入り込んだ海水の大きな水溜りと瓦礫の山が入り組んでいる場所で、瓦礫の山を、回収できるように道路沿いに移動させる。

地図なら、目の前は陸があって道路が通っているはずのところが、海になっている。自分のemobileのスマホで、GPS使って地図見たけど、目の前の風景とのギャップから、通信に失敗して地図が更新されてないのかと思った。バスも、ここに辿り着くのに道に迷っていた。

海水の水溜りに瓦礫の角材で近道を渡し、何度も往復。瓦礫の山は、家電や寝具、網や板切れに、何やら長いパイプや、一人じゃ持ち上がらない丸太まで、色んなものがスパゲッティー状態。3・4人で担げるものは良いのだけど、どう頑張っても動かせない太さの丸太も。VCで借りてるノコギリで切れるような太さでもない。チェーンソーが必要じゃないかと思った。ところがその丸太は、留学生と難民が、ロープを上手く使って担ぎ棒を通し、見事に運び出してくれた。

IMG_3869.JPG

■気になった点
まず個人的に驚いたのだけど、そもそもJARの活動に関して理解してない参加者が多かった。(それが悪いという意味ではない。今回は被災者支援なので、それで構わないのだろう。)

が、日本の難民問題を知らない参加者からは、難民と普通に友達のようになって、メアド交換して、今度飲もうみたいな話が聞こえてきてしまう。JARからは事前に、ボランティア期間中の難民との接し方について確認事項が提示されており、ボランティア活動以外で個人的関係につながる行為は、一応禁じているのにだ。(難民の方々は色々な問題を抱えている場合があるので、個人的に問題に関わってしまったりすると適切ではないと言われている。)

参加者は、難民に対する最低限の理解をしておく必要があると思うのだけど、JARの説明や配布資料は控えめで、どうも伝わってないのではないかな。

JARが、被災地支援活動にかこつけて難民支援を積極的に宣伝しようという意思がないのは、とても良い姿勢とは思うのだけど、結果として確認事項も参加者に忘れられてしまうなら、もう少し難民問題を主張してみても良いのかもしれない。(逆に、難民問題を知らない人こそ、普通に接することができるという見方もあるかもしれないが。)

次に、被災地での写真撮影について、かなり気を遣った。事前に、リーダーから厳重注意もあったが、ボランティアに来たのか写真撮影にきたのか分からないような、撮影ばかりしていた酷いボランティアの話が、一つの伝説のようになっているようだ。

しかし、写真撮影を一律に禁止するというのも行き過ぎな話であって、休憩時間に、節度を守った撮影は良いだろうという意見も出た。依頼者とうちとけて、別れ際に一緒に集合写真も撮ったりもしていたが、撮影の前に相手の許可を得るくらいの気遣いは必要とされていた。

このブログもそうだが、現地の今の様子を他人に伝えることは、無駄ではないと思っている。活動中は撮影せず、休憩時間や活動終了後、バスでの移動中等に写真を撮った。

なお、共にボランティアをする難民の顔写真の撮影、ブログ等への掲載は、難民問題の特殊性から、本人やJARから同意を得た以外は、確認事項として禁止されている。(自分も、このブログも含め、Twitterの情報発信についても、ボランティア参加申込みの段階で、JARに申請している。)

ま、あんまりこういうことを書くと、ボランティア面倒と思う人が出ると困るのだけど、まだまだ被災地は人手不足なんで、今からでも遅くないので、なかなか準備が大変だと思って躊躇している人は、JARのボランティアに参加することは、とてもおすすめする。

■蛇足
被災地にゴミを増やさないため、自分が出したゴミは、極力持ち帰った。帰りにバスが止まったサービスエリアのゴミ箱からは、大量にゴミが路上に溢れており、サービスエリア全体に異臭を漂わせていた。あれが、ボランティア帰りに捨てられたものでないことを祈る。

陸前高田へ

| コメント(0) | トラックバック(0)

久々の更新です。今年は某受験は回避しました。ヘタレです。

ヘタレなんで、なかなか体を動かすボランティアは出来ずにいたけれど、このブログでも過去に登場した難民支援協会(JAR)が、東日本大震災後からは震災支援活動も行っており、やっとこれに参加し、今その帰りのバス。

難民支援のNPOが、何故震災支援をするのかと疑問に思うかもしれないが、日本在住の難民の方々から、是非とも被災地でボランティア活動をしたいという要望が多かったそうで、それに応えた形で実現したそうだ。新聞やTVで、被災地でボランティア活動する外人が何度か取り上げられているが、その中にもJAR経由の参加者がいるようだ。
(まあ、今回は普段別の活動をしているNPOが震災支援も行う例は、日本ユニバの件などもあり、珍しくないのだろう。)

とは言っても、参加者を難民に限定しているわけではなく、広く一般に参加募集をしている。日本人だろうと外人だろうと関係なく参加できるが、難民と共に活動をする点が、JARの震災支援ボランティアの特徴と言える。

難民の方々というのは、それぞれ複雑な背景があるので、彼らと行動を共にするには、難民問題に関するそれなりの理解が必要だ。ちょっと古くてリンクも切れてる部分があるが、以下のエントリーなど多少は参考になるだろうか。
http://maruko.to/2009/03/post-10.html

そういった前提条件をクリアーしているとして、JARのボランティアに参加するとなると、以下の部分をJARが用意してくれる。

・東京からの花巻までの往復バス
・花巻のキャンプ場から被災地への往復バス
・ボランティアに必要な道具(長靴、軍手、マスク、ショベル等)
・テント、寝袋、キッチンセットを含むキャンプ道具
・ボランティア保険(天災Bプラン)

活動場所は陸前高田だが、キャンプ地は花巻と、ちょっと遠い。これは理由はあるのだが、今後はもう少し近場への移動も検討しているそうだ。


大きな地図で見る

まあ、とにかくある意味お得だ。お得な必要は無いがこれで参加したいという人は、別の形でその分寄付するとかありかもね。まあ、応募者多数の場合は、選考もあることになってるけど。

(自分の場合、JARには本来の難民サポートの他に、震災支援活動に対する寄付も別口でしているので、結局自腹を切っている以上に、何か不思議な感じだ。お前、仕事辞めて無職になってるのだから、他人に寄付してる場合じゃねーだろというつっ込みは禁止(笑))

後は、自分で持っていくのは
・食料(自炊or花巻のスーパーで調達可能)
・常備薬
・防寒具を含む自分の服
・入浴用品(有料の温泉がある)
・ポケットライト

あとは、電源の数が少ないので、携帯の充電方法を準備する、程度ということになる。つまり、かなり身軽で済むので、週末に気軽に参加できるだろう。

詳しくは、以下のJARのサイトを参照のこと。
http://www.refugee.or.jp/event/2011/06/13-1127.shtml

事前の説明会に参加し、いくつかのJARとの合意事項について書類提出を要するので、いきなり当日から活動には参加できないので、要注意。

また、今のところ7月まで予定が発表されているが、もっと先も予定はあり、夏休みになれば学生の参加者が増えるだとうとのことだ。

と、ちょっとこれだけで長めになったので、現地の話はまた後日。

なお、ブログに書きますよとは、事前にJARに伝えてあります。

>追記
「ボランティアに必要な道具」は、参加者負担に変更になったそうです。ご注意を。

ロヒンギャ族:「難民と認めて」...日本に200人 - 毎日jp(2009年3月1日)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090302k0000m040040000c.html
-->
 ミャンマー軍事政権による差別や迫害を受け、周辺各国への流出が続いている「ロヒンギャ族」。ミャンマーは自国民と認めず、タイやマレーシアなども受け入れに難色を示す。日本国内でも約200人が暮らすが、日本政府は大半を難民認定せず、一方でミャンマーが自国民と認めないため強制送還もできない「宙に浮いた」存在だ。経済危機で生活困窮に拍車がかかり、正式に就労が可能になる難民認定を強く求めている。
<--
-->
 「食費を減らしても、もうお金がない。(マレーシアで暮らす)家族に電話できるのは週1回だけ。心が痛い」。約160人のロヒンギャ族が集まって暮らす群馬県館林市。05年12月に来日したモハマド・アユーブさん(35)は肩を落とす。
<--
-->
 ロヒンギャ族の故郷は、ミャンマー西部ヤカイン州。ロヒンギャであることを理由に移動の自由や教育、仕事が制限され、軍による強制労働もあるという。アユーブさんは88年のヤンゴンでの大規模民主化デモに参加。友人4人が軍の銃撃を受け死亡、多くの仲間が逮捕された。タイからマレーシアに逃げたが、不法滞在として繰り返し拘束された。
 05年12月、中国人ブローカーに約30万円払い来日。成田空港で難民申請したが「仮滞在」のまま3年以上過ぎた。
<--


そういや先々週、難民支援協会の講座受けた。

一昨年末から昨年にかけて、ミャンマーやトルコが不穏な状況だったから、昨年の難民申請は増えるとは思っていた。しかし、増えるどころじゃなかった。激増していたことを知った。

2007年は816人だった難民申請者数が、昨年は1599人になった。
内訳は、ミャンマーからが979人、トルコからが156人、スリランカからが90人...
http://www.refugee.or.jp/jar/topics/other/2009/01/30-1100.shtml

案の定、ミャンマーとトルコからの難民が増えた。
ミャンマーからは、少数民族は沢山いるけれど、有名どころはカレンとロヒンギャだろうか。トルコからってのは、つまりはクルド人だ。

そのうち、難民認定されたのは57人で、内54人がミャンマー人。
(本当は、申請した年に認定される人は少ないので、前年以前の申請者が含まれる。特に、申請者が増加した現在、認定に要する期間はどんどん延びて、平均は2年らしい。これ、行政手続法を知ってる人なら、おかしいと思うかもしれないが、難民関係は適用除外なのだ(苦笑))
で、トルコとの関係を悪化させたくない日本政府は、トルコはクルドを迫害していないという立場を貫いているので、クルド人を難民と認めることはほとんどない。つか、全然ないかな?

ミャンマー人だけ優遇しているわけだけど、それはそれで、ミャンマー人の難民も複雑な心境のようだ。自分たちが認められるのは有難いが、何故日本 政府は他国の迫害は擁護するのかと。入管で何ヶ月~何年も収容(ほとんど刑務所と同じ)されていると、難民同士で世界中の迫害状況を知ることになるので、 難民認定された後になって、何故自分たちだけ...という気持ちになる人も居るらしい。


ちなみにロヒンギャ人は、周辺国からも迫害されてるので、ミャンマーの外でも殺される。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2559564/3697350
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009021402000085.html

しかし、大半の日本人は、そんなこと想像できないので、島国日本に辿り着く外国人=金目当て、と思い込んで思考停止する。

日本で難民なんて言うと、ネットカフェ難民と同レベルくらいの認識だったりして、流石村社会としか言いようがない。

ま、今回の記事になってる人物が、具体的にどうなのかは知らないけれど。


そして、よく出てくる意見が、不法滞在は犯罪だから、犯罪者は出て行け、みたいな思考停止パターンだ。難民が、合法的に他国に入国できることなんて、まずないわけだが、日本で平和ボケしてると、違法=悪人としか考えられない人が居るらしい。

まず、自国を出国する時点で、合法的なパスポートとビザを持っているような人間は、余程運が良い難民だ。今回の記事では
>05年12月、中国人ブローカーに約30万円払い来日。
となっているが、そういう手段を使わないと、普通は逃げて来れない。

次に、
>成田空港で難民申請したが「仮滞在」のまま3年以上過ぎた。
成田で難民申請できる難民は、かなり珍しい。そもそも、自分が難民だと認識している人自体、少ない。とりあえず不法にでも外国に逃れてきただけ で、自分が国際的に条約難民として地位を得る条件をクリアーしているとか、考えたこともないわけだ。迫害されてきた国の中では、情報が限られているので、 そういう条約の存在自体を知らなかったりする。とにかく、帰国したら殺されるかもしれない、としか思ってなかったりする。

すると、不法入国のまま不法滞在に直結する。そういう中で、難民支援協会に辿り着くのは、運が良いとしか言えない(アフリカ系の難民の場合は、現 地でUNHCRが活動していることが知られていることが多いので、国連に電話する人は居るらしい。すると、最終的に難民支援協会を紹介される。)。

不法入国、不法滞在の認識があると、余計に公的機関に相談することなど怖くてできず、不法就労して生き延びるうちに、何年も経過してしまう。もし くは、何らかのコミュニティに辿り着いたとしても、同様の境遇の仲間が難民申請したら収容された、なんて話を聞いて、余計に難民申請そのものを恐れるよう になったりもする。裏街道まっしぐら。

そういう状況になるべくして日本にやってくる者こそが、難民なわけだ。
せめて、外国人の玄関となる全国の空港や港には、難民に関する相談窓口でも作るべきだが、そんな金はどこからも出ないので、他国のようにはいかない。

ついでに言うと、出国する時点で行き先が決まっていない難民も多い。とりあえず、自国に居ると危険なので、外国へ行く船の船員として潜り込んだり して、とにかく出国する(これも運が良いパターンかな)。日本を選んだのではなく、日本に寄港したから下船しただけということもある。

ま、そんな程度だから、今の難民申請数で済んでいる、という見方もできるかもしれない。


日本に辿り着く難民は、難民キャンプに押し込められる大半の難民より、一見運が良いように見える。でも、実例を聞けば聞くほど、「日本に来ちゃって残念だったね」、「こんな国ですまんね」と思ってしまう。


そして、最も解かなければならない誤解は、難民を保護すべき理由は、難民がカワイソウだから、ではないということだ。日本は難民条約を批准し、国 内法を整備した以上、そのルールに従って難民を受け入れるのが、法を尊重する先進国として当たり前なだけだ。作ったルールの運用基準を曖昧にして、出身国 によって差別的な扱いをしたり、非人道的な扱いをして良いとは、どこにも書かれてないってことだ。


アーカイブ

Las Vegas

Lights for Rights

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち難民カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは国家戦略です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.23-ja