2010年11月アーカイブ

■近親相姦

>22日に発表された改正案では、規制する対象を「強姦や近親相姦(そうかん)など、刑法と民法に違反する性行為を不当に賛美して描写する漫画やアニメなど」と定義し、18歳未満への販売を規制するとしている。

え?
近親相姦は、刑法でも民法でも禁じられてないっしょ。
本当にそんな誤った定義を掲げてるなら、大問題だと思うが。
(日テレさん、ソースはどこ?)

近親婚はできないけど(民法734~736条)、合意の上の近親相姦はもちろん、子供生んだって違法じゃないぞ。近親婚の禁止だって三親等内の話であって、いとこ同士なら結婚もできる。

そういう根本的な勘違いで、単なる社会倫理規範を条例(法規範)に織り込んじゃってるなら、唖然とする。こういう思い込みが、差別につながったりする。


そてにしても、今度と前回の改正案の条文の一部を比較すると、「非実在青少年」という言葉は消えたけど、規制範囲が拡大しているってのが更に驚きだ。

都条例改正案比較が、こちらにアップされている。
http://tsukurukari.blog3.fc2.com/blog-entry-34.html

「図書類等の販売及び興行の自主規制」についての7条と、「表示図書類の販売等の制限について」についての9条の2は、以前はそれぞれ「非実在青少年」についての性描写を制限していた。

ところが今回は、「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為」という表現になった。

最早、描写の対象が(非実在)青少年に限定されず、(非実在)成人でも規制対象になったことになる。

まあ、非実在青少年なんて被害者を妄想ででっち上げず、単純に性描写を規制するという意味では、少しはマシになったと言えなくもない。しかし、それならそもそも、条例改正の必要はなく、現行条例で対応できるという批判がより正しくなる。

現行条例の7条1項で、「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な育成を阻害するおそれがある」内容なら、既に規制されているのだ。

今度の改正案がどうしても必要だとするなら、今までと違う意味を意識的に解釈する必要があるだろう。特に、刑罰法規に抵触する行為と別個に、「婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為」について、なぜ特に描写を規制する必要があるのか、ピンとこない。

具体的に近親相姦をわざわざ明記したということは、単に過激な性表現や、性犯罪の描写から青少年を保護する意図ではない。少数とはいえ、社会的に一定の割合で起こり得る愛の形で、多数者からはタブー視されていても、決して違法でない特定の性行為を、社会規範に反するという理由で描写すら排斥しようとしている。それ、差別の一種では?

性的虐待などなら、刑罰法規に抵触する性交類似行為の方に入るわけで、改正案の近親相姦には含まれない。合意の上の近親相姦など違法でないのに、それの描写を規制対象として明記するには、それが社会的な差別の根拠とされないような、説得力のある理由が必要だろう。

世の中、法律婚ができずとも、近親者で事実婚状態の夫婦なんて珍しくないのだ。近所じゃ夫婦と思われてるけど、実は兄妹とかね。同性愛のカップルが、婚姻の代わりに養子縁組するって話もあるが、異性でも、先に性的関係があってから親子になる、妾を養子にするパターンもある。性的関係があっても親子になれるってのが、我が国の判例の一般的な立場だ。

ところが、冒頭の記事によると東京都は、近親相姦を違法行為だと勘違いしていることになる...誤報?メディアは気付いてない?


■社会規範
前回の改正案では、社会規範に関する記述があり、今回の改正案でもその部分は残っている。

「不健全な図書類等の指定」についての8条で、「知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。」として掲げる2号で、「第7条第2号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交または性交類似行為」という表現がある。

7条9条の2の書き方であれば、強姦は「刑罰法規に触れる性交」のはずで、「著しく社会規範に反する性交」と言い換えるのは、整合性がない。

すると、「強姦等」の「等」が言うところの「著しく社会規範に反する性交または性交類似行為」には、刑罰法規に抵触しない、合意の上の「婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為」が含まれる、と考えて良いだろう。

立法者の考えるところの、著しく社会規範に反する性交行為に、適法行為が含まれるというのは、かなり危ない発想だろう。立法者の偏見が滲み出ている。

もしかすると、多様性を認めない立法者のような発想の人からすると、同性の近親相姦は最悪に社会規範に反すると考えているかもしれない。

確かに、近親相姦が一般的にタブーだと言うのは同意する。しかし、そもそも違法ではなく、加えて同性なら、遺伝学的に問題視される出産の可能性がないのだから、実は異性の場合より客観的な問題が少ない。これをタブー視する場合、残るは、単に主観的な偏見しかないということを、強調しておこう。

他国と比べて近親相姦に寛容なのが、我が国の法律の特徴とも言えるのだけど、日本は昔から性に寛容な国である、ということを忘れて、社会規範を振り回してはいけない。


ということで、同性愛者の場合を含め、どうして違法でない行為の描写を規制することが正当化できるのか、かなり非常識な論理の飛躍があると感じる。議論をすっ飛ばして簡単に受け入れられる話ではない。

自分はそっち系ではないから、そういう人々の意見を代弁することはできないが、この改正案が成立した場合に、社会的な差別が助長されないことを祈る。

ま、近親相姦が違法行為だと誤解するほど、行政がバカなはずがない。むしろ、規制派の人々の様々な発言からすれば、違法でない行為を違法行為だとの誤解を広める意図の、確信犯という解釈が適切なのだろう。


ニセ科学としての規制推進
ところで、規制派の言い分は、まるで「ニセ科学」(エセ科学、擬似科学)みたいだと思っている。規制派急先鋒の東京都小学校PTA協議会(以下、都小P)会長の新谷氏は最近、失言の多いインタビュー記事を削除させたことで話題だが、「幼い頃から二次元児童ポルノ漫画に触れることで、子どもの発達は歪んでしまいます。」と言っている。しかし、条例による規制の必要性を裏付けるデータがあるのかと問われれば、「ない」そうだ。

『データはあるのか』と言われること自体ありえない」そうで、それくらい自明と思い込んでいるらしい。規制反対派の人々は、単に表現の自由を訴えているだけでなく、色々と客観的なデータを示して、論理的に反対しているのに、規制派はそれを否定することもなく、聞く耳を持たない。

wiki:擬似科学とは、科学的方法に基づく、あるいは科学的に正しいと認められている知見であると主張されているが、実際にはそうではない方法論、信条や研究を指す


ま、規制推進派が皆、近親相姦が違法だと思ってるくらいの世間知らずなら、ニセ科学レベルにも達してないかもしれないけど、「幼い頃から二次元児童ポルノ漫画に触れることで、子どもの発達は歪んでしまいます。」という根拠のない知見を前提に、イデオロギーを法規範にして、嫌いな表現を消し去ろうというのはルイセンコ事件みたいなものだ。
(追記:このような、児童のキャラに限定して敵視する合理的理由がないから、今回の改正案では、成人キャラも対象になったのだろうというというのが、「少しはマシになった」と上に書いたポイント。しかし、規制派が言うほど出版界の自主規制は杜撰ではないというのが、出版界の言い分。規制派が、出版界の自主規制の仕組みを理解していないために生じている議論の食い違いは、何故かたった2回で終わってしまっている青少年健全育成のための図書類の販売等のあり方に関する関係者意見交換会の議事録を読めばよく分かる。)

ルイセンコは、スターリンに取り入って、メンデル遺伝学などの研究者を排斥したそうだが、都知事がスターリンの立場か...似合い過ぎ(苦笑)


■蛇足
都条例とは直接は関係ないが、児童ポルノ問題で規制強化の運動に参加している、元高知県知事の橋本大二郎氏は、とてもまともだ。

橋本氏は、規制推進派がおかしいと感じたから、規制運動に参加した(中を参照)というのが面白い。

上:『母の代から続く、日本ユニセフ協会との縁』
http://www.cyzo.com/2010/11/post_5863.html
中:『「単純所持」議論を任せてはいけない人たちがいる』
http://www.cyzo.com/2010/11/post_5870.html
下:『里中満智子さんとアグネス・チャンさんが対談すればいい』
http://www.cyzo.com/2010/11/post_5871.html

橋本氏は、ある報告会での都小P会長の新谷氏の発言等を聞いて、「とてもついてはいけないと思った。一言でいえば、価値観の多様性がまったくない。それで、子どもを守る金科玉条を言っている。でも、被害救済については何もやっていないのではないでしょうか。」と感じたと言うのだから、問題の本質を理解されている。

「(財)インターネット協会も、話していることはおかしくはないけど、要は警察庁の守備範囲を広げたいと思ってやっている。それは、子どもの人権を守る問題とは相当違います」

その通りです。

えっと、うちのスターリン都知事と交代してもらえませんか?(^^;


・その他、ニセ科学と社会規範や、ルイセンコ事件について
http://www.cml-office.org/archive/?logid=366
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/keitou/gokai02.html


■追記:青少年健全育成のための図書類の販売等のあり方に関する関係者意見交換会
この議事録は、発言者個人が特定できないようにされているが、発言内容を見れば、こういう発言をするのが誰だか分かってしまう部分がある。

第1回の34ページの保護者の発言で、近親相姦を描いたらしい漫画について「こういったものを描いた本人、あるいはこういうものを出版した会社が社会的に軽蔑されて、切り捨てられていく、そういった社会になっていくのが理想だろうと思います。」というのがあり、漫画家関係者からの「子どもに見せない努力ということですよね。こういう作品が存在してはいけないというような観点のお話ですか。」という問いに、「あってほしくない」と答えている。青少年の健全な育成が目的ではなく、個人的に嫌いな表現を排斥したいと言ってる保護者といえば、あの人だろう。保護者として都小Pが出席していることは、36ページで分かる。

第2回の15ページの下の方には、本屋でアルバイトしてる大学生から聞いたという話が出てくる。これは、例の失言の多いインタビューの1ページ目にも出てくる。ということで、この保護者は都小P会長の新谷氏だ。他、30ページの下の方で、「今日お見えのPTAの方は都小Pの方と○○県の方で」という出版関係者の発言から、他県のPTAも保護者として参加していることが分かるが、この二人の発言を見分けることは、容易だろう。

なお、33ページからの、出版関係者が自主規制について説明している部分は大変興味深い。38ページで、都が、出版界の自主規制について、「その基準というのが、対外的にしっかり外には出ていないと思うんです。」という辺りから以下、出版界が公開している自主規制の基準を、都が把握すらしていないことが分かる。これ、前回の改正案の後の、8月の会合なんだが...

「海上保安官の逮捕見送り 任意で捜査継続 尖閣映像事件」(asahi.com 2010年11月16日3時15分)
http://www.asahi.com/special/senkaku/TKY201011150198.html
捜査当局は、漁船衝突事件を起こしたとして逮捕した中国人船長を処分保留で釈放し、起訴しない見通しであることも考慮。一方で保安官を逮捕し、起訴に向けて調べるのはバランスを欠くという判断も働いたとみられる。

最初に断っておくが、自分は民主党支持者でも、自民党支持者でもない。
特定の支持政党のない、無党派だ。つまり、日本最大の母集団に属する。

支持政党がないのは、論理的思考の結果であって、政治に興味がないわけではない。
当たり前だが、無数の政策において、自分と完全に意見が一致する政党が存在するわけはなく、優先順位をつけて、意見の合わない政策があっても妥協して支持する、なんて器用な真似もできない。(大まかな方向性で、みんなの党に近く、過去に支持したこともあるが。)

しかし、政党政治自体を否定する立場ではない。
立憲民主主義というものが大好きで、その結果、独裁主義というものが大嫌いだ。

恐らく、ここまで書いたことに、同意してくれる人は多いだろう。ところが、最近の世論報道なんぞを見ていると、その理由においても意見が一致する人は、どうやら少ないのではないかと、少し心配になる。

端的に、「民主主義と独裁主義の、正義の質の違いを説明してください」と質問すれば、わかりやすいだろう。

それでも分からない人には、「独裁主義国家では英雄が正義だが、民主主義国家は適正手続が正義だ」と言えば、多少は伝わるだろうか。

実質的正義 v.s. 形式的正義
実体的真実 v.s. 手続的真実


言い方は様々あろうが、この葛藤は、社会制度の様々な場面に埋め込まれており、意識的に認識しないと、人は民主主義的正義を見失う。

例えば刑事訴訟なら、真犯人逮捕のためであっても、捜査機関が違法に収集した証拠が排除されたりする理由も、根源はここにある。手続を踏まない権力は、民主主義社会においては正義ではない。

最近の分かりやすい例なら、事業仕分けもそうだ。
官僚が、どんなに事業の目的の正当性を主張したところで、「で、その実現手段、おかしいですよね?」というわけだ。(事業仕分けそのものの評価は別にして)

目的が正しくても、その実現手段が不正なら、クロ。


なんでかって?
それが民主主義だから。
結果が全てだと思ってる人は、本当は、独裁国家で英雄でも崇拝していれば、きっと幸せなんだろう。


え、まだ分からない?
ローエングラム朝銀河帝国はカッチョいいーけど、腐っても自由惑星同盟だよね!
ファンタジーの世界で、ラインハルトに憧れるのは構わないのだけど、リアルでは困るのだ。


と、話がそれた...

何が言いたいかと言うと、優秀な独裁者より、凡庸でも手続に則って国民から選出された指導者に正当性があり、その指導者や政党が自分の支持しないものであっても、一定期間は受け入れるのが、民主主義国家ってものだということ。ましてや公務員は。

だから、ヤン・ウェンリーは苦悩するのだ(あれ?)


ところがだ...

泣いて馬謖を斬らねばならぬ場面で、それができないなら、そこで民主主義の正義は否定されたことになる。シビリアンコントロールが利かない暴力装置は、民主主義には不要。

義憤
ナニそれ、ウマイの?魚粉の仲間?
愛国無罪?(失笑)

いくら隣の独裁国家が脅威で、民主主義が心もとないからって、独裁国家と同じ論理で武装したら、その時点で敗北だと思うのだが...

え?中国人船長が釈放されたんだから、海上保安官も罪が問われるべきではない?
じゃあ、海上保安官の罪が問われないなら、中国人船長も釈放されて良かったってことか...って、アホか。


権力は腐敗するから、民主主義は権力の交代を制度として担保する。
しかし、政権交代に慣れてない国での初の政権交代は、民主主義の国家としての弱点ともなる。旧政権の悪行の数々が公にされれば、それまで安定していた社会に、激震が走る。

政権交代以降、驚くような秘密の暴露が続き、妄想(信頼)と現実のギャップに、社会の箍が外れたように見える。そして、それが民主主義に内包される、乗り越えなければならない欠点であることを忘れている人が多い。逆に中国は、民主主義の欠点をよく理解しているから、「それみたことか、民主主義ってのはあんなもんだ。政権交代だなんて馬鹿げてる。」と笑っているに違いない。

そんな中、組織改革の脅威にさらされた検察も、今、正に笑っているだろう。
証拠改ざん問題なんざ、どこかに吹き飛んだ。

それも、船長&海上保安官の処遇という、どちらも検察マターで、見事に吹き飛ばした。

保安官関連の捜査情報のマスコミへのリークの仕方など、世論への燃料投下に慣れていて、流石だと感嘆したくなるほどだ。

異論はあろうが、自分は、船長&海上保安官の処遇に、政治介入があったとは思っていない。否、正確には、意向を伝える程度はしたかもしれない。しかし、それに従うかどうかは、結局は検察の胸三寸だろうと思っている。検察は、以前から普通に、勝手に政治判断をする権力ではあったけど、自民党政権時代はボロが出なかっただけの話だ。ある意味、政権と相性が良かった(苦笑)


民主主義国家において、交代可能性なしの最高権力者=検察は、今後も独裁主義的正義に邁進するのだろうか...と思いつつ、このニュースを見ている。


>追記:11/18
なんだか急に、「暴力装置」が話題だそうで(苦笑)
このブログでも、普通に使ってる単語なんだけど、そんなに珍しいか?
国会議員レベルで通じない人が大勢いるらしいことに、逆に驚いた。仕方ない...あえて言うか。

暴力装置の何が悪い!

自民党は、まるで昔の民主党ではないか。
まさか、丸山議員だって、本当は意味くらい理解してたのだろう?
そんな揚げ足とってないで、他にやることあるだろうに。

つか、官房長官も、言った後に取り消したのが、ヘタレだ。
その場で、別に失礼な言葉ではないと、説明すりゃ良かったのだ。
あれで、変な意味になってしまった。

自衛隊にしても、警察にしても、海上保安庁にしても、自らが暴力装置であることを自覚してこそ、初めて尊敬できるんじゃないか。自衛隊を暴力装置と呼んで、それに謝罪しなければならないなんて、とっくに自覚しているであろう自衛官らに対する侮辱だ。自覚なき暴力装置なんぞ、真っ平ゴメンだ。

もちろん、彼らが本当にウェーバー的な暴力装置なのかどうかは、議論する余地はあるだろうが、それはそれ、別の話だ。

それより、発言が問題になった後、wikiの「暴力」のページから、ウェーバーの「暴力装置」という言葉が「暴力の独占」に書き換えられた

書き換えた人は、「暴力装置」って言葉を消し去れば、仙谷オリジナルとして攻撃できるとでも思ったのだろうか?

別に、「暴力の独占」のページが新規に作られたのは良いけれど、「暴力」のページでの「暴力装置」→「暴力の独占」への書き換えは、日本語としておかしなことになった。そして今は、また別の人が書き換え、やっとまともな文章に直った。これで落ち着くと良いけど。

■廉価版DVD
今更という話ではあるけど、アニメのDVDの価格設定が面白い。旧作の廉価版DVDが大量に出始めて、コアなヲタクでなくても衝動買いできるようになってきている。

去年からのバンダイビジュアルのEMOTION the Bestというシリーズの登場がきっかけの一つのようだけど、ジェネオンのRONDO ROBE SELECTIONも、11月末までの期間限定の廉価版という形で販売していて、廉価版がちょっとしたブームになっている。こういう場合の期間限定という言葉の使い方は、購買意欲をくすぐる(笑)

以前、DVDのセル市場の価格設定について触れた、
http://maruko.to/2009/01/post-5.html
上記の第7項にも書いたけど、この市場には、ヘビーユーザー層(年間購入金額3万円以上)と、それ以外のライトユーザーというか、いわゆる一般消費者層が存在し、売上げの大半は少数のヘビーユーザーによって成立している。

ところが廉価版DVDは、売上げに寄与してこなかった一般消費者層を開拓しようとするもので、画質にこだわるヘビーユーザー層は高額でもブルーレイを買うという棲み分けが成立した時代ならではの、ダブルスタンダード戦略だろう。ちょっと、昔を思い出しながら、廉価版の背景を想像してみる。


■昔のOVA
そもそも、OVAが登場した1980年代、ヘビーユーザーというか、まだ規模の小さなヲタク第一世代を対象に市場が形成されたため、価格は高いのが当たり前で、ビデオ作品を買うことへのハードルは、今とは比べ物にならない程高かった。まだ、大きなお友達が今ほど多くなく、大人がアニメを見るのもはばかられる時代に、平気で1万円以上の価格設定がされていたという状況の特殊性は、当時を知らないと理解し難い。最近だって、アニメはブルーレイが高い高いと言われているわけだが、約25年前はもっと高かったのに、ファンはそれが仕方ないと理解していた。日陰者の嗜好品というと語弊があるが、TV化が無理な作品をマイナー市場向けに製作するのだから、高いのが当たり前で、しかも買うというより、良作の作品作りにダイレクトに出資しているような感覚に近かったかもしれない。買い支える感覚だ。

丁度、当時のOVAの値段について、面白いツイートがある。
http://togetter.com/li/18577

皆でお金を出し合って買って観たなんてツイートもあるけれど、個人でいくつも買えるシロモノではなく、買ったら皆で貸し合うことに、著作権侵害だなんて誰も言わない時代だ。

当時、お金のないアニメファンがOVAを見る手段の第一は、アニメ専門誌(アニメージュアニメディア、ジ・アニメ、遅れて登場したニュータイプ、OVAのためのアニメV、他にも、アニメックファンロード月間アウトとか)のイベント告知のページで試写会情報をゲットし、せっせとハガキで応募することだった。(主要都市でしか開催されないので、地方在住のアニメファンは、さぞかし苦労しただろう。)

試写会会場では、普通の映画の試写会と異なり、アニメ本編の試写の前に、主題歌のライブコンサートなんてものも定番だった。というのも、会場ロビーではOVAの予約受付や、サントラのレコード販売が行われており、試写会と言いながらも即売場を兼ねていたからだ。

声優や監督の裏話やコンサートの合間に、必ず物品販売の告知が入り、「本日この会場でビデオの予約をされた方には、サイン入りポスターを差し上げます!」とか、「予約者は、イベント最後に、セル画や関係者のサイン色紙が当たる大抽選会に参加できます!最後に声優さんと握手も!」とか、「本日、まだ予約が少なくて、是非皆さんのご協力が必要です。続編につなげるためにも、是非!」みたいな、泣き落としもあった。

あ、当日既に販売会社の解散が決まっていて、この作品で最後ですから買ってください、なんて試写会も思い出したw

まあとにかく、未成年が大量に含まれる会場で、コンサートやイベントで昂揚させて判断能力を低下させ、その場でグッズ購入やOVAの予約をしなければ損だという印象を植えつけ、高額商品を売りつけ...というと、一歩間違えばマルチ商法の勧誘のようだが、別に悪質なわけではなく、レコードやビデオは、値引き無しの定価販売が当たり前の時代でもあって、特典がもらえるならと、こぞって予約の列ができていた。

それを羨ましく眺めつつ、OVAを買う金がないので、仕方なくサントラのレコードを買っていたのを思い出すが、LPレコードは大きいので、ジャケットの大きな絵をゲットできてちょっとお得に感じていたような気もするし、レコードでも、買えば当日の抽選会に参加できたり、関係者と握手できたり...って、やはり冷静な判断力を失っていたかな(自爆)

で、レンタルビデオを待つのが、第二の手段だ。いつからOVAがレンタルされるようになったのか定かでないが、OVAが置いてあるレンタル屋を見つけるのに、店を転々としたファンも多かろう。で、借りたら当たり前に、VHSのデッキを2台つないでアナログ劣化コピーして、よく分からない満足を得ていた。コピーガードなんて施されていない時代のお話(苦笑)


■価格破壊と市場拡大
今の感覚だと高いと感じるかもしれないが、一話4800円という価格破壊をもたらしたパトレイバーが、自分が初めてシリーズもので買い揃えられた作品だった(後に、演出してた澤井さんと職場が一緒になった時は、実はかなりブッたまげた)。その後、ウィークリービデオ(隔週で二話づつビデオを送ってくる)と称して一話2500円計算で全26話を予約者のみに限定販売した銀河英雄伝説、それらにつられて安く価格設定されたレア・ガルフォースなども、頑張って買ったw

今のアニメからは想像がつかないだろうが、パトレイバーも銀河英雄伝説も、途中のアイキャッチで、TVのようにCMが入っていた。ビデオ販売作品なのに、企業CM入れてコスト削減し、更には、いつかTVで放映できる日に備えていたのだ。

こうして、低価格化(当時として)、一般向けに市場拡大を目指す流れができた結果、予算をかけて自由に創った作品を少数者に売る市場としての、OVA本来の存在意義が、変化を始めた。マンガ連載との相乗効果を狙う、メディアミックス路線の作品が増えたのもこの頃からだろう。

OVA+マンガから始まったパトレイバーが、劇場版、TV放映へとつながっていく様は、サクセスストーリーそのものだったのではないだろうか。シリーズを買い支えたファンは、作品の成功そのものに歓喜したと言っても、言い過ぎではない。


■メジャー化の代償
パトレイバーを中高生で体験したヲタク第二世代は、第二次ベビーブーム世代でもあり、角川のメディアミックス路線や、攻殻機動隊、エヴァも体験しつつ、1990年代後半には大きなお友達へと成長し、高額作品でも買い支えられるようになった。すると、価格を気にせずクオリティにこだわるようになる。

しかし、深夜アニメの登場や、エヴァが社会現象となっていくにつれ、ビジネスとしてのヲタク市場の拡大は、ヲタクそのものが一般化していく過程と重なる。拡大した市場における一般化したヲタクは、最早本来のヲタクではないのと同様に、OVAも本来のOVAではなくなった。そこに残ったのは、単なる商品とその消費者、という関係に見えた。

かつては見る機会すら限られていたような作品が、衛生や地上波で放送されるような時代になったが、それをVHSで録画しても、最早満足しない。丁度、VHS+LDでの販売スタイルから、DVDへのメディアチェンジのタイミングで、劣化しないデジタルメディアで作品を保有したいという欲望が、TV放映そのものを作品の宣伝媒体と捉えるビジネスモデルを支えた。もちろん、旧作のVHSからDVDへの買い直し需要も生じた。

ヲタクの支払い意欲額の限界に挑戦するかの販売手法が登場する一方、低価格化で市場拡大を目指す必要性が薄れたのか、ガイナックス商法など、焼畑農業に躊躇がなくなった(苦笑)

それでも、好んで焼かれるファンとの蜜月が続き、市場が成立していた頃は良かった。しかし、理由は様々あろうが、ついにパイが縮小し始めたことで、ほころびが生じてきた。

第二次ベビーブーム世代の大きなお友達も既婚者が増えたろうし、そもそもデフレだし、昔と異なり携帯などの通信費が毎月生じる現在、どの世代も趣味に使える金が減っているのだろう。最近のヲタクにとって、映像作品の購入は必須でなくなり、ヲタク的なサービスやファッションその他、ライフスタイル全般におけるヲタク的消費の一部という位置付けとなり、マイナー市場を買い支えるという認識が希薄化したのだろうとも思う。かつてのOVAのような、稀少価値のある嗜好品ではなくなったのだから、そりゃ支払い意欲額も低下する。しかしそれは、そういうビジネスモデルを選択した結果でもある。ま、ジャパニメーションだのクールジャパンだの自画自賛したことの帰結とも言える。シビアな財布で選択と集中の結果、選択に漏れる作品が出たとしても、最早パトロンでもない消費者に文句は言えない。

そういう意味で、ネットの違法配信の影響云々言うのは、これが80年代の稀少価値がある時代のOVAなら理解できるが、90年代以降の、TV放送を前提としたビジネスモデルからすれば、売上げに悪影響が出る要因とは言えないはずで、何とも間が抜けた言い訳に聞こえる。初めから、放送の録画で満足して完結しない人々に向けて、その先の展開で利益を出す計算なのだから、ネット配信で満足してしまうような人は相手にしていなかったはずだ。

だから、
http://maruko.to/2010/07/post-90.html
こういう話になる。

メジャー化し、稀少価値が薄れた現在、消費者の支払い意欲額を引き上げるために、再度の囲い込みを狙うというのは、何とも後ろ向き過ぎる。囲っては焼き払い、囲っては焼き払いでは、いつしかペンペン草も生えなくなる。

あれ?
なんだか話が違う方向に進みすぎた(苦笑)

まあ、そんなこんなで、囲い込みではない、耕作面積拡大のための廉価版販売というのは、大いに賛成だ。

■廉価版の恩恵
減少しているとはいえ、依然としてヘビーユーザーは大事だ。ブルーレイに特典付けて高額にしても、ヘビーユーザー需要はまだ存在する。しかし、それ以外の一般消費者に対する働きかけの必要性も増している。単に、ブルーレイよりDVDが少し安い程度では、一般消費者にはそれでも高すぎる。双方に両立する有効な売り方は...

ということで、旧作DVDの廉価版販売という戦略が、流行りだしたのではなかろうか。ヘビーユーザーが高額で買う時、同時発売で極端な廉価版を出すわけにはいかないし、特典で差を付けるにも限界がある。そこで、時は金なり。旧作扱いなら、廉価版を出しても文句はなかろう。しかも、今更ヘビーユーザーは、DVDなんぞ欲しがらないから悔しくない。

ブルーレイへの過渡期だからこそ可能な、ヘビーユーザーの気分を害さない形での廉価版での需要創出というバンダイビジュアルの手法が継続し、各社も同様の戦略に出ている今、これは買う側にとってもチャンスだろう。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/11/news025.html
これのせいで今後は、廉価版を物理的なメディアで売るという販売手法自体が消える可能性すらある。そういう意味でも、一応メディアとして保有したい人には、今が本当の最後のチャンスかもしれない。

え?
メディアで保有したいって発想自体が、とっくに少数派?
すみません、元ヘビーユーザーだったもんで、やっぱ形が欲しくて(苦笑)


以下、一応自分向けメモとして、気になるのを貼っておこう。


って、気になりすぎる!!(自爆)


■蛇足
今頃、自分が最後にサポートした仕事が、やっと発売するのを見つけた(笑)

廉価版じゃないのにこの価格なのは、お子様向け作品だからだろう。
まぁ、記念に自分用に買っておくかな。

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