少数意見

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喪中なんで、新年の挨拶はナシってことで、新年一本目をどう書くべきか迷ったけれど、たまには法科大学院の学生らしいネタの紹介を(自爆)

以前、朝日のGLOBEが良いと書いた。
http://maruko.to/2009/12/globe.html

実は、上記のJALの前の特集が、「日米最高裁 少数意見が社会を変える」だった。
http://globe.asahi.com/feature/091102/

これも、凄く良い特集だったので、取り上げてみる。


ここで言われている「少数意見」とは、最高裁の判決文に、一見オマケのように追記されてる補足意見や反対意見のこと。判決文に反映された多数の裁判官の意見ではなく、採用されなかった少数派の意見。

実は、これの重要性は、法科大学院に入った当初、ほとんど理解していなかった。憲法の授業で先生に重要と言われても、全然ピンとこなかった。「なんで?採用された多数派の判決文だけ読めばいいじゃん。それでも膨大で、読むの大変なんだから...」という感じ。

多分、世間一般の感覚としても、判決に採用されない少数派裁判官の意見の重要性なんて、気にする人はいないだろう。

もっと言うと、民主主義一般における少数派の救済の仕組みなんぞ、考えたこともなないかも。


上記特集の中の誰かのインタビューにも出てくるけれど、民主主義と立憲主義は、時々矛盾する。民主主義だけに任せると、いつの間にか少数者は抹殺される。だから、基本的人権を尊重する立憲主義が必要になる。それが、我が国の採用する立憲民主主義。

ところが、立憲民主主義の要である最高裁だって、裁判官の多数決だ。そこでも採用されないのが、この特集の「少数意見」。これが、社会を変えることがある。つまり、立憲民主主義の要の中の要、というところだ。

何十年前の「少数意見」が、現在の「多数意見」に変わる瞬間が、立憲民主主義が機能した瞬間とも言える。「少数意見」とは、未来のあるべき姿を予見していたりするわけだ。


そういう視点で、この年始に、上記記事を熟読することをオススメする。

なんでかって?

先月、最高裁の裁判官は3人交代した。2人が定年、1人が亡くなったからだ。
あと半年で、更に3人が定年を迎える。
たった15人の最高裁で、短期間に6人もメンバーが交代するわけだ。

今年は、かつての「少数意見」が「多数意見」に変わる瞬間を、目にするかもしれない...

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このページは、ranpouが2010年1月 1日 06:14に書いたブログ記事です。

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