しばらく更新に時間がかかってしまったが、10日に父が他界し、ドタバタしている。
なので、全然つっこみネタではないが、父のことを書いてみようと思う。
父は弁護士だったが、自分が弁護士を目指しているのは、父とは関係ない。法科大学院を受験した時も、父には秘密だったし、そもそも父の仕事振りを見て、あんな仕事は嫌だと思っていたくらいだ。
しかし、社会人経験をつむうちに、法の必要性を実感し、父とは全く異なる弁護士を目指し、勉強を始めたのだ。父から法律の勉強を教えてもらうようなこともなく、死の数日前にも、弁護士に向かないと言われた(^^;
ところが、長期間病室に寝泊りし、看病していると、必然的に父の仕事を目にする機会に恵まれた。何しろ父は、個室の病室で、先月末まで仕事を続けていたのだ。携帯電話があれば、大概の仕事は可能であり、顧問先の方々は、父が入院中であることを最後まで知らないままだった。
痛み止めのモルヒネの多用のせいか、意識が朦朧としている時間が増えても、相手から書類が届くと急にシャキッとして、短時間で顧問先への的確な指示をまとめ、ワープロ打ちの指示をしていた。とても教室事例では出てこないような、登記絡みの複雑な問題でありながら、ほとんど金にならない内容で、「こんなのを受任する弁護士は他にいない」と言っていた。逆に、だからこそ、解決の目途を立てようと、自らの死後も顧問先が相手方に騙されないように、将来の争いの火種を摘もうとしていた。寝言でもその仕事の指示が聞こえた時は、「こりゃ敵わないな」と思った。
考えてみれば、父は以前、永田町で1人で事務所を切り盛りしていた。子供の頃は、全く理解していなかったが、隣の部屋は新自由クラブで、隣のビルは自民党本部という立地で、弁護士1人の事務所を維持していたというのは、恐らく並大抵ではない。(仮に自分が運良く新司法試験に受かっても、そんなところに事務所を開く自信はない(苦笑))
しかし、十数年前に大病を患い、完治したけれど、事務所を維持することに不安を覚えた父は、新規案件を受任せず、十年かけて永田町での仕事を片付け、数年前に実家近所に事務所を移した。弁護士というのは、引退することが大変な職業なのだ。
そして更に昨年、そこも閉め、実家に事務所を移した途端、胃癌が見つかり、引越しの一週間後に胃の全摘手術を受けた。その後順調だったが、癌の転移が確認されたのは、この夏の話だ。余生を楽しむのは、これからだっただろうに。
そんな父は、実は検事希望だったそうだ。ところが、検察修習中に担当させられた殺人事件で、子を殺した母に心底同情し、起訴猶予としてしまう。何度もダメだしを食らいながら、殺人事件を起訴猶予とする起案を繰り返し、ついにそれが認められ、実際に起訴猶予とすることと引き換えに、「お前は検事志望を諦めろ」と言われ、弁護士となったというのだ。
事案の概要を聞いたら、自分も涙が出てしまったが、だからといって、それを起訴猶予にするような説得力のある論述は、今の自分にはとても不可能だ。なんと、何十年前の年下の父にも、自分は敵わないのだ。これは衝撃的だ。
極めつけは葬式だ。弁護士は嘘つきだらけだと、同業者が嫌いな父の意思を汲んで、葬式に弁護士が大挙することを避けるため、弁護士会に死を伝えたのも数日後だった。内々でこじんまりと済ませるはずだった。しかし、それでも多数の方に参列していただいた。どこで聞きつけたのか、かつての依頼者の方々にも駆けつけていただき、有り難いお言葉をいただいた。ある刑事事件を起こした元少年で、父に助けられたという今は立派な大人が、会場のロビーで号泣していた。第三者からの父の評価を知ることで、改めて、今更ながら、父の仕事を理解した。
父よ、ちょっと偉大すぎだろ。
もう少し、不出来な息子に超えられそうな部分を残してくれよ。
え?三振ギリギリでの合格を目指しても、父より早いって?
わかった。ちょっとストップしてたけど、勉強再開するよ(自爆)
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