陸前高田へ:続き

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前回の続き。

さて、今回参加した難民支援協会(JAR)の陸前高田における被災地ボランティアは、金曜夜に仕事を終えて参加し、月曜は早朝に戻れるのでそのまま出社できる。とはいっても、流石に月曜は有休という人が結構いた。ボランティア休暇があるという人も。
(学生の参加者も多かったのは、金銭的な理由が大きいのかもしれないが。)

しかし、JARのHPを見れば分かるが、参加は何も、金曜からの3泊4日(車中2日)だけではない。もう一週間いて翌週帰っても良いし、そもそも交通費を払うつもりなら、往復に手配されたバスに乗らずに、平日だろうと自腹で行って、現地でJARのボランティアに合流できる。(なお、平日のボランティアは人数が激減してしまうそうだ。当たり前だけど。)

だから、今回も行きと帰りの人数は違ったし、現地で前週から活動してる人とも合流したし、活動後の日曜のうちに新花巻から自腹で新幹線で帰ることもできる。説明会への参加と、事前の参加申込みや合意書の提出などをちゃんとしていれば、日程は自由なわけだ。

長期参加できると、現地で可能なボランティアの内容も色々あって、災害ボランティアセンター(VC)での仕事もあったりする場合がある。毎日やってくる個々のボランティアへの対応や、ボランティアと被災者を結ぶマッチングなども、これまたボランティアが入っている。

また、女性の被災者への対応のための、女性限定のボランティア活動もあることがあり、行きのバスの中で希望者を募っていた。

被災地でのボランティア活動とは、力仕事ばかりではないわけだが、長期活動して現地VCと信頼関係を構築できているNPOの活動に参加することで、個人の参加とは違うことができる可能性があるということだろうか。これは、一つのポイントだろう。


では、実際に参加して感じたことを。

■準備段階
まず、マスクについて迷った。
少し前のニュースでは、家屋からのアスベストをボランティアが吸い込んでしまう危険が話題になっていた。マスクは用意してくれるとはいえ、顔にフィットしないと意味がない。様々な種類もある。だから、防塵マスクがどんな形態のものか気になっていた。

結果としては、N95の折りたたみ式の使い捨て防塵マスクが配布され、使いやすかった。しかし、以前も参加したという人の話では、以前は違う種類のマスクだったとのこと。つまり、特に種類は決まってないようだ。作業中、マスクが息苦しいと外してしまう人もいたのだけど、配布されるマスクが合わずに外してしまうくらいなら、自分に合ったマスクを持参した方が良いかもしれない。どういう現場に派遣されるかによって、マスクの必要性が低い場合もあるけれど、活動内容はVCの指示次第なので、気にし過ぎない程度に気をつけるしかないとも思う。
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>追記
現在は、マスクは参加者負担に変更となったとのこと。最低限、顔の大きさに合わせてサイズくらい気をつけて選ぼう。
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また、服装も悩んだ。
作業の安全のためには、長袖が必須ということになっている。が、晴れた日の外での力仕事なら、長袖はきつい。しかし、夜のテントは寒そうだ...荷物を減らしたいのだけど...

結果として、Tシャツと、その上に長袖で頑張った。特に日曜が暑かったのだけど、Tシャツで活動する人も多く、その一人が軽い怪我をしていた。擦り傷で、長袖なら防げた感じ。まあ、これから夏の長袖はムリというのも分かる。正解はないけど、軽装なら余計に気をつけるしかないってことで。

それから、個人差はあるにしても、耳栓を持参すべきかと(^^;
バスで寝るにも、テントで寝るにも、耳栓がないと寝不足になるかもしれない。キャンプ地に到着すると、テントで一緒になる面子を自由にその場で決めるのだけど、幸い自分のテントの皆は静かでも、他所のテントの声もかなり聞こえるので、イビキ対策はおすすめ。

■1件目
依頼者の家の周辺の、土砂と瓦礫で流れなくなった排水路を復活させる。土砂は土嚢袋に詰め、刈った雑草や瓦礫と共に道路沿いに山積みし、回収できるようにする。

リーダーから簡単な指示をされただけで、誰も文句言わずに、各自が手にした道具で、ひたすら重労働をする。一輪車(猫車)を使ったのなんて、高校の野球部のグランド整備以来かもしれない。午後になると、ちょっとしたことで息があがってしまい、最近のヘタレ生活を反省しつつ、みんな凄いなぁと関心。

瓦礫と言っても、やはり色々なものが出てくる。「MY ALBUM」と書かれたCD-ROMや、フィルム、ビデオテープ、レコード、写真など。思い出の品は別にして、後でVCにサブリーダーが引き渡していた。

また、あまり適切ではないが、休憩する都度に依頼者のおばさんが様々なもてなしをして待ってくれており、ご好意に甘えさせていただいた。というか、断れる状況にない(^^;

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20人もいるのに、一人2つ分のお餅を焼いて持ってきてくれ、イチゴを潰して牛乳かけたり、昼には味噌汁、更に様々な果物をヨーグルトに入れて...美味しい!

でも、おばさん、そんなに気を遣わないで!

別の近所のおじさんからも、どこから来たのかとか聞かれて、応えると突然お礼を言われてしまい、何と言葉を返して良いのか戸惑ってしまった。道ですれ違う人からも、ありがとうとお辞儀をされてしまう。こちらこそ、こんなことしかできなくて申し訳ないです。

■2件目
依頼者の家の周辺の瓦礫と、室内のあらゆるものを捨てて欲しいと。

外の瓦礫はともかく、所有者の明確な家に土足で上がって家財道具を捨てるというのは、やはり違和感がある。依頼者のお婆さん曰く、必要なものは全て運び出したので、残っているものは全て捨てて良いというのだけど、津波をかぶってないものもあれば、高そうな品、何かの記念の品だの、普通なら捨てないようなものが沢山ある。最初の頃は、お婆さんに皆が確認を取っていたけれど、ついには「1000万円出てきても聞かないで捨てて良いから(笑)」と言われてしまう。一つ一つ聞かれてしまえば、どれも思い出があって捨てられなくなってしまうけど、これ以上持って行けないのだから、聞かずに捨ててくれと。そっか...

その家は、取り壊しは決まっているのだけど、解体業者の順番待ちで、年内に壊してくれるかどうかも分からないという状況だそうで、つまりはそれまで、住めない家の建っている土地をどうしようもない。どうしようもない話を聞いてしまうと、なんとも切ない。

しかし、とにかく喜んで、色んな話をしてくれる。津波が来た時の危機迫る話から、避難所で10日ほどしてから、孫がお菓子を食べたいと言い出した話。瓦礫に埋まった車に東京の美味しいお菓子が入ってたと言ったら、皆で掘り起こそうという話になって、掘り起こしたら車が壊れてなくて、孫はお菓子で喜んで、自分は今も車に乗れている。お菓子のお陰で、車を諦めなくて良かった(笑)とか。

そんな話をしている場所から、昼休みにちょっと歩いてみたら、家の形すら残ってない、広大で、言葉も出ない風景が広がっていたのだが。

■3件目
海岸線が後退した海の近く、入り込んだ海水の大きな水溜りと瓦礫の山が入り組んでいる場所で、瓦礫の山を、回収できるように道路沿いに移動させる。

地図なら、目の前は陸があって道路が通っているはずのところが、海になっている。自分のemobileのスマホで、GPS使って地図見たけど、目の前の風景とのギャップから、通信に失敗して地図が更新されてないのかと思った。バスも、ここに辿り着くのに道に迷っていた。

海水の水溜りに瓦礫の角材で近道を渡し、何度も往復。瓦礫の山は、家電や寝具、網や板切れに、何やら長いパイプや、一人じゃ持ち上がらない丸太まで、色んなものがスパゲッティー状態。3・4人で担げるものは良いのだけど、どう頑張っても動かせない太さの丸太も。VCで借りてるノコギリで切れるような太さでもない。チェーンソーが必要じゃないかと思った。ところがその丸太は、留学生と難民が、ロープを上手く使って担ぎ棒を通し、見事に運び出してくれた。

IMG_3869.JPG

■気になった点
まず個人的に驚いたのだけど、そもそもJARの活動に関して理解してない参加者が多かった。(それが悪いという意味ではない。今回は被災者支援なので、それで構わないのだろう。)

が、日本の難民問題を知らない参加者からは、難民と普通に友達のようになって、メアド交換して、今度飲もうみたいな話が聞こえてきてしまう。JARからは事前に、ボランティア期間中の難民との接し方について確認事項が提示されており、ボランティア活動以外で個人的関係につながる行為は、一応禁じているのにだ。(難民の方々は色々な問題を抱えている場合があるので、個人的に問題に関わってしまったりすると適切ではないと言われている。)

参加者は、難民に対する最低限の理解をしておく必要があると思うのだけど、JARの説明や配布資料は控えめで、どうも伝わってないのではないかな。

JARが、被災地支援活動にかこつけて難民支援を積極的に宣伝しようという意思がないのは、とても良い姿勢とは思うのだけど、結果として確認事項も参加者に忘れられてしまうなら、もう少し難民問題を主張してみても良いのかもしれない。(逆に、難民問題を知らない人こそ、普通に接することができるという見方もあるかもしれないが。)

次に、被災地での写真撮影について、かなり気を遣った。事前に、リーダーから厳重注意もあったが、ボランティアに来たのか写真撮影にきたのか分からないような、撮影ばかりしていた酷いボランティアの話が、一つの伝説のようになっているようだ。

しかし、写真撮影を一律に禁止するというのも行き過ぎな話であって、休憩時間に、節度を守った撮影は良いだろうという意見も出た。依頼者とうちとけて、別れ際に一緒に集合写真も撮ったりもしていたが、撮影の前に相手の許可を得るくらいの気遣いは必要とされていた。

このブログもそうだが、現地の今の様子を他人に伝えることは、無駄ではないと思っている。活動中は撮影せず、休憩時間や活動終了後、バスでの移動中等に写真を撮った。

なお、共にボランティアをする難民の顔写真の撮影、ブログ等への掲載は、難民問題の特殊性から、本人やJARから同意を得た以外は、確認事項として禁止されている。(自分も、このブログも含め、Twitterの情報発信についても、ボランティア参加申込みの段階で、JARに申請している。)

ま、あんまりこういうことを書くと、ボランティア面倒と思う人が出ると困るのだけど、まだまだ被災地は人手不足なんで、今からでも遅くないので、なかなか準備が大変だと思って躊躇している人は、JARのボランティアに参加することは、とてもおすすめする。

■蛇足
被災地にゴミを増やさないため、自分が出したゴミは、極力持ち帰った。帰りにバスが止まったサービスエリアのゴミ箱からは、大量にゴミが路上に溢れており、サービスエリア全体に異臭を漂わせていた。あれが、ボランティア帰りに捨てられたものでないことを祈る。

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このページは、ranpouが2011年6月22日 15:24に書いたブログ記事です。

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