Lessigが案じた未来がここにあった

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先月、「ファイル共有ソフトを悪用した著作権侵害対策協議会」なる団体が、活動を開始した。頭文字から、CCIFと呼ぶ。
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20090817_309042.html

Winnyのネットワークを監視し、ダウンロードされているファイルを調べ、それがアップロードされると著作権侵害となる可能性のある人物に対し、ISP経由で警告を始めているそうだ。現在まだ、著作権法は違法なアップロードのみ禁じ、私的使用目的でのダウンロードは違法でないので、違法なアップロードに加担させられる可能性を根拠に、ISP経由の警告にとどめているようだ。

しかし、来年1月1日から施行される改正著作権法では、違法なインターネット配信による音楽・映像を違法と知りながらダウンロードすることが、私的使用目的であっても権利侵害となる。いわゆる、ダウンロード違法化である。よって、来年からは警告などという迂遠な方法をとらずに、ダイレクトに訴えることが可能となる。CCIFのオブザーバには、警察庁がいる。改正著作権法をフル活用するための、準備万端といったところだろうか?

著作権法に追加される30条1項3号には、違法なダウンロード行為そのものに罰則規定がない。しかし、行為が違法となった以上、不法行為に基づく損害賠償請求や、不当利得返還請求が可能となるのであって、権利者団体には大きな価値がある。

ところで、FAQの記述が引っかかる。
http://www.ccif-j.jp/activity.html
-->
Q.私が何のファイルを持っているのかを調べることは、盗聴ではないのか。

A.調査では、Winnyのネットワーク上に流通している「キーファイル」(ファイルの要約情報)を収集し、ユーザーが保持するファイルの名称やIPアドレス、接続時刻などを検索・保存できる技術が利用されています。調査に使用されているツールは、Winnyネットワーク上を、通常に流通している情報を取得するだけで、ユーザー間の個別の通信を傍受するような機能はなく、通信の秘密を侵害しません。
<--

はて?
通信の秘密は、いつから、ユーザー間の個別の通信の傍受に限定されるようになったのだ?

通信の秘密の法的性格に関する通説は、表現の自由の保護とともに、私生活の自由ないしプライバシー保護をもその趣旨とする。だから、保障の範囲は通信の内容だけでなく、通信の存在自体に関する事柄も含む。誰が通信しているか、などもそうだ。

例えば、内容が公になっていても、送信者の身元を明かすことまで想定されていないのなら、そこに保護法益が存在するはずだ。言うまでも無く、憲法制定当時、今のネットワーク社会を想定していたはずもなく、条文を文言のみから現代に当てはめて良いわけがない。

「通信」に関する解釈は、「特定人から特定人にあてた意思の表示」=会話を含むという立場から、「遠隔地に存在する特定の発信者と特定または不特定受信者が、特定のチャネルを利用してなすコミュニケーション行為をいう」という立場まで、学説は様々存在する。以下のP6など。
http://www.jaipa.or.jp/info/2005/iw2005.pdf

そして、通信の秘密における侵害行為態様とは、送信者の意思に反した利用が含まれる。

ネットワーク上の、物理的な位置づけから、論理的にはCCIFが受信者だと言いたいのだろう。しかし法的には、送信者の想定していない受信者は、当事者ではないと言うべきで、その解釈は理系的な技術認識とは、別次元の議論だろう。送信者からすれば、CCIFのような団体に受信されるとは、知らないのだ。

ネットワーク上に流通していれば、誰がどんな通信をしているか把握するために、受信者を装って通信を取得することが構わないというなら、本末転倒である。それこそが、通信の秘密が想定している法益(表現の自由や、プライバシー)を侵すのだから、脱法的ではないか。

こんな解釈で構わないのなら、アマチュア無線など誰でも聞ける無線通信には、「通信の秘密」は存在しないことになってしまう。

「通信の秘密」とは、「秘密の通信」ではない。

憲法は、第三者が、受信者を装って、不特定多数の送信者の通信を一挙に解析できる時代が来ることなど、想定していなかっただけだ。そういう場合は、法の趣旨に立ち返って、時代に合わせて解釈するのが、憲法である。現代における通信の秘密の侵害に該当すると、法律構成は可能なはずだ。

そんな危惧をしていたら、こんなブログを見つけた。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20090830.html
このブログ主に、粘着的な気持ち悪さを感じる人は、少なくないはずだ。
これで、産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員だそうだ。

単純な話、この人と何かやり取りしたら、何の犯罪もしていなくても、コッソリと調べ上げられて、プライバシーを侵害される可能性があるってことだ。幸い自分は、P2Pに興味は無いし、ブログ主にIPアドレスを知られる関係(例えばメールをやり取りするとか)でもない。しかしそれでも、抽象的な恐怖を感じる。

普通、誰かの自宅のIPアドレスを知ったとしても、それ以上に行動を調べたりしない。Winnypだからできたとしても、相手が他人に知られたくないであろう私生活に関わる部分まで、まともな倫理観があれば調べたりしない。

現実世界で考えれば当然だが、誰かのリアルな住所を知っているからと、その家からの出入りに関する情報に、興味など持たない。そんなことを調べるのは、それを仕事にしている興信所や捜査機関などを除けば、ストーカーくらいなものだ。

仮に、当初は統計的な目的で、公道を走る車をカメラを多数設置してカウントしていたとして、そこに車のナンバーが写っていたとする。ある日、意見の合わない相手の車のナンバーを知ったからと、それを統計目的で所持していたデータに照らして、相手の私生活の行動パターンをグラフにして弱点を暴き、ネットで公開なんぞするか?

現実の世界では、そういう作業はとても手間と費用がかかるし、完全な情報収集は困難なので、個人じゃ限界がある。ところがインターネットでは、一定の技術を持つ者であれば、通常では考えられないような膨大なデータを収集し、フィルタリングし、特定個人の行動を監視できてしまったという現実が、ブログで示されたわけだ。CCIFのような団体ではなく、一個人でも、同じことが可能なのだ。

恐らく、ここで非難されている「ダウンロード違法化反対家」なる人物は、このブログを見て自分であることに気付いて、今頃恐怖に陥っているだろう。また、そこまで計算して、このブログが書かれているかもしれない。

もっと言えば、無関係の人物であっても、ダウンロード違法化に反対の意見表明をすると、ここで書かれているように児童ポルノをダウンロードしたいからだろうと思われる可能性が生じてしまった。

たった1人の行動をストーカー的に調査した結果のみから、著作権法に関する正当な議論が矮小化されてしまった。言論の自由に対する脅威だし、当該人物に至っては、脅迫されたようなものではないか?

もし、1人ではなく、実はもっと大量にサンプルがあって、ダウンロード違法化に反対する人々の大半が同様であるという証拠を持っているのだとしたら、こういうブログの書き方もアリかもしれない。しかしその時は、同時に、そのように大量のプライバシーを侵害する行為者の倫理観が、ずば抜けてオカシイことを公言するのと同じになるだろう。

というか、最初から、ダウンロード違法化に反対の、ある程度発言力のある特定人物を個人攻撃する目的がなければ、Winnyノード観測システムの接続ログとIPを突き合わせたりしないだろ。

さも偶然、ダウンロード違法化反対家が児童ポルノをダウンロードしていたことを発見したかの書きっぷりで、公共性のある情報を発信しているかの装いだが、当人の行動自体が常軌を逸している。


そもそもブログ主は、「Winnyネットワーク観測システム」なるもので、何故監視しているのか。当初は、純粋にWinnyがネットワークにもたらす弊害に対する、技術的興味だったようではある。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20060716.html

しかし、3年も情報を蓄積し続けた結果、「データから利用者ひとりひとりがどんな行動をしているか、直感的に読み取れるよう視覚化」してしまう。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20090816.html

注釈で、「通信の秘密」について言及している部分はこうだ。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20090816.html#f01
-->
こうした調査は(プライバシーに関わるものにはなり得ても)通信の秘密に抵触するものではないと認識している。ISPなどの通信インフラ上で調査しているわけではなく、通信の当事者である私のコンピュータで行っているものであり、(ユーザ単位のアクセス制限があるわけではない)ファイル共有ソフトは不特定多数に向けた公開サービスであって、Webのクローラが(無断リンク禁止の隠しページも含めて)全てのページを拾っていくのと同列だからである。
<--

自らは通信の一方当事者であり、当該通信も秘密でない、と言いたいのだろう。
自らの正当化理由も、この日付も、そして攻撃対象までが、CCIFと足並みがそろいすぎているのは、偶然の一致なのか?


ついでに、比較に出している事例から推測してみる。ブログ主は、無断リンク禁止の隠しページは、クローラに拾われても良いと考えているようだ。鍵がかかっていない家は、出入り自由とでも言いたいのだろうか?
鍵のかけ方に詳しそうな、このブログ主には、常識なのかもしれない。しかし、隠したいけれど隠れてないというケースは、単にコンピュータやネットワークに関する知識の存否によって生じ得る。知識の無い人間の秘密は、法的保護に値しないのだろうか。アメリカでこんな事件があったのを思い出した(苦笑)
http://wiredvision.jp/news/200806/2008061621.html

こういった例の示し方から、技術的に保護された通信のみが、通信の秘密の対象だと思っているのではないかと、勘ぐってしまう。


まあ、とにもかくにも問題は、自らと対立する言論を攻撃する道具に、使っている点だろう。CCIFの言い分が正しいと、特定個人の行動を調べ上げるような、この様な監視行為も、誰もが許されることになる。IPアドレスは、「偶然知った」と言えば、許されるようだ(苦笑)

できることと、やってはいけないことという線引きは、既に失われている。

問題は、著作権保護の要請の範囲を、遥かに超えていると言えよう。


ところで、もしも同じ行為を、捜査機関が行うとしたらどうだろう?
つまり、何の嫌疑も無い状態から、個人のIPアドレスを手掛かりに、その人物の通信に関わるプライバシーをどこまで侵害できるかだ。

CCIFや、上記ブログ主が言うように、これが通信の秘密の侵害に該当しないとなると、捜査機関が同じ手段を用いることも障害がなくなり、何も嫌疑のない国民であっても、Winnyなど利用していれば日常的に監視が可能となってしまう。令状無しにだ。そんな未来が、来年1月1日から始まるのか?
あ、もうとっくに監視されてるのかな(^^;;;


かつてレッシグが「CODE」で案じた、規制を必要とするインターネットの未来そのものに出会った、と感じた。あの本の後半には、確かこんな趣旨のことが書かれていた。
-->
インターネットは、放っておけば、どんどん規制しやすくなる。それは、過去の仕組みの不完全さがもたらした欠陥の穴を塞ぐのだが、その不完全さとは、実は憲法が保証する欠陥、自由でもある。
だから、ネットの匿名性に価値があるなら、不完全な認証を組み込むべきだし、情報のフィルタリングも不完全となるように、政府の規制によって実現しなければならない。

技術が進めば、不完全なシステムは、どんどん完全に近づく。
不完全(=自由)の価値を守るのが、憲法や法律であって、政府の役目だ。
政府の規制を弱めたからと、自由が実現されるというのは妄想だ。
自由を守るには、適切な政府の規制が要る。

不完全なシステムこそ、多様な価値観を生む。不快な現実が、規制によって全く目にすることがない世界では、何が不快か知ることもないし、現実から目を背けるだけだ。人は、好きなものだけを見ていては、成長しないのだ。

民主主義の根本は、知る権利と、表現の自由だ。フィルタリングは、これを奪う。
<--

政府ではなく、コードを書く個人によって、インターネットの自由が失われるなんて、昔はなかなか想像できなかったんだけどなぁ...

改訂版のVERSION 2.0は、まだ読んでないが、今こそ買うべきかもしれない。

-->追記
偶然、先日の衆議院選挙で落選してしまった元議員のブログの、2006年時点の興味深い記述を見つけた。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/fcacf197b9bd5659faaf21124aa6ef9e
この人の心配した通りの社会になってますね。結局、著作物の権利者団体という、ごく一部の人々の経済的利益を保護するために、多くの国民のプライバシーが危険にさらされることが正当化されるという、不思議な国ですね。この時点ではまだ、「容疑が浮上した段階でプロバイダーに「サーバーの保全要請」をかける」とか書かれてますが、最早そんな必要もなく、日常的に監視できるようになってしまうなんて、この人も驚きでしょう。残念な人が落選したものです。
<--

-->追記2
間違ってた綴りを修正(苦笑)
ちなみに私は、上にも書いてますが、P2Pとか全然興味無いので、もちろんWinnyとか使ったことありません。なので、Winnyで実際に権利侵害してる人を、擁護する気は全く無いです。プロフにも書いてますが、10年以上、著作物の制作現場で働いていた側です。DVDを年に100枚買ったりするくらい、著作物に金を払うことが大好きです(自爆)
しかし、それとこれは、全然別の話。
<--

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このページは、ranpouが2009年9月14日 14:49に書いたブログ記事です。

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