箍(たが)が外れる

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「海上保安官の逮捕見送り 任意で捜査継続 尖閣映像事件」(asahi.com 2010年11月16日3時15分)
http://www.asahi.com/special/senkaku/TKY201011150198.html
捜査当局は、漁船衝突事件を起こしたとして逮捕した中国人船長を処分保留で釈放し、起訴しない見通しであることも考慮。一方で保安官を逮捕し、起訴に向けて調べるのはバランスを欠くという判断も働いたとみられる。

最初に断っておくが、自分は民主党支持者でも、自民党支持者でもない。
特定の支持政党のない、無党派だ。つまり、日本最大の母集団に属する。

支持政党がないのは、論理的思考の結果であって、政治に興味がないわけではない。
当たり前だが、無数の政策において、自分と完全に意見が一致する政党が存在するわけはなく、優先順位をつけて、意見の合わない政策があっても妥協して支持する、なんて器用な真似もできない。(大まかな方向性で、みんなの党に近く、過去に支持したこともあるが。)

しかし、政党政治自体を否定する立場ではない。
立憲民主主義というものが大好きで、その結果、独裁主義というものが大嫌いだ。

恐らく、ここまで書いたことに、同意してくれる人は多いだろう。ところが、最近の世論報道なんぞを見ていると、その理由においても意見が一致する人は、どうやら少ないのではないかと、少し心配になる。

端的に、「民主主義と独裁主義の、正義の質の違いを説明してください」と質問すれば、わかりやすいだろう。

それでも分からない人には、「独裁主義国家では英雄が正義だが、民主主義国家は適正手続が正義だ」と言えば、多少は伝わるだろうか。

実質的正義 v.s. 形式的正義
実体的真実 v.s. 手続的真実


言い方は様々あろうが、この葛藤は、社会制度の様々な場面に埋め込まれており、意識的に認識しないと、人は民主主義的正義を見失う。

例えば刑事訴訟なら、真犯人逮捕のためであっても、捜査機関が違法に収集した証拠が排除されたりする理由も、根源はここにある。手続を踏まない権力は、民主主義社会においては正義ではない。

最近の分かりやすい例なら、事業仕分けもそうだ。
官僚が、どんなに事業の目的の正当性を主張したところで、「で、その実現手段、おかしいですよね?」というわけだ。(事業仕分けそのものの評価は別にして)

目的が正しくても、その実現手段が不正なら、クロ。


なんでかって?
それが民主主義だから。
結果が全てだと思ってる人は、本当は、独裁国家で英雄でも崇拝していれば、きっと幸せなんだろう。


え、まだ分からない?
ローエングラム朝銀河帝国はカッチョいいーけど、腐っても自由惑星同盟だよね!
ファンタジーの世界で、ラインハルトに憧れるのは構わないのだけど、リアルでは困るのだ。


と、話がそれた...

何が言いたいかと言うと、優秀な独裁者より、凡庸でも手続に則って国民から選出された指導者に正当性があり、その指導者や政党が自分の支持しないものであっても、一定期間は受け入れるのが、民主主義国家ってものだということ。ましてや公務員は。

だから、ヤン・ウェンリーは苦悩するのだ(あれ?)


ところがだ...

泣いて馬謖を斬らねばならぬ場面で、それができないなら、そこで民主主義の正義は否定されたことになる。シビリアンコントロールが利かない暴力装置は、民主主義には不要。

義憤
ナニそれ、ウマイの?魚粉の仲間?
愛国無罪?(失笑)

いくら隣の独裁国家が脅威で、民主主義が心もとないからって、独裁国家と同じ論理で武装したら、その時点で敗北だと思うのだが...

え?中国人船長が釈放されたんだから、海上保安官も罪が問われるべきではない?
じゃあ、海上保安官の罪が問われないなら、中国人船長も釈放されて良かったってことか...って、アホか。


権力は腐敗するから、民主主義は権力の交代を制度として担保する。
しかし、政権交代に慣れてない国での初の政権交代は、民主主義の国家としての弱点ともなる。旧政権の悪行の数々が公にされれば、それまで安定していた社会に、激震が走る。

政権交代以降、驚くような秘密の暴露が続き、妄想(信頼)と現実のギャップに、社会の箍が外れたように見える。そして、それが民主主義に内包される、乗り越えなければならない欠点であることを忘れている人が多い。逆に中国は、民主主義の欠点をよく理解しているから、「それみたことか、民主主義ってのはあんなもんだ。政権交代だなんて馬鹿げてる。」と笑っているに違いない。

そんな中、組織改革の脅威にさらされた検察も、今、正に笑っているだろう。
証拠改ざん問題なんざ、どこかに吹き飛んだ。

それも、船長&海上保安官の処遇という、どちらも検察マターで、見事に吹き飛ばした。

保安官関連の捜査情報のマスコミへのリークの仕方など、世論への燃料投下に慣れていて、流石だと感嘆したくなるほどだ。

異論はあろうが、自分は、船長&海上保安官の処遇に、政治介入があったとは思っていない。否、正確には、意向を伝える程度はしたかもしれない。しかし、それに従うかどうかは、結局は検察の胸三寸だろうと思っている。検察は、以前から普通に、勝手に政治判断をする権力ではあったけど、自民党政権時代はボロが出なかっただけの話だ。ある意味、政権と相性が良かった(苦笑)


民主主義国家において、交代可能性なしの最高権力者=検察は、今後も独裁主義的正義に邁進するのだろうか...と思いつつ、このニュースを見ている。


>追記:11/18
なんだか急に、「暴力装置」が話題だそうで(苦笑)
このブログでも、普通に使ってる単語なんだけど、そんなに珍しいか?
国会議員レベルで通じない人が大勢いるらしいことに、逆に驚いた。仕方ない...あえて言うか。

暴力装置の何が悪い!

自民党は、まるで昔の民主党ではないか。
まさか、丸山議員だって、本当は意味くらい理解してたのだろう?
そんな揚げ足とってないで、他にやることあるだろうに。

つか、官房長官も、言った後に取り消したのが、ヘタレだ。
その場で、別に失礼な言葉ではないと、説明すりゃ良かったのだ。
あれで、変な意味になってしまった。

自衛隊にしても、警察にしても、海上保安庁にしても、自らが暴力装置であることを自覚してこそ、初めて尊敬できるんじゃないか。自衛隊を暴力装置と呼んで、それに謝罪しなければならないなんて、とっくに自覚しているであろう自衛官らに対する侮辱だ。自覚なき暴力装置なんぞ、真っ平ゴメンだ。

もちろん、彼らが本当にウェーバー的な暴力装置なのかどうかは、議論する余地はあるだろうが、それはそれ、別の話だ。

それより、発言が問題になった後、wikiの「暴力」のページから、ウェーバーの「暴力装置」という言葉が「暴力の独占」に書き換えられた

書き換えた人は、「暴力装置」って言葉を消し去れば、仙谷オリジナルとして攻撃できるとでも思ったのだろうか?

別に、「暴力の独占」のページが新規に作られたのは良いけれど、「暴力」のページでの「暴力装置」→「暴力の独占」への書き換えは、日本語としておかしなことになった。そして今は、また別の人が書き換え、やっとまともな文章に直った。これで落ち着くと良いけど。

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このページは、ranpouが2010年11月16日 22:18に書いたブログ記事です。

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