先日、ネオンサインを禁止にしろという、都知事の発想のベクトルがおかしいのではないかと、以下のように書いた。
http://maruko.to/2011/03/post-110.html
>現代版「欲しがりません勝つまでは」に、血が騒いでいるのなら、ちょっと落ち着こう。戦時下の灯火管制が無意識に懐かしいのかもしれないが、そんなノスタル爺じゃ困る。
この時点では、都知事が戦時中を懐かしがっているのではないかというのは、推測に過ぎなかった。ところが、都の管理する上野公園の「桜まつり」中止、花見宴会自粛要請などが始まり、その理由を都知事が以下のように語った。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032900919
時事ドットコム(2011/03/29-19:12)
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石原知事は「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘。さらに「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」とも語った。
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正に想像通り、戦時下の日本を美化して懐かしがって、現代の都民に同じ思いを強制しようとしているわけだ。
お断りしますm(_ _)m
若かりし頃の思い出にひたるのは、そりゃ個人ではご自由にどうぞ。
だけど、勘違いにも程がある。
先日、都知事がハイパーレスキューを兵隊に例えたのも違和感があったが、この震災は戦争じゃない!
「震災が起こったので自分の宿命だなと思って」都知事選に出馬したというくらいだから、この状況を何かのチャンスと思ってるのだろうが、あなたが懐かしみ再来を望む、戦時下の美しい日本人なんて真似たら、復興が遠のく。
大体、都知事選出馬を決めたのは地震の前だったのに、後から起こった震災を宿命と思って出馬したなんて言ってしまうのは、既に何らかの記憶障害なのかもしれない。しかし、もう78歳なんだから、それくらいは仕方ないとも思う。
が、今の東京に必要なのは、戦時中モードじゃなくて、戦後の復興モードですから!
戦後の復興してる時に、花見宴会を自粛なんてしてないだろ?
都知事である以上、そこの重大な勘違いは、78歳であっても許されるレベルじゃない。
もちろん、原発の状況が収束していない点は、まだまだ復興モードではないとも言える。しかし、東京の住人が原発という人災の被害にばかり目が行くのは、東京が地震と津波の直接被害が少なかったからであって、多大な直接被害を受けた被災地の人々への配慮が欠け、彼らが既に復興モードにシフトして歩みだしていることへの想像力が欠如しているからに他ならない。
中止された桜まつりの中には、期間中のグッズ販売の売上げを被災地への義援金にしようと準備されていたものもある。単に経済活動を阻害するだけでも復興支援を妨げるが、自粛という反論の困難な大義名分で、直接的な義援活動まで邪魔をして、一体誰が得をするのだろう。
都知事や、同じ戦時中の記憶を持つ年代の人々は、ノスタルジックな思いが満たされて満足するのだろうか。
早速、ニューヨーク・タイムズが反応したようだ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110329/amr11032920100008-n1.htm
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同記事は自粛が過剰になっていることを示唆し、企業や学校の行事のキャンセルが日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に浸食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べている。
また「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」とも論評した。
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指摘が正しすぎて、ぐうの音も出ない。
自粛という負の同調圧力の無意味さ、有害さは、若い世代はよく理解しているように感じる。自粛とは、第三者の自己満足に過ぎない場合が多いことを。
思うに、被災地でやっと復興に踏み出した人々は、東京の人々が自分たちに合わせて活動を自粛して欲しいとは思っていないだろう。むしろ逆に、花見だろうと宴会だろうと活発な経済活動を続けて、早くこの悲惨な状況からの脱出の手助けをして欲しいと思っているのではないか。
さて、都知事選挙は自粛しないそうだが、都民は、戦時中モードの老人に今後4年間を託し、あらゆるイベントを中止・自粛し続けるつもりだろうか。後になって、他の候補者に選択肢がなかったからと言ったところで、言い訳にならない。少なくとも、「欲しがりません勝つまでは」では、最初から復興支援を諦めるようなものだ。