http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090616/1245130321
ネットでは、単なるレッテルと同等くらいに、誤解されてる言葉かもしれない。
自分の理解できないことを言ってる人に対して、すぐに、「あいつは○○だから」という、理由になってない理由で、相手を否定したつもりで楽に思考停止したい人が使う。
自分と異なる見解に対して、「工作員乙」とか言って、反論を考えないことで安心できてしまう。ある種幸せな、スイーツ脳と親和的とでも言おうか。
どういう人が、どういう知識や経験を背景に、どのようなメディアのどのような読者に対して、どのような目的で発言しているか。ネットでは、TPOを使い分けるという、現実では当たり前の行動様式が、理解できない人が多い。ハイパーリンクで飛んだ先と、リンク元に、10年の時の隔たりがあろうと、地球の裏側であろうと、チラシの裏だろうと学術的論文だろうと、見分けがつかない人がいる。
そういう人は、何が真実で、何が誘導なのか、論理的に考えてみることができない。
ただ、発言者の属性を、判断の一要素とすることは、意味がある。あの人は、○○だから、発言にバイアスがかかっているかもしれない、という観点は必要だ。しかし、そうして疑ってかかることと、実際の発言内容の真実性の認定や、目的の正当性の判断は、レイヤーが異なる。
刑法の事実認定なら、証拠は無いけど、悪性格だから有罪、みたいなトンデモ判決だ。要証事実に対して、情況証拠にすらならない補助事実を持ち出して、立証したつもりになっては、いけないのだ。
自戒を込めて。
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