2009年3月アーカイブ

その1
その2
その4

西崎原告が、バンダイ、バンダイビジュアル、東北新社らを訴えたPSソフト裁判一審(東京地判平成13年7月2日)において、西崎氏の請求は以下であった。
--
1 被告らは,別紙物件目録1及び2記載の各ゲームソフトを複製,譲渡又は貸与してはならない。
2 被告らは,原告に対し,連帯して金1億円及び内金3000万円に対する平成11年9月15日から,内金7000万円に対する平成12年5月23日から各支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
--
http://tyosaku.hanrei.jp/hanrei/cr/3276.html
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/trials.html#2

主な争点は3つ。
1:宇宙戦艦ヤマトの著作者は誰か
2:著作権譲渡契約に、翻案権譲渡と、著作者人格権に基づく請求の放棄が含まれたか
3:著作者人格権侵害に基づく請求をすることは、信義則違反か

このうち、著作者については、3つの訴訟を通して全てで争われている共通の争点だが、PSソフト裁判での裁判所の判断は以下。
「原告は,アニメ作品の制作等を業としていたが,昭和49年から58年に掛けて,テレビないし劇場用映画である本件各著作物を制作,著作した(なお,本訴において,被告らは,本件各著作物の制作過程について,反証を全く行っていないが,このような弁論の全趣旨に照らして,上記のように認定した。)。」

西崎氏の著作者人格権を否定したい東北新社らは、この点にろくな反証をしなかった。著作権譲渡契約時の添付書類の記述と、作品中のクレジット表記のみから、ウエストケープとオフィスアカデミーが著作者だ、としか反証しなかったのだ。著作者を本気で争うのなら、裁判所の言うように、制作過程に関する西崎氏の主張を潰す必要があったはずだ。「書いてあったから著作者だ」などという反証は、とても本気の反証ではない。

後のパチンコ裁判では、裁判所こそがそのような理由を使う。しかしこの時点では、この裁判と平行して係属していた、「その2」で取り上げた著作者裁判を無視できない。タイムラインにまとめてみた。


PSソフト裁判と著作者裁判は、僅か1ヶ月程の時間差で始まり、共に、同じ著作物の著作者人格権侵害が争われていたのだ。

両方の当事者であった西崎氏の代理人弁護士は、どちらも共通の面子の6名だし、PSソフト裁判のバンダイビジュアルの代理人弁護士は、著作者裁判の松本氏の復代理人弁護士を務めている。しかも、同じ東京地裁民事第29部であり、裁判官は3名中の2名が重複し、その一人は両訴訟に裁判長裁判官として関わった飯村敏明氏だった。

これだけ重複していながら、同じ争点を含む訴訟を別々に争い、別々に和解し、他方の和解内容に一方の当事者が苦言を呈するような状況とは、一体なんだ?

二当事者間で係属している訴訟に、第三者が新たに共同訴訟人として参加する、主観的追加的併合という方法がある。しかし、これは最判(昭和62年7月17日)が否定しているので、難しい。それでも、問題の早期解決を本当に望むのであれば、主観的追加的民訴法152条によって、弁論併合の申し出でを促し、裁判は一つにされても良かった。裁判官は、訴訟経済を無視した当事者らの茶番を、どう思っていたのだろうか。

「反証を全く行なっていない」などと括弧書きしたのも、皮肉かもしれない。何しろ、仮に東北新社らの反証が認められてしまえば、間違いなく2つの裁判は矛盾してしまう状況だったのだ。併合もせずに別々に争いながら、手抜きな反証を見せられたら、裁判官だって「何やってんの、あんたら?」と言いたいところだろう。

もしもPSソフト裁判で東北新社らの反証が認められ、ウエストケープ及びオフィスアカデミーが著作者となり、著作者裁判では西崎氏が著作者と認められていたなら、民事訴訟法的には全く問題なく、矛盾した事実認定に基づいた判決が、同じ裁判官から出るところであった。松本氏が著作者と認められていた場合も同様であることは、後述する。

せっかく矛盾しない判決がなされたが、共に控訴審段階で和解に至り、飯村裁判官の苦労?も無に帰するのだが、その結果が後のパチンコ裁判で影響することなど、因果応報である。


ここで、東北新社の真意を想像するのに、西崎氏が著作者人格権侵害を訴える元になった著作物の、PSソフトの表記を確認してみよう。
>(C)松本零士/東北新社・バイダイビジュアル
何故か松本氏の名前が...

もしもこれが、
>(C)東北新社・バイダイビジュアル
であったなら、西崎氏の気持ちも違っただろう。

当時の東北新社は、松本氏を著作者の一人と真に信じていた可能性もあるようだ。以下は、本エントリー「その1」にいただいたコメントから訪問した、「9の部屋」さんのサイトだ。
http://www.newyamato.com/main3.htm
http://www.newyamato.com/main3_tfcem.htm

(C)表記自体は、無方式主義のベルヌ条約加盟国である日本では、そもそも法的な意味はない。そんなことを書かずとも著作権は保護されるのであって、(C)表記をするのは、それに意味があるという誤解に基づく単なる慣行である場合が多い。(万国著作権条約のみに加盟する無方式主義の国(かつてのアメリカ)で著作物を保護する場合には、意味がある。)

別に、松本氏が著作者であろうと、映画製作に参加している以上著作権は映画製作者に帰属している。誰であろうと、著作者人格権侵害などと騒がないでくれれば良い。しかし、松本氏のみが著作者で、西崎氏もウエストケープもオフィスアカデミーも著作者でないとなると、西崎氏との著作権譲渡契約の記載に反してしまい、よろしくない。東北新社としては、ウエストケープとオフィスアカデミーという法人も著作者であって欲しいが、その為には、西崎氏が著作者的に関わり、それが職務著作として法人に帰属している必要がある。ところが松本氏は、"自身のみ"が著作者だと言い出してしまった。

この矛盾が、主観的追加的弁論併合をされなかった理由の一つではないだろうか。収拾がつかない。収拾をつけるということは、松本氏と完全に敵対することを意味するが、まだこの段階ではその気もない。東北新社としては

著作者:ウエストケープ及びオフィスアカデミー(+松本氏)
著作権:西崎氏から、東北新社へ譲渡

としたいが、PSソフト裁判と著作者裁判からは、どう頑張っても合一的にこの結論は導けない。

東北新社がそんな状況に置かれたのは、遡れば、西崎氏から東北新社への著作権譲渡契約の記載が不適切だったからに他ならない。(西崎氏が著作権者でありながら、法人が著作者であるという記述があり、その関係が生じるには、法人から著作権が西崎氏個人に譲渡されたこと以外にない。しかし、著作権を法人が個人に譲渡することなど、何か特段の事情でもなければあり得ない話だ。にも関わらず、その西崎氏個人から著作権譲渡を受けたことで、後のパチンコ裁判一審での敗訴につながる。)

さて、前置きが長くなったが、PSソフト裁判の和解を見てみよう。
●和解2:平成16年5月28日 PSソフト裁判 訴訟上の和解
http://web.archive.org/web/20070515052223/http://www.enagio.com/release/old.html#040712
--
「宇宙戦艦ヤマト・復活篇」発進 2004.7.12
かねてより、「宇宙戦艦ヤマト」のゲームに関する著作者人格権問題で、係争状態にりました西崎義展(本名:弘文)(株)東北新社、(株)バンダイ、バンダイビジュアル(株)の三社は、5月28日、 東京高等裁判所民事法廷において西崎義展の控訴取り下げによる和解が成立しました。
この和解調書の中で、西崎義展が「宇宙戦艦ヤマト」の著作者である旨を公表しても反意を唱えない事が確認され、三社は了承しました。
 
これにより、西崎義展が新作の制作を 全面的に委託している(株)エナジオは、劇場用アニメ「新宇宙戦艦ヤマト 復活篇」(仮題)の 制作について、「宇宙戦艦ヤマト」の著作権者である(株)東北新社と協議に入りました。
--

この和解については、上記の西崎氏側の発表しか情報源がない。東北新社側は、和解について何も発表しなかったようだ。これを、裁判外の和解だと評しているブログを散見するが、その根拠は不明だ。

・法廷で
・控訴取り下げ
・和解調書が存在

ただ、これは矛盾も感じる。控訴した西崎氏が控訴を取り下げたなら、単に一審確定で西崎氏敗訴なので、和解ではないように思える。しかし、法廷で和解が成立し、和解調書が作成されている以上、訴訟上の和解であることは間違いない。実務は、和解を広く認めているであろうから、控訴取下げを条件とした訴訟上の和解というのも可能であるかもしれない。しかし、論理的に民訴法に反しない解釈としては、訴えの取り下げを控訴取り下げと混同して発表したのかもしれない。

和解条件として判明しているのは、「西崎義展が「宇宙戦艦ヤマト」の著作者である旨を公表しても反意を唱えない」ことのみで、「新宇宙戦艦ヤマト 復活篇」に関する東北新社との何らかの約束を得たであろうことは推測するしかない。そのためには、前後の動きが重要だろう。

「その2」に書いた通り、著作者裁判での西崎氏と松本氏の「和解1」の内容は、東北新社にとって想定外であったことが伺える。そして、PSソフト裁判一審では完全に苦境に陥っていたはずの西崎氏の立場が、著作者裁判の「和解1」で蘇った。松本氏側は、「和解1」に則り、宇宙戦艦ヤマトとは別物作品として、OVA「大ヤマト零号」のDVD発売を開始する。DVD第一巻の発売が3月31日、第二巻が5月10日と続き、5月28日にPSソフト裁判は和解(和解2)する。そして6月、三共ら松本氏側を相手取ったパチンコ裁判を、東北新社は提起したのだ。

東北新社は、和解1の前は松本氏に宇宙戦艦ヤマトの続編を作らせようとしてきた。しかし、和解1の後は、完全にコントロールの利かななくなった松本氏を、間接的に牽制する必要性を感じ始めた。ベンチャーソフトなどと組んで「大ヤマト零号」なぞ作ってしまう松本氏よりも、どうせ獄中でろくな活動ができない西崎氏に、著作者だと公表するくらい許してやる方が、遥かにマシだ。しかも西崎氏は、正当なヤマトの続編しか作る気が無い。元々、著作者人格権侵害などと言ってこなければ、西崎氏と争うべき理由などなかったはずだ...

そして、7月12日のエナジオのニュースリリース後の動きは以下だ。
7月20日:2006年の復活編公開が、新聞メディア等で取り上げられる。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072003.html
http://web.archive.org/web/20040720055515/http://www.asahi.com/culture/update/0720/003.html
7月24日:蚊帳の外におかれることが正しいのに、松本氏にコメントを求めた、事情を知らない間抜けな記事が出る。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072406.html
7月26日:松本氏が復活編に無関係であることが正しい証拠ととして、1年前の「和解1」の全てをエナジオが公表。
http://web.archive.org/web/20070515052223/http://www.enagio.com/release/old.html#040726


西崎氏としても、和解に価値があった。PSソフト裁判一審判決からは、自分が復活編を製作できる勝算は低い。しかも、最初の覚醒剤事件の刑期は満了したが、その後の銃刀法違反事件の上告が棄却され、5年6ヶ月の実刑が確定してしまった。獄中からできることは限られるし、(C)表記から松本氏の名前が消えるなら、PSソフト裁判で著作者人格権侵害を争い続ける意義も減少した。東北新社は、復活編について協議してくれるというし、松本氏に許したことと、三共らの作ったパチンコ遊技機の実際は、かなりかけ離れ、和解1に反する内容にもなっているようだから、パチンコ裁判を提起するなら敵ではない。

おいおい、歌が、まんま、宇宙戦艦ヤマト言うとるやんけ!

後は、東北新社がパチンコ裁判で請求認容判決を得るのを待って、復活編を...のはずだったろうか。ところが2006年、東北新社は三共らに負けてしまったのだ...


その1
その3
その4

ヤマト関連訴訟という場合、重要なのは4つあり、更に著作権に関する物となると3つある。そして、その3つ全てが、一審の終局判決後、控訴審段階で和解が成立している。2つ1つは裁判外の和解、1つ2つは訴訟上の和解だ。
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/history.html
上記サイトで、PSソフト裁判、著作者裁判、パチンコ裁判と表現されているものだ。

訴訟提起の順番としては、PSソフト裁判、著作者裁判、パチンコ裁判なのだが、和解の順番としては、著作者裁判、PSソフト裁判、パチンコ裁判だったので、まずは著作者裁判の和解から取り上げる。

★和解1:平成15年7月29日 訴えの取下げによる裁判外の和解★
著作者人格権の所在、つまりは著作者は誰かを争った、松本原告v.s.西崎被告の一審判決(東京地判平成14年3月25日)は、西崎氏の完全勝利だった。「映画の著作物」たる一連の8作品(最初のTVシリーズから、劇場版の完結編まで)のモダンオーサーは西崎氏であることが、詳細な事実認定から明らかにされた。この裁判は、現著作権法16条(映画の著作物の著作者)の適用による事例判断をした初めての事案として、著作権法の世界では有名な事件だ。松本氏は控訴した。

ところが翌年、完全勝利だった西崎氏が譲歩する内容で、裁判外での和解が成立した。これによって、訴訟係属そのものが遡及的に消滅した。民事訴訟法292条(控訴の取下げ)が準用する262条(訴えの取下げの効果)によって、取り下げられた訴えは、最初から係属していなかったものとみなされる。一審判決は、ヤマトの実際の権利関係とは離れて、純粋に著作権法を学ぶための事例としてしか、意味を持たなくなったのだ。しかし、一審の終局判決の後に訴えを取り下げた者は、もう同じ訴えを提起できない。再審の禁止(民訴法262条2項)という効果のみが、当事者に残った。

なお、何をもって同じ訴えと見るかは、実は法的には厄介な問題ではある。訴訟物が同一であれば、原則として同一の訴えとみなされるが、後訴の提起時に訴えの提起を必要とする合理的事情が存在すれば、同一の訴えとはみなされない(最判昭和52年7月19日、百選(3版)99事件)。よって必ずしも、この問題が再審できないわけではない、とだけ付言しておく。

この和解内容については、一時期その全文が、西崎氏の息子が代表取締役を務めるエナジオのホームページで公表されていたが、現在は削除されてしまっているようだ。しかし、Internet Archiveには、残っていた。
当時のニュースリリースページ
和解書PDF
確認書PDF

ぼかされているのは、氏名・住所などの部分だろう。また、和解書における「別件映画」とは、過去の宇宙戦艦ヤマトの8作品(TVシリーズから、劇場版の完結編まで)のことであろう。

この和解には、西崎、松本両名以外に、株式会社ベンチャーソフトという会社が加わっているので、少し触れておく。この会社は、平成11年7月23日設立の株式会社レイジ・マツモト・アソシエイツが、同年12月14日に商号変更して生まれ、平成12年1月の松本氏の誕生パーティと共に設立発表されている。
http://homepage1.nifty.com/akk-yihitk/reishi.htm
http://yasai.2ch.net/venture/kako/987/987922146.html
(香ばしい...少し懐かしい部分も(苦笑))
翌平成13年、江守商事と共に、ヴィームを設立(平成16年11月解散)。
http://www.emori.co.jp/ir/enpri_report_46/03.html
そして、平成17年12月1日にはアニメーションソフトと商号変更し、翌18年6月19日解散した。

この解散の煽りを食らったのが、OVA「大YAMATO零号」だ。

その後、紆余曲折あって、やっとDVD-BOXが発売されたが、一般市場向けには、なんと昨年10月24日に発売されたばかりだ。時期的に、東北新社のパチンコ裁判の和解を前提にしていたことは間違いないだろう。
http://www.daiyamato-box.com/

つまり、和解書に出てくる「大銀河シリーズ 大ヤマト編」という松本氏側のヤマトは、結果的に「大YAMATO零号」となった。しかし、ベンチャーソフトが作ろうとしていたのは、本当は別のヤマトだった。
http://web.archive.org/web/20020206062040/http://www.venturesoft.co.jp/news/newsrelease/2002/y20020125-1.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88

何故、松本氏が小学館で連載していた「新宇宙戦艦ヤマト(グレートヤマト)」ではなく、「大YAMATO零号」になったのかは、和解書の第5項を読めば分かる。松本氏&ベンチャーソフトは、過去の宇宙戦艦ヤマトと無関係な作品しか、西崎氏に製作を許されなかったのだ。だから、過去のヤマトと無関係な新作として、「大YAMATO零号」を作った。

しかし、この和解の遥か前の平成11年1月25日、松本氏は東北新社との間で、「宇宙戦艦ヤマト等に関する合意書」を交わしていることが、パチンコ裁判の中で判明している。
合意書の4条には、以下の記述がある。(甲=松本氏、乙=東北新社)
--
1項
「甲は,乙の対象作品に関する上記の権利の行使が円滑に行われるように,全面的に協力する。」
2項
「乙は,甲がヤマト作品に関連する新作の企画を希望する場合,これに全面的に協力する。ただし,甲は,乙に対し事前に企画内容の詳細を通知し,説明する。」
--

つまり松本氏は、自らが正当な著作者であったかどうかなど関係なく、著作権者たる東北新社との間で、既に宇宙戦艦ヤマトの二次的著作物たる「新宇宙戦艦ヤマト」を作る際の、何らかの協力関係を築いていたのだ。この合意の4日前、平成11年1月21日に、西崎氏の覚醒剤事件の控訴が棄却されている。ベンチャーソフトは、正にその合意のできた年に設立された会社であり、レイジ・マツモト・アソシエイツは設立1ヵ月後に、松本氏と、「新宇宙戦艦ヤマト」の映像化等の契約を締結している。

西崎氏の有罪が確実となった時点で、著作権者たる東北新社は、松本氏と組む選択をしたのだろう。ダークなイメージの西崎氏ではなく、松本氏が著作者である方が、新作の宣伝には適している。つまり、西崎氏は、東北新社から切り捨てられたのではないか?

遡れば、平成9年12月に、西崎氏は最初の覚醒剤取締法違反で逮捕され、翌10年3月公開の劇場作品「銀河鉄道999エターナル・ファンタジー」に、最後にほんの少しだけ、宇宙戦艦ヤマトそのものが出ていた。(この映画は大外れだったが、デジハリ時代の知り合いが就職先でCGを担当していて、煙のパーティクル表現のレンダリングが重くて重くて大変だと聞かされていたが、案の定、煙というよりエクトプラズム?というような、酷い煙になっていた。)これは、松本氏の意向に沿った作品だが、東映アニメーションの劇場作品にヤマトを出すには、どう考えても、著作権者たる東北新社の許諾を得たはずだ。

つまり、西崎氏のイメージダウンと反比例する形で、イメージの良い松本氏がヤマトの新作を作ることを、著作権者たる東北新社はバックアップしてきた経緯が見て取れる。

にもかかわらず、和解によって、松本氏による宇宙戦艦ヤマトの続編製作の道が封印され、西崎氏による復活編の製作が、逆に合意されてしまったのだ。続編を作って欲しい相手がパチモンを作り、作って欲しくない相手が続編を作るという合意だ。とても著作権者として、納得できる結果ではない。

西崎氏からすれば、松本氏が著作者でないという一審判決が出たところで、実は大した意味がなかった。

http://web.archive.org/web/20020401221821/http://www.venturesoft.co.jp/news/newsrelease/2002/y20020329-1.htm

そんなことと無関係に、著作権者たる東北新社が松本氏に許諾を与えて、続編を作らせようという動きが存在する以上、松本氏が続編を製作できない判決が必要だった。しかし、そんな判決は出るはずがない。すると、一見西崎氏が譲歩したかに見える和解内容が、西崎氏にとっては、一審判決よりもベストな答えだったのだ。

この和解に対して東北新社は、プレスリリースで反論した。

http://web.archive.org/web/20031203222016/http://www.tfc.co.jp/news/030806.html
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/recon3.html#tfc
東北新社の複雑な心境が読み取れると言うと、深読みし過ぎだろうか?

字面では西崎・松本両者の作品を同等に否定しているのだが、それに伴う行動は起こしていない。
逆に、松本氏が「大銀河シリーズ 大ヤマト編」を製作することについて、「松本零士氏は、株式会社東北新社から新作製作についての全面的な協力合意を得ております」とのベンチャーソフトのプレスリリースがあるわけだ。
確かに、「大YAMATO零号」のDVDが、販売差止請求されたなどという話は聞いたことがない。

更に言うと、松本氏の漫画は、東北新社の著作物の二次的著作物だ。松本氏がその続編漫画を公表するなら、東北新社の許諾が必要だ。小学館のサイトからは、当時からずっと、「新宇宙戦艦ヤマト(グレートヤマト)」の一部が公衆送信され続けている。まさか、こっそり同人誌を作って、無許諾で公開しているわけではないだろう。
http://ginga999.shogakukan.co.jp/yamato/

東北新社は、松本氏に続編を作らせようと、長らく考えていたのだろう。

-----以下、蛇足的だが、和解書と確認書についてもう少し詳しく見たい人のために、著作権法を16、15、29条の順におさらいしておく。

--
16条:映画の著作物の著作者
映画の著作物の著作者は、その映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者を除き、制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。ただし、前条の規定の適用がある場合は、この限りでない。
--

映画の著作物とは、絵や音楽などの一般的な著作物とは、著作権法上の扱いが異なる。前者の著作者をモダンオーサー、後者の著作者をクラシカルオーサーと呼び、16条でその分担を明確にしている。映画のように、多人数が創作に関わる著作物では、それら全員を共同著作者としてしまっては、何をするにも全員の許諾を求める必要が生じ、実質上著作物の円滑な運用を阻害する。特に映画は、商業目的に製作される場合を念頭に置いており、権利関係の簡略化の要請が強い。そこで、「全体的形成に創作的に寄与した者」のみを、映画の著作物の著作者に限定した。映画の著作物の元となる、原作小説やら音楽やら、アニメなら原画やら、個々の著作物(複製ないし翻案される原著作物)の著作者(クラシカルオーサー)は、映画の著作物の著作者から除外されたのだ。
しかし、モダンオーサーから除外されても、クラシカルオーサーにとって映画の著作物は、自らの著作物の二次的著作物に該当するので、映画の著作者に認められる著作権(21~28条)と同等の権利を持ってしまう。よって、事前の契約によって、これを制限する特約を盛り込むことが、映画の著作物の円滑な利用には重要となる。

例えば、最初の「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズの次に、これを再編集した最初の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」が西崎氏によって公開された。この際、松本氏は劇場版に関わっていないのだが、その大ヒットを知り、公開から一週間後になって、西崎氏に対価の支払いを求めた。そして西崎氏は、これを争わずに1000万円支払った。
当事者達が意識していたかは知らないが、松本氏が、映画の著作物たるTVシリーズのクラシカルオーサーであったなら、その二次的著作物である劇場版に対して、この様な請求をすることが可能なわけだ。現在なら、この様な要求をクラシカルオーサーにさせないため、事前に権利行使を制限する特約を盛り込んだ契約書が交わされるだろう。

--
15条1項:職務上作成する著作物の著作者
法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
--

15条1項は、職務著作を規定している。「使用者の発意」「使用者の業務に従事する者」「職務上作成されたもの」「使用者の名義」「契約、勤務規則その他に別段の定め」という要件で、自然人でない法人を著作者とする。これは、単に著作権を法人が得るのと異なり、著作者人格権まで法人が得るので、実際に創作したはずの自然人には何も残らない。

16条でモダンオーサーとなるべき監督やプロデューサーも、所属する映画製作会社の仕事として関わった場合、15条1項で自動的に、著作者としての立場を法人に奪われる(という表現は語弊があるが)。

ところが、フリーランスの監督が、委託されて映画の著作物の製作に参加した場合、15条1項は使えない。そこで出てくるのが、29条1項だ。

--
29条1項:映画の著作物の著作権の帰属
映画の著作物(第十五条第一項、次項又は第三項の規定の適用を受けるものを除く。)の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。
--

映画製作に参加を約束すると、外部の監督でも、著作権だけは映画製作会社に奪われる。残るのは著作者としての著作者人格権のみだが、映画製作に参加する場合の契約書では、著作者人格権の不行使特約が盛り込まれるのが通常だ。つまり、ちゃんと契約書があれば、本来の著作者は何もできない。契約書がなくとも、映画の著作物の著作権は、全て映画製作会社に集まる。映画の著作物とは、これほど特殊な扱いを受ける著作物なのだ。


----では戻って、和解書の第4項と確認書を見てみよう。
和解書第4項は、西崎氏と松本氏の両名はモダンオーサーで、加えて松本氏は、クラシカルオーサーでもあるという内容だ。そして、確認書の第1項で、クラシカルオーサーの著作権行使を制限している。

8作品のうち、公開当時の表記としては、
1「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズ(昭和49年10月6日~50年3月30日)
2「宇宙戦艦ヤマト」劇場版(昭和52年8月6日)
3「さらば宇宙戦艦ヤマト」(昭和53年8月5日)
4「宇宙戦艦ヤマト2」TVシリーズ(昭和53年10月14日~54年4月7日)
5「宇宙戦艦ヤマト・新たなる旅立ち」(昭和54年7月31日)
6「ヤマトよ永遠に」(昭和55年8月2日)
→オフィス・アカデミー
7「宇宙戦艦ヤマトIII」(昭和55年10月11日~56年4月4日)
→東京動画
8「宇宙戦艦ヤマト・完結編35mm」(昭和58年3月19日)
 「宇宙戦艦ヤマト・完結編70mm」(昭和58年11月5日)
→ウエスト・ケープ・コーポレーション
が製作会社のようだが、後の訴訟で提出された東北新社への著作権譲渡契約時の資料では、6・7・8がウエスト・ケープ、1~5がオフィス・アカデミーの著作物を著作者とされていた。異なる理由は知らない。

問題は、西崎氏が映画製作者であったか、法人が映画製作者であったかで、職務著作の帰属が変わってしまう点だ。
オフィス・アカデミーにしても、ウエスト・ケープにしても、西崎氏自身の会社だ(ウエスト=西、ケープ=岬...つまり西崎氏の苗字)。個人と法人が一体的であることが、厄介な問題を生む。

実は、この和解の3ヶ月前に、角川映画著作権確認事件(東京地判平成15年4月23日)というのがあった。
いわゆる角川映画の製作者は、角川春樹氏ではなく、春樹事務所又は角川書店だとされた判決だ。角川春樹氏の主張では、契約書では春樹事務所が映画製作の当事者として記名捺印しているが、同事務所の法人格は形骸化しており、自身と同一であり、契約の主体は実質的に角川春樹個人であるというものだった。しかし裁判所は、法人こそが映画製作者だと判決した。詳細な理由は省くが、気になる人は調べてみると良い。

ヤマトの著作者が誰かという問題も、西崎氏とその個人会社の法人格の問題であり、上記判例は見過ごせないはずだ。しかし、和解書によれば、西崎氏個人がモダンオーサーとされており、映画製作者が自身であったというのが、西崎氏の認識であったことがうかがえる。西崎氏がモダンオーサーであったという前提に立つなら、著作権は当初、西崎氏個人に集中し、その後、法人に譲渡されたかどうかという問題になる。

松本氏は、業務委託を受けている立場なので、モダンオーサーにはなれるが、映画製作者が西崎氏だろうと、法人だろうと、どのみち29条1項で著作権は無いだろう。二人がモダンオーサーである以上、二人から著作者人格権は奪えない。しかし、権利行使を制限することはできる。そこで、西崎氏のみが著作者人格権を行使できるという内容で和解した。


東北新社は平成8年12月20日に、当該著作権を包括的に譲渡された立場だったが、西崎氏個人からなのか、オフィス・アカデミーやウエスト・ケープという法人からの譲渡だったのかが、パチンコ裁判では問題になった。しかし、問題になった原因の一端は、この和解書の記述の曖昧さから、西崎氏の認識にあったのではないかと思えなくもない。

もちろん東北新社のプレスリリースでは、「1996年12月20日に西崎氏本人(氏の関連会社も連帯)から譲渡を受け」という書き方でフォローしている。著作権者の可能性のある者全てが連帯して著作権譲渡した、ということを主張しているのだ。この契約内容も、以下に紹介されている。(素晴らしいですね)
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/contract199612.html

ちなみに、この10条はやはり重要に思えるのだが、パチンコ裁判において被告側から主張されたにも関わらず、裁判所の判断には至らなかった。

んーー、長いな...続く...か?

その2
その3
その4

東京国際アニメフェア2009にて、
http://www.tokyoanime.jp/ja/

東北新社によって、宇宙戦艦ヤマトの新作劇場版が、年内公開とアナウンスされた。

http://www.oricon.co.jp/news/confidence/64286/full/
http://animeanime.jp/news/archives/2009/03/post_704.html
http://www.gigazine.net/index.php?/news/comments/20090318_taf2009_yamato/

今年のアニメフェアには、うちの会社は出展していないので、間接的に報道されている事実しか知らないけれど、ヤマトファンの"大きなお友達"には、嬉しい知らせだろう。ところが、ヤマトの著作権を巡る長年の争いを一度でも調べたことがある者なら、決して安心できるような発表ではない。

何故なら、今回の発表された新作のストーリーは、1994年(バンダイビジュアルから発売の宣伝用VHS・LD、「宇宙戦艦ヤマト胎動編 ヤマトわが心の不滅の艦」)から西崎氏が何度も製作しようとしてきた、「復活編」と呼ばれる新作のソレそのものにしか見えないからだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88_%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%B7%A8

http://www.geocities.jp/space_battle_ship_yamato_200x/yamato.html

http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004072003.html

http://www.j-cast.com/2006/10/02003179.html

ニコニコには、当時公表された動画まで上がっている。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4171760


ところが、今回の東北新社の発表に関する報道に、西崎氏の名前が無い。しかし、松本氏の名前はある。

単に、報道に抜けているだけなら良いが、過去にこれだけ話題になってきた人物の名前があれば、記者が書き落とすとは思えない。東北新社のホームページを見ても、まだ新作に関するニュースリリースも無いので、これ以上のことが分からない...


さて、この不安を共有してもらう(自分だけ不安なのは悔しい)には、その問題認識の前提となる、事の経緯を知る必要があるだろう。しかし、はっきり言って、ヤマト関連の醜い争いを一から説明すると大変なことになるので、経緯を知らない方は、2006年末の時点までをまとめられているブログや
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/ClapHand/eid/411972/cid/25910/

以下のサイトをどうぞ。
http://members.at.infoseek.co.jp/just1bit/yamato/rights/history.html


問題は、東北新社が三共などに負けた一審判決:東京地裁平成18年12月27日

http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1274

http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1275

の後だ。なんと昨年末、この訴訟"も"控訴審途中で和解してしまったわけだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081215/trl0812152023017-n1.htm

http://www.tfc.co.jp/news/detail.php?reg_id=203


しかも、一審で負けた東北新社が、和解金2億5000万円を得るという大逆転の内容に、誰もが驚いたはずだ。



一審判決から後、和解までの間、最初の劇場公開から30周年を迎えたヤマト周辺の動きは活発だった(一審係属中と思われる、TVシリーズ開始から30周年の時と比べて)。

http://lalabitmarket.channel.or.jp/site/feature/yamato_helmet.html

http://lalabitmarket.channel.or.jp/site/feature/deslar_wine.html

DVD-BOXや、関連グッズの発売が続いた。

  平成19年8月     平成20年2月

東北新社の文字もある宣伝ページに、西崎氏のメッセージが写真付きで公開されているのに、松本氏が一切触れられていないのが印象的だった。
http://www.dot-anime.com/tb/yamato/

そして8月、西崎氏自身が、正に今回東北新社の発表しているストーリーと同じ内容で、新作の製作を発表したばかりだったわけだ。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/08/01/13.html

http://eiga.com/buzz/20080804/1

この時点で
>今回は西崎氏曰く「全てがクリアに」なっての再始動だ。

と書かれていたのが気になっていた。和解の結論が予定されていたのだろうか?

しかし、当時の予定では、エナジオが中心となって製作される予定だったわけで、何か西崎氏の想定とは違ったことになっているのではないだろうか?

東北新社の和解は、西崎氏の想定の内か外だったのか、非常に気になる。


実は、ヤマトの著作権問題をややこしくしている理由の一つが、この控訴審段階での和解の繰り返しだ。

和解のもたらした弊害については、次のエントリーとしよう。

今年の末に運行予定の、世界最大のクルーズシップが凄い
http://www.i-net-japan.co.jp/voyager/2008-07-18.html
http://www.cruiseplanet.co.jp/ship_date/dt_rci_oasis.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA

もう、画像とか見ても、スケール感が伝わらないのだけど、22万トンというのは、非常識にデカイ。乗客定員が5400人とか、もうこれは、ちょっとした街だ。5400人を毎日飽きさせない、エンターテインメント・シティなわけだ。以前、7万トンのメガシップでクルーズしたことはあるが、それでも十分に凄かった。その3倍以上とか、もうよく分からない。このオアシス・オブ・ザ・シーズという船は、18デッキまである。もう、そびえ立つビルじゃないかw

クルーズというと、日本人は費用が高いと誤解するけれど、海外のクルーズは安い。オアシス・オブ・ザ・シーズの価格表を見たところ、時期と部屋ランクによっては、7泊のクルーズで、最低で1泊換算すると1万円程度のプランがある。クルーズでは、船上の食事やエンターテインメントが、基本料金に含まれるので、普通に海外旅行でホテルに宿泊し、レストランで食事をする場合と比べても、全然高くない。フルコースの正装でのディナーなどが、この金額に含まれるわけだ。(最新装備の新造船でこの価格だから、既存の一般的なメガシップのクルーズでは、もっと安いプランがいくらでもある。)

しかも、船が移動するわけで、余計な交通費も無しに、様々な国に寄航する。こんなお得な旅はない。この金額は、一室2名の場合の1名分の金額だから、2人なら倍になるけれど、3・4人の場合の単価は、更に安くなる。海外の船籍なので、カジノもあるから、毎日稼げるw

この、動くアミューズメント施設は、逃げ場の無い5400人の乗客と共に移動するのであって、立地条件に相当する条件としては、これ以上恵まれたものはないだろう。そういうところにコンテンツを提供できると、面白い話になる。

この船の初航海の年末には、不況から需要が回復するだろうか?
乗組員が何名か分からないが、動く巨大な雇用施設でもあるだろう。

http://www.oasisoftheseas.com
http://www.oasisoftheseas.com/thumbGallery.php

蛇足:
比較ではないが、こんな船がある。
http://www.residensea.jp
これは、船室を所有する定住型の、マンション分譲型の豪華客船だ。正確には、2072年までの占有権ということになっている。一体、どういう人が住んでいるのだろうか...





ま、著作権情報集中管理機構設立に関わってる人物なので、この人がJASRAC批判に批判的なのは、当たり前ではあるが、ポリシーウォッチのサイトに、以下のコメントを入れた。

--

まさか、両者が関わってルールが決まっていて、長年慣行として続いてきたものなら、無批判に尊重されるべき、などとは考えてないですよね?

新規参入を促すための、著作権等管理事業法に関わったのなら、現状で新規参入が阻害されていることに対して、何かしらの問題意識は持ってらっしゃいますよね?

それでも、公取の行動を批判されるというのなら、理解に苦しみます。
現実に疑問を持っていない、慣行を無批判に尊重されているなら、納得です。
あなたは、JASRACを批判すること自体に否定的なのかもしれませんね。

また、片方だけに命令を出すのが片手落ちだとしても、JASRACはサービスの提供者側なのですから、当たり前です。それとも、利用者側の放送局にも命令を出すべきだったというのですか?
利用者側にまで命令を出さなければならない程までに、両当事者間の癒着が深いというのなら、その方が驚きです。その癒着構造を、文化を盾に正当化してはい けません。それ程、文化たるコンテンツ産業が腐っているのなら、それに対してアクションを起こした公取は、たとえ片手落ちであっても、賞賛こそあれ、批判 されるべきではありません。

あなたの論理では、サービス提供者側に命令を出しても無駄と言えるような、競争の無い談合体質も、文化と言ってしまえば保護され、思考停止です。そ もそも、JASRAC以外の著作権等管理事業者は、要らないことになります。著作権等管理事業法に関わった人物の意見とは、思えません。

また、公取が実務を理解しないで口出ししているというのは、公取を馬鹿にしすぎです。公取と、検察の動きをごっちゃに論じるのも、論理の飛躍でしかありません。その程度の認識しかなくして、霞ヶ関の思惑などと言うのは、かなり的外れです。

私は、著作者側の人間であって、あなたの言う両当事者からは外れている立場ですが、クリエーターの立場からは、公取の行動を賞賛する声ばかりです。

--


こないだのヨーロッパ法史で提出したレポートを上げておく。
ドイツと日本の法典編纂を、歴史法学派を軸に絡めてみた。
字数制限が3000字で、論点3つと言われ、めちゃくちゃ詰め込んだ走り書きのような内容になってしまったのが残念。しかし、ローマ法の重要性がやっと分かったし、古ゲルマン社会の面白さや、手続法の重要性を再確認できて、面白い授業だった。

別件で先週くらいに、法科大学院で、退官する大御所の先生方の最終講義等があったのだけど、学者と実務家の連携によって、判例、法改正に影響を与えていくことの重要性のようなことをどなたもお話されていて、歴史法学派の言い分のようだと感じたのも面白かった。

以下レポート
--
一 概説
 1814年、「立法と法学に対する現代の使命」において法典編纂に反対したサヴィニーは、歴史法学派の開祖となる。指導原理が発見されていな い、法律学未発達な時代に法典編纂すべきでないと、強く反対した。それが、サヴィニーの手を離れ、19世紀後半のヴィントシャイトの時代の歴史法学派とな ると、ドイツ民法典編纂への積極的な関与を肯定するようになる。この背景には、社会の変化とドイツ法律学の変化、歴史法学派のテーゼに混在した普遍的なも のと変動的なものとが入り乱れている。
 そこで、歴史法学派が法典編纂に関与する背景を辿りつつ、応用例としての日本への歴史法学派の貢献に触れ、その正当性の片鱗を示すものとする。

二 歴史法学派と法典編纂
 法とは、言語や習俗と同様に、民族とともに生成発展する。法は、慣習法として存在するが、次第に法学によって洗練される。法典編纂とは、民族と ともに生成した法をそのまま採録することであり、既存の法を顧みずに「普遍的な理性法」として法典内容を定めることは、間違いである。歴史と共に法は変化 するのだから、完全無欠の法典など期待するのがおかしい。成文法に頼って全ての法的紛争が解決するわけではなく、法律学が成熟していないのに法典を導入す ることは、実務家の混乱を招く。
 これらは、法典編纂に反対したサヴィニーの、歴史法学派の主張である。しかし、一見して分かるように、それぞれは独立して主張することも可能 であり、また、前提条件の変化が、結論を左右するものもある。この自由度が、ロマニステンとゲルマニステンの対立を生み、更には法典編纂への積極的関与を 肯定するようにまでなる理由でもある。しかし、多様性があるからといって、一貫性がないわけではない。法典編纂に賛同したヴィントシャイトは、サヴィニー の否定した行動をとったかに見えて、歴史法学派のテーゼに反しないという。ヤーコプスの理解によれば、「法典を法律学の産物と見ること、そして、法典編纂 の後も法学が法典を形成し続けると解することによってのみ、歴史法学派のテーゼと法典編纂が相容れるものとなりうる」というのだ。ただしそのためには、指 導原理の発見が可能なレベルまで法律学が発達し、かつ、その状態が将来に渡って持続する必要がある。
 ところがサヴィニーによれば、法律学が発達した状態の社会には制定法は無用だ。制定法が必要とされる社会とは、法律学が未発達か衰退している 場合であり、そのような状況でまともな法典編纂は不可能だ。つまり、需要が無い時にしか、まともな法典編纂は不可能でり、法典編纂は必要ない。ローマ法を 知る者として、引用法の公布された時代の再来を恐れたかもしれない。法典にしろ学説にしろ、それを読み判断する法曹の力量が過不足なく存在しなければ、絵 に描いた餅である。同じ意味で、徴憑理論が導入された糾問訴訟ですら、司法構成員が素人ではドイツ的糾問訴訟と同じ失敗に終わった可能性も、認識できたで あろう。よって重要なのは、法律学の持続的・有機的な発展状態の維持にあり、同時に理論と実践が乖離してはならない。この結論が、歴史法学派の共通目的で あった。
 19世紀後半は、共通目的の部分を実施に移せた時代であった。ヴィントシャイトは逆説的ではあるが、法律学が発達した状態で法典編纂し、その 後も法律学が衰退せずに、法典のメンテナンスを主体的に持続可能であるなら、法典編纂は歴史法学派の共通目的に反しない、と解したのだろう。法典編纂に よって断絶することなく、学説主導が揺るがなければ良い。サヴィニーの時代と異なるのは、法律学の成熟と同時に、法典編纂を社会が必要とした、時代背景の 変化にあった。

三 法典編纂の時代背景
 1814年当時は、仮にサヴィニーが法典編纂に反対せずとも、ドイツ同盟では統一民法典の編纂など無理であった。しかし、ヴィントシャイトの時 代になると、ビスマルクの登場とドイツ帝国の誕生により、全く状況が変わっていた。以前の、単なる「ドイツ人」としての一体感の高まりのみの状態と異な り、1870年代になると、帝国の立法権限拡張を目指す憲法改正の議論が活発となる。民法領域での帝国による個別立法の乱発を許すと、各ラントの地方法に 対する帝国法の介入を許すことになる。個別立法で既存の法を変革されてしまうのであれば、歴史法学派のテーゼを生かした法典編纂こそが、伝統的な地方法保 護の防波堤となる。法律学の専門家による法典編纂であれば、「政治的な牙を折られる」と、南ドイツ諸国に期待されたのだ。
 議会主導の個別立法による改革とは、正にそれまで歴史法学派が反対してきた法典編纂のあり方でもあり、これを阻止する目的での学説主導の法典 編纂が求められるのであれば、共通目的に反しない。加えて、1850年代に始まったドイツでの産業革命による労働者階級の登場は、社会構造を変化させ、理 論と実践の乖離を否定する立場からは、無視できない状態であった。従来の経済的自由の精神から成るドイツ民法典第一草案に対して、ゲルマニステンのギール ケは、「社会主義的油の一滴」を加えよと批判した。これは、社会的弱者保護の必要性など、社会問題を解決するための道具として、立法が必要であると考えら れるようになっていた時代の変化の現れでもある。共通目的に反しなければ、社会需要に応じて、慣習に囚われない法典編纂すら、歴史法学派は肯定できるよう になっていたのだ。
 社会が法典編纂を望む時、歴史法学派も法典編纂を望むのであり、法律学が熟している時、社会は学説主導の法典編纂を望む。社会需要と法律学が車の両輪の如く機能した時、法典編纂はなされたのであった。

四 日本における歴史法学派
 明治政府は1870年代、不平等条約改正のために近代法を必要とし、フランス人にフランス法教育を依頼している。この中で、ドイツ的歴史法学派 であったジョルジュ・ブスケの存在が、日本の法律学の成熟に多大な貢献をした。ボアソナードを除き、当時日本にやってくる御雇外国人は、本国では反主流ば かりであったのだが、それが功を奏した。
 江藤新平は、自然法学派ではないが、フランス法をそのまま日本に持ち込もうとしていた。これに対しブスケは、歴史法学派の立場から、「フラン ス法は、フランス語を話し、長い歴史の上に出来上がったものであり、日本に持ち込んでも機能しない」と批判した。フランス法が芽吹くような、土壌を作るこ とが必要なのであり、まずは法学校を作れと、司法省に「法律学校見込書」を建白した。これを受けて、司法省明法寮をベースに、司法省仏国法律学科専門学校 が誕生したのである。後に来日する自然法学派のボアソナードは、歴史法学派の功績の上に名声を残したとも言える。また、自然法学派でありながら慣習法を重 視したボアソナードは、全く社会環境の異なる日本では、歴史法学派の正当性を認めざるを得なかったとも言える。
 社会的類似性としても、日本の産業革命が1890年代であったことは、民法典施行が1898年であることからも忘れることはできない。不平等 条約の存在をドイツ帝国の立法権拡張とパラレルに見ると、法典編纂を成し得た社会環境のドイツとの類似性と、歴史法学派の実践したテーゼの正当性は、無視 し得ないであろう。
--


Sivaji: The boss

| コメント(0) | トラックバック(0)
ラジニカーント(かつて日本では、「ムトゥ 踊るマハラジャ」でヒットしたインド人スーパースター)の2007年作品、「Sivaji: The boss」のDVDを、イギリス経由で購入し、頑張って英語字幕で観た。インド映画のDVDは、リージョンがALLになってるのが普通みたいで、NTSC ALLリージョンで、何も問題なく日本のDVDプレーヤーで再生できました。ブルーレイは、うちにプレーヤー無いので、選択肢に入りませんでしたが、念のためリンクだけ(アフェリエイトじゃないですよw)。

DVD
http://eshop.ayngaran.com/ww/product_info.php?products_id=484&osCsid=4ef77748a696f0fdbfede3a605dcabd4

ブルーレイ
http://eshop.ayngaran.com/ww/product_info.php?products_id=575&osCsid=4ef77748a696f0fdbfede3a605dcabd4

作品については、今更自分が書くまでもないし、以下が詳しいですからどぞ。

http://munmun.moo.jp/archives/2007/07/sivaji_the_boss.php
http://mediasabor.jp/2007/07/post_166.html

色黒なラジニが、色白になるくだりがあり、どうやって作ったかという話も
http://forums.cgsociety.org/showthread.php?f=59&t=510864

ラジニカーントファンとしては、日本で公開なりDVD発売なりを期待して待ち続けていたのだけど、もう諦めての購入でした。しかし、買って正解。前作の「Chandramukhi」等をネタにしたパロディシーンもあり、ラジニファンにはたまらない一作になってました。

で、撮影当時は、50代半ばのはずですが、そんなおっさんの作品とは思えない、素晴らしい出来でした。つか、アメリカ帰りのSEですよ...IBMのロゴが見えたので、ThinkPad使ってましたねw

ちょっと意外だったのは、悪人に対抗するために、自らも犯罪に手を汚すことかな。最初は抵抗があった賄賂も、必要に応じてバンバン使ったり、犯罪的に集めた金を、ニューヨークでマネーロンダリングして、ブラックマネーをホワイトマネーに...とか。でも、どの犯罪も、そのまま成功したりしないところが、ポイントかもしれません。あと、過去に助けた人に、助けられることも多数。因果応報的です。

まあ、ラジニ様のカッチョイーパフォーマンスが観れただけで、満足なのですけど、特に後半のスタイリッシュなダンスシーンは、カッチョイーの一言です。どうしてこのオッサンが、カッチョ良く見えるのかは、言葉じゃ説明できませんが(^^;;


http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10222415770.html

んんーー
これ、地裁の時から引き合いに出されてるメールですな。
なんか、かなり微妙なものを公開(注)していると思うのだけど...
訴訟記録に含まれるかね?
含まれるとしても、公表を予定されていなかった著作物だろうか?
いや、社員の相当数に送られている?

ちょっと真面目に考えてみよう。

~裁判の公開主義と、訴訟記録の閲覧自由、訴訟手続等における著作物の複製物の目的外使用について~


 第一に、憲法82条によって要請される、裁判の公開主義は、当事者以外の一般第三者が審理を傍聴できることを保障する。しかし、この原則は、訴訟記録についてはそのまま適用されるものではない。民訴法は、公開原則の趣旨を尊重し、一般第三者の閲覧権(91条1項)を認めているに過ぎない。
 第二に、著作権法は、裁判手続等における必要と認められる限度において、著作物の複製を認めている(42条1項)。著作者に無断で複製しても、複製権(21条)侵害にならない。しかし、その目的外で、著作者に無断で当該「複製物を頒布し、または当該複製物によって当該著作物を公衆に提示した者」は、複製権侵害に該当する(49条1項)。
 よって、訴訟記録に著作物が含まれる場合、著作者でなくとも、民訴法上はその閲覧権が認められるが、著作権法上は、著作者に無断で当該著作物を公衆に提示することは許されない。また、当該著作物が、訴訟前に未公表の著作物であった場合、著作者人格権として著作者に認められた公表権(著作権法18条1項)は、憲法の定める公開原則を尊重する民訴法の閲覧権に劣後し、失われると考えるべきである。例外的に、閲覧が制限されるのは、民訴法92条1項各号に該当する、秘密保護目的の場合であり、この判断に著作物性は影響しないであろう。
 つまり、訴訟記録に含まれた著作物は、全て公表された著作物とみなされた上で、訴訟手続等の目的外での著作権侵害を検討することになる。


 本件においてタカポン(ホリエモン)は、著作者に無断で、その著作物たるメールを複製し、インターネット上に公開しているものと思わる。当該行為は、電気通信回線に接続している自動公衆送信装置たるサーバに、当該複製物を自動公衆送信し得る状態に置いたことになる。
 これらの行為は、著作権法上の複製権、送信可能化権(2条9項の5)、自動公衆送信権(2条9項の4)の侵害に該当する。


 その他、名誉毀損やプライバシー権侵害に該当する場合、著作権侵害と別に、不法行為(民法709条)にを構成するであろう。

以上

どうだろ。まあ、こういう事例だと微妙な気がするけど、例えば有名な書籍が訴訟記録に含まれた場合に、それが著作権を無視してインターネット上で全文公開される場合とか考えれば、ありえないと思うわけだ。

と、ここまで書いて気づいたけど、これは引用か?
そう考えると、引用であることも、主従関係も明確だ。
でも、全文だし、公表の問題の処理は必要だよな...


参考
http://civilpro.law.kansai-u.ac.jp/kurita/copyright/commentary/Act42.html

注)2009/3/15追記:
最初にリンクした、takaponさんのブログから、問題のメール全文の印刷物からのスキャン画像が、削除されていることを確認しました。このブログが関係したかどうかは、全く知りません。ちなみに個人的には、裁判は頑張って欲しいと、応援してます。

今、円高の影響と、燃油サーチャージの縮小によって、海外旅行が美味しい状況になっている。ウォン安の韓国旅行なんて、好調どころの話ではない。

http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=40043

ただし、海外旅行全体が伸びているわけではない。

http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=40084

長距離は減少し、いわゆる安・近・短の海外が流行ってるわけだ。ところが国内旅行は、別にお得ではないので、近いからと流行るほどではない。

なので、国内旅行に定額給付金を使わせようというのは、給付の目的に即していると言えよう。内需拡大につながるかもしれない。
http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=40102

しかしだ、定額給付金で海外旅行というのは、疑問を感じてしまう。
http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=40135

海外旅行である以上、定額給付金の一部は、渡航先の国の観光産業で消費されることになる。

そもそも、何もせずとも好調な近場の海外旅行に、定額給付金で拡大されるような需要があろうか。既存の需要に置き換わって使われてしまいそうだ。

別に自分は、バイ・アメリカンのような保護主義的な発想を持っているわけではない。しかし、定額給付金に限るなら、それが海外で消費されてしまうことは、本当に無駄でしかないのではないか?

商売である以上、旅行会社が定額給付金に目を付けるのは正しいし、使い方が決められている金でもない。しかし、定額給付金という存在そのものの失敗に加えて、それが一部でも海外に流れるというのは、本当に政治が大失敗を犯した証拠のようで、複雑な心境になる。


http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20389472,00.htm?tag=nl
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/06/055/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090306/326069/


音楽に限らず、将来的にあらゆる著作権を牛耳ろうという団体が誕生してしまった。
どうしてこんなに、恐ろしい団体名を思いつくのだろうか(苦笑)
集中処理よりも、分散処理とかして欲しいな。

何年かしたら、日本にとって残念な日の始まりだったと、思い起こされる時が来ないことを祈る。


CDCはまず2009年5月の実験システムの稼働に合わせて,本システムの競争見積もりを実施する。本システムの本格運用開始は2010年4月を予定する。システム構築費は,「概算だが2億円から2億5000万円を想定している」(CDC理事の佐々木氏)という。

3月に設立発表した団体が、その最も重要な、核心となるであろうシステムについて、これから入札を実施するという段階にも関わらず、2億だか2億5千万円で、もう5月から実験システムが稼動するだと?

どういう会社が、どういう経緯で受注するのか、興味を持たずにいられない。

まあ、どうせシステムを作るなら、クリエーターと、著作物の利用者が、安価な取引費用で直接市場を形成できるような、中間業者を排除できるシステムを作ってくれないものだろうか。彼らには無理なのは分かってるけど(苦笑)
ニコニコとは、ちょっと違う感じでさ。

恐らく、JASRACが、音楽以外にまで触手を伸ばそうとしているようにしか見えないのが、えらく気に入らないのかもしれないが、こういうのと比べると、
http://maruko.to/2009/02/google.html
Googleが健全だと感じてしまうのは何故だろう...

http://www.artbeats.com/collections/769

ARTBEATの動画素材なのだけど...すごくいい!って、ラスベガス好きな人にしか分からんだろうけどw

ARTBEATとは、映像制作の業務用に売られている動画の素材集で、うちの会社ではよく、爆発や、炎の素材を使っている。でも、こういう観光地の空撮素材まであるとは、知らなかった。

 ちなみに今日は、一昨年の会社の納会でラスベガス旅行を当てた同僚が、やっと休みを取れて(1年以上かかったってどゆことだw)、夕方ラスベガスへ旅立つ。昨日まで、散々ラスベガスに関してレクチャーした。 ホテルやショーの予約が終わったのは、正に昨日。彼は、初海外旅行の一人旅だ。

チップのこと、パスポートのこと、ショーの座席のこと、安全と言われるラスベガスでも危ない地域のこと、空港には早く行けとか、ブラックジャックのベーシックストラテジー、テーブルゲームのはじめ方、カジノのプレイヤーズクラブに入るべし...等々、思いつく限りのことを教えた。 しかし昨日、僕が終電で帰ろうとした頃、彼はまだ仕事をしていた。成田に寝坊するなよ...


観光立国は遠い

| コメント(0) | トラックバック(0)
http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=40071&reminder090304_03

>総務省は3月3日、国土交通省と法務省に対して、入国審査の待ち時間の短縮や宿泊施設での外国語対応の充実などについて改善を勧告した。

総務省の人々は、海外旅行をしたことないのか?
母国語が使えるかどうかで、旅行先を選ぶ観光客なんて、いったいどれだけ居るんだよ。
ましてや、入国審査の時間によって旅行先を選ぶ観光客なんて、皆無だろ。

例えば、リピーターが多い観光地としてラスベガスが有名だけど、ラスベガスに行きたい人間は、アメリカの入国審査で1時間待たされようと、母国語が通じなかろうと、ラスベガスに行きたいんだよ。

パリに行きたい人間は、現地で日本語はおろか、英語を無視されようと、パリに行くんだよ。

外国語対応と入国審査時間改善てのは、観光客の意見と別個の、勝手に役人が立てた、無意味な達成目標じゃないか。そんな、役に立たない目標を掲げて達成したって、観光客は増えない。

http://www.soumu.go.jp/s-news/2009/090303_1_bs.html
http://www.soumu.go.jp/s-news/2009/pdf/090303_1_bs06.pdf
このPDFの、P116を見たら分かる。
訪日前の日本の印象と訪日後の日本の印象の変化だ。

なんと、ほとんどの否定的イメージは、1%前後しかない。物価が高いことに対する11.1%というのが最大だし、訪日後に最もイメージが悪化した言語障壁だって、たった4.5%だ。この結果を普通に考えたら、外国人旅行者は、ほとんど日本に否定的なイメージが無い、ということになる。逆に、95.5%の外国人は、否定的な言語障壁が存在しないと回答しているに等しいのではないか?
にもかかわらず総務省は、無駄な改善目標を達成しろというわけだ。正に、お役所仕事ではないか。
恐らく、観光庁をかかえる国交省は、そんなことは分かっているだろう。
http://www.mlit.go.jp/kankocho/
(写真の中心あたりに、中田が写ってる!)

そもそも、こんな評価だって存在する。
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/02/024/index.html
http://www.wanderlust.co.uk/article.php?page_id=2403
97.42%が満足し、日本が1位だ。そりゃ、英語は使える場面が多いから、英語圏からの旅行者の満足が高いのは当然かもしれない。しかし、それにしてもだ。

よく考えてみよう。日本に来る観光客は、ほとんど満足して帰国しているけれど、リピーターにならないのだとしたら?

答えは、「一度で満足できちゃう程度の観光資源しかないから」ではないか?

いや、そもそも、リピーターを増やそうとかいう以前に、未訪問の外国人に、訪日しようと思わせることから失敗してるのであって、年間1000万人を目指すなら、リピーター対策なんて後回しで十分なのではないか?

初訪日を増やすため、海外で日本のアピールに失敗してるのは、外務省だ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/shingikai/koryu/h18_sokai/05hokoku.html
http://beauty.oricon.co.jp/news/63622/full/
そして、仮に100歩譲ってポップカルチャーの宣伝に成功しているとして、それで日本にやってくる外国人は、地方都市に行くはずがない。行くはずがない地方都市に言語障壁があろうと、そんなの関係ねーのだ。縦割りとは恐ろしい。

>国際観光ホテルの登録施設で、調査に対して2007年に外国人旅行者を受け入れたと答えた1560件のうち、22.9%が外国語による接遇を「行っていないし、行う予定もない」と回答した。また、外国語による施設の案内表示や情報提供の有無を聞いた質問では、「行っていないし、行う予定もない」が 20.9%であった。

それはそれで、認定方法に問題があるのかもしれないが、政策の目標である「外国人観光客年間1000万人」を達成する上では、些細な問題に思うわけだ。何しろ、そこに不満を持って帰る外国人は、4.5%なのだから。
http://www.soumu.go.jp/s-news/2009/pdf/090303_1_bs05.pdf
P44で、台湾の旅行業者から指摘されてることは、確かに問題だ。
外国人観光客を受け入れることに否定的な、地方の宿泊施設は、確かにあるだろう。たまに、外国人の宿泊を断ったりして、問題にもなっている。しかし、望まない業界に押し付けてどうする。地方が差別的だったりすることだって、いきなり改善は不可能だ。

もっとも、調査そのものが古いのであって、今の不況の中なら、受入れに前向きな業者は増えている可能性も高い。こういった古い調査を今頃使うこと自体、どうにかしているのだが...

あぁ、観光庁よ、縦割りを崩して、ガンバレ。

ロヒンギャ族:「難民と認めて」...日本に200人 - 毎日jp(2009年3月1日)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090302k0000m040040000c.html
-->
 ミャンマー軍事政権による差別や迫害を受け、周辺各国への流出が続いている「ロヒンギャ族」。ミャンマーは自国民と認めず、タイやマレーシアなども受け入れに難色を示す。日本国内でも約200人が暮らすが、日本政府は大半を難民認定せず、一方でミャンマーが自国民と認めないため強制送還もできない「宙に浮いた」存在だ。経済危機で生活困窮に拍車がかかり、正式に就労が可能になる難民認定を強く求めている。
<--
-->
 「食費を減らしても、もうお金がない。(マレーシアで暮らす)家族に電話できるのは週1回だけ。心が痛い」。約160人のロヒンギャ族が集まって暮らす群馬県館林市。05年12月に来日したモハマド・アユーブさん(35)は肩を落とす。
<--
-->
 ロヒンギャ族の故郷は、ミャンマー西部ヤカイン州。ロヒンギャであることを理由に移動の自由や教育、仕事が制限され、軍による強制労働もあるという。アユーブさんは88年のヤンゴンでの大規模民主化デモに参加。友人4人が軍の銃撃を受け死亡、多くの仲間が逮捕された。タイからマレーシアに逃げたが、不法滞在として繰り返し拘束された。
 05年12月、中国人ブローカーに約30万円払い来日。成田空港で難民申請したが「仮滞在」のまま3年以上過ぎた。
<--


そういや先々週、難民支援協会の講座受けた。

一昨年末から昨年にかけて、ミャンマーやトルコが不穏な状況だったから、昨年の難民申請は増えるとは思っていた。しかし、増えるどころじゃなかった。激増していたことを知った。

2007年は816人だった難民申請者数が、昨年は1599人になった。
内訳は、ミャンマーからが979人、トルコからが156人、スリランカからが90人...
http://www.refugee.or.jp/jar/topics/other/2009/01/30-1100.shtml

案の定、ミャンマーとトルコからの難民が増えた。
ミャンマーからは、少数民族は沢山いるけれど、有名どころはカレンとロヒンギャだろうか。トルコからってのは、つまりはクルド人だ。

そのうち、難民認定されたのは57人で、内54人がミャンマー人。
(本当は、申請した年に認定される人は少ないので、前年以前の申請者が含まれる。特に、申請者が増加した現在、認定に要する期間はどんどん延びて、平均は2年らしい。これ、行政手続法を知ってる人なら、おかしいと思うかもしれないが、難民関係は適用除外なのだ(苦笑))
で、トルコとの関係を悪化させたくない日本政府は、トルコはクルドを迫害していないという立場を貫いているので、クルド人を難民と認めることはほとんどない。つか、全然ないかな?

ミャンマー人だけ優遇しているわけだけど、それはそれで、ミャンマー人の難民も複雑な心境のようだ。自分たちが認められるのは有難いが、何故日本 政府は他国の迫害は擁護するのかと。入管で何ヶ月~何年も収容(ほとんど刑務所と同じ)されていると、難民同士で世界中の迫害状況を知ることになるので、 難民認定された後になって、何故自分たちだけ...という気持ちになる人も居るらしい。


ちなみにロヒンギャ人は、周辺国からも迫害されてるので、ミャンマーの外でも殺される。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2559564/3697350
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009021402000085.html

しかし、大半の日本人は、そんなこと想像できないので、島国日本に辿り着く外国人=金目当て、と思い込んで思考停止する。

日本で難民なんて言うと、ネットカフェ難民と同レベルくらいの認識だったりして、流石村社会としか言いようがない。

ま、今回の記事になってる人物が、具体的にどうなのかは知らないけれど。


そして、よく出てくる意見が、不法滞在は犯罪だから、犯罪者は出て行け、みたいな思考停止パターンだ。難民が、合法的に他国に入国できることなんて、まずないわけだが、日本で平和ボケしてると、違法=悪人としか考えられない人が居るらしい。

まず、自国を出国する時点で、合法的なパスポートとビザを持っているような人間は、余程運が良い難民だ。今回の記事では
>05年12月、中国人ブローカーに約30万円払い来日。
となっているが、そういう手段を使わないと、普通は逃げて来れない。

次に、
>成田空港で難民申請したが「仮滞在」のまま3年以上過ぎた。
成田で難民申請できる難民は、かなり珍しい。そもそも、自分が難民だと認識している人自体、少ない。とりあえず不法にでも外国に逃れてきただけ で、自分が国際的に条約難民として地位を得る条件をクリアーしているとか、考えたこともないわけだ。迫害されてきた国の中では、情報が限られているので、 そういう条約の存在自体を知らなかったりする。とにかく、帰国したら殺されるかもしれない、としか思ってなかったりする。

すると、不法入国のまま不法滞在に直結する。そういう中で、難民支援協会に辿り着くのは、運が良いとしか言えない(アフリカ系の難民の場合は、現 地でUNHCRが活動していることが知られていることが多いので、国連に電話する人は居るらしい。すると、最終的に難民支援協会を紹介される。)。

不法入国、不法滞在の認識があると、余計に公的機関に相談することなど怖くてできず、不法就労して生き延びるうちに、何年も経過してしまう。もし くは、何らかのコミュニティに辿り着いたとしても、同様の境遇の仲間が難民申請したら収容された、なんて話を聞いて、余計に難民申請そのものを恐れるよう になったりもする。裏街道まっしぐら。

そういう状況になるべくして日本にやってくる者こそが、難民なわけだ。
せめて、外国人の玄関となる全国の空港や港には、難民に関する相談窓口でも作るべきだが、そんな金はどこからも出ないので、他国のようにはいかない。

ついでに言うと、出国する時点で行き先が決まっていない難民も多い。とりあえず、自国に居ると危険なので、外国へ行く船の船員として潜り込んだり して、とにかく出国する(これも運が良いパターンかな)。日本を選んだのではなく、日本に寄港したから下船しただけということもある。

ま、そんな程度だから、今の難民申請数で済んでいる、という見方もできるかもしれない。


日本に辿り着く難民は、難民キャンプに押し込められる大半の難民より、一見運が良いように見える。でも、実例を聞けば聞くほど、「日本に来ちゃって残念だったね」、「こんな国ですまんね」と思ってしまう。


そして、最も解かなければならない誤解は、難民を保護すべき理由は、難民がカワイソウだから、ではないということだ。日本は難民条約を批准し、国 内法を整備した以上、そのルールに従って難民を受け入れるのが、法を尊重する先進国として当たり前なだけだ。作ったルールの運用基準を曖昧にして、出身国 によって差別的な扱いをしたり、非人道的な扱いをして良いとは、どこにも書かれてないってことだ。


アーカイブ

Las Vegas

Lights for Rights

このアーカイブについて

このページには、2009年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年2月です。

次のアーカイブは2009年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.23-ja