今年の司法試験も終わり、オワタオワタ...ということで、自暴自棄になって旅立った...ではなく、母親が東北を旅したいというので、ツアコンしてきました。
先月GW前に、陸前高田の戸羽市長がfacebookで書かれていたのだけど、6月になると、津波被害を受けた旧市役所などの公共の建物、ホテル、スーパーなどが、順次解体されることになっており、津波被害を直接見ていない人など興味本位でも構わないから、陸前高田に来てくださいという話があった。それを母に伝えたら、そういうことなら行きたいと。じゃあ、東北六魂祭もあるから、試験終わった翌週に...ということで、試験後、出発のわずか数日前に調べて旅程を組んだ。もちろん、平泉も観光したいとの要望があった。
で、そのうち陸前高田に関する部分は、これから行こうという人の参考になる部分もあると思うので、少し細かく紹介することにした。
■陸前高田の宿の予約
ボランティアや簡単なバスツアーなどではなく、しっかりと陸前高田を歩いて見るため、まずは宿の確保から始めた。自分一人なら、夜行高速バスで早朝到着し、午後のバスで一ノ関に戻って宿泊という強行軍も可能だが、今回はそうはいかない。悪天候なども想定し、確実に、無理のない行程を組むには、陸前高田で宿泊するのがベストと考えたからだ。
参考にしたのは、まず市のサイト。
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/kanko-event/syukuhaku/syukuhaku.html
この中から、長距離バスのバス停のある市役所仮庁舎や、広田湾との距離など考慮し、徒歩で活動可能な地域の宿を検討した。
もちろん、市中心部から遠い宿も、タクシーを活用するなどで交通手段が確実に確保できれば構わないだろうが、路線バスの本数は震災後は極端に少なくなっており、場所によっては1日1往復しか走っていなかったりするので注意が必要。
やはり市のサイトにある、バスの時刻表と路線図は、とても参考になる。
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/kurashi/bus/bus.html
で、時刻表とにらめっこしながら、中心部から遠い広田町の宿にも電話してみたが(以前この辺でも作業したことがあるので)、自家用車で来るのが普通の場所だから、バスを当てにするようなことはせずに、もっと市中心部に近い宿にした方が良いとアドバイスされた。
ということで、
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/shisei/access/access.html
市役所周辺で探した結果、
http://takata.si-dsg.com/camp/contents/04.html
陸前高田ドライビングスクールの宿泊施設(ユニウス)のお世話になることに。
ここは、ボランティアも多く利用する宿で、どうやら普段からかなり混んでいる感じで、直前なのに予約できたのは運が良かったのかもしれない。徒歩数分圏内にコンビニ、ドラッグストア、スーパー、銀行、郵便局等が集中しており、被災した主要施設がこの周辺で営業再開し、市の新しい中心地の一つを形成している感じになっている。もちろん、市役所の仮庁舎も近い。
しかし、まあ専門のホテルではないので、色々とルーズな部分があり、実際にチェックインしようとしたら宿の管理人に予約の話が一切伝えられておらず、フロントに人はいないし、部屋も準備されておらず、常識的に考えれば色々と問題があった。
そもそも、予約の電話をした際の予約担当の男性の対応はかなり変で、宿から徒歩圏内にコンビニがありますよね?と念のため質問したら、何か勘違いされてしまい、来たら何とかなるとか東京のつもりで来ても何ともならない、とか、陸前高田に来たことはあるのか、とか言われてしまった。ボランティアで行ってるし、その宿の前も何度も通ったことがあるし、その目と鼻の先でも作業したことがあるのだけど、質問の仕方が悪かったのか何か気に障ってしまったようで、嘘を言われてしまったのだ。徒歩3分で、ローソンもファミマもドラッグストアも、スーパーマーケットのマイヤも、100円ショップのキャン・ドゥも既に営業再開している宿で、どうにもならない訳がない。どうにもならない広範な地域があることはもちろんだが、少なくともこの辺はもうそうではない。
更に、本当は素泊まりにして、食事はコンテナの店舗で頑張ってオープンした付近の飲食店を探し、お金を使おうとも思っていたのだけど、そういう考えを伝えたのがまた気に障ったのか、自分たちも被災しているのだから、食事もうちで食べてくれと言われてしまい、じゃあ食事付きでお願いしますと相成った。二食付きで追加1500円なんて格安な宿の食事で終わらせるつもりはなかったけれど、夕方になれば仮設の飲食店なども閉めてしまい、夜は食べる場所などないとも言われたので、それに従って食事付きにしてもらった。結果、夜コンビニに行こうとしたら、居酒屋のような店がやっていたように見えたのは、きっと気のせい...
陸前高田市内の各種店舗マップのサイトが存在することは、帰ってきてから知った。先に見ておけば...
http://www.rikuzentakatatenpomap.com/
なお、このマップにまだ反映されていない店も多いので注意。
で、その予約担当者が管理人に予約を伝えなかったため(ゲフンゲフン)、15時前には宿に着いたのに、部屋に入れたのは約40分後になってしまった(しかも、どうやらダブルブッキングもやらかしていた。)のは、きっと言葉足らずな自らの不徳の致すところに違いない。まあ、自分は旅行のトラブルは慣れているので、基本的に気にしないのだけど、今回は時間が貴重だったので残念ではあった。しかしそれ以上に、管理人のおばさんの親切が対照的で有り難く、また当日電話での問い合わせに応じてくれたドライビングスクールの方から、後からお詫びの電話をいただいたのも驚いた。最終的には、ここにして正解だったと感じた。終わりよければすべてよし。
■陸前高田への公共交通
陸前高田は、今も鉄道(ドラゴンレール大船渡線)は復旧していないので、バスでしか行けない。
ボランティア目的のバスや、素通りするだけの復興支援バスツアーならいくつもあるけれど、今回の目的にはそぐわないので除外すると、東京方面から陸前高田入りする際に使えるバスの選択肢は、基本的に2択しかない。
まず、池袋からの夜行高速バス(けせんライナー)で、直接に陸前高田入りできる。
http://5931bus.com/kosoku/tono-kesen.html
しかし、これは到着が早朝過ぎ、前記の通り今回は適当でない。
そこで、一ノ関まで新幹線を使い、一ノ関駅から陸前高田市役所仮庁舎前に1600円で行ける大船渡一関線という路線バスへの乗り換えを検討。
(JRは「一ノ関」と表記するが、バスは「一関」と表記している)
http://www.iwatekenkotsu.co.jp/rosen-jikoku/morioka/110314pdf/engann/20120317/ofunato-ichinoseki(20120317).pdf
これで、14:29に陸前高田市役所仮庁舎前に着けるので、15時チェックインの宿に丁度良いと考えた。(ちなみに、震災以前は1時間に1本はあったそうだが、今は1日2本しか走っていないので、1本逃すと大変なことになる。)
が、新幹線で一ノ関、バスで陸前高田というのがシンプルだが、実は一ノ関から気仙沼までは、ドラゴンレール大船渡線が再開している。これを組み合わせて、気仙沼で大船渡一関線のバスに乗り換えるというのが、ちょっと魅力的。
ということで、出発した5月24日当日は、こうなった。
09:06 大宮
↓ 新幹線やまびこ53号
11:13 一ノ関
12:21 一ノ関
↓ ドラゴンレール大船渡線
13:40 気仙沼
13:49 気仙沼駅前
↓ 大船渡一関線(岩手県交通)
14:29 陸前高田市役所(仮庁舎)前
気仙沼駅前のバス停は、ちょっと注意が必要。駅前にあるバス停は別のバスのもので、実は駅が見えない位置まで移動しないと、大船渡一関線のバス停はない。分からなければ、駅前の観光案内所で質問すればすぐに教えてくれる。
なお、逆の盛岡方面から陸前高田に行けるバスもあるが、そういった路線も詳しく比較したい人は、岩手県交通のサイトを参考にされると良い。
http://www.iwatekenkotsu.co.jp/
ちなみに、陸前高田市役所仮庁舎前は、今ではこんな感じでATMがずらりと並んでいる。
■高田町
チェックイン後、16時頃に竹駒町の宿を出た。そして、20分も歩けば、高田町の広大な、津波で流されてまっ平らになった風景に出くわす。
1年前この辺に来た時の、凄い量の瓦礫が、確実に減ったことが分かる。
例えば、1年前こんな風景だった場所が、
今はこんな感じだ。そして、この残っている建物も、もうすぐ取り壊される予定というのが、今回の旅のきっかけ。
1年前、少し高い地域では、取り壊し待ちの家屋も多く、家財道具の運び出し等を手伝った家などは、業者の予約が混んでいて年内に取り壊せるかどうかも分からないとお婆さんが嘆いていたものだが、今回はそういう家がさっぱりと消え去っていた。
何もないのに、かろうじて道路だけある風景。家があったであろう場所には、いくつも供養の花が枯れていた。ここに初めて来た母は、当初は被害の規模の大きさがよく分かっていない様子だったが、見渡す限り広大な平地となってしまった風景を直に見て、TVで見ていたものとは違う現実がここにあることを、少なからずやっと理解したようだった。(被災者の方はまさかと思うかもしれないが、TVでしか震災を知らない人というのは、本当に被害規模を理解できていない。理解できていないから、酷いことを言う人もいる。でも、現地を見ないで想像できるような被害ではないのも事実で、理解できない人が特別に悪いわけでもないとも思う。想像を遥かに超える被害というのは、やはり現実に見てもらうしか、理解を得られない。)
マイヤから市民体育館に向かう途中、旧市役所前の簡易な祭壇で手を合わせた。
高田松原第一球場近くから引き返し、キャピタルホテル、奇跡の一本松のよく見える場所まで歩き、国道340号沿いに宿まで戻って、丁度3時間たっていた。
自分としては、翌日も使って(もし初日雨だったら、翌日の夕方までを陸前高田で使えるように、フレキシブルな旅程を組んでいた)、かつてお手伝いした広田町くらいまで行きたい気持ちはあったけれど、高齢な母はもう十分よく分かったという感じだったので、翌日は早朝に陸前高田を発つことにした。(もちろん、高田町だけ見て陸前高田を全部見たなどというのは甘い話で、帰宅後、Googleマップとストリートビュー見せながら、歩いた場所がどんなに一部分に過ぎないか説明することになった。)
ちなみに、以前は壊れた自動車の山だった場所が駐車場になっていたり、少し坂を上った辺りに理髪店が営業していたり、お菓子屋さん等がオープンしていることに、一々感心してしまったが、行きに気になったお店で、帰りにお菓子を買った。
これを買った「おかし工房木村屋」さんは、後で調べたら、
http://okashitsukasa-kimuraya.com/
元は気仙ゆべしの老舗で、被災地応援ファンドで再建されたばかりだった。
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=200
何も知らずに訪れ、奇跡の一本松をモチーフにした「夢の樹バウム」も偶然買ったのだけど、とても美味しくて、デカいの一本丸々買えば良かったと、ちょっと後悔。
http://www.musicsecurities.com/blog/community_news.php?st=cal&bl=120&cg=25
被災前のサイトは、オンラインショップのリンクが切れており、更新されてないようで、買う手段はないのかと諦めかけたら、こんなの発見。
http://www.i-wa-i.jp/article/14399034.html
あぁ、ここは入らなかったけど、隣のお店だ!
ということで、隣のお店経由なら「夢の樹バウム」が通販で買えるので、おススメです(笑)
■平泉へ
翌25日は、早朝からバスで陸前高田を去った。
06:01 陸前高田市役所(仮庁舎)前
↓ 大船渡一関線(岩手県交通) ←行きの逆のバス
07:55 一関
鳴石団地前を過ぎたあたりから、広田湾に下っていくバスからの風景
通過した気仙沼の風景
09:00 一ノ関
↓ 東北本線
09:08 平泉
ここからは通常の観光モード。平泉では、駅前で電動アシストサイクルをレンタルで借り(ゴールドレンタ平泉:1日1300円)、効率的に観光した。
借りたのが9時30分頃で、柳之御所遺跡、柳之御所資料館→無量光院跡→高館義経堂→中尊寺と順調に回り、中尊寺の奥のかんざん亭で、絶景の中、自然薯そばを美味しくいただいた。
かんざん亭を出た時には、既に14時だったので、ここまでじっくりと観光できた。しかし、段々と天候が怪しくなり、次の平泉文化遺産センターにたどり着いた頃には、雨が降り出していた。
旧観自在王院庭園を横目に見ながら、雨が激しくなりそうなのでスルーし、毛越寺へ。他の団体客のガイドの説明に耳を傾けながら回り、15時過ぎに最終目的地の達谷窟毘沙門堂へ向かうも、とうとう雨が本降りとなり、途中で諦めて平泉駅に戻ることになった。達谷窟毘沙門堂は、征夷大将軍の坂上田村麻呂が創建したというのが興味津々で、実はかなり行きたかった。が、雨は激しくなるばかり...16時前に自転車を返却し、平泉観光終了。無念なり...
で、東北本線で花巻に移動し、この日は花巻台温泉の松田屋旅館に宿泊。
http://www.show-un.com/
花巻は、温泉街がいくつもあって、どれがどうなのかよく分からないのだけど、台温泉は古い温泉街で、松田屋も結構古い。でも、温泉がいくつも楽しめ、ロビーではセルフサービスのコーヒーが無料で、食後にくつろげたり、自室用のアロマのお香も置かれていて自由に使え、他にも無料のちょっといいサービスがあって、コストパフォーマンスが高かった。
ところで、実は宿に着く前、花巻駅でトラブルが。なんと、着替えなどを入れた大きいウエストポーチを、車内の網棚に置き忘れて降りてしまったのだ。情けなや...
駅員に聞いてみたが、その電車は盛岡で折り返し前で止まってるということで、盛岡駅のインフォメーションセンターの電話番号を教えられ、自分でかけろと。
電話すると、その電車は一ノ関で車庫入りするまで忘れ物を調べることはできないと断られ、夜8~9時くらいになれば、忘れ物の情報が端末に登録されるので、盗まれてなければ忘れ物の問い合わせ番号に電話して確認できると...ワァーオ、ザ・たらい回し(笑)
折り返してくる電車の、花巻でのわずかな停車時間に乗り込んで探すという選択肢もあったけれど、直ぐに発見できるか分からないし、次の駅までに見つけるにしても、戻りの電車も本数が少ないので、宿へのチェックインが何時になるか分からない。それでは、せっかくの温泉宿への宿泊が台無しだ。
着替え以外は、スマホの充電器や髭剃りを入れていたけれど、もうそこで自分で探すのは諦めることにした。(ここは日本だから、きっと誰も盗まないさ!と自分に言い聞かせて。)
夜9時過ぎに電話してみたら、見事に一ノ関駅で荷物が見つかり、翌日の帰りに立ち寄って受け取ることにできて、ヤレヤレ一安心。
■花巻から盛岡
26日は、朝から宮沢賢治記念館→宮沢賢治童話村→花巻市博物館と回った。
宮沢賢治記念館は、あれは時間があればいくらでも過ごせる危険遅滞で、童話村のイマイチ感とは対照的だった。
花巻市博物館を見終えたのが13:30頃で、そこで初めて、盛岡の東北六魂祭に行くには丁度良いかもという話に。実はここまで、東北六魂祭は行けたらいいねくらいの話になっており、あまりまともにスケジュールを考えていなかった。しかし、博物館の方に新花巻駅までの歩き方を質問したついでにその話になったら、東北六魂祭のイベントスケジュールの掲載された新聞をコピーしてくれて、盛岡に15:34に到着できる電車の乗り継ぎ方まで教えてくれた。パレードは15時からなので、まだまだ祭りが楽しめる時間に到着できることが判明。
博物館の方に感謝しつつ、新花巻→花巻→盛岡と乗り継ぎ、お陰で東北六魂祭を楽しめた。
その後、盛岡冷麺を食べ、一ノ関に東北本線で向かおうとしたら、祭りの帰りの客で一杯の盛岡駅は、東北本線の改札を入場制限。長蛇の列に並んでいては、とてもその日のうちに東京に帰れない...ということで、新幹線Wきっぷを購入。
18:46 盛岡
↓ やまびこ66号
19:28 一ノ関
受付時間に結構ギリギリで、忘れ物を無事回収。
お土産買ったりしながら、次の新幹線に乗車。
20:22 一ノ関
↓ やまびこ68号
22:34 大宮
で、新宿経由で無事帰宅。
ハードな3日間だった...
さて、次のボランティアはどうすべか。
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