著作権に関する事例を、法と経済学の観点から批判的に検討

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ちょっと古いけれど、去年、法と経済学の授業で提出したレポートが出てきた。まあ、授業のレポートなので、用語の誤用や、授業内容そのものに触れる内容でもあって、あまりブログに掲載するようなものではないかもしれない。でも、ちょっと公の目にさらしておきたい内容でもある。ちなみに、成績はAだったw

偶然ここを訪れた人は、もちろん、以下の内容を鵜呑みにせず、批判的に検討する材料にしてもらえればうれしい。

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1 近年、デジタル及びインターネット等の技術の発展に伴い、音楽の著作物、映画の著作物等の著作権侵害が増加したとされている。同時に、権利を 侵害されたとする著作権者は、訴訟提起に限らず、積極的なロビー活動による立法への働きかけによって、厳罰化や、保護期間の延長、更には権利侵害を前提に した私的録音録画補償金制度などの導入に成功した。更に最近は、技術による著作権保護システムとして、DRM、B-CAS、ダビング10等が、ハードウェ アにアーキテクチャとして埋め込まれるようになった。
 著作権保護システムは、従来は困難とされた遠隔地での個人認証や、個別のコンテンツ管理といったが手法を、技術の発展によって、安価に著作権 者に提供することになり、インターネットを通じての音楽の著作物の販売(利用権の許諾も含む)等の機会を増加させ、取引費用の大幅な低下を実現した。法 は、著作物に限らず、あらゆる商品のインターネットを通じた取引の増加を重視し、消費者保護のための各種立法を通じ、情報の非対称性に関連する私的交渉の 障害を取り除いた。これは正に、規範的なコースの定理に従っていると言えよう。
 技術による保護も、法律による保護も、そのためのコストは無償ではないが、技術による保護は安価であるのに対し、法律による保護は高くつく可 能性がある。著作権侵害した者を捕まえるよりも、著作権侵害できないシステムを広める方が、安価であろう。そして、この二種類の方法を、追加の単位保護あ たりの限界費用が限界便益と等しくなるような割合で混合することが、最も効率的となるだろう。すると、技術による安価な保護の割合が高くなるのであって、 つまりは商業的な要求に基づく民間独自の技術を活用すべきという結論になる。

2 ところが、当の著作権者は、複製権侵害を防ぐためのダビング10等の技術による著作権侵害防止には、反対している。ダビング10の運用開始が 遅れたのも、これら権利者団体が非協力的だったからで、決して技術的な問題があったわけではない。経済学的にも、法学的にも、著作権を保護することは、創 作活動へのインセンティブとなると考えられていたはずである。では何故、このような乖離が生じるのであろうか。以下、状況は少々異なるが、本件の参考とな る事例を取り上げる。

3 本講義において、独禁法に関連して、マイクロソフトによるNetscape排除のための、Internet ExplorerのOSとの抱き合わせ販売の事例が取り上げられていた。マイクロソフトは、アメリカだけでなく、ヨーロッパにおいても訴えられ、一時は追 い込まれたかに見えた。こういったマイクロソフトの苦境から学び、独禁法に引っかからない方法で市場支配に成功した、とあるソフトウェアメーカーがある。 ここでは、仮にA社としておく。
 A社は、コンピュータグラフィックス分野での、特殊映像や、画像加工の技術に特化した、プロフェッショナル向けのソフトウェアを数種類販売し ていた。映像、画像制作を生業とする商用ユーザーの中で、アップル社のMacintoshを使用しているユーザーの間では評価が高く、同分野のシェアを独 占していた。ところが、Windowsの流行により、MacintoshのPC市場全体でのシェアが低下した。A社も、Windows版の同ソフトウェア を販売していたが、Windows市場にはA社のソフトウェアと競合する、より安いソフトウェアが多数存在し、Macintosh市場のような競争相手の 少ない独占的な市場を前提とした高額な価格設定のままでは、Windows市場でシェアを得ることは難しかった。
 そこでA社は、Windows版のソフトウェアには、Macintosh版では搭載していた、不正使用を防止する技術を一部除外した。更に、 最も高額なソフトウェアで、不正使用を禁じるために用いていたハードウェアキー1を、代替する不正使用防止策を一切講じずに、ソフトウェアのバージョン アップの段階で廃止した。これらによって、A社のソフトウェアは、不正コピーによる使用を防ぐ機能がなくなり、不正使用が横行した。
 本来高額な製品が、不正使用し放題となったため、正規価格には支払い意欲額が全く達しないユーザーまで、圧倒的なシェアを獲得した。結果、A 社と競合していた、より安価なソフトウェアメーカーは、市場から姿を消した。この間、A社はあくまで、著作権侵害の被害者として振舞った。市場の独占に よって、映像、画像制作の業界は、A社のソフトウェアを使った業務スタイルが定着し、A社のソフトウェアでなければ業務遂行が不可能なユーザーばかりとな り、完全にA社に依存するようになった。その後A社は、新規バージョンから新たな不正使用防止策を講じた。
 当初は不正使用ユーザーだった者も、既に他社の選択肢がないため、A社のソフトウェアでなければ業務遂行が不可能であり、当該業界で業務を受 注するには最新バージョンでのデータ納品が必要であり、新規バージョンから正規ユーザーとならざるを得なくなった。A社は、高額な価格設定を維持したま ま、市場の独占に成功し、かつ、正規ユーザーを大量に獲得した。
 この事例は、実質的にはダンピングと類似である。しかし、A社は自らが被害者となるので、絶対に独禁法には抵触しない。もちろん、不正使用をしたユーザーは、非難されるべき存在ではある。しかし、不正使用を拡大することは、A社の方針であった。

4 A社の振る舞いによって、他社が排除され、独占を許したのは、市場の失敗と言えるはずであるが、現行法でA社を非難することはできない。コー スの定理によっても、政府の新たな介入が必要とされるケースであろう。本講義では、ソフトウェアについて、同時に複数人が利用できるが、料金を支払った者 だけが使えるように排除できるとして、非競合性と排除性のある人為的希少財として取り上げられた。しかし同時に、ソフトウェアの違法コピーに関連して、ア イデアの伝達を排除することは非常に高い費用がかかるとして、非競合性と非排除性があるとして、公共財的な側面もあるとされた。この排除性の有無が、著作 権者のさじ加減に任せられていることに、大きな問題がある。
 著作権は、著作物の創作者に対して、創作の見返りに与えるものだ。一定の時間がたてば、権利は失われ、公共が自由に利用できるようになる。こ れは、知的財産保護の核心にある、共産主義的側面であると言われることもある。通常の有体物の財産なら、法は生産するインセンティブと、所有権保護を提供 しなければならない。しかし、知的財産の場合は、法は生産するインセンティブさえ生み出せば良い。後は社会全体の利益を優先する。アメリカでは、フェア ユースとファーストセール(消尽)にその思想が色濃く認められるが、現在フェアユースを認めていない日本でも、同様の方向での著作権法改正の議論が進んで いる。創作者に生産物の利用についてコントロールを認めるけれど、完全には認めない。公共にある程度のアクセスを認めるけれど、完全なアクセスは認めな い。このバランスは、自然に生まれるものではないので、社会全体の功利を意識しながら、国家が法律で定めなければならない。2

5 著作権法は、もちろんバランスを考慮して規定されていた。しかし、A社のような振る舞いが可能となることは、想定されていない。何故ならかつ ては、著作権を保護するのは圧倒的に国家・法律の役目であり、著作権者自らが自衛することなど、不可能に近かったからである。ところがA社は、自らの著作 物を、自らの技術で、著作権侵害の発生をコントロールすることが可能となった。極端な話、仮に著作権法が存在せず、国家による権利保護が一切与えられてい ない世界であっても、ソフトウェアに自衛のためのコードを埋め込むことで、自らの意思で著作物をコントロールできる。これは、冒頭に記した、技術の発展に よってもたらされた著作権保護システムの登場と同じ話である。著作権者は、国家の保護に預からずとも、自ら強力に、安価に、著作物をコントロール可能な技 術を手に入れたのである。これが、著作権法の想定していたバランスを崩し、独占を可能とした。従来は、コントロールを徹底するには高いコストが生ずるた め、不完全なコントロールは、著作権者側からの効率性の観点からも支持されていた。この、前提条件が覆ったのである。

6 ここで、ダビング10に反対した、権利者団体の話に戻ってみる。現在、デジタル技術の発達によって、容易なデジタルコピーが横行し、彼らの権 利は常に侵害される側であるという前提で、私的録音録画補償金制度が存在する。音楽や映画の著作権者は、自らの著作物の被害を立証せずとも、著作権侵害を 全くしていないデジタル機器・記録メディアの購入者から、損害賠償目的の補償金を得ている。もしも、私的録音録画補償金制度が存在しなければ、真の著作権 侵害者を探索する費用だけでも高額になる。高額な取引費用は、交渉を困難とする。これはつまり、コースの定理に従い、法的な権利を単純明確化して、私的交 渉の障害を取り除いたのが、私的録音録画補償金制度であるとも言える。権利者団体は、補償金制度の拡充を望んでいる。
 この制度が特殊なのは、単に法的な権利を定めただけでなく、検索、交渉を要せずに執行まで自動化している点にある。これに対し、デジタル機 器・記録メディアの購入者が、著作権侵害を否定し、勝手に徴収された補償金の返還を求めることも可能であるが、こちらは逆に、返還される補償金よりも、取 引費用が高くなる仕組みであり、実質は返還を諦めるしかないのが現状である。よって、権利者団体は、実質的には不当利得を返還せずとも良い仕組みとなって いる。能動的に何の取引もせずに、権利者は利得を得られる。

7 ダビング10は、著作権侵害を生じさせないための技術である。著作権侵害が防がれると、私的録音録画補償金制度の前提が崩れるので、この技術 を開発したメーカー業界団体は、補償金の廃止を求めている。そうすれば、デジタル機器や記録メディアに上乗せしていた補償金の分だけ、価格を抑えられる。 現在、デジタル機器や記録メディアの販売には、税の効果によって生じる死荷重と同じ効果が、私的録音録画補償金によって生じているのである。しかし、これ が廃止されては、取引費用をかけずに補償金を得られていた権利者団体は、単純に利得を失う。
 本来、補償金制度が正当化される論理は、権利者の逸失利益の存在を前提としている。よって、権利侵害が防がれれば、利益は逸失せず、正当な対 価を支払う消費者が増加するのであるから、権利者団体がこれに反対する理由はない。しかし実際は、権利者の設定する価格は、大半の消費者の支払い意欲額を 超えており、権利侵害が防がれたからといって、それまで権利侵害していた消費者との間に取引が成立する可能性は、極めて低い。
 例えば、DVDのセル市場は、作品に対価を支払って購入する消費者層は、非常に偏った需要曲線を描く。1割弱のヘビーユーザーによる支出が市 場全体の7~8割を支えており3、この層が、映画の著作物を大量に、頻繁に、繰り返し購入していることが判明している。この1割弱は、支払い意欲額が高額 なので、権利者はこの消費者層のみをターゲットに絞り、価格設定をすることが効率的と言える。ある程度価格設定を下げても、それが大半の消費者の低額な支 払い意欲額に達しなければ、1割弱のヘビーユーザーの消費者余剰ばかりが拡大してしまう。権利者は、大半の消費者の支払い意欲額まで価格を下げることは、 限界収入をマイナスにする危険があると、予測しているのかもしれない。

8 そもそも、無料放送のTV番組は、放送によって非競合性と非排除性が生じるので、公共財と言える。ダビング10は、ここから非排除性を制限 し、排除性を与え、人為的希少財とするための技術的アーキテクチャである。権利者団体は、自らの著作物が、自動的に人為的希少財とされてしまうことを望ま ない。A社の事例と同様、権利者は、自らが被害者の立場に自由に立てることに、価値があると考えている。これは、著作権侵害が、親告罪であるそもそもの理 由と同じである。権利侵害が、権利者の利益につながる場合は多々あるのであって、利益につながる権利侵害かどうかは、個別に権利者が判断したいのだ。
 最近の事例とすれば、インターネットの動画共有サイトに不法にアップロードされるMAD作品4による権利侵害は、一律に禁じる権利者ばかりで はない。自社の著作物の利益となるMAD作品は、自社の定めたルールで公式に存在を許可する、角川デジックスのような権利者も存在する。権利者自らが、権 利侵害が新たな利益を生む場合があることを理解しているのである。

9 ここで、現代の技術水準に基づいた、著作権保護のための法律と技術のバランスを検討する。国家によらず、権利者自らで著作権侵害をコントロー ル可能となることは、著作権法の想定を超えていたため、A社のような独占を防げなかった。私的録音録画補償金制度は、著作権者は著作権侵害をコントロール できないという、過去の技術水準を前提とした著作権法によって、定められている。A社は、作為的に著作権侵害を発生させたが、ダビング10に反対して私的 録音録画補償金制度の拡充を目指す権利者団体は、不作為によって著作権侵害を発生させようとしている。前者はその後、作為的に著作権侵害を防止して利益を 拡大したが、後者は、不作為によって、引き続き権利侵害していない者からも不当利得を得ようとしている。どちらがより信義則に反する行為か、にわかに判別 し難いが、どちらも、権利濫用という点で一致しているのではないだろうか。安価な技術によって、容易に権利者自ら著作権侵害をコントロールできるように なった今、国家は、かつての弱い権利者の保護ではなく、強い権利者からの公益保護の観点から、新たな立法をすべき時代に到達している。冒頭で示した、「追 加の単位保護あたりの限界費用が限界便益と等しくなるような割合で混合することが、最も効率的」というのも、保護すべき便益の対象が、権利者から公益にシ フトしつつあるのではないか。

10 不完全なコントロールを前提とした私的録論録画補償金制度という法律による保護と、完全なコントロールを目的とするダビング10という技術 による保護とでは、権利者は後者によって利得を失うのに対し、消費者は前者で損失を被り、後者で便益を失う。消費者の損失と便益を数値的に比較することは 難しいが、失う便益の方が大きいという権利者の言い分(言い訳)は、間違っていないように感じる。しかし、だからと言って、私的録音録画補償金制度が正当 化されるとは言えない。
 安価な技術で、権利侵害をコントロール可能となったということは、取引費用が低下したことに他ならない。コースの定理に従えば、法的な権利分配に関わらず、効率性が実現する。つまり、私的録音録画補償金制度そのものも、無用なのだ。
 必要なのは、冒頭に記した、情報の非対称性による私的交渉の障害を取り除くための消費者保護と類似の観点からの立法であり、権利者の権利制限の 立法であろう。フェアユースの導入、拡大もその一つである。しかし、もっと具体的に、権利侵害防止が可能であるのに権利侵害を誘発して市場支配を目指すよ うな手法そのものも、独禁法の観点からも制限されるべきだろう。民間が独自に、完全なコントロールを可能とする技術は、ある程度、法律によって制限されな ければならない。完全なコントロール技術を取引の一方当事者の自由に任せていては、市場は失敗するだろう。自由と公平は、時に背反するが、そのどちらを維 持するのも、国家の役割である。
 つまり、現代に合った著作権保護のための法律と技術のバランスとは、民間の突出した技術を、公共性の観点から法律で制限するという関係の実現であり、公共性とは何かという、非常に判断の難しい利益配分の決定を、立法が求められていると言えよう。

                                          以上

注釈について:
1 ソフトウェアを起動する際、PCに、ドングルと呼ばれるハードウェアを接続していないと、起動できなくする仕組みで、物理的に不正コピーを排除する。
2 ローレンス・レッシング、『CODE インターネットの合法・違法・プライバシー』、翔泳社
3 社団法人 日本映像ソフト協会、『DVD ユーザー調査 2007』サマリー
4 既存の音声・ゲーム画像・動画・アニメーションなどを個人が編集・合成し、再構成したもの。

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このページは、ranpouが2009年1月29日 22:26に書いたブログ記事です。

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